- タイトル
- Moon of Manakoora
- アーティスト
- Dorothy Lamour
- ライター
- Frank Loesser, Alfred Newman
- 収録アルバム
- 未詳(映画『Hurricane』挿入曲)
- リリース年
- 1937年
- 他のヴァージョン
- Axel Stordahl, Los Indios Tabajaras, the Ventures, Hal Aloma and His Orchestra, Al Shaw & His Hawaiian Beachcombers
今回の月の曲は、秋の音のようには聞こえませんし、歌詞もあまり面白くはないのですが、音は面白く、なかなかいいヴァージョンがそろっているうえ、インストゥルメンタルが多いのもわたしの好みなので、他の面倒な曲を避け、楽をするために取り上げてみました。楽をするつもりだったのに、思わぬ陥穽にはまる、というのをいままでに何度もやっているので、今夜も調べもので苦しむかもしれませんが。
もっとも好ましいヴァージョンはべつのものなのですが、オリジナルだという理由で、ドロシー・ラムーア盤を看板に立てました。これもなかなかよい出来ですし、歌のあるヴァージョンはわたしの手元にはすくないので、彼女のヴァージョンをもとに歌詞を見ていくことにします。
◆ マナクーラを求めて ◆◆
With magic Polynesian charms
The moon of Manakoora came in sight
And brought you to my eager arms
「マナクーラの月がポリネシアの魔力で夜を満たしている、マナクーラの月が姿をあらわせば、あなたをわたしの恋する腕に引き寄せるでしょう」
グーグルというものがあるので、ナメていたのですが、いきなり調べものの陥穽にはまりそうになりました。マナクーラとはどこのことだ! グーグルはこの曲の各種ヴァージョンばかり吐きだして、いっこうに島を見つけてくれません。
しかし、急いでいるときには救いの髪が洗われる、もとい、救いの神があらわれるもので、ときおりのぞいているティキ・セントラルというエキゾティカ関係掲示板のスレッドに、解答と思われるものがありました。ティキ/エキゾティカ狂いの連中が、マナクーラ島は「左のスピーカーと右のスピーカーの中間に存在する」というぐらいなので、これはジョン・フォードかシナリオ・ライターがつくった、ポリネシアの架空の島にちがいありません。
マナクーラはわかった、でも、ポリネシア(ドロシー・ラムーアの発音では「ポリニージア」ですが)とはどこのことだ、というくどい人のために、平凡社世界大百科の定義を以下にコピーしておきます。
よろしいあるか? では、先に進むあるぞ。
◆ やっぱり月の魔法 ◆◆
セカンドにして最後のヴァース。
Above the island shore
Then I'll behold it in your dusky eyes
And you'll be in my arms once more
「マナクーラの月が島の岸辺にまた昇れば、あなたの悲しげな目に月の姿を見るだろう、そして、あなたはまたわたしの腕のなかに還る」
こりゃもうブードゥーみたいなもので、Mr. Moonlightならぬ、Miss Moonlightの呪いという感じであります。いったい、『ハリケーン』というのはどういう映画だったのでしょうか。ドロシー・ラムーアの役柄は「酋長の娘」となっていて、巫術のたぐいを弄しても不思議はなさそうですが。
ドロシー・ラムーアの歌をはじめて聴きましたが、ちょっと怖いといえば怖いものの、なかなかけっこうです。うしろはスティール・ギターやウクレレを使って、ハワイアン風にやっていて、マナクーラはやはり、ハワイ諸島のどこかのつもりだったことをうかがわせます。
◆ ラーサー話変じてラニアン話 ◆◆
本題である音のほうにいくまえに、作詞家のフランク・ラーサー(と発音すると辞書にはあります)について。
1937(昭和12)年に活躍していた人なので、とっくに故人かと思ったら、とーんでもない、まだ現役らしく、凝ったオフィシャル・サイトまであったので、びっくりしました。このサイトに行かれるようならご注意申し上げますが、ご自分のプレイヤーをストップしてからにしたほうが賢明です。むやみに音楽が流れてきて、往生しました。
それはともかく、この歌詞を書いたときには、ラーサーはまだ27歳、これが彼にとって最初のヒットだったそうです。このとき、ラーサーは撮影所に雇われていたというのだから、昔のメイジャー・スタジオのありようが見えてきます。シナリオ・ライターや作曲家やアレンジャーが常勤だったように、作詞家もまたスタジオに勤めていたのです。それどころか、バディー・コレットの自伝を読むと、プレイヤーもみな各スタジオの専属だったそうで、60年代以降のハリウッドとはまったくようすが異なります。映画スタジオには、まだたっぷり金があったのです。
ラーサーはハリウッド映画とブロードウェイ・ミュージカルの世界で活躍したそうで、代表作は『努力しないで出世する方法』『野郎どもと女たち』Guys and Dollsだといわれて、ああ、あれか、でした。デイモン・ラニアンの短編をいくつかつなげて、ひとつのストーリーにしたもので(落語をいくつかまとめた映画というのが、『幕末太陽伝』や、エノケンの長屋ものなど、日本にもありますね)、ブロードウェイ版は知りませんが、ハリウッド版では、マーロン・ブランドが「スカイ」を演じ、歌までうたっていました(ま、ミュージカルだから、避けようもないわけですが)。ラニアンの面白さが十全に生かされたストーリーとは思えず、忘れていい映画だと思います。ブランドもミスキャストと感じました。
ラニアン原作の映画を見るなら、やはり『一日だけの淑女』とそのリメイク『ポケット一杯の幸福』でしょう。後者ではアン=マーグレットがデビューしていて(脇でピーター・フォークがギャングの代貸を好演)、『バイ・バイ・バーディー』以降の彼女とはまったく異なり、ひどくキュートに撮れていて驚きました。小津作品のときの岡田茉莉子が別人なのといっしょです。
えーと、ラーサーはさておき、デイモン・ラニアンとフランク・キャプラは大好きだという話でした。失礼。
◆ ニューマン一族 ◆◆
なんて見出しをつけてみましたが、やめましょうや。あと一時間で更新しなきゃならないのだから、ハリウッドに深くはびこった一族のサーガなんて書けるはずがありません。
ものすごく簡単にいうと、この曲をつくったアルフレッド・ニューマンは、ランディー・ニューマンの叔父さんにあたる人です。ライオネルやエミールの長兄で(10人兄弟の長男)、ピアニストとしてスタートし、舞台のミュージカルで指揮をとっているうちに、アーヴィング・バーリンに、ハリウッドにいくといい、といわれたことがきっかけで、映画界に入ったそうです。バーリンがニューマン一族のメフィストだったことになりますなあ。
20世紀フォックスの音楽部長をつとめ(ただけでなく、もちろん、作曲、編曲、指揮などもした。とうてい、管理職の片手間仕事とはいえない膨大な数の映画に音楽をつけている)、人事も担当したので、デイヴィッド・ラスキン(公式にはチャップリン作とされている曲の真の作者のひとりといわれる)、バーナード・ハーマン、ジョン・ウィリアムズらのキャリアをスタートさせたのだそうです(いやはや、超大物ばかり)。
もちろん、エミールとライオネルという弟たちも、この偉いお兄さんのおかげでスタジオ入りできたわけで、まだ生まれていないランディー・ニューマンの未来も、この叔父さんが決めてしまったといってもいいくらいです。デイヴィッドとトーマスというアルフレッドの二人の息子もハリウッド音楽界で働いているそうで、わたしは最近、なにかの映画でこのどちらかの名前を見ました。もちろん、「一族」の人間にちがいないと思ったわけです。
作品としては、『アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド』『ショウほど素敵な商売はない』『王様と私』『南太平洋』などなどが並び、最後に近い作品が『大空港』だそうです。いやあ、有名作ばかりで、なんだか疲れちゃいました。
あ、そうそう、アルフレッド叔父さんは20世紀フォックス映画の冒頭に出てくる、あの大げさなアニメーションの音楽を書いたそうです。ということは、だれでも、いやでも、彼の音楽をいまでも聴いていることになります。
◆ やっと出ましたアクスル・ストーダール ◆◆
さてお待ちかね(だったのはわたしですが)、インスト盤観兵式のはじまりです。これだけが目的でこの曲を取り上げたのに、前ふりの長かったこと、もう肝心のことを書く時間がほとんど残されていません。
まず、すごいのはなんといっても、アクスル・ストーダール盤です。かつて、トロピカル・スリーヴ・ギャラリーのときに、この盤のジャケットを使い、まだ聴いていない、早く聴きたいと書いたことなんか、もうお忘れでしょうが、やっと念願かなって、聴くだけでなく、ここに取り上げることができました。
とにかく、ドッヒャーというしかないサウンドです。半音進行ばかりの変なメロディー(ちょっとDeep Purpleを思いだしますが、あそこまで徹底して半音進行を使っているわけではありません。もちろん、Deep Purple同様、CからCmへと移動するといった変則的コード進行を使っていますが)を、大人数のヴァイオリンでやるとどうなるかは、すでにレス・バクスターの諸作で知っていましたが、こちらも、レス・バクスター金満オーケストラに勝るとも劣らぬスケール感と酩酊感です。こういう効果って、ワーグナーもなにかで使っていたような気がするのですが、「トリスタンとイゾルデ」でしょうか? Somebody help me!
シナトラのアレンジャーが、自分の名義の盤ではいったいどういうことをしているのか、という興味でこの盤を手に入れたのですが、いや、やっぱりただのネズミではありませんでした。ヴァイオリンがいいのはもちろんとして、フルート部隊とフレンチ・ホルン部隊(その裏で、トロンボーンと判断のつかない管楽器もいっしょに鳴らしているところが、なかなかの技です)の使い方がけっこう毛だらけ。この手のサウンドは、まだポップ/ロックにのめり込む以前、映画狂だった幼稚園から小学校のときに浴びるように聴いたものなので、年をとってくると、本卦還りでコロッとやられてしまいます。
つぎはどの盤でしょうか。ムードがあるのはタバハラス・ヴァージョンでしょうかね。ちゃんとサウンド・イフェクトまで入って、正調エキゾティカをやっています。うーむ、当ブログのお客さんのなかに、本邦におけるロス・インディオス・タバハラス研究のオーソリティーもいらっしゃるので、うかつなことが書けず、固まっちゃいました。
その方に、タバハラスは高音部の指板を削って、弦を深く押さえ込めるようにしているのだと教えていただきました。つまり、ベンドと同じ効果(フレットを移動せずにピッチをスラーさせる)をよりスムーズに実現できるようにしているわけです。これは有名なMaria Elenaの冒頭で聴くことができますが、このMoon of Manakooraでも、ベンドに聞こえる音は、おそらくその「押さえ込み」によって実現しているのでしょう。それはともかく、タバハラスのハワイアンというのも、変だといえば変ですが、これはこれで悪くないように思います。雰囲気的には違和感がありません。
◆ 出所不明盤および出所鮮明盤 ◆◆
ほかにも、ラウンジ/エキゾティカ/ハワイアン傾斜のせいで転がり込んできた、よくわからないヴァージョンもあります。
まずはハル・アロマ楽団。ライナーによると、ハル・アロマというバンド・リーダーはハワイ生まれだそうで、オーセンティックなハワイアンなのだといっていますが、ハリウッドを代表する作曲家であるアルフレッド・ニューマンが、ハリウッドを代表する監督であるジョン・フォードの映画のために書いた音楽を、オーセンティックなハワイアンというのは無理があります。
でもまあ、わたしはオーセンティシティーなどということは気にしないというか、フォニーにはフォニーにしかないよさがあると考えるので、そのへんにはこだわりません。リード楽器は、たぶんペダルなしのラップ系スティール・ギター、ピッチの低い不思議なスティール・ギターと思われるもの、ヴァイブラフォーンと、順に交代していきます。このヴァイブが出てくる一瞬の、バックのスティール・ギターのオブリガートが妙に気持ちがよくて、ここばかり聴いてしまいました。1959年の録音だそうですが、うしろのほうでかすかに、スラック・キー風のギターの音も聞こえます。いや、ただのギターか。
データがわからないのは、ハワイアンの編集盤に入っていた、アル・ショウ&ヒズ・ハワイアン・ビーチコーマーズというバンドのものです。これは純粋なインストではなく、昔のビッグ・バンドのように、曲がはじまってかなりたってから、男女デュエットによるヴォーカルが出てきます。メロディーを変えたわけではないのに、ドロシー・ラムーア盤やアクスル・ストーダール盤にあった、魔術的な雰囲気はまったくなく、あっけらかんとしています。モノなので、どうやら戦前の録音で、スティール・ギターとアコーディオンが使われています。
さて、どん尻に控えしはヴェンチャーズです。セカンド・アルバム収録のものなので、いつものメンバーであろうといってすませたいところですが、ベースは明らかにフラット・ピッキングで、親指フィンガリングしかしなかったというレイ・ポールマンには思えません。この時期、あとはだれがベースを弾いた可能性があるか、ちょっとむずかしいところです。
テンポが遅いので、ドラムが活躍する余地はなし、したがって、プレイヤーの推測もできません。ブラシを廻さず、ただ2&4を「ヒット」しているところが、やっぱりちょっと変で、変わったドラミングをするので有名な人である可能性が大ですが。
つまり、ビリー・ストレンジのソロみたいな曲だということなので、リードを聴けばそれでよいというトラックです。さすがはビリー・ストレンジ、こういうテンポでも、けっして突っ込むことがなく、ゆったりとしたグルーヴをつくっています。こういうプレイは若造にはできません。いや、ボスもこのころは若かったのですが、プレイはすでに大人です。突っ込みまくる旅人看板ヴェンチャーズとは大違い。
以上、オリジナル・ヒット(映画には歌は出てこないという話も聞きましたが)であるドロシー・ラムーア盤、それに強烈なストリングス・アレンジで攻めまくるアクスル・ストーダール盤という、2つの魔術的ヴァージョンがよろしいのではないかと思います。
◆ 訂正(2007年9月20日) ◆◆
tonieさんがコメントで書かれたことを、念のためにこちらにも。ジョエル・ウィットバーンのPOP MEMORIES 1890-1954には、ドロシー・ラムーアのMoon of Manakooraは登場せず、この曲がチャートインしたのは、「38年のビング・クロスビー10位、レイ・ノーブル15位」の2回のみだそうです。
したがって、ドロシー・ラムーア盤がオリジナル・ヒット・ヴァージョンであるというわたしの記述は間違いということになります。謹んで訂正いたします。