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We Have Something More (Than a Summer Love) by Connie Francis
タイトル
We Have Something More (Than a Summer Love)
アーティスト
Connie Francis
ライター
Jenny Lambert, Mickey Gentile
収録アルバム
Souvenirs
リリース年
1964年

So Nice (Summer Samba)のときに取り上げようとして、放棄してしまったコニー・フランシスの出直しの一曲です。

コニー・フランシスの全盛期は50年代終わりから、60年代はじめにかけてで、このWe Have Something More (Than a Summer Love)がリリースされた1964年、つまり、ビートルズのアメリカ上陸の年には、ほかのヴェテランたちと同様、苦しくなってきていきます。

f0147840_026984.jpgこの曲はシングルのB面(表はバリー=グリニッジのDon't Ever Leave Me)としてリリースされたもので、表はビルボード42位止まりでした。しかし、それでもB面のほうもバブリング・アンダー・チャートに滑り込んでいます。きびしい状態というべきか、さすがはコニー・フランシスというべきか、なんとも微妙です。

ボックスを聴くとわかりますが、キャリアが長いので、はじめのほうと、終わりのほうでは、コニーの発声とスタイルも、バックのサウンドも大きく異なります。わたしがそういう時代に育ったからなのでしょうが、ヒット連発の時期は、歌い方も、サウンドもピンとこず、むしろ、下り坂になってからのほうが納得のいく音作りですし、力を抜いた歌い方もしっくりきます。この曲はそういう方向に転じはじめたときに録音されています。

◆ 元気いっぱいのサヨナラ ◆◆
それではファースト・ヴァース。

The summer's over
And now you're going
But I know that our love won't die
While you're away
A love like ours doesn't happen everyday
"Cause we have something more
Oh we have something more
Than a summer love

夏は終わってしまった、もうあなたはいかなくてはならない、あなたが遠くにいても、わたしたちの愛が死ぬことはない、わたしたちの愛はありふれたものではない、なぜなら、たんなる夏の恋以上のなにかをもっているから、といったあたりの意味です。

f0147840_028075.jpgおわかりのように、状況としては、すでにとりあげたロニー&ザ・デイトナズのI'll Think of Summerの語り手のジェンダーを女性に変えたようなものです。自分で持ち出しておいて、こんなことをいうのもなんですが、よくまあ、飽きずに同じテーマの曲を書いたものだと思います。市場を見渡せば、類似品が山のように積み上がっているのだから、わたしが書く立場だったら、ちょっとひるむだろうと思います。まあ、見るからに不可解な、または、一見すると単純な殺人事件が起きて、明敏な素人探偵、または、鈍重だけれど我慢強い刑事が謎を解く、という話が延々と作られつづけているのと同じなのかもしれません。

この曲が、類似の曲と多少異なるのは、語り手がきわめてオプティミスティックな点です。夏の終わりの別れの曲は、ほとんどがメランコリックなものか、または、恋の終わりを嘆くものです。ロビン・ウォードのWonderul Summerのように、去っていった恋人に「感謝する」というものもありますが、あの「感謝」は嘆きの裏返しで、ちょっと当てつけがましくもあるので、これまた「嘆きの歌」に繰り込んで差し支えないでしょう。

We Have Something Moreのオプティミズムも、Wonderful Summerのような強がりかどうか、その判断はのちほど。

◆ とはいえ、不安はぬぐえず ◆◆
つぎはセカンド・ヴァース。

I will remember
As leaves are falling
The way you held my hand
As we walked in the sand
With every kiss
I'd love you
And we'd understand
That we have something more
Yes, we have something more
Than a summer love

木の葉が散るようになったら思いだすでしょう、砂浜を歩いたときにあなたが手を握ってくれたときのことを、キスのたびに愛を、それでわかるでしょう、わたしたちの愛がただの夏の恋ではないことが。

英語のrememberは、ときおりやっかいな代物に化けます。思いだすという行為を示すのか、記憶しているという状態を示すのか、区別がつかないときがあるのです。形式として、as the leaves are fallingという進行形にくっついて出てきているので、「思いだす」という行為のほうと解釈しておきましたが、どうなんだろうなあ、です。心理的にすとんと腑に落ちるわけではありません。後半も、意味があるわけでもなければ、音韻的にきれいなわけでもなく、中だるみのヴァースと感じます。

◆ するどいビーン・ボール ◆◆
ブリッジに入ります。

And when the winter comes
Another love has faded away
I will be writing you
Telling you how much I love you
More each passing day

「そして冬が来れば、ほかの人への愛は薄れ、わたしはあなたに手紙を書くでしょう、どれほどあなたを愛しているかと、わたしの愛は日々強くなっていると」

ジュリー・ロンドンのWhen Snowflakes Fall in the Summerのところで、ブリッジでは変化球を投げなければいけないと書きましたが、このブリッジはなかなか曲がりがするどく、オッと、とのけぞりました。「another loveとはなに? いったいどこから登場したの?」です。

語り手の女性は、しきりに自分の愛を訴えているのだからして、another loveがいるはずがなく、これは当然、男の側に属すものと考えられます。ということは、お立ち会い、これもやはりハプニングスのSee You in Septemberの真の続篇ということでしょうか? 

f0147840_0304586.jpgロニー&ザ・デイトナズのI'll Think of Summerの女性は、じつはSee You in Septemberで、九月になったら会おうというボーイフレンドに送られて、故郷に帰ってきて、ひと夏の恋をし、また大学に戻っていくのだ、などと、うがったような、馬鹿馬鹿しいようなことをいいましたが、こっちの曲なら、「またまた、すぐに勘ぐるんだから」などと非難を受ける心配はないようです。

ふたとおりに読めると思います。ひとつは、相手に恋人がいることを知りながら、強引に割り込んでいった、というもの。もうひとつは、こちらの可能性は薄いと思いますが、これから離ればなれになり、たとえあなたに新しい恋人ができても、落葉のころにはそれも終わっているだろうから、という意味です。後者は、あまりにもクソ落ち着きに落ち着いていて、可愛げがなさすぎるから、わたしは前者のほうをとります。

だとしても、ここまでの2つのヴァースには、こういうものが飛び出してくる予兆はなく、このブリッジの変化球は、なかなか効果的です。ひと夏の恋ということで、ヒット・エンド・ランを考えていた男に向かって、そうはいかないわよ、これで終わりにはさせないと宣言している、という風にも考えられるわけで、ちょっと怖いですねえ。

◆ 思わず引いてしまうたくましさ ◆◆
最後のヴァース。

So darling hold me
And say you love me
The time is flying by
And now you have to go
But as we say goodbye
I won't cry 'cause I know
That we have something more
Yes we have something more
More than a summer love
A summer love
A summer love

だからダーリン、抱きしめて、愛しているといって、時間はあっという間に過ぎて、あなたはもう行かなければならない、でも、さよならをいうときにもわたしは泣かない、だって、わたしたちには、ひと夏の恋以上にものがあることがわかっているから。

f0147840_0391457.jpgやっぱり、半世紀以上男をつづけてきた人間として、相手の男はすでに逃げ腰にちがいないと断言します。眼鏡ちがいを反省してもいるでしょう。Wonderful Summerのしおらしい彼女のほうがよかった、なんて思っているにちがいありません。これだけ強気でこられると、「あたしゃもう逃げるよ」と、志ん生の泣きが入ります。こんな風になにごとも決めてかかる女性では、いっしょになったらひどい目に遭うに決まっています。

便宜上、この曲は「去りゆく夏を惜しむ歌」に分類しますが、じっさいのところ、あまり惜しんでいないみたいです。時はわたしの味方、最後に勝つのはこっち、という宣言みたいですからねえ。

◆ カンツォーネを放棄したコニー ◆◆
わたしは歌いあげるタイプが苦手で、コニー・フランシスも、すくなくとも初期はそのタイプでした。イタリア系だから、カンツォーネっぽいわけです。いや、イタリア系シンガーは山ほどいるので、そういう分類では、分類したことにならないのですが、コニー・フランシスは、コンチェッタ・フランチェスカというアイデンティティーを長いあいだ保ったと思います。

60年代中盤に入ると、カンツォーネっぽい歌いまわしは時代遅れになっていき、まさにそういう時期に、わたしは熱心に音楽を聴くようになりました。さらっと歌うのが潮流となった時代に、です。典型的なのはビートルズです。彼らはけっして「歌いまわす」ようなことをしませんでした。Yesterdayのときですら、ポールはじつに注意深く、昔風になることを避けています(したがって、この曲のカヴァーの大多数は作者の意図に反したものになっている)。ロックンロールの支配する世界にあっては、バラッドにも、ロックンロール・ウェイ・オヴ・シンギングが適用されたわけです。

子どものわたしには、有名な大シンガーのなかで、もっとも時代遅れに聞こえたのはコニーでした。いや、エルヴィスだって、シナトラだって、ひどく時代遅れだと思っていた子どもの、小学校六年の時の印象ですから、あまりまともに受け取らないでほしいのですが。

f0147840_0324672.jpgしかし、いつもの義務感で、1枚ものベスト盤には収録されない、コニーのオブスキュアなヒットまで全部そろえるのが目的で、ボックスを買ってみて、おや、と感じました。後半、ヒットが出なくなってからがすごくいいのです。「あの古くさいカンツォーネ唱法」と嫌っていたものは、影も形もありません。まったくふつうの歌い方で、運命がひとつちがっていたら、ペトゥラ・クラークの位置に立てたかもしれないと感じました。

つまり、こういうことです。流行歌手なのだから、つねにその時代が要求するものを実現しようとつとめ、また、それができるだけの力があったと。じっさい、改めて聴くと、じつにうまいし、適応力、ヴァーサティリティーがあります。やはり、大歌手なのだと認識を改めました。

◆ ノンヒット=コンテンポラリーというアイロニー ◆◆
サウンドも変化しています。たとえば、Vacation(この曲、取り上げるつもりでチャンスを逸しました。来年の初夏にやります)、Stupid Cupid、Lipstick on Your Collarなどのアップテンポの大ヒット曲を、ほんの数年遅れで聴いた子どもは、低音部の薄さ、ビートの弱さ、ギターの音色とプレイ・スタイルの古さにめげました。

しかし、このWe Have Something Moreは、ガール・グループ風のサウンドで、まあ、そろそろ期限切れの音であることもたしかですが、それほど古くさくもないのです。ニューヨーク録音のせいか、バート・バカラックがプロデュースした、一連のディオンヌ・ワーウィック(ディオーン・ウォーウィックと書きたいところですが)のヒット曲に近い音と感じます。

この曲だけでなく、ボックスのDisk 3の後半からDisk 4にかけては、いい曲、うまい歌、コンテンポラリーなサウンドが目白押しです。わたしと同世代のコニー・フランシス嫌いの方には、有名なヒット曲は避け、この時代のコニーをお聴きなさい、目から鱗ですよ、と強くおすすめします。トニー・ハッチの曲なんか、ほんとうに惜しいなあ、と思いますよ。

Vacationは、できたらとりあげる、ぐらいのつもりでしたが、この曲はぜひとりあげようと決めていたのは、そういうことなのです。
by songsf4s | 2007-09-10 23:54 | 去りゆく夏を惜しむ歌