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Both Sides Now by Judy Collins
タイトル
Both Sides Now
アーティスト
Judy Collins
ライター
Joni Mitchell
収録アルバム
Wildflowers, The Best of Judy Collins
リリース年
1967年
他のヴァージョン
Joni Mitchell, Neil Diamond
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当時、この曲には「青春の光と影」という邦題がつけられ、ヒットの直後に同じタイトルの映画(原題はChangesなのに、この曲が挿入曲になっていたため、配給会社が「気を利かせた」のでしょう)も公開されたので、邦題のほうで思いだす方も多いでしょう。ティム・バックリーのMorning Gloryのほうが強く印象に残る映画でしたが、それはまたべつの話。

ジュディー・コリンズ、ジョニ・ミッチェル、どちらのヴァージョンを先に立てるか迷いましたが、ヒット・ヴァージョンだという理由で、ジュディー・コリンズのほうにしました。オリジナルはコリンズ盤で、ジョニのほうはセルフ・カヴァーだということもあります。

どちらのヴァージョンも印象深く、そして、いくぶん異なったイメージを提示しています。しかし、六月の曲としてこれを取り上げるのは歌詞が理由なので、どちらでも本質的に同じことです。

◆ 少女の夢想の象徴「お月様と六月」 ◆◆
ベティー・エヴァレットのJune Nightで、「お月様と六月の花嫁派」のことを書きましたが、それはこの曲にも登場します。4行1連ではなく、8行1連とみなすと、セカンド・ヴァースにあたる部分の前半4行はこうなっています。

Moons and Junes and Ferris wheels
The dizzy dancing way you feel
As ev'ry fairy tale comes real
I've looked at love that way

「お月様と六月と観覧車、あらゆるおとぎ話が現実になるときのめくるめく感覚、愛とはそういうものだと思いこんでいた」というあたりでしょうか。少女の夢想する非現実的な愛のことをいっているのは伝わってきます。この「六月」にも、「六月の花嫁」の含意がありますが、moonとJuneがつねにセットになっている少女趣味それ自体にアクセントが置かれているように思います。

この歌は、少女と大人の女の世界観の違いをテーマとしているので(だから、Both Sides Nowというタイトルなのです)、このヴァースも、いまではそういう幼稚な世界観はもっていないということを含意しています。

最初のヴァースとコーラスを見れば、そのことがはっきりします。

Rows and flows of angel hair
And ice cream castles in the air
And feather canyons everywhere
I've looked at clouds that way

But now they only block the sun
They rain and snow on everyone
So many things I would have done
But clouds got in my way

I've looked at clouds from both sides now
From up and down, and still somehow
It's cloud illusions I recall
I really don't know clouds at all

以上のヴァースとコーラスの大意。

「すじを描いて流れる天使の髪の毛、空に浮かぶアイスクリームのお城、無限につづく羽毛の峡谷、わたしは雲をそんな風に見ていた」

「でも、いまでは、雲はただ太陽を遮り、人々に雨と雪を降らせるだけのもの、わたしにはもっといろいろなことができたはずなのに、雲に邪魔されてしまった」

「いまでは雲を、上から、下から、両側から見ている、それでもやっぱり、それは雲の幻影かもしれないという気がする、ほんとうは雲のことなんてまるでわかっていないのだろう」

つたない訳ですが、意味は伝わったでしょうか? ここでの「雲」は「人生」の暗喩です。雲のことを両側から見てわかったような気になったけれど、じつはまだ夢想しているのかもしれず、ほんとうはわかっていないのだ、と自省するリフレインの末尾に、彼女の明敏さがあらわれています。

さて、これで、ファースト・ヴァースの「アイスクリームのお城」に対応するものが、セカンド・ヴァースのmoonとJune、「お月様と六月」というセットだということがおわかりでしょう。これがまさしく日本の星菫派に相当することも、これで明瞭になりました。いや、そうとはかぎらないよ、と反論する歌もじつは存在します。キース・リードという詩人の作ですが、それはまたべつの機会に。

◆ ジュディー・コリンズ盤 ◆◆
ジュディー・コリンズはいまや、日本ではAmazing Gracesの歌い手になってしまった感がありますが、かつてはBoth Sides Nowが彼女のもっとも有名な持ち歌でした(個人的には、Someday SoonやCook with Honeyなども好きでしたが)。

声に透明感があるので、どうやってもどぎつくはならず、つねに品があって、聴きやすいのがこの人の美質でしょう。この歌詞には、(若く経験の浅い)男の側からすると、もしも自分の恋人がそんなきびしい世界観をもっていたら、リラックスできないなあ、と感じさせるところがあるのですが、そういうトゲをジュディー・コリンズはうまく抜いていると思います。

彼女がさらりとこの曲を歌うと、男に突きつける短剣が隠されているとは感じられず、繊細で鋭敏な若い女性の成長と自省の物語を、あくまでも控えめに、優しく穏やかに語っているように感じらます。だから、この曲が多くの人に受け入れられてヒットしたのではないでしょうか。

サウンド的には、ベーシック・リズムに特筆するべき点はないものの、ストリング・アレンジは好ましいものです。

◆ ジョニ・ミッチェル盤 ◆◆
わたしは、こちらのほうをよく聴きました。コリンズ盤が匿名的なのに対し、ジョニ・ミッチェル盤は、いかにも彼女らしい、プライヴェートで、リアリティーのある(ときにはありすぎる)ヴァージョンになっています。すぐ目の前に個性的な若い女性がすっくと立ち、腰に両手をあてがって、「わたしはもう馬鹿なティーネイジャーじゃないの」と主張しているのが感じられます。

もちろん、「ウーマン・リブ」(「フェミニズム」のことを当時はこう呼びました)の歌ではないので、男にギラリと光る氷の刃を突きつけているわけではありません。鋭敏な女性が、現実世界に立ち向かおうとしている姿を描いているだけです。

f0147840_23554880.jpgでも、この女性と同年代の男の大部分は、どちらかというとまだ少年のような世界観をもっているわけで、こんな女性が現実に目の前にあらわれ、うっかり恋してしまったら、男は日々むりな成長を強いられ、結果的に破綻するだろうなあ、と想像してしまいます。考えすぎ、といわれれば、赤面するしかありませんが!

ついでだから、もっと考えすぎてみます。じつは、語り手は、「アイスクリームのお城」や「お月様と六月の花嫁」にまだ未練があるのではないかと思います。前半の少女の夢想の描写が生き生きとしているのに対して、後半の大人の女の現実の描写には精彩が感じられません。毅然とした大人の女の向こうに夢見る少女が隠れていることを見抜いた男は、彼女とうまくやっていくことができるかもしれない、と思います。まだジョン・グェランとは出会っていないはずで、この時期のジョニのパートナーは……そんなことは知りません。

この曲は1968年のアルバム、Cloudsの最後に収録されています。夕暮れの雄大な湖の光景をバックにした自画像のダブル・ジャケットは、すでに画家としてのジョニの才能をおおいにデモンストレートしていますが(LPじゃないと、この絵のよさはわかりません)、それは余談。

アルバムのなかで聴くと、この曲はいちだんと印象深くなります。お持ちの方ならよくご存知でしょう。まえの曲は無伴奏のThe Fiddler and the Drumで、正直にいって、聴き通すのはかなりつらいのですが、その曲が終わり、Both Sides Nowのギター・コードのイントロで沈黙が破られる一瞬には、すばらしい解放感があります。音というものがどれほど美しいかを改めて実感できる稀な一瞬です。

◆ ニール・ダイアモンド盤 ◆◆
わが家にはもうひとつ、ニール・ダイアモンド盤(1969年のアルバムTouching You, Touching Me収録)があります。見方にもよるでしょうが、これも聴くに値するヴァージョンだと思います。いかにもハリウッド録音らしいスケール感のあるサウンドになっているところが、他の2ヴァージョンとは大きく異なります。

f0147840_23561618.jpgイントロはコリンズ盤を踏襲して、ハープシコードを使っていますが、それより、右チャンネルに配されたベースが、どこからどう見てもジョー・オズボーンというサウンドで、まずそこに耳がいきます。ファースト・ヴァース後半に入ると、左チャンネルからキック・ドラムとサイドスティックが聞こえてきて、これまた、まごうかたなきハル・ブレインのサウンドとプレイ。コーラスでは、ハルのトレードマーク、キック・ドラムの強い踏み込みも登場します。

ハル・ブレインとジョー・オズボーンがいると、どうしても「あのサウンド」になってしまい、わたしの耳は歌よりも二人のグルーヴを追いかけてしまいます。オーケストラのアレンジとプレイも、ハリウッドだから悪いはずがありません。好ましいサウンドです。

ニール・ダイアモンドがハリウッドで録音するようになったのは、フィフス・ディメンションのアルバムUp, Up and Awayが気に入り、そこにプレイヤーの名前が記されていて、彼らと録音したいと思ったからだそうです。だから、こういうサウンドになったのには満足しているはずですが、たとえ控えめにプレイしても強力な人たちですから、ともすれば歌が負けそうになっています(ニール・ダイアモンドの名誉のためにいえば、エルヴィスですら、Speedwayのように、ハルのグルーヴに圧倒されたことがあるくらいだから、仕方ありません)。

結局、サウンドを楽しむヴァージョンという結論ですが、ひとつだけニール・ダイアモンドの歌について思ったことがあります。ジュディー・コリンズとジョニ・ミッチェルのせいで、この曲は女性が歌うものと決めつけ、男が歌うとおかしいと思っていましたが、思いのほか違和感がありません。歌える自信があったから歌ったのでしょう。

また、ときおり、ハイ・パートの強い発声のところで、声がクラックし、音程もフラットすることがありますが、それがこの人の魅力のひとつなのだと気づきました。とくに好みの人でなくても、ときにはきちんと正座して聴いてみるものだな、と思いました。
by songsf4s | 2007-06-27 23:56 | 六月をテーマにした歌