- タイトル
- All You Need Is Love
- アーティスト
- The Beatles
- ライター
- John Lennon, Paul McCartney
- 収録アルバム
- Magical Mystery Tour
- リリース年
- 1967年
サマー・オヴ・ラヴの流れからいうと、Somebody to Loveのつぎにくるべき曲は、と予想をたてた方もいらっしゃるかもしれません。候補は4、5曲に絞られたはずです。おなじエアプレインのラリパッパなトップ10ヒットWhite Rabbit、ドアーズの真夏のチャート・トッパーLight My Fire、サマー・オヴ・ラヴの大トリ、「締めの曲」だったプロコール・ハルムのA Whiter Shade of Pale、このあたりが素直な線です。
ちょっとはずして、ボビー・ジェントリーのモンスター・ヒットOde to Billie Joe、穴狙いでラスカルズのGroovin'、大穴でモンキーズのPleasant Valley Sunday、もうひとつの大穴、ハル・ブレインが叩いたアソシエイションのWindy、こうした曲も間接的にサマー・オヴ・ラヴとむすびついているようにわたしには思えます。
いずれをとりあげてもよかったのですが、まあ、やはりはずすわけにはいかないので、ビートルズをとりあげるしだいです。この曲があっては、わたしの意思ではどうにもならないじゃないですか!
◆ 同時代との同期 ◆◆
ビートルズは、イギリスという世界音楽の首都から遠く離れた片田舎の、さらに中心からはずれた地方都市で生まれ育ったので、1964年にアメリカに渡るまでは、井戸の蛙でした。たんにとほうもない才能があった点が、ほかの無数の井戸の蛙といくぶん異なっていただけです。
彼らが愛していたアメリカ音楽は、どう見てもカビの生えた50年代の売れ残りで、アメリカの最先端の「気分」については無知でした。1964年の時点では、なぜジャン&ディーンやビーチボーイズが、アメリカ土着音楽として最先端の波をシュートしているのか、彼らが理解していた気配はありません。たんに、そのすぐとなりにあったフィル・スペクターの音楽のすごさを知っていただけでしょう。
カビの生えた売れ残り音楽ではありましたが、古い革袋に新しい酒を盛ることにかけては、ファブ・フォーは空前絶後の才能をもっていたので、われわれはそれがきわめて斬新な響きをもっているかのような錯覚をおこしました。そこに彼らの人を惹きつけて放さない「集合的キャラクター」があいまって、人類の歴史で後にも先にもない、いま思い返しても、ほんとうにあったこととは思えない、地球規模(ということはすなわち、共産圏をのぞく文明国ということですが)のマス・ヒステリー現象を招来したことはご存知のとおり。ビートルズは、地球規模のアイドルとしての最初の2年間を、生まれたまんまの才能のみを使って、ジョージ・マーティンの介助により、50年代音楽の現代的再生をするだけで泳ぎ渡ったのです。
しかし、なんどもアメリカをツアーしていれば、時代の最先端にシンクロしはじめて当たり前ですし、そもそも、それだけの感度がなければ、最初のブレイク・スルーだって起きたはずがないのです。時代にシンクロしはじめたことを示す最初の兆候が、Help!のアルバム・カットであるYou've Got to Hide Your Love Awayでした。
この路線を延ばした向こうになにがあるか、などともったいぶったことをいわなくても、Rubber Soulにきまっています。ここでファブ・フォーはやっと50年代に永遠のさよならをいって、「同時代の現実」に追いついたのです。ここからは、同時代のアーティストたち、というよりは、むしろ「時代の気分」とのフィードバックによる雪だるま現象がはじまります。ビートルズの音が時代に響き、そのエコーにビートルズが影響を受け、なにかが生まれ、また時代がそれをビートルズにエコーしかえす、という、ハウリングが起こるのです。
そんな道筋で捉えているわけですが、ここまではよろしいでしょうか。ちょっと端折りすぎかもしれないのですが、ビートルズ同時代史論をくだくだしく書くわけにもいかんのですよ。
時代の側についていえば、サーフ・ミュージックがフォーク・ロックを生み、フォーク・ロックがサイケデリック・ミュージックを生みました。あなたが好きなジャンルはこの三つのうちのひとつだけであっても、そういうファン心理とはまったく無関係に、こういう流れが厳然としてあり、この三つは一連のものとして聴かなければ、音楽史は一貫性を失い、理解不能となります。
以上、ファビュラスな4人組は、サーフ・ミュージックに対する理解を決定的に欠いたまま、途中から同時代のアメリカ音楽にシンクロしはじめた、というのが、ここまで駆け足で述べてきたことの目的地です。
お温習いするならば、アメリカではフォーク・ロックというものが最先端だということに気づき、真似したといって悪ければ、俺たちならもっとうまくやると主張したのがRubber Soul、ヤードバーズあたりのややダーティーなグループに影響を受けた、後年「ガレージ」としてくくられた連中が蜘蛛の子のように全米にうごめいていることを覚って、その「気分」にぶつけたのがRevolver、その路線を洗練し、自分たちこそが「ヒップ」の最先端をいっていることを証明しようとしたのがSgt. Pepper'sです。
◆ 「細かいことは抜き」にする技 ◆◆
ペパーズほど、リリースされた時点で聴けば無茶苦茶に面白く、後年になるとまったく面白くもなんともない、という極端な落差をもったアルバムはほかにないでしょう。それほど時代にピッタリと寄り添った音楽でしたし、同時代のトップ・アーティストであれを無視できた人は皆無と思えるほどの、メガ・ハリケーン級影響力をもっていました。アメリカ音楽の中心地はシカゴだと思いこんでいたほどで、あまりのことにほめたくなるほど遅れた時代感覚をもっていたストーンズですら、それまでの路線を丸ごとドブに投げ捨て、悪魔の要請がどうしたとかいう血迷ったアルバムを泥縄ででっち上げたほどです。
それだけのアルバムをつくったファブズがつぎにやった仕事が、アニメ映画『イエロー・サブマリン』のための(ドブに捨ててよい)新曲の録音だったというのだから、歴史というのは皮肉なものです。そして、その最中に衛星回線によってテレビの世界同時中継が可能になったことを記念する番組への出演が決まったのだから、またまたtwist of fateであります。
そのときの報道では、ジョンは、Oh God, is it that close? I suppose we've got to write something「そんなに時間がないんじゃヤバいじゃん、なんか書かなきゃだな」といったと伝えられています。かくして、いつも以上にノンシャランにknock offされたのが、サマー・オヴ・ラヴ讃歌の大真打ちAll You Need Is Loveです。
この時期のジョン・レノンは、歌詞ではなく詩を書くようになっていたので、細かく検討するのは愚の骨頂です。こういうものはほうっておくにしくはありません。受験生ならば、こういう二重否定の繰り返しなどの言葉遊びを、数式を解くようにではなく、感覚としてすっと理解できるようになれば、英語に関するかぎり、どこの大学でも大丈夫なだけではなく、アメリカ留学に逃げるのも可能だと保証できるような代物で、試験問題に出たら、否定の否定は肯定だ、だとか、否定の否定の否定は否定だとか、いちいちチェックしないと安心できないような、ひとをおちょくったような歌詞です。
受験生ではないたんなるリスナーにとって、この曲の歌詞で重要なのはただ一点、時代の気分を「All you need is love」という一行のスローガンにまとめてみせた、ということだけで、あとは無視しても、まったく差し支えありません。
大衆というのはつねに、「細かいことは抜きにして」ひと言でいってくれないとわからないものなので、ちょっと考えればあまりにも粗雑な、この一行の「総括」はみごとに時代を象徴しました。こんな世迷い言をユニヴァーサルな箴言かなにかのように受け取った人、そして、まだそのように思いこんでいる人も散見しますが、そういう大勘違いのおっちょこちょいはいつの時代にもなくならないわけで、嗤って見逃してやりましょう。たんに、あの夏の気分をうまくすくいとった、才能豊かなコピーライターの手になるコマーシャル・ソングといった程度のものです。よくできたコピーにだまされ、宣伝に踊らされて行動する人はいつの時代にも無数にいるから、コマーシャル・ソングという音楽も、コピーライターという職業がなくならないわけでして、ウィルスやスパムがなくならないのと同じ原理です。
いや、ジョン・レノンというのは、ほんとうにたいした人だと思います。時代の気分をひと言にまとめてみせる、なんていったって、それができる人はごく稀ですし、ヴァースの無意味な羅列にしても、all you need is loveというひと言を導き出す露払いとしては十分な役割を果たしていますし、しかも、たぶん、ほんの短時間で書いたはずで、これだけのことができる人はやはり、同時代を見渡してほかにいなかったと感じます。同系統のImagineの吐き気を催すような偽善性にくらべれば、こちらのスローガンのほうが、具体性を欠いているところがまだしもましで、懐疑的なわたしとしても「総論賛成、各論反対」ぐらいのところに落とし込むことができます。
これだけみごとな「総括」の言葉が出てしまっては、もはや「運動」の停止はやむをえません。名づけ得ぬモンスターであるからこそエネルギーをもつのであり、名前がつけられた瞬間、それはぴったりそのサイズに収まって飼い慣らされてしまうものです。サマー・オヴ・ラヴは、プルコール・ハルムのA Whiter Shade of Paleという不気味なコーダとともにフェイドアウトします。この曲のシングルを手にしたときには、日本ではそろそろセーターがほしい時季になっていました。
◆ 破壊の翌朝 ◆◆
あの夏はなんだったのかなどということは、なにかの映画とそのコマーシャルにでもまかせておくことにして、個人的には音楽に恋した夏でした。音楽が人生のすべてだった唯一の夏でした。
「あの気分」がのこした遺産は、サンフランシスコ市の財政悪化(とほうもない流入人口でインフラストラクチャーが打撃を受けた)と、ポップ・ミュージックにルールはない、という新しいルールです。悪くいえばお芸術家気取りなのですが、だれしもが背伸びしてなにかをつくらなければならない時期が、この幼い分野には必要だったのだと、いまは思います。
あの時期を通過し、あとで顔から火の出るほど恥ずかしい思いをしたおかげで、ストーンズだって、It's Only Rock'n'Rollだと自信をもっていえるようになったわけですし(悪魔の要請のなんとかだの、わたしたちはあなたたちを愛しているとかなんとかいうこっ恥ずかしい曲をリリースして、ジョン・レノンに真似しっ子と嘲笑されたことを同世代の人はまさかお忘れではありますまい)、FZだって「俺たちは金のためにやってるだけだ」というアルバムをつくることができたのです。これが学習というものです。
建設活動とはすなわち際限のない破壊活動であることは、すべての日本人が理解していることです。サマー・オヴ・ラヴは、一面できわめて生産的でしたが、ということはつまり、きわめて破壊的な「運動」でもありました。世界音楽中心としてのハリウッドが息の根を止められるのはもうすこし先のことになりますが、やがて命取りとなる宿痾の病を得たのは1967年のことです。
子どもたちが会社のいいなりに音楽をつくる(ようなふりをする)時代は終わろうとしていました。聴くに堪えないほど下手でも、「自分たちの」音楽を「自分たちで」つくることが時代の気分となり、モンキーズが自分たちでやった悲惨なトラックが生まれたりしたわけです。プロフェッショナルの力を借りないのが立派なこととなり、アメリカのメイジャーなバンドの平均レベルはこの時点で一気に下落しました。ドアーズのように、セカンド・アルバムで突然、ド下手になったバンドを、皆さんもまさかお忘れじゃないでしょう?
しかし、これは「通過儀礼」というもので、大人になるにはそういう屈辱に耐えなければならないのでしょう。スタジオ・プレイヤーが商売として成り立ちにくい時代がすぐそこまできていました。まもなく、全体の演奏レベルは旧に近いところにまで快復し、すぐれたプレイヤーたちも誕生することになります。そのころには、音楽そのものが内面で崩壊を起こし、意味を失いはじめるのは、またべつのコンテクストに属する話なので、ここではそこまで立ち入りません。
◆ うたげ果てて…… ◆◆
祭りの後始末というのはじつに味気ないもので、いまさらAll You Need Is Loveなどという曲は取り上げなければよかったかもしれません。ビートルズもまた、このあたりが「社会的なピーク」で、ここから先は、彼らの存在自体が音楽という小さな枠組みのなかに閉じこめられていきます(もちろん、それがノーマルなのですが)。
十代の子どもも、新しい潮流に気を奪われ、ビートルズがなにか出しても、あわててレコード屋に駆け込んだりはしなくなります。個人的には、Magical Mystery Tourまでは「社会的イヴェント」への参加の気分で買いましたが、いわゆるWhite Albumは、オブラディ・オブラダとかいう我慢のならない曲がヒットしたせいもあって、まったく興味をもちませんでした。
スティーヴ・ウィンウッドとマイケル・ブルームフィールドとジミ・ヘンドリックスとプロコール・ハルムとキンクスとグレイトフル・デッドと、その他あれやこれや山ほどあって、ビートルズの面倒までは見きれなくなったのです。
そう、ちょうど、ビートルズを聴きはじめたころ、エルヴィス・プレスリーに対してもっていた「ちょっと昔の時代遅れの人」という感覚を、もうファビュラスではなくなった4人組にももちはじめたのです。いつ解散しても関係ないという気分だったのですが、さすがに映画Let It Beは、学校をサボって、いまはなき京橋のテアトル東京まで見にいった……なんてことはずっと先の話で、いまはとりあえずどうでもいいのですが。
あの「気分」は翌年の夏ぐらいまでは残響し、じつに楽しい時代をすごすことができました。All Summer Long×2と、残りの人生を交換する価値があるかどうかは微妙ですが、時代はそういう風に推移したのだから、われわれにはどうすることもできません。
もっともよい時期に、もっともよい年齢で遭遇したわれわれの世代が、以後の音楽を、付け足りの余生みたいな気分で、聴くでもなく、聴かぬでもなく、ぼんやりとパスしたのは、まあ、しかたのない運命、払わなければならない税金だったと思っています。たとえ余生ではあっても、ときには、ジム・ゴードンのライド・シンバルの素晴らしさを発見するといった、輝かしい一瞬もあったことですし、さして不満があるわけではありません。
さて、これをもってサマー・オヴ・ラヴへの短い寄り道を終わり、つぎからはノーマルな(かどうかは、その場になってみないとわかりませんが)夏の曲に戻る予定です。