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A Summer Song by Chad & Jeremy
タイトル
A Summer Song
アーティスト
Chad & Jeremy
ライター
Metcalfe/Noble/Stuart
収録アルバム
Sing for You (a.k.a. Yesterday's Gone)
リリース年
1964年
他のヴァージョン
alternate take of the same artist
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まずは、今夜の原稿の「勧進元」であり、年来の「チャド&ジェレミー・ファン仲間」(メンバーは二人だけ!)である、tonieさんにご挨拶。

昼間、チャド&ジェレミー第2弾を、と宣言したとき、じつはスクリューでいくつもりでした。しかし、たまたま、Unsurpassed Mastersの全巻を配布しているブログに突入してしまい、地獄の苦しみを味わうことになり、楽な直球に切り替えることにしました。

このブログをスタートする前に、デザイン用のダミーとして書いた原稿が数本、しまい込んだままになっていまして、このA Summer Songはそのひとつなのです。いまから手直しを試みますが、たぶん、混乱した原稿になるであろうこと、Distant Shoresと話がダブってしまうであろうことをあらかじめお詫びしておきます。では、古物の使いまわしですが……。

◆ 失われたサウンド ◆◆
ストーンズの下品で猥雑なSatisfactionがヒットするまえの、さわやかなブリティッシュ・グループの歌声と、軽やかなサウンドが、年とともに懐かしくてしかたなくなってきました。「ロック」という言葉があくまでも「岩」を意味し、音楽はポップ・ミュージックとかロックンロールといわれていた時代のことです。

そういう時代のイギリスを象徴するのは、たとえばサーチャーズ、デイヴ・クラーク5、スウィンギング・ブルー・ジーンズ、ジェリー&ザ・ペイスメイカーズ、ホリーズ、ピーター&ゴードンなどなどのアーティストです。

齢を重ねてみて、わたしよりひとまわり、ふたまわり上の、それまでなじんできた音楽をエルヴィスに根こそぎ破壊された世代の人たちが、フランク・シナトラやナット・コールやアンドルーズ・シスターズやパティー・ペイジを懐かしむ気持ちがよくわかるようになりました(もっと上の人たちは、ビング・クロズビー、ポール・ホワイトマン楽団、ベニー・グッドマン、グレン・ミラーなど、もちろん、それぞれご贔屓は異なるでしょうが)。

でも、いつも思うのですが、破壊され尽くし、この地上から抹消されてしまったからこそ、そうした過去が心の宝になるのです。存在しつづけたとすれば、懐かしむこともできません。このパラドクスは、だれにもどうすることもできないでしょう。

◆ 書いた当人も恥ずかしがる紋切り型 ◆◆
チャド&ジェレミーは、日本ではヒットらしいヒットはなかったと記憶していますが、アメリカでは数曲をチャートインさせています。本国よりアメリカで受けたグループです(DC5なども似たような位置にありました)。

じっさい、アメリカ録音が多く、ブリティッシュ・デュオと呼ぶのはちょっとためらいます。シンガーがどこで生まれたにせよ、トラックがアメリカでつくられたのなら、アメリカン・ミュージックと呼ぶべきです。

f0147840_23475081.jpg彼らは、ロンドン、ニューヨーク、ハリウッドの三カ所で録音したようで、ゲーリー・チェスター(NY)やハル・ブレイン(ハリウッド)のプレイを聴くこともできます。この曲は初期のヒットですから、ロンドン録音なのですが、それにしてはなかなかクレヴァーな音作りで、ロンドンのプロデューサーやアレンジャーもナメてはいけないのかもしれません(その後、ジョン・バリーまたはシェル・タルミーのプロデュースと判明。なるほどそうか、でした)。

A Summer Songの魅力は、楽曲、複数のアコースティック・ギターを積み重ねたサウンド、チャドとジェレミーのフワフワと薄くて軽い歌声にありますが、歌詞も、そうした全体的なムードを壊さない程度の出来にはなっています。もちろん、十代の少年少女向けの曲としては、という意味にすぎず、悪くいえば、いわゆる「星菫派」の典型です。まずはファースト・ヴァース。

Trees sway in the summer breeze
Showing off the silver leaves
As we walked by

「そよ風に揺れる木々、ぼくらが歩くにつれて、木の葉が銀色にひるがえる」というのだから、ちょっと紋切り型で困ったものですが、この陳腐な幸福のフラッシュ・イメージは、たぶん、その後の喪失感の表現を前提として用意されたものなのでしょう(好きな曲だと好意的に解釈してしまうものなのです)。

◆ 超高速の展開 ◆◆
つづいてセカンド・ヴァース。

Soft kisses on a summer's day
Laughing all our cares away
Just you and I

「夏の日の軽いキス、憂いはみんな笑い飛ばし、君とぼくと二人だけ」って、わたしはこういう日本語を書くような年齢ではなくなってから、軽く四半世紀ほどたつのですが、原詩がそういっているだけなので、腐った卵、ミカンの皮、ビールの空き缶、石、座布団、爆弾などは投げつけないでください。

Sweet sleepy warmth of summer nights
Gazing at the distant lights
In the starry sky

「夏の夜の眠気を誘うような気持ちのよいぬくもり、煌めく星空の遙かな光を見つめる」と、ついに「星菫派」の本領発揮であります。もちろん、ひとりで「見上げてごらん、空の星を」なんてやってるわけではなくて、影と影が寄り添っているという状況ですね。

ここで注意するべきは、このヴァースから、Distant Shoresが生まれたということです。みなさんが記事をさかのぼってくださるほどお暇ではないのはわかっていますので、例によって、わたしがDistant Shoresのファースト・ヴァースをここにペーストして進ぜます。

Sweet soft summer nights
Dancing shadows in the distant lights
You came for me to follow
And we kissed on distant shores

f0147840_23533940.jpgこれで、Distant Shoresは、「帰ってきたA Summer Song」「A Summer Songの逆襲」「もっと暑いA Summer Song」、あるいはシンプルに「A Summer Song 2」であったことがおわかりかと思います。「前作の感動から2年、さらにパワーアップして、A Summer Songが帰ってきた!」というパターンだったと思いますが。菓子が甘すぎて、いや、歌詞が甘すぎて、こういう馬鹿でもいっていないと、赤面と汗が止まらない、という当方の目下の苦境をご理解いただきたいものです。

しかし、感心するのは、ここまで三つのヴァースを歌いながら、まだ45秒しかたっていないことです。ランニング・タイムが1:50なんてえのがめずらしくなかった時代ですが、それにしても、このスピードは尋常でありません。

They say that all good things must end some day
Autumn leaves must fall

「いいことというのはみないつかは終わってしまうものだという、秋になれば木の葉がかならず落ちるように」とくるわけで、ひと夏の恋だったのですね。わずか45秒で駆け抜けた三つのヴァースの幸福な気分の描写は、過去のことだったのです。当然、音のほうはマイナー・コードになります。

◆ 雨音から夏を想う? ◆◆
ブリッジのつぎにくる最後のヴァースは、

And when the rain
Beats against my window pane
I think of summer days again
And dream of you

「雨が窓ガラスを叩くと、夏のことを想い、きみのことを夢想してしまう」となっています。

四行一連の場合、四行目は韻を踏まなくていいのでしたっけ? 昔、なにか教わったような気もするのですが、記憶は曖昧なので、そういうルールもあるのだろうと考えておくことにします。それまでの三行の韻の踏み方はかなりよいと感じます。とくにpaneが、苦しまぎれかもしれませんが、光っています。

f0147840_2351267.jpg曲の流れのなかで聴いていると、なんとも思わないのですが、文字として改めて眺めると、ちょっと引っかかるものも感じます。雨が窓ガラスを強く叩く音というのは、通常、夏の記憶に結びつくものである、という文化的な了解があるのでしょうか。なんの説明もないので、そういう了解を前提にした省略に見えるのですが……。

知識として、そういう想定を肯定するような文化史的背景は知りませんが、気分としては、それもまあ、わからなくもないな、と思います。

北半球の温帯地域の場合、強い太陽光を浴びた地表の熱が生み出すパワフルな上昇気流によって生じる夏の雨は、しばしば驟雨となる

スーパーコンピューターの演算能力をもってしても、ピンポイントで驟雨の発生を予測するのはきわめて困難である

したがって多くの人が傘の用意をしていない

ずぶ濡れになる and/or 適当な場所を見つけて雨宿りをする and/or だれか、おそらくは眉目麗しい異性が自分の傘を差し掛けてくれる(んなことあるわけねーだろー、などと、すげないことはいわずに)

すでに親しい男女はいっそう接近し、親しくなかった男女、または見ず知らずの男女も、急速に、あるいは突然に接近する可能性をはらんでいる

というような公式が(現実にそんなことがどれくらい起こるかはしばらく措き、いちじるしく夢想的な文化的了解事項として、人種、文化、国家のちがいに関わりなく)かろうじて成り立つのではないでしょうか。

なんとももって、じつに表現しがたいほどさわやかなサウンドなのだから、こんな益体もない考察はゴミ箱にたたき込まれても、当方としてはなんの異存もございません。忘れてください。

◆ 出来のよいサウンド ◆◆
チャド・ステュワートは、ときおりよそのアーティストのセッションでギターを弾いたくらいで、自分たちの録音の場合もプレイしたようです。ピーター&ゴードンも、ゴードン・ウォーラーが、スタジオでよく12弦リードをプレイしたと、ピーター・エイシャーが回想しています。

60年代中期を代表する二組のブリティッシュ・デュオのそれぞれの片割れが、そこそこギターを弾けたというのは、バンドがつかないことが多く、自前でオブリガートを入れなければならず、やむをえずそうなったということなのかもしれません。

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わが家のボロボロになってしまった、米ワールド・アーティスツによる彼らのデビューLPのジャケット。ほんとうのオリジナルではなく、A Summer Songがヒットしたあとのプレスであることが、赤いステッカーでわかる。

チャドなのかどうか、たぶん、プロフェッショナルだと思いますが、複数のアコースティック・ギターのひとりはなかなかの腕です。とくに、Autumn leaves must fallのうしろで鳴っているオブリガートの高速ランは、オッ、と坐りなおします。

ドラムも、ハル・ブレインのように(お手盛りの)見せ場をつくったりはしませんが、非常に安定していて、チャーリー・ワッツのプレイなんかとはちがい、心臓麻痺や脳溢血を起こす危険性がゼロで、年をとってからも安心して楽しめます。

デビュー盤とセカンドをまとめたCDには、ボーナスとして、この曲の別テイクが収録されていますが、トラック自体はどうやら同一のようで、ヴォーカルだけが異なっています。こちらのテイクをボツにしたのは、正しい判断だったと思います。リハーサル・テイクといった趣きです。

◆ 陳謝百回 ◆◆
以上、手直しですら手を抜いてしまい、失礼しました>tonieさん&皆様。明日、べつの曲でさらに延長戦をやるか、または九月早々にも、チャド&ジェレミーに再挑戦し、汚名返上をはかろうかと思っております。

チャドの回想によると、彼らはこの曲がシングルになるとは思っていなかったそうで、年をとると、いくら若気のいたりとはいえ、いよいよ恥ずかしくてたまらくなってきたようです。「マッカトニーが'Til There Was Youを歌うようなものとみなして正当化した」などと、弁解しきりです。

f0147840_23574198.jpgでも、こういうところが彼の弱点だったと思います。この曲をシングル・カットしたら、思いがけず、アメリカで大ヒットした、ということから、普遍的なレッスンを学んでいれば、60年代終わりの自殺行為は回避できたにちがいありません。ほんとうにすぐれたソングライターは、どんなにこっ恥ずかしい歌詞でも、自作を誇りに思うものだし(だって、ヒットしたということは、おおぜいの人が彼または彼女の曲を愛したということなのですから)、ヒット曲を書いた瞬間に、これだ、とわかるものです。その意味で、チャド・ステュワートは一流のソングライターではなかったことになります。

キャベツ王と箱船については、ちゃんと聴き直さなくてはならないので、今夜はネグらせていただきました>tonieさん。けなすときこそ下準備を怠りなくしないとまずいわけでして。

それから、手持ちの写真はDistant Shoresでほとんど使い尽くしてしまい、今夜は準備が間に合わなかったことを陳謝します>皆様。

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アメリカでのデビュー盤に付されたディーン・マーティンのコメント。チャドとジェレミーは、ハリウッドではマーティン邸に滞在したことがわかる。最後に「追伸」として、「君たちのどちらがもっていったのか知らないが、わたしのテニス・シューズを送り返してくれ」とある。

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こちらはディノのコメントの隣におかれたジェレミーの「返信」。こちらにも「追伸」とあり、「ぼくらはテニスシューズなんか盗んでいない!」といっている。

by songsf4s | 2007-08-29 23:58 | 夏の歌