- タイトル
- School Is Out
- アーティスト
- Gary "U.S." Bonds
- ライター
- Gene Barge, Gary Anderson
- 収録アルバム
- The Best of Gary "U.S." Bonds
- リリース年
- 1961年
- 他のヴァージョン
- Ry Cooder
夏休みというと、お盆を思い浮かべてしまうし、7月下旬の解放感というのをリアルに思いだせない年齢になってしまいましたが、ポップ・ミュージックの世界では、お得意さまのだいじな年中行事のひとつ、いや、クリスマスと並ぶもっとも重要な行事だから、夏休みをめぐってはいろいろな歌がつくられています。
ここですでに紹介したものをふりかえると、ハプニングスのSee You in Septemberやキャロル・キングのIt Might As Well Rain Until Septemberは、どちらかというとやや年齢の高い層、大学生が念頭にあるような歌詞でしたが、ファンタスティック・バギーズのSummer Means Funは高校生のみとはいえないまでも、そこまで含む、やや低い年齢を狙っていたように感じます。
◆ 海に行かない夏休み ◆◆
今回のゲーリー・“U・S”・ボンズというふざけた名前(U.S. Bondsとはアメリカ国債のこと)のシンガーが歌うSchool Is Outは、高校生およびそれ以下の年齢層を狙ったものです。それは曲に入る前に、「Hey yo! School is out!」というかけ声があり、歓声があがったところで教師が登場し、「わたしがいいというまで席を立ってはいけない」と命じ、教室中が、オーノー、と不満をもらすことでわかります。
そういうイントロのあとでカウントインになり、曲に入るという趣向です。教師が止めたりするところは意味がわからないのですが(サゲがあるわけではなく、不満声のあとにすぐカウントに入る)、高校生なら、これだけで「俺たちの歌だ!」とわかるようになっています。
ファースト・ヴァースは、なんて改めて検討するほどのものではないのですが、まあ、とにかく見てみましょう。ヴァース/ヴァース/コーラスという構成のうち、二つのヴァースを以下にまとめてあげます。
And I can stay out late with my buddies
I can do the things that I want to do
'Cause all my exams are through
I can root for the Yankees from the bleachers
And don't have to worry 'bout teachers
I'm so glad that school is out
I could sing and shout!
ファースト・ヴァースは「教科書も授業ももうおしまい、仲間と遅くまで外にいられる、やりたいことがやれるんだ、試験は全部終わったのだから」となっています。ファンタスティック・バギーズのSummer Means Funと似たような気分を、海と車とサーフィン抜きで歌っているだけ、ともいえます。気分としては、どんな文化の子どもたちにも同感できることですし、昔も今も変わらない普遍的なものなので、これは夏休みの曲の歌詞としては避けて通れない道といっていいでしょう。
セカンド・ヴァースの最初のラインで、ここはカリフォルニアではないし、海はお呼びでないことがわかります。「スタンドからヤンキーズを応援できるんだ、先生のことは気にしなくていいんだ」というのだから、ここはニューヨークです。bleachers観客席とteachers先生という韻の踏み方が笑えます。スタンドから、と断っているのは、テレビ観戦ではないという意味なのでしょう。1961年の日本では、むしろ、家にいてテレビで野球を見られることのほうが、あえていうにたる話題だったように記憶しています。
◆ ジーン・“ダディーG”・バージ ◆◆
以上でヴァースは終わり、つぎはコーラス。
Everybody's gonna have some fun
(School is out)
Everybody's gonna jump and run
(School is out)
Come on people don't you be late
(School is out)
I just got time to take my girl out on a date
School is out at last
And I'm so glad I passed
So everybody come and go with me
We're gonna have a night with Daddy G
Go Daddy!!
「オヤジ、いけ!」という叫びとともにテナー・サックス・ソロに突入し、また元に戻って繰り返しとなります。たいした意味のあるコーラスではありません。学校は終わった、夏休みだ、うれしいな、ということを、さあデイトだ、試験に受かってよかった、みんな来いよ、などと、いろいろ言い方を変えて叫んでいるだけです。
最後に登場する「ダディーG」とは、この曲の共作者で、テナー・サックスをプレイしているジーン・“ダディーG”・バージのことでしょう(もうひとりのライター、ゲーリー・アンダーソンは、ボンズの本名)。この人はなかなかカラフルなキャリアの持ち主のようですが、ご興味のある方はウェブで検索していただくことにして、ここは通りすぎます。Quarter to Threeなど、ほかの曲でもダディーGへの呼びかけは登場します。
◆ 熱気ムンムンのパーティー ◆◆
ゲーリー・ボンズには、New Orleansというヒット曲があるくらいで、そっちの出身かと思ったのですが、この曲を聴くと、ニューヨークのようにも思えたりしました。でも調べてみると、ヴァージニア州ノーフォークで録音していたそうです。
アメリカは広いもので、通常、音楽センターとはみなされていない町でも、そこそこの環境があるようで、ときおり、ヴァージニア州ノーフォークなどという頓狂なところからヒット曲が生まれるので、面喰らいます。わたしのもっているベスト盤にはパーソネルが書いてあるのですが、さっぱり知らない人ばかりで、一体どういうことかと首をかしげました。ノーフォークなんてところじゃあ、「知り合い」が一人もいなくても不思議はないと納得です。
「冥土にも知る人」というのは、「どんな遠い未知の土地に行っても知人にめぐりあえるということのたとえ」(国語大辞典)だそうですが、たとえ冥土に知り合いはいても、わたしの場合、ヴァージニア州ノーフォークには知り合いはいませんでした。冥土より遠い、とんでもない辺土であります。
サウンドは、なんといえばいいのか、悪い環境がもたらした幸運な結果オーライというあたりで、音質の悪さがあるムードを醸成しています。地下の小さなクラブの雰囲気といえばいいでしょうか。
しかし、劣悪な機材がもたらした、たんなる偶然とは言い切れない気もします。オーヴァーダブのせいでこもった音になってしまった偶然を、プロデューサーのフランク・グィダは、このほうがいい、と判断したのではないでしょうか。クリアな音ではパーティーの熱気みたいな味は出せなかったでしょう。なんたって、ハンドクラップがいちばんクリアに聞こえるのだから、すごいもんです!
大人になったわたしは、精緻なサウンド作りを好みますが、たまに、こういう豪快というか、無神経というか、勢いがすべてだ、これでなにが悪い、という音を聴くと、昔に返ったような気分になります。
◆ ライ・クーダー盤 ◆◆
うちにはもうひとつ、ライ・クーダーのヴァージョンがあります。ドラマーはいつものジム・ケルトナーではなく、アイザック・ガルシーア(と粗雑な英語読みをしてしまいましたが、正しくはイサーク・ガルシーアでしょうか)という人です。フラーコ・ヒメネス・バンドのドラマーだろうと思いますが、よくわかりません。
ガルシーアは、ほかの曲では好ましくないプレイもしていますが、この曲はミスがなく、ギターとアコーディオンとアルト・サックスのイントロもすばらしいので、たちまち乗ってしまいます。いや、この曲だけ参加しているミルト・ホランド(ハリウッドのエース・パーカショニスト。ライ・クーダーの録音のレギュラー)のティンバレスが大活躍だから、ノリがよく聞こえるのかもしれませんが。
録音はハリウッドの大エース、リー・ハーシュバーグですし、そもそも1977年の盤ですから、ヴァージニア州ノーフォークの1961年とは天と地のちがいです(時期の異なる盤の録音を比較するのはアンフェアなのですが)。したがって、正直に言えば、こちらのカヴァーのほうがずっと好きですし、このカヴァーから逆にたどってボンズ盤にたどり着いただけなのです。
まだ3Mのディジタル・レコーディング・システムに切り替えるまえで、アナログ録音ですから、リー・ハーシュバーグがその天下一品の職人芸を見せた最後の盤に近いのではないでしょうか。ディジタルになってからは、名人ハーシュバーグといえども、これほどの冴えは見せていません。じつにいい音です。
ちょっとほめすぎたので、マイナス面もあげておきます。このShow Timeというアルバムは、School Is Out以外はライヴ録音で、ドラムのミスが気になるし、選曲もわたしには退屈で、これ以外では、たまにThe Dark End of the Streetを聴くぐらいです。ライ・クーダーのライヴ盤を聴くなら、ジム・ケルトナーがすごいプレイを連発するブートレグのほうがいいのではないでしょうか。いや、1曲でもすばらしいものがあれば、それで十分ともいえるので、Show Timeだって、けっして捨てたものではないのですが。
付記: 友人からAnd I'm so glad I passedの解釈について私信をもらいました。「試験に受かった」というより、「及第した」「落第しなかった」「進級できた」というニュアンスではないか、という意見です。入学試験や卒業試験ではなく、たんなる学年末試験(アメリカの場合、夏は期末ではなく、学年末なのはご承知の通り)と想像できる歌詞なので、「及第」のほうが適切でした。
一歩踏み込んで語り手の気分をくみとると「やれやれ、今年も切り抜けた、助かったぜ」という、あまり勉強が得意ではない子どもの安堵の思い、というあたりに感じます。
もう一点、アリス・クーパーについても指摘を受けました。たしかに、アリス・クーパーにはSchool's Outという曲があります。こちらは(ほぼ)同題異曲です。そのうちご紹介するかもしれません。といっても、来年の夏になってしまうかもしれませんが!