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Summer's Gone by the Kinks
タイトル
Summer's Gone
アーティスト
The Kinks
ライター
Ray Davies
収録アルバム
Word of Mouth
リリース年
1984年
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Summer\'s Gone by the Kinks_f0147840_1142030.jpg夏は終わってしまった、というタイトルから、またしても同工異曲か、と思われる方もいらっしゃるでしょう。でも、キンクスをご存知の方なら、レイ・デイヴィスがそんなシンプルな人間ではないことは百もご承知のはず。この世にひねくれたソングライターというのがいるとしたら、それこそがレイモンド・ダグラス・デイヴィスです。

この曲は、レイ・デイヴィスの曲としては、ひどくひねくれているわけでもありませんが、かといって、ストレートな「流行歌の歌詞」でもありません。そこは「ロックンロールのチャールズ・ディケンズ」、ふつうの「夏の終わり」の歌など書くはずがないのです。今後、彼の曲は何度かとりあげる予定ですが、まずはほんの小手調べ、あまり皮肉がきつくもなければ、諧謔で笑殺するわけでもなく、また、「叙情風景画家」としての側面も見せない、「ちょっと疲れた大人」の心象風景です。

◆ ドブへの固着 ◆◆

Looking in a window on a rainy day
Thinking about the good things that I just threw away
Looking at the gutter, watching the trash go flown by
Thinking it's Summer, but there are only clouds in the sky

Summer\'s Gone by the Kinks_f0147840_116266.jpgファースト・ヴァースから、さっそく「らしさの片鱗」がほの見えています。「雨の日に窓の外を眺め、捨て去ってしまったよいことを思う、ドブを覗きこみ、流れ去るゴミをじっと見つめながら、いまは夏だ、と思ってみる、でも空には雲しか見えない」

ドブなんてものを持ち出す作詞家は、そうたくさんはいません。とりわけ、彼のようにヒット・チャートを主戦場にしてきたソングライターの場合はそうです(ヒットを目指していない音楽はここでは考慮外です)。思いだすのは、彼の名作、アル中の浮浪者を描いた(だから「ロックンロールのチャールズ・ディケンズ」なのです)Alcoholです。あの曲でも「金の切れ目が縁の切れ目、最後はドブに置き去りさ」と歌っていました。

以下はファースト・コーラス。

When I think of what we wasted, makes me sad
We never appreciated what we had
Now I'm standing in a doorway with my overcoat on
It really feels like summer's gone
So alone, summer's gone

「ぼくらが無駄にしたもののことを思うと悲しくなる、自分たちがどんなものをもっているのか、その価値がわかっていなかった、いまこうしてオーバーコートを着て玄関に立つと、ほんとうに夏は終わってしまったんだという気がしてくる、寂しいものだ、夏は去った」

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大先生もお年を召されました。かつてより作家的風貌になってきた、といっていいかもしれませんが。

すこし時制の問題が面倒になってきています。オーバーコートを着て、ということは、寒い時期のはずですが、ほんとうに夏は終わったという気になる、といっているのだから、まだそんな寒い時期にも思えません。イギリスでは、夏の終わりにコートを着込まねばならないような寒い日があったりするのでしょうか。これは疑問のままにしておきます。

◆ 少年老いやすく? ◆◆
ヴァースに相当する間奏が挟まって、セカンド・コーラスへ。

It should have been a laugh, it should have been fun
When I think of all the things that we did last Summer
Now I look back, it seems such a crime
We couldn't appreciate it at the time

「ぼくらが夏にしたあらゆることに思いをはせれば、笑えるだろうし、楽しいだろう、いまふりかえってみると、あれは犯罪的な過ちに思える、あの場では、自分たちが手にしているものの価値をわかっていなかったのは」

Summer\'s Gone by the Kinks_f0147840_1342730.jpgいまが夏なんだかどうなんだかわからなくなってきたので、last summerが、たとえば、九月の終わり(西欧文化の文脈では、夏が「正式に」終わるのは秋分の日、それまでは夏)になって、過ぎ去った「今年の夏」をふりかえっているのか、それとも、今日は寒いけれど、まだ秋分の日前で、「去年の夏」をふりかえっているのか、はっきりとはわかりません。おまえの読みまちがえだ、tenseに注意を払ってもう一度よく読んでみろ、といわれちゃいそうですが、シンデレラの帰宅時間が刻々と迫っているので、これもそのまま打ち捨て、目的地に向かって疾走します。どなたか、突っ込んでください。目下の判断は「今年の夏」です。

以下にサード・ヴァースとコーラスをまとめてペースト。

Now I'm standing in a doorway, thinking of summer's gone by
It ought to make me happy, but it just makes me want to cry
I was riding in the car with my mama and dad
He was drivin' the car, the kids were drivin' him mad
Dad looked at us, then he looked at his wife
He must have wondered where we all came from
And then mama said, "Dad, you know it won't last for long"
Before you know it, summer's gone
So alone, summer's gone

「玄関に立ち、夏が去っていくことを思う、ほんとうならうれしいはずなのに、泣きたくなってくる、パパとママと車に乗っていた、運転していたパパは子どもたちのことで癇癪を起こしそうになっていた、パパはぼくらを見て、そしてママを見た、パパはきっと、この子どもたちはいったいどこからあらわれたのだ、と考えていたにちがいない、するとママがいった、『ねえお父さん、こんなことはすぐに過ぎ去ってしまいますよ』、それと気づく前に夏は去ってしまう、寂しいものだ、夏は去る」

なぜ、夏が去ることがほんとうならうれしいはずなのかは、なにも説明されていません。それより大きな問題は、この語り手の年齢です。車のなかで大騒ぎして父親を怒らせるぐらいの子どもなのか、それとも、それはずっと昔のことで、いまはもう大人になり、子どものころのことをふりかえっているのか?

あるいは、これは現在のことで、車には三世代が乗っている、大騒ぎしているのは語り手の子ども、「パパとママ」の孫ということも考えられます。最後のヴァースは、この解釈を是としているように聞こえます。この点は「we」の解釈にも関係してきますが、それは最後のヴァースで。

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Come Dancingのヴィデオでの年を食ったジゴロは、なんとももって、はまり役だった。レイ・デイヴィスがひと癖もふた癖もある老詐欺師に扮する映画というのをぜひ見てみたい。


◆ ラヴ・ソングではあるものの…… ◆◆
フォースにして最後のヴァース。

I really blew it all, when I think it through
I really lost it all when I lost you.
Now I'm standing in a doorway with water in my shoes
It really feels like, feels like Summers gone
So alone, summer's gone
Summer's gone,
So alone, summer's gone

「よくよく考えると、ぼくはすべてをだいなしにしてしまった、きみを失ったときに、すべてを失ったんだ、雨水が入りこんだ靴を履き、こうして玄関に立っていると、心底、夏はいってしまったと感じる、寂しいものだ、夏はいってしまった」

というエンディングなので、weは女性と語り手のことを指し、語り手は大人だということが、ここで明瞭になります。両親と車に乗ったエピソードを、現在のこととみなす場合と、過去のこととみなす場合とでは、全体の解釈も変わります。つまり、かつてのHoliday Romanceのような、配偶者以外の相手とのことを歌っているのかどうか、ということです。

Summer\'s Gone by the Kinks_f0147840_1302730.jpg決着をつけられればいいのですが、時刻ももう遅く、そもそも、歌をどう解釈するかは聞き手しだいですから(と逃げる)。

ひとつだけいえるのは、単純なラヴ・ソングにはなっていないということです。夏、すなわち、「人生の盛り」はそれと気づかないうちに終わってしまうのだという、より広がりのある概念を、「子どもの夏」まで連想させながら(そうでしょう? 最後のヴァースにたどり着くまでは、weを一般的な「われわれ人間」と解釈できるようにも書いてあるのです)、ふくらみをもたせて表現しているということです。

それにしても、雨水が入ってしまった靴というのは、よくぞ持ち出したり、です。ドブ以上に効果的で、惨めったらしい気分を、これ以上みごとに象徴するものはほかにないと感じます。こういう細部の描写のうまさに惚れて、この人を聴きつづけたのです。

今回は、レイ・デイヴィスという人が、ひと癖もふた癖もある作詞家だということを知ってもらうだけにとどめ、彼のたどった軌跡と作品の広がりは、これから続々と登場する予定の彼の曲、ほとんど「レイ・デイヴィスの四季のソングブック」といっていいようなものを通じて、順次、ご紹介していきます。60年代の終わりから70年代前半にかけて、この人はわたしにとって「大作家」でありつづけたので、いくらでも書くべきことがあるのです。
by songsf4s | 2007-09-11 23:53 | 過ぎ去った夏を回想する歌