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Moon River by Audrey Hepburn
タイトル
Moon River
アーティスト
Audrey Hepburn
ライター
Johnny Mercer, Henry Mancini
収録アルバム
Music from Breakfast At Tiffany's
リリース年
1961年
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昨日までは夏は終わったという歌の特集だったのに、なんだって、いきなりMoon Riverなんだ、とお思いでしょうが、手前勝手な内輪の理由がありまして、今日やるしかないのです。今月後半に予定している、中秋の名月特集、もとい、Harvest Moon特集の予告篇としてご了承あれ。

わが家のHDDには、Summertime並みに大量のMoon Riverがありますが、作者のヘンリー・マンシーニ推奨ヴァージョンである、オードリー・ヘップバーンのものを看板に立てました。他の各ヴァージョンについても、できるだけふれるつもりでいます。

◆ 圧縮されたエモーション ◆◆
それでは、ファースト・ヴァースから。短いのですが、中身の濃い歌詞なので、みなさまのお手元にも10種類はあるであろう、この曲のいずれかのヴァージョンをお聴きになりながら、または、You Tubeの動画(映画からとった絵もあるのではないでしょうか)を流しながら、熟読ください。

Moon River, wider than a mile
I'm crossin' you in style someday
Old dream maker, you heartbreaker
Wherever you're goin', I'm goin'your way

「ムーン・リヴァー、1マイル以上の幅があったって、いつかきっと、お上品にすまして、あなたを渡ってやる、昔なじみのドリーム・メイカー、憎らしいハートブレイカー、あなたが流れていくところ、わたしはどこへでもいく」

f0147840_0502539.jpgやっぱり、ジョニー・マーサーの作品は緊張します。この日本語は翻訳ではなく、「大意」にすぎないということをふたたび確認させてもらいます。こんなもの、訳せませんよ。このまんま、意味なんかほうっておいて、英語で覚えてください。いっしょに歌うと気持ちのいい歌詞です。

あえてひとつだけいえば、三行目はやはり、うまい、と思います。歌詞というのは、すくない言葉で多くを語るものがよいのですが、この行なんか、その教科書です。明瞭にその示すところがわかるわけではないにしても、人であれ、ものであれ、ことがらであれ、強い固着の対象は、喜びをもたらすと同時に、同じほど深い悲しみをもたらす、ということを、じつに短く、これ以上短くはできないくらいに圧縮して、ポンと提示していると思います。

◆ 時制を操るマジック ◆◆
セカンド・ヴァース。短い歌詞なので、これが最後のヴァースです。

Two drifters, off to see the world
There's such a lot of world to see
We're after the same rainbow's end
Waitin' round the bend
My huckleberry friend
Moon River and me

「放浪者が二人、世界を見に旅立つ、見るべき世界は山ほどある、わたしたちは、曲がりの向こうにある同じ虹の端を追いかけている、わたしのハックルベリー・フレンド、ムーン・リヴァーとわたし」

f0147840_0524058.jpgここもやっかいな、というか、非常に出来のよいヴァースで、まず思うのは、時制がわからないということです。現在形にも読めるし、過去形にも読めるのです。「放浪者が二人、世界を見に旅立った、見るべき世界は山ほどあった、わたしたちは、曲がりの向こうに待っている同じ虹の端を追いかけた、わたしのハックルベリー・フレンド、ムーン・リヴァーとわたし」

というように解釈しても差し支えないのです。まあ、どちらかというと、現在形のほうがいいような気はしますが、年をとってきて、ふと、昔のことを思いかえすならば、過去形として聞こえてくるようにも思います。じっさい、気分しだいで聴いてよいのでしょう。

◆ 絶妙の詩的省略 ◆◆
野暮なことをいいますが、物理学の、というか、光学の原理からいって、虹の端はどこまで追いかけても掴まえられません。観察者の背後に光源があり、観察者の前方に光を反射する雨のカーテンが存在しなければならないからです。「前方」はどこまでいっても前方であり、けっして「いま自分がいるその地点」にはなりません。

だから、虹をつかむとか、虹を追いかける、という言いまわしは、実現しない夢を追いかけることをいうわけで、I'm Always Chasin' Rainbowsなんて曲や、『虹をつかむ男』などという映画が生まれたのはご案内のとおり。

f0147840_0535620.jpg虹の端にたどりついたら、そこを掘ると、金の壺または宝物が出てくるという伝説があります。これも、虹の端はぜったいに捕捉できないということからきているのでしょう。そのあたりの文化的な含意が、もちろん、このマーサーの歌詞の背景にもあります。

そして、マイ・ハックルベリー・フレンド。これがフックじゃなければ、フックなど存在しないというぐらいの強烈なフレーズです。マンシーニがこの三語に惚れ込んだということは、シナトラのSummer Windのところでふれました。そのときにも書きましたが、それは当然でしょう。だれだって、ここでハッとします。幼なじみの離れがたい友、という意味を伝えるのに、これほど効果的で、短くて、詩的な省略はないでしょう。

いや、短く省略すればなんでもいいわけではありません。ここで重要なのは「詩的省略」だということです。my huckleberry friendは民族の記憶を呼び覚ます、強烈な詩的三語です。対象外の東洋人であるわたしだって、子どものころに読んだハックルベリー・フィンの物語を思いだして、あるエモーションを呼び覚まされたくらいなのだから、アメリカ人の多くは、ここでみずからの記憶に入りこむにちがいありません。

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Aマイナーを弾く(?)オードリー・ヘップバーン

ムーン・リヴァーとはなにを暗喩しているのか、といった問題もあるとは思いますが、それは各人の解釈です。映画の内容というか、オードリー・ヘップバーンが演じた女性のrestlessな心と、離れもせず、近づきすぎもせず、ちょうどよい距離を保った、いい主題歌だと思います。つまり、『ティファニーで朝食を』という映画をご覧になると、なんとなく、この歌詞の意味するところを感じ取れるのではないか、ということです。

◆ ジョニー・マーサーの「予言」 ◆◆
ヘンリー・マンシーニは、その自伝「Did They Mention the Music?」のなかで、Moon Riverについて、オードリー・ヘップバーンが歌うのだから、専門のシンガーではない人間にも歌いやすい、シンプルな曲を書こうとしたといっています。じっさい、キーはC、ピアノの黒鍵は使わず、白鍵のみのメイジャー・スケールで書かれていますし、たいていの素人が困難を感じる、ピッチの大きな飛躍もなく、半音進行もありません(メイジャー・スケールだから、当然ですが)。

マンシーニは、オードリーの音域を確認したり、あれこれと時間がかかったけれど、いざ、書きはじめたら、ほんの数分でできたといっています。凝ったところはまったくないので、それほど誇張ではないと思います。彼はこういうものをつくるのはほんとうに得手としていましたし。彼が書いたスコアについてはいろいろ見方はあるでしょうが、だれもの心にもっとも印象深く残る主題曲、主題歌に関しては、あの時代、マンシーニはナンバーワンだったと思います。

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オードリー・ヘップバーンからヘンリー・マンシーニへの礼状。「先日、あなたのスコアのついた『ティファニーで朝食を』を見ることができました。音楽のない映画というのは、燃料切れの飛行機のようなものです。どれほど素晴らしい仕事をしても、わたしたちはまだ地面にいるまま、現実世界から離れることはできません。あなたの音楽はわたしたち全員を持ち上げ、大空高く翔けあがらせてくれました。わたしたちが言葉で、身振りで伝えられないことすべてを、あなたは表現しています。素晴らしいイマジネーション、喜び、そして美しさのある素晴らしい仕事でした」といったようなことが書いてある。

この曲の歌詞を書くように依頼されたマーサーは、ロックンロールが支配する市場を見て、自分のキャリアはもう終わりだと悲観していたそうです(レコード会社経営者としては、ここからが有卦にいる時代なのですが)。マンシーニの曲を聴いて、こういったそうです。

「ハンク、これからの時代、いったいだれがワルツなんかレコーディングするっていうんだ。とにかく、映画のために曲を書こう。でも、そのあとは、商業的にこの曲に未来はないね」

We'll do it for the picture, but after that it hasn't any future commerciallyと、ちゃんと韻を踏んでいるところが可笑しいのですが、60年代はじめという時代にあって、これはマーサーの正直な感懐だったのでしょう。もちろん、マーサーの悲観的な予想は大外れ、大ヒットしたアンディー・ウィリアムズ盤をはじめ、無数のカヴァーが生まれ、「耳タコ」化して、もう二度と聴きたくないくらいのクラシックになったのはご承知のとおりです。

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ヘンリー・マンシーニ(左)とジョニー・マーサー。「いやあ、あの予測は大間違いだったな」「だから、いったでしょ、ヒットするって」

もうひとつ、マンシーニのことを書いておきましょう。マンシーニ自身の名義によるアルバム、Breakfast at Tiffany'sには、この曲の女性コーラス・ヴァージョンが収録されています。こちらもなかなかよい出来ですが、マンシーニは、オードリーにもう一度歌ってもらえばよかったと、しきりに後悔しています。たしかに、彼女に当てて書いた曲なので、映画ヴァージョンは非常に雰囲気があって、素晴らしいと感じます。音楽スタジオでの再録音ヴァージョンも遺しておくべきだったでしょう。現在、聴けるのは、映画サントラそのままの、前後がぷつんと切れたヴァージョンだけです。

◆ 各種ヴォーカル盤 ◆◆
さて、あとは時間ぎりぎりまで、わが家にある各種ヴァージョンをできるだけかけてみます。

なかなかいいと思うのは、つい先日、Wonderful Summerをとりあげた、ロビン・ウォードのヴァージョンです。アレンジ、サウンド、プレイ(例によってドラムはハル・ブレイン)が好みだという理由も大きいのですが、彼女の歌い方もこの曲に合っていると感じます。さすがは、歌えない女優のスタンドインを無数にやった歌手だけのことはあります。わざとらしくならないように、さりげなく、それでいて、雰囲気をつくるのがうまいのです。

f0147840_138663.jpgボビー・ダーリン盤は、ギターの伴奏のみで歌うファースト・ヴァースが印象的。なかなかすごいギターです。ダーリンは、ニューヨークとハリウッドをいったりきたりしながらレコーディングをしていましたが、Moon Riverはキャピトル時代の録音ですし、音から考えてもハリウッド録音と思われます。

f0147840_1403587.jpgアニタ・カー・シンガーズ盤は、コーラスなので、ヘンリー・マンシーニ盤に近い雰囲気ですが、弦の厚さが聴きどころでしょう。なんだって、こんなビッグ・プロダクションなのだろう、どうやってコストを正当化したのか、なんて、よけいなことを考えてしまいます。ぜんぜん歌を聴いていないじゃないか>俺。

イーディー・ゴーメは、得意な人ではないのですが、ぜんぜんしみじみしないヴァージョンではあるものの、悪くありません。ボサ・ノヴァというか、チャチャチャですな、ここまでいくと。こういう曲では変化球のアレンジにならざるをえないので、まあ、これはこれでよし、でしょう。

ジェリー・バトラーはごめんなさいします。この曲は、たぶん、男がしみじみと歌ってはいけないのだろうと感じます。その意味で、シナトラもちょっと……。たくさんレコーディングすると、こういうミスもあります。

Jacinthaという若い女性ジャズ・シンガーがいるらしいのですが(「おーい、この盤、なんだってうちにあるんだ、だれがもってきた?」)、これもゴメンナサイです。わたしの身上を簡単に標語にすると、「まわすな、こなすな、素直にやれ」(isn't it poetic, uh?)です。歌いまわしたり、歌いこなしているあいだはダメ、「ただ歌う」ようにならなければいけないのです。この人は、自分がうまいことを人に知らせたがっています(多いんですがね、そういう人は)。それでは、聞き手は引きます。

◆ 各種インストゥルメンタル盤 ◆◆
インスト盤も山ほどあります。

ドゥエイン・エディーは、珍なアレンジでくるかと思ったら、かまえているこっちがコケるほどストレートにやっています。ストレートすぎるでしょう、これじゃあ。

ハーブ・アルパート&TJBは、当然、あのスタイルで軽くやっています。リード楽器がわからなくて、ちょっと悩みます。だれかおせーて。中間部のペダル・スティールがみごと。だれでしょうか。この曲にペダル・スティールというのも、ほかに例がないかもしれません。

f0147840_1423364.jpgテン・タフ・ギターズという、60年代はじめのニューヨークの企画盤もあります。ハリウッドの50ギターズは、数で迫るアコースティック・ギター集団でしたが、こちらは数で迫るエレクトリック・ギター集団。これはこれで面白い音です。ドラムもうまい。ハル・ブレインに近いスネアのチューニングで、ゲーリー・チェスターと推測します。

f0147840_1435137.jpgネルソン・リドル楽団は、もう頭から尻尾まで「ラウンジ・ミュージック」しています。『ティファニーで朝食を』に、こういう変奏曲を使ってもよかったような気がしてきます。中間部でのテナー・サックス・ソロが、なにをするわけでもないのに、むむ、できるな、と唸ります。プラズ・ジョンソンのような音色だから、プラズのプレイと、またまた適当な憶測を書いておくことにします。

最後にヘンリー・マンシーニ盤。前半のリードはハーモニカですが、これはこれで、わたしは気に入っていて、何度も聴いています。後半の混声コーラスも悪くなくて、こういうのが、幼いころに叩き込まれた「アメリカの音楽」です。

わが家のプレイヤーは一周して(途中、ポール・アンカなどを飛ばした)、ロビン・ウォード盤に戻りました。やはり、けっこうな出来です。

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by songsf4s | 2007-09-12 23:55 | Harvest Moonの歌