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Beach Baby by the First Class
タイトル
Beach Baby
アーティスト
The First Class
ライター
Gil Shakespeare, John Carter
収録アルバム
The First Class
リリース年
1974年
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近ごろはバックステージのことばかり書いていますが、書きかけのテキストが6曲分あり、このところ、シナトラとマーサーで疲労困憊したため、そのなかからいちばん楽そうなものを、というので、脳天気なこの曲を選びました。

裏側を調べはじめると、この曲も泥沼になるのは見えているのですが、ジョン・カーターは一部方面では有名なものの、わたしは特別な関心をもっていないなので、そのへんはあっさりやるか、またはたんに無視するつもりです。裏側へいくから疲れるわけですし、イギリスについては、ヴァージニア州ノーフォークと同じほど土地勘がなく、アヴェレージ以下のことしか書けないのは見えています。この曲のみ、それも歌詞の検討のみ、脇目もふらずにその線で突っ走りたいと思っています。

ファースト・クラスというグループについては知りません。ジョン・カーターのスタジオ・プロジェクトだろうと考えていますが、ちがっていても責任はもちません。これ一曲で消えたも同然(すくなくとも3枚のアルバムが出たようですし、フォロウアップのシングルもチャートの下のほうをかすっていますが)で、あれこれ考える必要は、すくなくともわたしは感じません。匿名性がいいところでもあると考えます。

◆ シヴォレーはないだろ、シヴォレーは ◆◆
それでは脳天気な歌詞を見ていきます。ファースト・ヴァース。

Do you remember back in old L.A.
When everybody drove a Chevrolet
Whatever happened to the boy next door
The sun-tanned crew-cut all-american male

「だれもがシヴォレーを乗りまわしていた、あのころの懐かしいLAを覚えているかい? となりのヤツはどうなったんだろう、あのたっぷり日焼けしたクルーカットのオール・アメリカン・ボーイは?」

急いでいうと、原文は見ての通り、all-american maleですが、「全米男」というわけにもいかないし、日本語として通りやすい「ボーイ」としておきました。こういう場合の「ボーイ」だって、中学生を指しているわけではなく、青年を指すわけで、じっさい、この歌詞だって「boy next door」といってます。たんに、同じところにboyが工夫なしに重なるのを嫌っただけではないでしょうか。いや、その結果、英語としても据わりの悪いものになっていると思いますが。

ご覧のように、かつてのLAのサーファーが昔を懐かしんでいるようなことをいっていますが、先にも書いたように、これはイギリスの盤で、サウンドもハリウッドっぽくはありません。いろいろな音を詰め込みすぎていますし、その結果として、低音部が一カ所に集中して、レンジというものがなく、ペタッとした音になっています。いや、このチープなところが取り柄にもなっているのですが。

f0147840_0451633.jpgシェヴィーよりもフォードのほうが、よりLAサーファー的のような気もしますが、イギリスでは、サーファーはボロボロのシェヴィーに乗っていると思われていたのかもしれません。そもそも、ふつうはシェヴィーと歌うもので(すぐに出てくるのは、ドン・マクリーンのAmerican Pieのdrove the Chevy to the Levy but the Levy was driedという一節。それから、だれの曲だったか、My Chevy Vanというのをぼんやり覚えています。もうラスト・ミニッツ・ウォーニングが出ているため、調べる暇がなくて失礼)、シヴォレーというのはダサいのですが、シラブルの都合でしょう。

◆ だれもが飲み物をこぼす ◆◆
つづいてセカンド・ヴァース。

Remember dancin' at the high school hop
The dress I ruined with the soda pop
I didn't recognize the girl next-door
The beat up sneakers and the pony tail

「高校のダンスパーティーで踊ったことを覚えているかい、ソーダポップをだれかのドレスにこぼしちゃってさ、あのころは、ボロボロのスニーカーを履いて、ポニーテイルにしたとなりの女の子のことなんか、目に入らなかったな」

ポップ・ソングというのは本来そういうものですが、アイコンを連打して、リスナーの記憶を刺激しようというだけのヴァースで、これをクリシェといわずになにをクリシェというのか、です。個人的には、Tシャツとサンダルの歌につづいて、こんどはスニーカーが出てきてしまい、そのへんになにか固着をもっているのではないかと疑われることを恐れています。

f0147840_13449.jpgでも、やはり思うのですが、ポニーテイルやボロボロのスニーカーといったアイコンを持ち出すだけでも、(わたしの固着ではなく)作者の固着は顕われるのです。この曲にも、Tシャツとサンダルの曲のように、ロマンティックないわれがひょっとしたらあるのかもしれませんが、髪の毛と履き物っていえば、あなた、こりゃもう、フロイトを持ち出すまでもないのですよ(といいつつ、今日は写真が足りないので、持ち出してしまった)。「そういう歌」と解釈するのは、ぜんぜん間違いでもなんでもないのです。

後半、ファースト・ヴァースのとなりの男に対応して登場する、となりの女の子のことをrecognizeしていなかったというのは、子どもっぽくて、「対象外」だったということでしょう。裏返せば、その後、美しい、または可愛い、またはセクシーな、または「どこかそそる」女の子に成長し、動揺させられるようになったということを暗にいっているのかもしれません。

女の子のその後のことはともかくとして、固着はないと繰り返し確認しておきますが、それでも、the beat up sneakers and the pony tailというところの音の響きが好きで、ここへさしかかるのを待ちかまえ、いっしょに歌っています。この曲はテンポが速く、しかも、むやみに音と言葉を詰め込んでいるので、ゆっくり発音していると間に合わなくなるし、音符の切れ目と言葉の切れ目がノーマルに合致していないから「ビータ、スニーカ、ザンダポニーテエエル」ぐらいの感じで発音するのです。こういうところにこそ、ポップ・ソングだけがもつ、シンガロングする楽しみがあるのです。

◆ 強引なアイコンの連射 ◆◆
つぎはコーラス。

Beach baby, beach baby, give me your hand
Give me somethin' that I can remember
Just like before, we could walk by the shore in the moonlight
Beach baby, beach baby, there on the sand
From July 'till the end of September
Surfin' was fun, we'd be out in the sun every day

ここはわかりにくいところで、音のほうもどんどん先にいってしまうので、どうしたものでしょうかね。切り方によって解釈は分かれると思いますが、ビーチ・ベイビーは呼びかけおよび曲の「看板」としての意味しかないので、これは吹き払い、「手を握らせてくれないか、そして、昔のように、思い出になるものがほしいよ、あそこの砂の上を歩いて、月夜に汀まで歩いたっけ、七月から九月の終わりまで、毎日、日射しを浴びて、サーフィンを楽しんだね」なんてところでしょうかね。

コーラスというのはしばしば感覚的なものだし、フラッシュ・イメージを羅列することも多く、そして、このライターはロジカルなタイプではないので、考えても時間の無駄のように思います。ただいっしょに「ビーチベイビー、ビーチベイビー」と歌えばいいだけです(まあ、「思い出になるもの」とはなにかと妄想するのも、リスナーの権利ですが)。

そもそも、2つのヴァースだって、ロジカルな背骨が通っているわけではなく、オールドLA、シヴォレー、日焼け、クルーカット、ハイスクール・ホップとソーダ・ポップ、ボロボロのスニーカー、ポニーテイルというように、いかにもというか、そんな段階を通りすぎてひどいクリシェとしかいいようがないほど、リアリティーのない薄っぺらいアイコンを並べているだけです。

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カーター=ルイスのグループ、アイヴィー・リーグ。この命名からしてアメリカ風で、ジョン・カーターというのは「そういう人間」なのかもしれないという気がしてくる。彼らのHe's in TownやTossin' and Turnin'といったヒット曲の味つけも、アメリカ風だった。

ヴァースとコーラスのつながりもわかりません。ビーチベイビーは、いったいどこからあらわれたのか、伏線があるのか、2つのヴァースをよくよく眺めていただきたいものです。時間の流れすらよくわからないんだから、論理もヘチマもイワシの頭もあったものではないのです。

ひとついえるのは、騒々しいわりには、そして、複数の人間が歌っているわりには、歌詞が聴き取りやすいということです。昔、ラジオで聴いていて、「九月の終わりまで」というところが、すごく引っかかりました。

◆ やがて悲しき…… ◆◆
つぎはブリッジ。じっさい、これ以上、ブリッジらしいブリッジはないというくらい、色合いも風向きも変わります。

I never thought that it would end
And I was everybody's friend
Long hot days, cool sea haze, juke box plays
But now it's fading away

「あれが終わってしまうなんて思いもよらなかった、ぼくはみんなに人気者だった、長く暑い日々、涼しい海霧、ジュークボックスの音、でも、それがみんな消えてゆく」

f0147840_1112016.jpgここで藤原定家の歌を思いだしちゃったりするのです。「見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮」です。これと同じことを歌ったわけで(いや、定家卿の歌はそれほど単純粗雑なものではない、など、国文学方面、歌学方面ではいろいろうるさいことが多々ありましょうが、わたしは先代金馬の「道灌」のサゲそのまんまの人間だから、知ったことではないのです)、万国共通、万人が感じるはかなさ、寄る辺なさだと思います。このブリッジがなければ、ただ脳天気なだけの、言語明瞭そのくせ意味不明ソングでしかなく、取り上げようとは思わなかったでしょう。

hot daysとsea hazeはいいとして、juke box plays(動詞を含むので「文」sentence)は、前二者(動詞を含まないので「節」phrase)とは構造が異なり、据わりが悪くて、苦しまぎれだなあ、と思いますが、すでに申し上げたように、この曲は、意味などどうでもよく、ただ、アイコンの高速連打でイメージを喚起することしか考えていないのだから、非難するほどのキズではありません。そもそも、きちんと調子が整っていない韻というのも、形式だけが整って凡庸な韻よりは、退屈しません。

We couldn't wait for graduation day
We took the car and drove to San Jose
That's where you told me that you'd wear my ring
I guess you don't remember anything

という最後のヴァースは「ぼくらは卒業の日が待ちきれなくて、車を飛ばしてサンノゼまでいった、君はぼくの指輪をはめるって、あそこでいったんだよ、もうなんにも覚えていないだろうけど」といったあたりでしょう。

卒業という言葉とセットで出てくるので、スクール・リングかと思いたくなりますが、卒業が待ちきれないというのが暗に意味するのは、たぶん結婚のことで、やはりエンゲージ・リングでしょうね(ここ、突っ込みが入りそうですが)。そんなことまで忘れてしまう女の子も立派ですが、もう忘れられちゃっただろうと観念している男も立派、いい勝負です。つまらない蛇足にすぎず、このヴァースはないほうがいいでしょう。

◆ 万艦飾の万国旗びらびらサウンド ◆◆
このブログでは、慣行としてサウンドの検討もすることになっていますが、これはかなり馬鹿馬鹿しい音で、ちょっと困惑します。前回のシナトラのSummer Windが、天才エンジニアがそのマジック・タッチで生みだした、究極的に「テイストフル」な音だとすれば、このBeach Babyはその反対、悪趣味の極みです。

f0147840_1143347.jpgなんたって、これ以上無理だろうというほど楽器と音を詰め込んでいて、万艦飾の万国旗びらびら、しかも、アクセント配分というものがまったくなく、あらゆるチャンネルのフェイダーをいっぱいまで上げているのではないかと思うような音です。いやまあ、イントロの4分のキックの上で薄く、うっかりすると聞き落とすくらいにほんのりと鳴っているオルガンなんか聴くと、細部への配慮は感じるのですが、それでも、もうちょっとよけいな枝葉を落とせとよ、といいたくなります。

1974年というと、テープ・マシンのトラック数はどれくらいだったでしょうか。そろそろ32トラックが登場でしょうか。そういうマルチトラック・テクニックを前提としないかぎり、こういう音の重ね方は無理です。やむをえない事情があれば、8トラックでもできなくはありませんが、その場合はきちんと録音工程表をつくって、どういう順番で、どういう音を録り、どこまでいったら、いったんトラックダウンするか、といったことを計算してからでないと、録音に取りかかれません。それくらい要素が多く、曲の各パートで必要な要素も入れ替わります。

この馬鹿馬鹿しいまでのにぎやかさは、しかし、ブリッジでの「転調」を強調するための伏線とも考えられます。ふと気づくと、いつのまにか花も紅葉もない、あちゃあ、という感じがよく出ています。

そういう意味で、2度目のコーラスのあとのストップ・タイムは非常に効果的です。いや、たんにそれまでのにぎやかさが嘘だったように静まりかえるだけでなく、こででホルンを使ったこともクレヴァーです。ホルンほど、「はろばろ」とした感覚をあたえる楽器はありません。

◆ 大負けで座布団三枚 ◆◆

でも、なんです、いろいろ文句はつけましたが、これほどのキッチュ、これほどのフォニーもめったにあるものではなく(なんたって、イギリス人が「あの懐かしいLA」なんていうんだから、キッチュとフォニーの総本家元祖家元大問屋ハリウッドも真っ青でさあね)、馬鹿馬鹿しいから座布団三枚ぐらいはやっていい音になっていると思います。

f0147840_1174176.jpgカーター=ルイスがどうしたとか、アイヴィー・リーグがどうだのと、「そっち方面」のあれやこれやはございましょうが、最初にも申し上げたように、わたしはイギリス不案内かつ無関心、所詮、ワンショットのスタジオ・プロジェクト(ヒットのおかげでセカンド・ショットどころか、サード・ショットまでありましたが)、詮索するに足らずです。そもそも、今夜も時間はぎりぎりとなっているので、そういうことはよそのブログかなんかをご覧になってください。きっと、いっぱいあると思いますよ。
by songsf4s | 2007-09-04 23:57 | 過ぎ去った夏を回想する歌