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I'll Think of Summer by Ronny & the Daytonas
タイトル
I'll Think of Summer
アーティスト
Ronny & the Daytonas
ライター
John Wilkin, Buz Cason
収録アルバム
Sandy
リリース年
1966年
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◆ 代表作というアイロニー ◆◆
ロニー&ザ・デイトナズというと、ふつうはG.T.O.が代表作ということになっていて、これはサーフ/ドラッグ系の編集盤に採られたことも何度かあります。しかし、それはいわば「表向き」でしょう。G.T.O.はすでに「期限切れ」の曲で、わたしはまったく好みません(間奏がアコースティックギターだというところが、ナッシュヴィルっぽくって、ほほえましく感じられますが)。そもそも、楽曲自体、どうということのないもので、なにかの勘違い、「時代の気分」でヒットしただけにしか思えません。

I\'ll Think of Summer by Ronny & the Daytonas_f0147840_127416.jpgこういう、「なにかの拍子ヒット」が代表作になったアーティストというのもけっこういるもので、たとえば、トミー・ジェイムズ&ザ・ションデルズなども、いちばん有名なHanky Pankyはゴミ箱いきです。Mony Monyなんて、思いだせば、ああ、あっちのほうがよかった、と思うでしょ? わたしなんか、即座に、Yeah she come down Mony, Monyと歌っちゃいますもん。ヒットしているときはダサいと思っていたCrimson and Cloverだって、Hanky Pankyよりずっとマシ、たいしたヒットではなかったCrystal Blue Persuasionだって、まだしも聴く気になります。一般にストレート・ロッカーが看板になりがちなもので、たとえば、スウィンギング・ブルー・ジーンズといえばHippy Hippy Shakeですが、ああいうスタイルではない、ロッカ・バラッド(Promise, You Tell Her)のほうに佳作があります。

その最たるものが、ビーチボーイズだと思います。Surfin' U.S.A.って、いい曲なんでしょうか? 歴史的意義はあると思いますが、そういうことを抜きにすると、楽曲(なんたっておおむね3コードだから小学生でもすぐに弾けるし、そもそも、ブライアンの曲ですらない)も、プレイも、パフォーマンスも、かろうじて及第点といった程度にしか思えません。

ちょっと彼らの盤を聴くと、ブライアン・ウィルソン(フルネームを書くのは検索エンジンへの配慮にすぎないので、気にしないでね)のプライヴェート&インティミットなバラッドのほうに強く惹かれていくものではないでしょうか。いまは、呆れたことに、Pet Sounds一辺倒の時代なので、話がさらにねじ曲がり、わかりにくくなっていますが、ちょっと前のこと、Pet Sounds Sessionsが出て、猫も杓子もメタル・キッズ(!)でさえもPet Soundsを聴くようになるまえのことを思いだしていただきたいのです。

I\'ll Think of Summer by Ronny & the Daytonas_f0147840_1273468.jpgたとえば、Todayなんて、アップテンポもバラッドも佳作がそろっていて、Pet Soundsに疲れたときなどは、これくらいの複雑さのほうがよかったかもしれない、なんて、Pet Sounds推進運動ウン十年の人間が口にしてはいけないことを思うのですが、Please Let Me WonderやShe Knows Me Too Wellで、「痛切にしんみり」(微妙な形容矛盾失礼)しちゃったときは、もうどうにもならないのですよ。

ブライアンのバラッドには、つねにそういう雰囲気がありますが、この2曲には「夏の終わりの夜の浜辺」といったムードが濃厚にあると感じます。アップテンポの曲は「なにはさておき商売商売、お子様、もとい、お客様は神様です」と愛想笑いを浮かべていますが、しばしばそうしたシングルのB面になったバラッドは、誠実で正直な、だれも聴かなくても俺はこれを歌う、という気持ちが感じられます。

いや、まあ、そんなしちくどいことをいわなくても、夏の終わりになると、やっぱり、いくつかファイルを見つくろってプレイヤーにドラッグしたくなる力が、ブライアンのバラッドにはあるというだけのことです。こういうのを読むと、そうだ、今夜はPlease Let Me Wonderを聴こう、なんて思うんじゃないですか、と暗示をかけておきます。

◆ 真似をするなら裏表 ◆◆
ロニー&ザ・デイトナズのG.T.O.は、ブライアン・ウィルソンのドラッグカー・ソングにあやかったわけで、サーフィンのできないナッシュヴィルのサーフ&ドラッグ・グループとしては、そのハンディキャップをうまく回避したと思います。ここまでなら、ああ、そういう曲もあったね、にすぎず、有象無象ゴミクズカス詰め合わせサーフ&ドラッグ編集盤で手に入れれば十分、もしくは、ぜんぜん手に入れなくてもまったく差し支えなし、です。

デイトナズの面白いところは、「ブライアンのB面」まで真似して、しかも、それをかなりうまくこなしたことです。いや、デイトナズはB面ではなく、A面でやったのですが、それをいうなら、ブライアンだってSurfer GirlやDon't Worry BabyはA面にしたわけで、「ブライアンのB面」というのは言葉のあやです。

というしだいで、デイトナズも、ベスト盤などを買うと、forgettableなG.T.O.のことはすっかりどこかに飛んでしまい、夏の終わりにSandyを聴いてしんみりしたりするようになるのが、多くの人がたどる道のようです。

I\'ll Think of Summer by Ronny & the Daytonas_f0147840_013222.jpg今夜とりあげるI'll Think of Summerは、Sandyにつづく彼らのバラッドですが、Sandyほど強力ではないものの、このブログの都合に合わせてくれたような歌詞で、取り上げずに通りすぎては申し訳ないのです(いや、知らなかったほうがよかったような気もしないでもないのですが)。Sandyは来年の盛夏にでもやることにしますので、一握りのSandyファンの方は、首を長ーくしてお待ちあれ。

◆ See You in Septemberのネガ ◆◆
それではファースト・ヴァース。あくまでも「流行歌」の歌詞なので、そのへんのことはご承知のうえで、ということに願います。音抜きだとちょっと甘すぎるので、よけいな先回りをしておきました。

Summer's gone, but I'll remember
That day we fell in love
The night we cried
And when the cold wind blows
You'll be gone I know
But I'll think of summer
And be warm inside

「夏ももうおしまいだね、でも、ぼくらが恋に落ちた日のことは忘れないよ、ぼくらは泣いた夜のことは、そして冷たい風が吹けばきみはいってしまう、でも、夏のことを考えれば、きっと心は暖かいままだよ」

いや、汗をかくほど甘いですわ、参りました。こういう日本語を書くのも、やっぱり年寄りの冷や水のたぐいでしょう。皮肉屋の年寄りは、ここでハプニングスのSee You Septemberを思いだして、この男の彼女は、こんどは「九月に会おう」といっていた男のもとに帰るのだろうな、なんて、性格の悪さ丸出しの想像をして、ニヤニヤしたりするわけです。年をとると、ほんとうに人生が立体的に見えて楽しくてしかたがありません。これだけの知恵が二十歳のときにあればな、という悔しさもちょっと混じりますがね。このままセカンド・ヴァースに入ると、舌に甘さが残ってくどいので、口直しにちょっとわさび漬けを差し上げたしだいでして、どうかあしからず。

You were mine all through the summer
We shared the golden sun
And the stars at night
So when we say good-bye
I know I will cry
I'll just think of summer
And I'll be alright

「夏のあいだずっと、きみはぼくのものだった、あの黄金の太陽と夜の星々を僕らはいっしょに見た、だから別れをいうときにはきっと泣いてしまうにちがいない、夏のことを想ってなんとかやっていくよ」

いやもうなにも申しません。そういう歌なんです。

◆ セリフ!? ◆◆
でも、これくらいで汗をかいていては、サード・ヴァースにいくまえにあえなくノックアウトです。そのまえに恐るべき焦熱地獄が立ちはだかっているのです。このブログはじまって以来の大ピンチといってもいいほどで、ここから先に進むか、このへんで切り上げて、話をそらすか、いま考慮しているのですが……。結論。日本語は勘弁してもらって、英語だけ投げ出すことにします。なんたって、あなた、セリフなんですよ、そんなもの、日本語にできるなら、あなたがやってみなさいってくらいです。

You know, it seems like just the other day. It was June. I looked in your eyes, I knew all at once my dreams had come true. Oh I guess I thought the summer would last forever. Now you say you're going back to school and we'll have to say good-bye. Well, it's not just good-bye that makes me sad, it's that empty feeling deep down inside that tells me we may never see each other again. So, if I never see you again I won't be blue, I just think of summer and remember you.

I\'ll Think of Summer by Ronny & the Daytonas_f0147840_1291392.jpgポイントとしてはですね、この語り手も、夏が永遠につづくと思っていた、というあたりがあげられます。そこまで非現実的夢想を信じ込めれば、うらやましいようなものです。ふつう、どんなに恋したって、八月の終わりになればさわやかな風が吹き、結局、お正月はコタツで過ごすことになるぐらいのことは承知しているものです。だいたい、夏が適当なときに終わらないと、年寄りはひと夏でみな死んでしまって、社保庁のぐうたらどもを喜ばせるだけじゃないですか。

それから、ここで彼女が行かなければならない理由は、学校がはじまるからと説明されています。やっぱり、See You in Septemberのあいだにはさまっているサイドストーリーだったのですね。忠臣蔵のあいだに四谷怪談がはさまっているみたいな仕掛けです。ちがうって? いや、きっとそうです。そうにちがいありません、ソングライターたちは大南北へのオマージュとして、この曲を書いたのです。

◆ 来年の夏……ふーむ、そりゃどうかなあ ◆◆

So kiss me once more
And say you love me
Then tell me once again
That you'll be true
And it won't break my heart
When we're far apart
"Cause I'll think of summer
And remember you

「だから、もう一度キスしてくれないか、そして、愛しているといってくれ、そしてもう一度、ぼくを裏切らないといってくれないか、そうすれば、遠く離れるつらさにも耐えられるさ、夏のことを考え、きみのことを思いだすから」

なんか、むなしいあがきをしているなあ、と感じるのは、こちらが年をとったせいでしょうか。約束なんていくらでも反故にできるし、約束を守らなかったなどと、すでに赤の他人になった人間を責めたところで、なにも手に入るわけではないのですが、恋する人間というのは、藁にもすがりたくなるということでしょう。藁なんかにすがったってどうにもなるもんかよ、というのは、冷静な第三者の妥当な意見にすぎません。

I\'ll Think of Summer by Ronny & the Daytonas_f0147840_1302029.jpgここまできて、I'll think of summerのwillが気になりだしました。いや、現時点より未来でそのようにするであろう、という意味にすぎませんが、でも、「どの夏」のことを考えるのかは限定されていないということが気になるのです。タイトルもI'll Think of Summerであり、I'll Remember Summerではないのだからして、これはやはり「来年の夏」のことと考えるべきでしょう。夏が永遠につづくと信じたほどの無敵ポジティヴ・シンキングの語り手だから、「つぎの夏」があると信じているのですね。なんぞ知らん、時は過ぎ去り、人の心は移ろい、てえんで、また一曲書けるでしょう。Summer Liesなんてタイトルはいかが? あ、これはダメ、4プレップスの盗作でした。

というわけで、彼女はひと夏のサイド・キックにすぎない暇つぶしを終え、See You in Septemberの世界をリジュームするために、都会の大学へ帰っていきました。どちらかと結婚するとしたら、大学の同級生でしょうね、この避暑地または地元のボーイフレンドには残念なことですが。それから20年後、叔母の遺産を受け取りに故郷に帰った彼女は……くだらないからやめておきます。この馬鹿のつづきは、また、続篇みたいな歌が見つかったときに。

◆ ナッシュヴィルも例外ならず ◆◆
デイトナズの中心人物であり、この曲の共作者であるジョン・バック・ウィルキンは、ナッシュヴィル育ちで、母親はソングライターだったそうです。はっきりしたことはわからないのですが、この曲もナッシュヴィル録音と思われます。

I\'ll Think of Summer by Ronny & the Daytonas_f0147840_01466.jpgこれは、ニック・ヴェネー、例のビーチボーイズをキャピトルに契約させ、しばらく彼らのプロデューサーをやっていた人物が、テレビドラマ『ミスター・ノバック』(ボンヤリ覚えていますが、殺しの起きないドラマは眠ってしまう子どもだったので、ろくに見ませんでした)のサントラ・アルバムにと、ウィルキンたちに依頼したのだそうです。これはインストだったもの(タイトルはSummer Memories)を、のちに歌詞をつけてシングルにしたというしだい。Sandyのようなヒットにはなりませんでしたが、いわゆる「捨てがたい隠れた佳曲」です。

録音メンバーはいろいろとしかいいようがなく、一定したものではなかったそうです。ウィルキンをのぞくツアーバンドのメンバーは録音メンバーとはまったく別個だとか。ナッシュヴィルもやっぱりそうか、と納得しました。

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岩国基地にやってきたデイトナズ。このときのプレイヤーも、センター・マイクロフォンのまえのバック・ウィルキン以外は、録音メンバーとはまったく無関係だとか。昔は、こういう風にアジアの基地をまわるだけのツアーというのがあった。つまり、一般公開のライヴはなし、あくまでも米軍関係者向けのツアー。70年代にもまだそういうものがあり、わたしは横須賀基地のグラス・ルーツのフリーコンサートに行ったことがあるが、雨で機材が濡れるからと、あえなく中止。タダだから、金返せとゴネることすらできず、むなしく帰った。

60年代中期までのハリウッドのグループは、スタジオではプレイしていませんが、いや、言い方が逆ですね、スタジオで働いている人たちは忙しいので、ツアーなんかにはいかず、すべて「代理人」が地方および外国巡業をしましたが、イギリスにもチラッとそういう気配があったり、ニューヨークにもそういう例が見つかったりして(ついでにいうと日本でも)、これは文明世界の常識かもしれないと考えるようになってきたのですが、ナッシュヴィルにもそういう例があると知って、いよいよ確信を深めつつあります。

◆ モノはモノ ◆◆
近ごろの人は、なんでもかんでもステレオ、ステレオといういうようですが、わたしはいつもそういう考え方には反対しています。たしかに2ないし3トラック程度のテープは残されているのですが、当時、モノ・ミックスでリリースされたのはなぜかといえば、はじめからモノにするつもりで録音されたからです。

なぜはじめからモノと決めているかといえば、ベーシック・トラックを録音し、ここにヴォーカルと、たとえばストリングス、ギターなどのオブリガート、パーカッション類などをオーヴァーダブすると、バランスのとれたステレオ・ミックスをすることは不可能だからです。左右のどちらかに音が偏ってしまうのです。

疑問をお持ちの方がいらっしゃるなら、後日、具体的な録音手順を示しながら説明してもいいのですが、とにかく、当時の技術からいえば、バランスのよいステレオ・ミックスをしたいなら、まず3チャンネル以上のテープ・マシンを用意し、すくなくともバック・トラックを一発録りして、この段階でステレオ定位をきっちりおこない、残った1トラックにヴォーカルをオーヴァーダブし、これをミックス・ダウンのときにセンターに定位する、これが3トラックでステレオ盤をつくる方法です。わたしがいっているのではなく、ジョージ・マーティンがいっているのだから、信用なさいな。

I\'ll Think of Summer by Ronny & the Daytonas_f0147840_0392836.jpgサンデイズドによるロニー&ザ・デイトナズのベスト盤には、I'll Think of Summerのステレオ・ミックスが収録されていますが、これも失格ステレオ定位です。大部分は左チャンネルに偏り(こちらを最初の段階で録音した)、ぽっかりガラ空きになった右チャンネルでパーカッション(こちらはあとからのオーヴァーダブ)だけがむなしく鳴っています。こうなるから、ステレオで聴きたいというプレッシャーをかけてはいけないのです。

わが家にあるファンタスティック・バギーズのエドセルによるベスト盤もまったく同じで、あんまりひどいものだから、自分でモノ・ミックス・ダウンしたヴァージョンを聴いています。モノとしてリリースするつもりで録音したトラックは、ちゃんとモノで聴く、これくらいの良識はほしいものです。あとからステレオ・ミックスにしてきれいにバランスがとれるのは、あくまでもモノにこだわったブライアン・ウィルソンのトラックのようなタイプで、こういうのは例外だから、それをすべてに適用してはいけないのです。

またしても寄り道が長くなり、もうひとりの作者、バズ・ケイソンのハリウッド時代のエピソードなどを書く余裕がなくなりました。来年の夏、Sandyをとりあげるときにでも書くことにしましょう。あっ、いかん、他人のことを、来年の夏があると思っているポジティヴ・シンキングのお目出度いヤツ、だなんていうんじゃなかった!
by songsf4s | 2007-09-05 23:57 | 去りゆく夏を惜しむ歌