- タイトル
- Summer Wine
- アーティスト
- Nancy Sinatra with Lee Hazelwood
- ライター
- Lee Hazelwood
- 収録アルバム
- The Hit Years
- リリース年
- 1967年
- 他のヴァージョン
- Lee Hazelwood
◆ 怪しい自家製ワイン ◆◆
8月も残り少なくなり、夏の歌を取り上げられるのもあとわずかになりました。今月の7日に亡くなったリー・ヘイズルウッドの曲を、月がかわらないうちに取り上げないと義理が悪いような気がして、この曲の登場となりました。
最近はあまり面白い歌詞の曲に当たらず、すこしめげかけていましたが、久しぶりにストーリーのある歌詞なので、今日はちょっと元気があります。ヘイズルウッドの歌詞としては、なんといってもナンシー・シナトラの代表作、These Boot Are Made for Walkingがケッ作で、受験生は聴かないほうがいいという文法破壊の笑える代物でしたが、そういうウィットの片鱗は、このSummer Wineにも感じられます。
この曲はナンシー・シナトラとリー・ヘイズルウッドのデュエットですが、二人の声がからむことはなく、交互にヴァースを歌うだけです。では、まずナンシーが歌うヴァース、といっても、ファーストとかセカンドといったヴァースではなく、前付けの「独唱部」というものですが。
My summer wine is really made from all these things
春のイチゴとサクランボと天使の口づけ、わたしのサマーワインは、ほんとうにそういうものからつくったのよ、といったあたりでしょうね。全体を象徴するラインとして、冒頭におかれているのだと思います。
◆ 大昔の西部の話 ◆◆
ファースト・ヴァースは、リーが歌うパートです。この曲の歌詞はジェンダーというか、役割がはっきり決まっていて、ここでリーの「役」がわかります。
A song that I had only sang to just a few
She saw my silver spurs and said lets pass some time
And I will give to you summer wine
Oh summer wine
ストレートではない表現が使われていますが、「一握りの人の前でしか歌ったことのない曲に合わせて銀の拍車を鳴らしながら、俺は町に入っていった」といったあたりでしょうか。
当然、現代の話ではなく、西部開拓時代のことなのでしょう。馬に乗らずに歩いているので、旅の途中でなにか災難にあったのかもしれません。人前ではあまり歌ったことのない歌、というのがなにを指すのか、わたしにはよくわかりません。下品な歌詞の歌?
つぎのラインでいきなり説明抜きで「彼女」が登場します。さすがはヒット・メイカー、展開が早い。こういうのは好きですねえ。「彼女は俺の銀の拍車をみて、『ねえ、しばらくつきあってくれたら、サマーワインを飲ましてあげるわよ』といった」となっています。ファースト・ヴァースで、ちゃんと、「つぎはどうなるのか」と思わせているところに、この人が折り目正しいソングライターであったことがうかがわれます。
◆ ただの拍車ではなく、「銀の拍車」 ◆◆
つぎはナンシーのパートですが、独唱部を長くしただけのものです。
My summer wine is really made from all these things
Take off your silver spurs and help me pass the time
And I will give to you summer wine
Oh summer wine
前半は独唱部と同じ、後半は「銀の拍車をはずしなさいよ、退屈しのぎにつきあってくれれば、サマーワインを飲ませてあげるわ」といったあたりで、リーのパートをナンシー側から言い直しただけ、といったところです。拍車という言葉が単独では使われず、かならず「銀の拍車」になっているのは、一見、くどいように思えますが、これはたぶん意図的なもので、その意味はあとでわかります。
以下、ナンシーはこのヴァースをくり返すだけです。このナンシーのパートは、メロディーはヴァースと同じですが、曲のなかでの役割としては、ヴァースではなく、コーラスに近いものになっています。純粋にヴァースといえるのはリーのパートです。つぎはそのリーの2度目のヴァース。
I tried to get up but I couldn't find my feet
She reassured me with an unfamiliar line
And then she gave to me more summer wine
Ohh-oh-oh summer wine
まぶたは重くなり、口をきくのもおっくうになった、立ち上がろうとしたけれど、足を見つけられなかった、彼女はなんだか聞き慣れない言葉で俺を安心させ、またワインを注いだ、というあたりでしょう。「足を見つけられない」というのだから、かなり酔いがまわって、そろそろ前後不覚というところなのでしょう。unfamiliar lineが指すものはよくわかりません。外国語ということでしょうか。突っ込み、大歓迎です。
◆ 鰍沢か安達ヶ原の鬼婆か ◆◆
ナンシーのパートをヴァースとしてカウントしないなら、つぎはサードにして最後のヴァース。
My silver spurs were gone my head felt twice its size
She took my silver spurs a dollar and a dime
And left me cravin' for more summer wine
Ohh-oh-oh summer wine
太陽がまぶしくて目が覚めると、俺の銀の拍車はなくなっていて、サイズが倍になったのかと思うほど頭が痛かった、彼女は俺の銀の拍車と1ドル貨とダイム貨を持ち去り、もっとサマーワインがほしいという気分だけを残していった、ぐらいでしょうか。最後のラインはうまく訳せませんが、「持ち去った」と「残していった」を対比させています。
最後に再びナンシーが登場して、「わたしのサマーワインは……」と、ほくそ笑むようにくり返し、インストゥルメンタル・アウトロでフェイドアウトします。
このサゲで思いだすのは、三遊亭円朝作の「鰍沢」(三遊一派の大看板はみなやることになっているらしく、圓生はいいとして、志ん生までやっている。志ん生は人情噺なんかやらないほうがいい、という阿佐田哲也に賛成)と、安達ヶ原の鬼婆の伝説です。両者とも旅人を殺すのですが(前者は「お材木で助かった」と、命からがら脱出しますけれど)、ナンシーに鬼婆の役を振るわけにはいきませんし、そもそも、ポップ・ソングはつねに「ほどほどの世界」ですから、リーがナンシーにあたえたコケットリー路線をはずすことなく、ここでも小悪魔的役柄で、みごとに男をはめてケラケラ笑う結末になっています。明示的に語られてはいませんが、「色仕掛け」の含意があると思います。
銀の拍車とくり返してきたのは、盗むに足る金目のものだと強調するためでしょう。1ドル10セントの現金が、西部開拓時代にどれほどの価値があったのかわかりませんが、たいした金ではないにせよ、盗むに足る金額ではあったのでしょう。
音も歌詞もなかなか悪くない出来で、日本のラジオではそこそこ流れていた記憶がありますが、アメリカではトップ40に届かず、49位どまりでした。ナンシーとフランクのシナトラ親子によるチャート・トッパー、Somethin' Stupidと同じ時期にリリースされたために、票をとられしまったのでしょう。同じナンシーとのデュエットといっても、相手がフランク・シナトラでは、リーにははじめから勝ち目はなかったでしょう。死に体の時期のシナトラならともかく、Strangers in the Nightのナンバーワン・ヒットで派手な復活をした直後なのですから。
◆ リー・ヘイズルウッドのキャリア ◆◆
追悼の意味で、リー・ヘイズルウッドのキャリアにちょっとだけふれます。われわれが知っているリーのスタートは、ドゥエイン・エディーのプロデューサー、および楽曲提供者です。はじめはテキサスで録音していたようですが、リーが先か、ドゥエインが先かは知らず、両者はすぐにハリウッドに仕事場を移します。
リーのパートナーだったレスター・シルが、フィル・スペクターという若いプロデューサーを発見して、そちらの仕事に夢中になってしまい、リーが、フィルか俺かどちらかをとれ、といって、シルと袂を分かったというのは、スペクター・ファンがよく知るエピソードです。ここからはちょっとした低迷期だったようで、どういう活動をしていたのか知りません。調べると、はじめてのアルバムをリリースしたようですが、そんな盤の存在はつい最近まで知りませんでした。
リーが再びチャートに返り咲くのは65年、ナンシーに提供し、プロデュースもした、かのBootsでのことです。その直前の、二人がはじめて顔を合わせた、Bootsと同系統のSo Long Babeも、ナンシーにとってはじめてのホット100ヒットになっています。
日本ではこれ以前からかなり人気があったのですが、それは、ナンシーが「遅れてきたガール・シンガー」だったことと、日本の遅れとがうまくシンクロしたためでしょう。アメリカでは、可愛い子ちゃんシンガー・ブームはすでに終わっていて、ナンシーが店ざらしになってしまうのは避けられないことだったのは、いまふりかえればはっきりとわかります(冷たい書き方のように思われるかも知れませんが、小学生のわたしは、可愛い子ちゃんシンガー時代からナンシーのファンでした)。
崖っぷちのナンシー(リプリーズの社長だったモー・オースティンは、つぎもミスだったら契約を更新しないといいわたしていたそうです。創業者で、まだ重役の椅子にあった人間の娘でも容赦はしなかったのだから、会社にとってよほどの重荷だったのでしょう)を救ったのがリーであり、アレンジャーのビリー・ストレンジであり、時代の好尚に合った強いビートを提供したハル・ブレインやキャロル・ケイでした。
ちなみに、最近知ったことですが、ビリー・ストレンジはこれ以前にバイクの事故で腕を骨折し、ギターが弾けなかったので、アレンジの勉強をしたのだそうです。ビリー・ストレンジの後半生は、ギタリストとしてではなく、アレンジャーとしてのものになっていきますが、その基盤を確立したのがほかならぬBootsだったのです。
どういうことからリーがナンシーと歌うようになったのかわかりませんが、ソロ・シンガーとしてはめだった業績がなかったにもかかわらず、ナンシーがスターダムに駆け上がるとともに、リーはナンシーとデュエットするようになっていきます(子どものころ、わたしはリーがプロデューサーとは知らず、シンガーだと思っていました)。二人のデュエットしては、ほかにSome Velvet Morningが記憶に残っています(のちにヴァニラ・ファッジがカヴァーした)。
◆ グラム・パーソンズとリー ◆◆
あとから知ったことですが、この時期にリーは、もうひとつ重要な仕事をしています。といっても、チャート・アクションはゼロ、その時点ではまったくの失敗だった盤なのですが、twist of fateによって、歴史上名高いシンガーと契約し、自分のレーベルから彼のデビュー盤をリリースしたのです。
もちろん、いわずとしれたグラム・パーソンズのグループ、インターナショナル・サブマリン・バンドです。この盤自体の出来はたいしたものではなく、GPもまだ自分の歌を知るには至っていませんが、なんたったほかならぬGPのデビューですから、歴史的重要性ははかりしれません。よけいなことですが、この盤にはジョー・オズボーンとグレン・キャンベルが参加していて、グレンはGPにハーモニーまでつけています。未来のスターと、未来の伝説の大歌手の、だれにも注目されなかった歴史的共演です。
しかし、ここからがまたまたtwist of fateで、せっかくGPをデビューさせながら、リーは、こんどはGPの秀作が世に出るのを邪魔することになります。ISBは、気まぐれなGPのせいで空中分解します。つぎにGPは、デイヴィッド・クロスビーを首にし、マイケル・クラークも抜け、デュオになってしまったバーズに、キーボード・プレイヤーというふれこみでもぐりこみ、かのSweetheart of Rodeoによって、カントリー・ロックを創始することになります(胎動程度のものなら、ほかにも「初のカントリー・ロック・アルバム」はあるでしょうが、やはり、ここを出発点にするのが直球だと考えます。あとは注目を浴びなかったナックルにすぎません)。
ここで問題になったのが、GPがリーの会社と交わした契約です。バーズはCBSと契約していたので、リーの会社に所属するGPは、法律上、バーズの録音に参加し、それをリリースできないことになるわけで、リーはこの当然の権利を主張しました。その結果、CBSとどういう話し合いがおこなわれたかは知りませんが、最終的なSweetheart of Rodeoからは、GPがリードをとった曲がいくつか除外され、ロジャー・マギンのヴォーカルに差し替えられることになりました。
このときのGPのヴォーカルは、バーズのボックスで数曲復活し、現在では2枚組のSweetheart of Rodeoでその全貌を聴くことができるようになり、まずはハッピーエンドですが、あのとき、GPのヴォーカルがすべてリリースされていればなあ、とファンとしてはいまだに残念です。いや、リーの主張には契約書という立派な裏づけがあり、なんらまちがったところはないのですが、所詮、去ったものを追いかけても、嫌がらせぐらいしかできないのだから、どうせ数曲のリリースに同意するぐらいなら、全曲のリリースに同意すりゃあよかったじゃないか、人間、ケチくさいをことをすると、いい死に目をみないぜ、とブツブツいいたくなります。GPのほうがリーなんかよりずっと重要で、比較の対象になりませんからね。伝説の大歌手には、無名のときから親切にしておくものです。
リーの追悼にはまったくならず、どちらかというとGPの追悼になってしまいました。GPは子どものときから惚れ込んでいましたが、リーは所詮、ナンシーの添え物だと思っていたわけで、わたしとしては当然の結果です。早く、このブログでもGPを取り上げられるといいのですが、まだ適当な曲が見つからないんですよねえ。秋になって暇になったら、季節のことなんか放り出して、大グラム・パーソンズ・ロングラン・キャンペーンでもやってくれようかと思っています。
◆ 付け足り ◆◆
書き残したことを思いだしました。ドゥエイン・エディーをプロデュースしていた時代、リーはのちのエース・プレイヤー、Somethin' Stupidであの印象的なオブリガートを弾いたアル・ケイシーを、アシスタント兼セッション・プレイヤーとして起用しています。エディーのバンドには、サックスのスティーヴ・ダグラスと、ベースおよびキーボード・プレイヤーのラリー・ネクテルという、二人の重要なセッション・プレイヤーも在籍したわけで、このへんの人間関係はなかなか興味深いものがあります。
まだ忘れていたことがありました。このあいだ手に入れたばかりのリー・ヘイズルウッド自身のセルフ・カヴァー盤です。ところが、これがほとんどナンシー盤と変わらないので、比較もなにもあったものではありません。女性が歌うパートをどうするのかと思っていたら、なんとナンシー自身がゲストで歌っているようです。アレンジもほぼ同じ、二人のシンガーも同じ、プレイヤーもたぶん似たようなもの、とくるのだから、手がつけられません。オルタネート・テイクみたいなものです。