右側のメニューの「記事ランキング」というのは、かならずしも実態を反映しているとは思わないが(ホーム以外のページをお気に入りに登録し、それをクリックして当家にいらっしゃると、毎回、そのページがカウントされる)、大雑把に「映画記事がよく読まれている」ということは云えそうではある。
しばらく音楽記事がつづくので、ランキングのほうに映画関係がたくさんあり、それを読んでいただけるのは、いいバランスで、ありがたい。
ラスカルズのことを書きながらも、映画の記事をはさむつもりではいる。すでに書いたように、まずペンディングになっている『陽のあたる坂道』を完成させたい。
ほかに日活映画としては、『銀座の恋の物語』『紅の流れ星』『ギターを持った渡り鳥』『紅の拳銃』『殺しの烙印』『みなごろしの拳銃』などは、いずれなんとかしたいと思っている。
成瀬巳喜男『秋立ちぬ』はべつとして(これもできればDVDのリリースを待ちたい。そろそろ出してよ)、シリアスな映画はしばらく予定にない。大物監督としては、黒澤明の『天国と地獄』は、ずいぶん歩いて、それなりに材料もあるので、部分的(早川鉄橋までは行っていないので)でもいいから、なんとかしたいという気はいちおうある。
しかし、いまの興味としては、美空ひばりの子供のころの映画(『東京キッド』『悲しき口笛』など)や、東映ミュージカル時代劇あたりのほうが再見して、書いてみたい気がおおいにある。
まあ、ブログなので、気分のまま、雲の流れるまま、ウナギだけが知っている行き先へ向かって、その時、その時に思いついたことを発作的にやるだけ、予定なんか書いても、文字通り画餅にすぎないが。
◆ ガレージ、フォーク・ロック、テックス・メックス ◆◆
小見出しが入ったからと云って、枕が終わったと思ったら大間違い。今回は簡単にすむはずと踏んで、余裕ウサギをかまして、二重枕にしてみた。
話を前に進めるために、ブリティッシュ・インヴェイジョンとアメリカの反攻では、ずいぶんと枝葉を切り落としてしまった。
まず、もののみごとに抹消したのが、ガレージ・バンドの勃興。ブリティッシュ・インヴェイジョンが生んだのは、当然ながら、バーズやタートルズやラヴィン・スプーンフルばかりではなかった。
むしろ、最大の落とし子は、ライノのNuggetsシリーズや、それに基づくNuggets箱にまとめられているが、「ガレージ・バンド」などと呼ばれる、アメリカ中に叢生した若者のセルフ・コンテインド・バンドのほうだろう。とりわけ、サンセット・ストリップのクラブにそうしたバンドが蝟集したが、それは突出しているというだけで、各地にバンドが生まれた。
こうした単独ではとりたてて影響力のないセルフ・コンテインド・バンド群は、バーズのような即効性の劇薬ではなかったが、漢方のような遅効性の薬としてアメリカ音楽を変えていく(あるいは砒素のようにアメリカ音楽をゆっくりと殺していった、と云うひともいるかもしれない。それは立場による)。
即効性か遅効性かは、タイム・スケールの取り方によって変わってしまうので、そのどこが遅効性だと云われるかもしれないが、1966年後半から明らかになってくる、アメリカ音楽のサイケデリックへの傾斜は、すでに1964年、ビートルズによって播種されていた、と云える。結果的に見れば、フォーク・ロックはサイケデリックの序章という地位へと後退する。
ガレージ・バンド群と同じ扱いでいいのか、ちょっと肌合いが違うと考えるべきなのか、そこはさておき、サム・ザ・シャム&ザ・ファラオーズ(テキサス州ダラス)、ジェントリーズ(テネシー州メンフィス)、サー・ダグラス・クウィンテット(テキサス州オースティン)といった南部のバンドが、似たようなテクスチャーの音を持ってビルボード・チャートに登場した。
Sir Douglas Quintet - 08 She's About a Mover (HQ)
ジェントリーズはテキサスではないのでアレだが、仮にそちらに組み込めば、テックス・メックス・ポップ・サウンドとでも云おうか、やはり無視できないサウンド傾向だと、並べて聴いてみて思った。
いや、あのチープなオルガンは、ケイジャンのアコーディオンのロックンロール的パラフレーズだったのか、というごく下世話で単純な疑問のレベルに下ろしてしまってもかまわないのだが!
今回はとりあえず、以上の点を落とさざるをえなかったことに気が残った。とりわけ、南部のセルフ・コンテインド・バンド群は、一度、そろえて聴き、ちらと物思いなどしてみむとぞ思ふ。
Sir Douglas Quintet - 06 And It Didn't Even Bring Me Down (HQ)
◆ R&Bーイング・ラスカルズ ◆◆
物事の解釈というのは、たいていの場合が単純化であり、それには細部の切り捨てが必要になる、ということを改めて申し上げた上で、ヤング・ラスカルズのデビュー盤の項を終えるにあたって、その全10曲の収録作を、これまで紹介しなかった曲を貼りつけつつ、鳥瞰してみる。なんらかの切り捨て操作による単純化だということに留意されたい。
まず目立つのはR&Bカヴァー。Slow Down、Good Lovin'、Mustang Sally、In The Midnight Hourの4曲はここに分類できる。
以上のうち他の3曲はこれまでの記事に貼りつけたので、残る1曲R&Bカヴァー、作者のひとりスティーヴ・クロッパーにとっても、つくって歌ったウィルソン・ピケットにとっても代表作になったヒットのカヴァーを以下に。
The Young Rascals - 10 In the Midnight Hour (remastered mono mix, HQ Audio)
ウィルソン・ピケットのオリジナルを知っていると、ラスカルズのカヴァーには幼さを聴き取ってしまうが、これがデビュー盤という若者たちのパフォーマンスとしては立派なもので、バーズ(スタジオの筋肉増強バーズではなく、マイケル・クラークがドラムに嫌われ、いじめられるライヴ・バンドとしてのバーズ)なんかとは三段ぐらい格が違う。
しかし、この曲にかぎった話ではないのだが、半年後のディノ・ダネリなら、もっといいグルーヴをつくったに違いない。ディノはたぶん、このデビュー盤ではじめて自分のプレイを客観的、批判的に聴き、タイムとイントネーションを修正したのだろう。才能というのは、そういうものだ。ディノには自分の欠点がちゃんと見えたに違いない。
スティーヴ・クロッパーはずっと後年、フィーリクス・カヴァリエーレと共演盤を2枚つくる。この時、スタックス・レコードから見ればアトランティックはほとんど親会社のようなもの、アトランティックのシンガーがメンフィスで録音する時は、クロッパーは楽曲を提供したり、アレンジしたり、ギターを弾いたりで、NYから「スーパヴァイズ」に来るジェリー・ウェクスラーやトム・ダウドのことはすでによく知っていた。
そうした仕事の際に、破格の待遇でアトランティックと契約した若者たちのことは耳にしていたかもしれないが、自分の曲を歌ったのだから、遅くともこの時にはラスカルズが何者かを認識したはずだ。
◆ オリジナル曲 ◆◆
Baby Let's Wait、Do You Feel It、I Ain't Gonna Eat Out My Heart Anymoreの3曲は、自作と他作を合わせたオリジナル曲、封切り曲。これは作者による分類であって、楽曲スタイルによる分類ではないので、R&Bカヴァー群と同じ平面で語ってはいけないのだが、便宜的にこう分類する。だから、切り捨てによる単純化だとはじめにお断りした。
外部ソングライター提供曲はさておき、このアルバム唯一のメンバーが書いた曲を貼りつける。フィーリクス・カヴァリエーレとジーン・コーニッシュという、のちに共作することはない二人の曲。リードはフィーリクス。
The Young Rascals - 05 Do You Feel It (remastered mono mix, HQ Audio)
ディノのドラミングにやや難があるし、楽曲としてもそれほどのものではないが、のちのラスカルズ、とりわけつぎのアルバム、Collectionsを知っていると、彼らが向かう方向がここに示されていることを感じ取る。
◆ フォーク・ロッキング・ラスカルズ ◆◆
残る3曲のうち2曲はフォーク・ロックに分類できる。ひとつは前回貼りつけたボー・ブラメルズのJust a Littleなので、ここではもうひとつのほうを貼りつける。
The Young Rascals - 07 Like a Rolling Stone (remastered mono mix, HQ Audio)
ボブ・ディランのオリジナルがビルボード・チャートにデビューしたのが1965年7月のこと、ラスカルズがやがてデビューLPに集約される曲の録音を開始したのは同じく9月、シングルの動きを見ていたからだろう、散発的な録音が終わったのは翌年3月らしい。その月にアルバムがリリースされた。
ラスカルズのLike a Rolling Stoneがいつ録音されたか不明だが、彼らもフォーク・ロック・ブームには動揺し、共感したことがこの2曲からはうかがえる。本来はR&Bとジャズに重心があったのに、出現したばかりの分野の曲をすぐにカヴァーしている。まあ、若さとはそういうものだが。
ラスカルズの未来とフォーク・ロックの関係で云うと、この傾向は総体としての「ラスカルズ的なもの」に吸収合併されることになり、分離した存在ではなくなっていく。まあ、サード・アルバムにはかなり濃厚なフォーク・ロック色をもった曲があるが。
◆ ゴスペル・ラスカルズ ◆◆
最後に残ったI Believeは、宗教音楽的色合いが強い曲で、歌い手によってニュアンスが異なるが、エルヴィス・プレスリーはゴスペル的に歌っている。ヒット・ヴァージョンのフランキー・“ローハイド”・レインやジェイン・フローマンも直立不動かよといいたくなるほど殊勝な歌いっぷりだ。
The Young Rascals - 04 I Believe (remastered mono mix, HQ Audio)
ひとによって受け取り方は大きく異なるかと思うが、知る限りのこの曲のヴァージョンのなかで、ラスカルズのカヴァーはもっとも宗教色が薄く、非ネイティヴは歌詞を遮断することができるので、ふつうのバラッドのように聴くこともできる。音の手触りだけで云うなら、後年のエディーのバラッドにそのまま地続きでつながる肌合いで、この曲はデビュー盤のなかではおおいに好ましい。
ただ、ゴスペル・ニュアンスというのは、ずっと後年までラスカルズのサウンドに底流として残るので、そこはやはり気に留めておく必要がある。
◆ いまは亡き人と思へば愛しさも…… ◆◆
何度も同じことを繰り返して恐縮するが、このデビュー盤はリリースよりずっとあとになって買ったので、おおいに落胆した。その最大の理由はディノ・ダネリのドラミングだった。
セカンド・アルバムから5枚目にあたるFreedom Suiteまでのディノ・ダネリはじつに魅力的なドラマーで、そちらを先に知っていて(それも並みの深さではない知り方だった)、あとからこのデビュー盤のディノ・ダネリを聴くと、もっとずっといいプレイができるドラマーなのに、とじつにもどかしい。
しかし、それがファンというものだが、この一連の記事を書くために繰り返し聴いているうちに、これはこれでいいか、という気になってきた。
この盤単独で考えると、Good Lovin'とBaby Let's WaitとI BelieveだけのLP、と思ってしまうが、デッカ・テープだって、これがあのパーロフォンからデビューする直前の状態か、と思えば、いろいろ聴きどころがみつかるのと同じで、後年のパースペクティヴに立って聴くと、さまざまな楽しみがうまれてくる盤だ。
そして、孫が幼稚園で描いてきた絵を見て、すごいじゃないか、この子は絵描きになるといい、と手放しで喜ぶおじいさんのような気分もチラとする。呵々。
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Sir Douglas Quintet - Medocino
The Young Rascals - The Young Rascals (1st)