人気ブログランキング |
It's Only a Paper Moon by Nat 'King' Cole
タイトル
It's Only a Paper Moon
アーティスト
Nat 'King' Cole
ライター
music by Harold Arlen, lyrics by E.Y. Harburg and Billy Rose
収録アルバム
After Midnight
リリース年
1933年(初演、ナット・コール盤は1956年)
他のヴァージョン
Frank Sinatra, Harry Nilsson, Ella Fitzgerald, Lionel Hampton, Dottie Reid, Eddie Heywood, Marvin Gaye, Art Blakey & the Jazz Messengers
f0147840_0245541.jpg

本日は、月の歌となれば、やらないわけにはいかないだろうというスタンダードです。山ほどヴァージョンがあって、どれを看板に立てるか迷うところですが、ヒット・ヴァージョンでもあるし、好きなシンガーでもあるし、いままでに取り上げたことのない人ということで、ナット・“キング”・コールにしました。

◆ 芝居の背景か遊園地の景物か ◆◆
さっそく歌詞を見ていきますが、背景がわからないと設定がわからないという仕組みでして、適宜、脇道に逸れることになりますので、そのあたり、よろしく。

ヴァージョンによる歌詞の異同がありますし、ナット・コール盤は少数派に属すようですが、いちおう彼のヴァージョンに依拠します。いや、ナット・コール盤といっても時期の異なるヴァージョンがあって、ちょっとやっかいなのですが。とにかく、ファースト・ヴァース。

It's only a paper moon
Hanging over a cardboard sea
But it wouldn't be make believe
If you believed in me

「これはボール紙に描いた海の上に浮かぶ、紙の月にすぎないけれど、もしもきみがぼくのことを信じてくれたら、これは本物になるんだよ」

ちょい意訳が入りましたが、まあ、こんなあたりでしょう。

なによりもまず、「紙の月」とはなにか、というのが問題です。この曲には、演劇用語が登場するので、単純に、紙でできた芝居の背景の月と考えておけば、とりあえずいいだろうと思います。そういう前提で解釈して、問題が起きるわけではありません。しかし、ちょっとべつの想像もします。

最近はあまり見ませんが、わたしが子どものころは、観光地に行くと、たとえば、三度笠に振り分け荷物、九寸五分の長脇差という旅人(つまり博徒)の絵と、そのとなりには道中杖に手っ甲脚絆すがたの女性の絵、なんてえものをベニヤ板に描いたものがおいてありました。二人の顔のところには穴が開いていて、そこから顔をのぞかせて記念写真を撮る、という馬鹿馬鹿しい代物です。

紙の月とは、どうやらそういうもののことも指したのだと思われます。それは、つぎのような写真がたくさん残されていることからうかがわれます。

f0147840_045844.jpg


f0147840_0454189.jpg
f0147840_046587.jpg


この歌のおおもとをたどっていくと、ベン・ヘクト(乱歩編のアンソロジーでヘクトのミステリー短編を読んだ方もいらっしゃるでしょう)とジーン・ファウラー作のThe Great Magooというブロードウェイの芝居の挿入曲として書かれたそうです。この芝居はコーニー・アイランド遊園地で働く人間を題材にしたものだそうで、想像するに、アメリカの遊園地には、この写真撮影用の「紙の月」があったのではないでしょうか。だから、記念写真が山ほど残されているのだと思います。

f0147840_054228.jpgそこまで考えると、単純に芝居の背景の紙でできた月というところから一歩踏み込んで、劇中のコーニー・アイランド遊園地には「紙の月」があり、その前で女の子に語りかけるといったシーンで歌われたものではないか、などというところまで入りこんでいきます。

まあ、どちらに考えても、歌の意味が変わるわけではありません。この月は紙に描いた偽物にすぎないけれど、ぼくのことを信じてくれれば、これは「ごっこ」(make-believe)ではなくなる、つまり、本物になるんだよ、といっているわけです。1933年、日本でいえば昭和8年、東京中が毎晩「東京音頭」を踊り狂った年の作品ですから、たわいのない設定は、突っ込みの対象ではなく、味わうべき対象です。

◆ sailする空と月 ◆◆
セカンド・ヴァース。

It is only a canvas sky
Sailing over a muslin tree
But it wouldn't be make believe
If you believed in me

「モスリン地の木の上に浮かぶ、ただのキャンヴァスに描いた空にすぎないけれど、きみがぼくのことを信じてくれれば、本物になるんだよ」

f0147840_0572342.jpgファースト・ヴァースと同工異曲で、月を空に置き換えただけのことです。最近はあまりいわないようですが、モスリンは織物の名称です。布を切ってつくった木の押し絵のようなものをいっているのでしょう。

空がsailするのはすこし奇妙に感じますが、辞書には「The moon was sailing high」という用法が載っています。雲もsailというとあります。空も月も雲も静止しているというより、浮動している感じがするわけで、それを反映した表現なのでしょう。ヴァージョンによって、sailはファースト・ヴァースの月に使い、セカンド・ヴァースの空にはhangを使っているものもあります。

◆ ホンキートンク・パレードとペニー・アーケイド ◆◆
つぎはブリッジ。

Without your love
It's a honky-tonk parade
Without your love
It's a melody played in a penny arcade

ここがいちばん引っかかった箇所です。honky-tonk paradeというのは、どうやら演劇用語で、出来の悪い芝居を意味するようです。honky-tonkの本来の意味は南部の安酒場のことですから、そういう場所での出し物のようだ、というので、騒々しいばかりで内容のない芝居をhonky-tonk paradeと皮肉ったのだろうと想像するのですが(小さな芝居一座が西部をまわって、酒場で芝居をやるというシーンをなにかの映画で見た記憶があることを付け加えておきます)、これは当たるも八卦当たらぬも八卦のたぐいですので、あまり信用なさらないように。

f0147840_122221.jpgpenny arcadeというのは、当今のゲームセンターのようなものですが、昔は、コインを入れると短い映画を写す機械(いわゆる「ニッケル・オデオン」または「ニケロディオン」。大きなスクリーンに映写するわけではなく、双眼鏡のような形のものから小型テレビのようなものを覗きこむ仕組みなので、ひとりしか見られない)もおかれていたようで、わたしは、そういう映画の音質の悪い音楽のことを思い浮かべました。大昔のことですが、近所のデパートの屋上で、そういう機械で短編漫画映画を見たことがあるんです。日本にもそういうものがあったと証言しておきます。

したがって意味としては「きみの愛がなければ、この世はまるで出来の悪い芝居、きみの愛がなければ、この世はまるでペニーアーケードに流れる音楽のようなもの」というあたりで、愛がなければ意味がない、ということをいいたいわけです。

◆ 人生は安手のサーカス ◆◆
つづいてサードにして最後のヴァース。

It's a Barnum and Bailey world
Just as phony as it can be
But it wouldn't be make believe
If you believed in me

またしても辞書が頼りのラインが登場です。リーダーズ英和辞典には、つぎのような記述があります。

バーナム P(hineas) T(aylor) ~ (1810-91) 《米国の興行師・サーカス王; James A(nthony) Bailey (1847-1906) と共に Barnum & Bailey Circus を成功させた》

文脈から考えて、バーナムとベイリーのものはとくに質のよいサーカスではなかったのでしょう。「この世はまるでバーナムとベイリーのサーカスみたいなひどい偽物さ、でも、きみがぼくを信じてくれるなら、本物になるんだよ」といった意味になります。

f0147840_135225.jpgここまで触れずにきましたが、believe inというのは、わたしが子どものころには、「(存在、実在などを)信じる」という意味であって、「きみのいうことを信用しよう」といいたいのなら、I believe youといわなければいけない、I believe in youでは意味が変わってしまうと教わりました。ラヴィン・スプーンフルのDo You Believe in Magicのような用法が正しいということです。

しかし、この曲が書かれたころには、たぶん、用法のそのような明快な分化はおこなわれていなかったのではないでしょうか。日本語でも戦前と現今では意味、用法が変わった言葉や句はたくさんあります。人によってはif you believe to meと歌っているのは、believe inの現代的な意味との衝突を嫌った結果なのだろうと思います。もっとも、日本の教育現場では、believe to meという言いまわしも、教えていないのではないかと思います。あまり見かけない用法です。

◆ またしてもシナトラ=リドル ◆◆
さて、ここからは各種ヴァージョンの検討ですが、いやもう、こんなに往生した曲はありません。なんといっても、スタンダードなので、ジャズのほうのヴァージョンが多いのにへこたれました。ジャズというのは、わたしの理解するところでは、すくなくとも戦後のものは、インプロヴにプライオリティーをおく音楽です。したがって、楽曲はインプロヴのためのヴィークルにすぎず、途中からは、メロディーは意味を失い、コード進行だけを借りるという状態になるわけですよね。そんな状態で、ヴァージョンの聴き比べなどやっても、あまり意味がないように思えるのです。

でもまあ、そういっては身も蓋もないので、とりあえず、ヴォーカルものだけでも見ていきましょう。

f0147840_19041.jpgなんといっても、わたしの好みはフランク・シナトラ盤です。あやしい編集盤でもっているだけなので、出所不明なのが困りものです。シナトラは何度かこの曲を録音しているようですが、わたしがもっているものは1940年代の音ではありえないので、1960年のSinatra's Swingin' Session!!!収録のヴァージョンと思われます。

これはキャピトルでの最後の盤で、アレンジャーはネルソン・リドルです。じっさい、ものすごい管のアレンジとサウンドで、リドルにちがいないと感じます。いまディスコグラフィーで確認したのですが、どうやら、わたしがもっている編集盤は、このLPのトラックを全曲収録しているらしく、いま、ひととおり聴き直しましたが、充実のアレンジ、卓越したプレイ、圧倒的なサウンドで、たとえヴォーカルがシナトラでなくても、十分に楽しめる出来です。

◆ 決定的な時期に録音されたマーヴィン・ゲイ盤 ◆◆
つぎは、あまり賛成が得られないでしょうが、マーヴィン・ゲイ盤が気に入っています。いや、1963年のものですから、ゲイの歌はまだ若くて、味わいのあるものではありません。でも、ドラムが好みなんです。正確さと強さを兼備したこのプレイヤーは、アール・パーマー以外に考えられません。いいプレイです。

f0147840_111551.jpgデトロイト派にはご異存がおありでしょうが、キャロル・ケイが参加する以前から、モータウンはハリウッドで録音していたという証拠がまさに、この1963年のA Tribute to the Great Nat King Coleというマーヴィン・ゲイのアルバムだと感じます。こんな音がデトロイトでつくれるのなら、はじめからモータウンはハリウッドのプレイヤーを必要としなかったでしょう。これがハリウッドでないなら、モータウンのハリウッド録音などゼロなのだという意見に賛成してもいいくらいに、ガチガチのハリウッド・サウンドです。モータウンLA問題にご興味がおありの方はぜひ聴いておくべき盤だと確信します。

つぎはエラ・フィッツジェラルド盤ですが、これまた編集盤収録で、録音時期がわかりません。しかし、ヒット曲集に収録されているので、ヒット・ヴァージョンではないかと感じます。声がすごく若くて、ミディアム・テンポで、力まずに歌っているところが好ましく感じます。こんなにいい感じに歌っていた人が、後年、なんであんなにイヤッったらしく「歌いまわす」ようになったのか、不思議というしかありません。年をとってからのエラは、わたしがもっとも嫌悪するタイプのシンガーです。「まわすな、こねるな、素直にやれ」とくり返しておきます。うろがまわって、歌い方を忘れたのでしょう。年はとりたくないものです。

ニルソン盤は、アウトテイクを没後にリリースしたもので、評価の対象外です。ものすごくスロウにやっていて、あの盤の他の曲と色合いを一致させています。ただ、歌詞の内容から考えて、軽く歌うべき曲のように思われるので、オリジナルLPへの収録が見送られ、ニルソンが生きているあいだはリリースされなかったのは当然だと感じます。

f0147840_1204420.jpg映画『ファニー・レイディー』のなかで歌われた、ジェイムズ・カーンのヴァージョンもあります。カーンは意外にいい声をしていて、しかも素直に歌っていて、拾いものでした。

わたしはジャズ・ファンではないので、よく知らない人のものもあります。調べれば簡単にわかるのでしょうが、時間がないので省略します。わが家にはドティー・リードという女性歌手のヴァージョンがあります。エラより速く、シナトラに近いテンポですが、バックのプレイも合わせて、なかなか心地よい出来です。可愛らしい声で、ちょっと気になるシンガーです。声のよさには、どんなテクニックもかなわないのだ、とまた思うのでした。

メアリー・アン・マコールという人は、歌い方が嫌いなタイプなので、気に入りませんでした。くどいのはダメ。

◆ 楽曲不要の自己至上主義プレイ ◆◆
さて、インスト盤ですが、いわゆる「インスト」はゼロで、ジャズ・プレイヤーのものばかりです。ちょっと退屈しましたが、いちおう、名前だけ並べておきます。チャーリー・パーカー、ライオネル・ハンプトン、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ、エディー・ヘイウッド。

f0147840_1231749.jpgそんな風にプレイするなら、楽曲なんか選ぶ必要ないじゃんか、適当にコードを並べればいいだけだろ、メロディーさえつかわなければ、著作権使用料を払う必要もないのに、バッカみたい、でした。彼らは自分たちのためにプレイしているのであって、ギター・インスト・バンドのように、リスナーやオーディエンスのためにプレイしているわけではないということなのでしょう。

唯一、エディー・ヘイウッドという人のものだけは、きちんとアレンジされ、ダンサブル(といっても、現在のダンスじゃ毛頭ござんせんがね)かつリスナブルな出来で、エンターテインしてくれています。
by songsf4s | 2007-09-24 23:51 | Harvest Moonの歌