つぎのラスカルズ記事もまた大量のカヴァー・ヴァージョンのために、あらたにクリップをアップする必要があるのに、それも終わらないうちに、HDDの構成を変える必要に迫られ、こっちの30GBをあっちに移し、あっちの20GBを削除し、などという騒ぎをはじめてしまい、もう二日三日は更新できそうもないという事態に立ち至った。
では、というので、毎度毎度の雨傘番組、すでにアップしてあるクリップからいくつか拾ってご紹介しみようという算段、今回は雨傘プログラム・フォルダーも独立させ、いつでもできる体勢もつくって本気で穴埋めに取り組もうという次第哉。
せっかくアップしたのに、なにかの挟間にはまり込んで、ほとんど誰も聴いてくれないクリップを貼りつけようかという心づもりだったのだが、なんだかんだで、最近はどれもそれなりに聴かれているようで、迷い箸をしてしまい、手っ取り早くやるはずが、まったく当てはずれ。
もっと簡単にできるものはないかと思案した結果が、タイトルの如し。ラリー・コリエルがいた時代のゲーリー・バートン・カルテットの曲はいかがで御座ろう、という結論になった。
◆ デビュー「Duster」 ◆◆
はじめにお断りしておくが、ゲーリー・バートンはいちおう4ビート・プレイヤーに分類できるものの、ジャズ嫌いのポップ/ロック系のリスナーが頭の中で描いている「ジャズ」のイメージとはだいぶズレる。とくに、ラリー・コリエルとの4枚と、そのつぎのジェリー・ハーンがギターを弾いたころのゲーリー・バートン・カルテットは、非ジャズ要素の豊富なコンボだった。
The Gary Burton Quartet - Ballet
これはラリー・コリエルを迎えての最初のアルバムの、そのまたオープナー、わたしの4ビート・チャンネルではもっともよく聴かれている曲のひとつである。作者はマイケル・ギブス、いちおう、データを書き写しておく。
Vibraphone - Gary Burton
Guitar - Larry Coryell
Bass - Steve Swallow
Drums - Roy Haynes
Producer - Brad McCuen
Engineer - Ray Hall
Recorded in RCA Victor's studio B, NYC
このころのラリー・コリエルは非常にいいプレイヤーだったと、いまにして思う。リリースの翌年に聴いたので、ほぼリアルタイム、後年にいたって「ああなってしまう」ということは知らないから、とりたてて「この瞬間なんだ」という意識はなく、ちょうどそのころおおいに名声を得つつあったジミ・ヘンドリクス同様、「いま出てきたばかり」の「これからどんどんすごくなるだろう」若いギタリストとして聴いていた。
理屈をこねているとまた終わらなくなるので、つぎのクリップへ進む。同じLPから、こんどはベースのスティーヴ・スワロウ作の曲。この曲を聴けば、この時期のゲーリー・バートン・カルテットがふつうのジャズ・コンボとはかなり異なっていたことがより明白になるだろう。むろん、スティーヴ・スワロウという人自身もオッド・ボールだったのだが。
The Gary Burton Quartet - General Mojo's Well Laid Plan (HQ Audio)
ラリー・コリエルの全キャリアを追いかけたわけではないので確言はできないが、おそらく後年はやらなくなってしまった、ベース・ソロなどのクワイアット・パートでヴォリュームをゼロに絞って、ギブソン・スーパー400の、フル・アコースティックとしても最大級のボディーの鳴りを生かして、アコースティック・コードを入れるセンスに、中学生は惚れた。
当時の国内盤のライナーをお書きになったヴェテランの方は、言葉にお困りになったか、この曲をフォーク・ロック的と表現していらしたが、それは、ラリー・コリエルのスーパー400アコースティック化プレイに引きずられて、思わず「フォーク」と短絡してしまったのでは?
うーん、言葉に困るのはご同様だが、フォーク・ロックをよく知る人間として云わせていただくなら、あれは必ずしもアコースティック・ギターのコードは必要としない。フォーク・ロックと呼ばれた一群のポップ・ソングと、このスティーヴ・スワロウ作のモジョ将軍の綿密な作戦はあまり関係がないと感じる。
ただし、形式を棚上げするなら、気分としてはそのような、ポップ・ミュージックの新しい傾向への共感が生んだ曲なのかもしれない、とは思う。
この録音から4年後、ゲーリー・バートン・カルテットで来日したスワロウは、雑誌のインタヴューで、好きなロック・グループとしてヤングブラッズ、トラフィック、グレイトフル・デッドをあげた。
この三者のいずれも聴きこんでいた高校生のわたしは、こりゃ本物だ、ちゃんと聴いたうえでの発言だ、近ごろのおジャズの世界によくいるスットコドッコイのお調子者じゃない、と感心した。さらにその後、スワロウはこの発言を行動で裏付けるのだが、その証拠のクリップはあとで貼りつける。
このあたりの、ポップ・チューンのような、一聴たちまち乗れる曲はアンチ・ジャズ、すくなくとも、フュージョンとかいう、ジャズがぐずぐずに崩れていく先走りになったと思うのだが、当時はそちらではなく、つぎの曲に評論家たちは反応したらしい。ま、ピント外れのトンチキ君が多いものなのだよ、評論家というのは。
The Gary Burton Quartet - One, Two, 1-2-3-4 (1967 studio version) HD
たしかにアヴァン・ギャルド寄りではあるけれど、それ云うなら、アヴァン・ギャルド寄りのジャズなんて、当時だってほかにもいろいろあった(たとえば、同級の友だちの家に行ったら、アート・アンサンブル・オヴ・シカゴを聴かされた!)。
しいて云うと、ラリー・コリエルがソロでハウリングを起こさせたこと(ライナーには「フィード・バック奏法」と大袈裟に書かれていた)が、ジャズでは新しかったのだろう。しかし、ロックンロール小僧はハウリングなどすでに経験済み、どうすればギターが「ハウる」かも知っていたので、めずらしくもない、と歯牙にもかけなかった。そんな小手先のことはまったく重要ではない。
Duserからもう一曲。ドラム・ソロが好きなわけではない。テーマとその後の短いインプロヴの凝縮された感じが好きなだけ。
The Gary Burton Quartet - Portsmouth Figurations (HQ Audio)
ジャズ・アルバムを聴いていてうんざりするのは、楽曲の貧弱さ、つまり、スタンダードばかりが詰め込まれていて、またかよ、またかよ、またかよ、またかよ、になることだ。
ビートルズとともに音楽を聴きはじめた人間の習性として、曲が書けるか否かはそのアーティストの評価を大きく左右するものと考えているし、ある盤の善し悪しを云う時、「楽曲を揃えてきた」か否かが重要なポイントになる。
一曲いいのがある、というのでは、まあ、あれで救われたけど、おおむねつまらない盤、ということであり、「いつもかならず楽曲を揃えてくる」ことがビートルズが世界一のバンドである最大の理由だった。
The Gary Burton Quartet - Liturgy (HQ Audio)
4ビートの世界にも作曲家はいたし、新作はあったが、横目で見ているかぎりでは、ロックンロールの世界で云う「リフ」だけのようなもので、曲としてどうこうと思うものはなく、とうていスタンダードと肩を並べられるようなものには思えなかった。
いま振り返って、プレイの質とは異なる「メタ」なレベルでのDusterの魅力は、ほとんどが新作であるにも拘わらず、「楽曲を揃えてきた」ことだ。手触りはポップ・フィールドのアルバムと同じレベルにあり、中学生が毎日のようにこのLPを聴いた理由もそれだったのだと、いまになってわかった。
◆ 二作目「Lofty Fake Anagram」 ◆◆
前作Dusterと同じ1967年、「サマー・オヴ・ラヴ」と呼ばれることになった夏の大騒ぎがあったいわば「サイケデリック・イヤー」に、2枚のアルバムを出したことも、このコンボの姿をあらわしているのかもしれない。われわれ中学生にも聞こえてくるほど、ラリー・コリエルは評判になっていた。
そして、前作はプリ・サマー・オヴ・ラヴ、こちらはポスト・サマー・オヴ・ラヴだったことは、音にもおおいに影響した。その1967年の2枚目、邦題「サイケデリック・ワールド」とされた(ワッハッハ)アルバムのオープナーから。
The Gary Burton Quartet - June the 5, 1967
この盤からドラムはボビー・モージーズに交代する。前作のロイ・ヘインズのようなオーセンティックなジャズ・ドラマーとは云いにくいが(いや、ヘインズだって後年になるとファンク・ドラマーと化す!)、モージーズで3枚残したのはよかった。
ボビー・モージーズは、ラリー・コリエルがゲーリー・バートンに迎えられる以前にやっていた、フリー・スピリッツというロック・グループで叩いていた。そのせいで、長い間、モージーズはロック・ドラマーだと思っていたのだが、数年前に読んだインタヴューでは、ジャズ・コンボ(フリー・ジャズだったか)のつもりではじめたのに、コリエルが強引にロック・バンドにしてしまったのだそうで、モージーズはロックンロールなどやる気はなかったらしい。
そういえば、ヤングブラッズのジョー・バウアも、ジャズ・ドラマーだったのだが、仕事がなくて食えず、やむをえずロック・バンドのオーディションを受け、ああなったのだそうな。
しかし、ラリー・コリエルが4ビートから大きくはみ出したプレイをしていたように、ボビー・モージーズもおそらくはロックンロールをやったせいで、オーセンティックなプレイをする当時の4ビート・ドラマーとは一線を画す、強いビートも見せるドラマーになった。そして、それがこの時期のゲーリー・バートン・カルテット独特の味を生みだしたと思う。
つぎはメンバーなどの新作ではなく、デューク・エリントンの旧作。いかにもCaravanの作者が書きそうな曲である。
The Gary Burton Quartet - Fleurette Africaine (HQ Audio)
ボビー・モージーズは右手スティック、左手マレットという変則プレイをしているのだろう。General Mojo's Well-Laid Planのライヴでそういうことをしていた。
雨傘プログラムとして短くまとめるつもりだったが、やはり当てごととなんとかは向こうから外れる、この記事も一回では終わらず、次回に持ち越すことにする。どちらにしろ、HDD問題は簡単には片づかず、まだラスカルズには戻れそうもないので、ちょうどいいくらいなものさ、と負け惜しみ。
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The Gary Burton Quartet - Duster
The Gary Burton Quartet - Lofty Fake Anagram/A Genuine Tong Funeral