調べれば調べるほどヤング・ラスカルズのデビュー前後のもろもろというのは、時代も象徴していれば、多士済々のNY音楽業界人士もつぎつぎに登場して、じつに興趣尽きない。
今回も、NYのアトランティック・スタジオから、イースト・ハンプトンの〈バージ〉クラブまで逆戻りして突きまわすつもりだが、その前にクリップ千社札をベタベタ貼りつける。
まず、目下の続きもの記事の対象である、ヤング・ラスカルズのデビュー盤に収録されたヴァージョンから。
The Young Rascals - 08 Mustang Sally (remastered mono mix, HQ Audio)
くどくて恐縮ながら、このLPを買ったのはリリースから十数年後のこと、これを聴いた時には、すでにウィルソン・ピケットのヒット・ヴァージョンを知っていたので、ヤング・ラスカルズ盤は幼く聞こえてしまい、いまもその印象を拭いきれないのだが、ここへきて、ちょっと感じ方が変わってきた。
ディノ・ダネリは、〈バージ〉に出演しているころ、フィーリクス・カヴァリエーレと一緒にハーレムのレコード屋に何度か盤探しに出かけたそうで、その時に見つけたのがすでに聴いたGood Lovin'だったのだが、もうひとつ、このMustang Sallyもハーレムで発見したのだという。誰のヴァージョンか?
Sir Mack Rice - Mustang Sally (single version) (HQ)
サー・マック・ライス、ソングライター・クレジットにある本名はボニー・ライス、うちには単独の盤はなく、あちこちのオムニバスに収録されたものを全部集めても10曲に満たない。ヒット曲らしいヒット曲はなく、ウィルソン・ピケットやヤング・ラスカルズにカヴァーされたこのMustang Sallyが代表作と云っていいだろう。
後年、スタックスに移ってからはまともなバンドで歌うことになるが、このMustang Sallyのバンドというか、ドラムの拙さには恐れ入る。フィルインなんかひとつもまともに叩けていない。
それでもなお、この脂っこいグルーヴには独特の味があり、ディノ・ダネリとフィーリクス・カヴァリエーレがハーレムのレコード屋で耳にして、この曲は面白い、とカヴァーする気になったのも、この意図したものではない、「どうしてもそうなってしまった」グルーヴのせいだろう。
ヤング・ラスカルズのヴァージョンもまだ成功しているとは云いがたい。しかし、彼らがカヴァーしたおかげで、同じ会社のシンガーが歌ってヒットすることになった、のだが、ファルコンズというグループには、マック・ライス、エディー・フロイド、そして、この人もいたので、旧友の曲をカヴァーしただけ、とも云えるのかもしれない。
Wilson Pickett - Mustang Sally (mono) (HQ)
ウィルソン・ピケットはアトランティックのシンガーだったが、このあたりから録音はメンフィスやマッスルショールズなどの南部のスタジオでおこなうようになった。その背景にはアトランティックと、メンフィスのスタックスのあいだで提携が結ばれたことがあるのだが、そこに踏み込むと長くなるので、詳細は略す。
この曲はアラバマ州マッスルショールズのフェイム・スタジオでの録音。フェイムには、のちにスティーヴ・ウィンウッドのリズム・セクションになるハウス・バンドがあった。
この曲もそのバンドのドラマー、ロジャー・ホーキンズのプレイ。やはりドラマーが上手いので、タイムが安定し、ダンサブルになったのと、ウィルソン・ピケットのヴォーカルの力が、ヒットの推進力になったと思われる。
フェイムにはオーナーのリック・ホールがいて、彼は誰の助けがなくてもプロデュースとエンジニアリングができたが、アトランティック・レコードが自社のシンガーを南部に送り込む時には、ちゃんとプロデューサーとエンジニアを付けた。
この曲でも、ジェリー・ウェクスラーとトム・ダウドがクレジットされている。ヤング・ラスカルズとはやや異なった形だが、これまた「スーパヴァイザー」である。
単純で、メロディーらしいメロディーもなく、かといってノリがよくてわくわくするというタイプでもないのだが、ウィルソン・ピケット盤までくると、それでもヒットしたことが、なんとなく腑に落ちるのではないかと思うのだが……。
歌詞もこの曲のヒットに貢献したと思う。金のある男が愛人のサリー(という人物配置と読める)にマスタングの新車を買い与えたら、町中走りまわるばかりで、「You don't wanna let me ride」(奥に二つめの意味が暗示されている)になってしまったので、いい加減にしろとどやしつける、というほとんどノヴェルティー・ソングといってよい歌詞だ。
ライスがシンガーのデラ・リースと話していたら、彼女が自分のバンドのドラマーのカルヴィン・シールズに誕生日祝いとしてリンカーンの新車を買ってやろうかと思う、というので、あとでシールズに会った時に、このことを伝えた。シールズは、リンカーンなんかいらない、俺はマスタングのほうが欲しいとこたえた。
それで、マック・ライスはマスタング・ママという曲を書いたのだが、アリサ・フランクリンに自作をいくつか聴かせた時に、タイトルはマスタング・サリーの方がいいと云われ、そう変更することになった。
マック・ライスがアポロ・シアターに出演した時、その日のトリだったクライド・マクファーターが出演できないことになり、代役として、旧知のウィルソン・ピケットに声をかけた。
この時、ピケットはマック・ライスの歌うマスタング・サリーを聴き、のちにカヴァーしたのだと云うが、やはりそれだけではなく、レーベル・メイトのラスカルズの録音を耳にしたのもカヴァーした理由のひとつだと思う。
◆ 真夏の避暑地の音楽百鬼夜行絵巻 ◆◆
ヤング・ラスカルズ・デビュー騒動に話を戻す。前回の最後に、アーメット・アーティガンの「ラップ」のことにふれたので、ちょっと時間を遡ってみた。
そのあたりの裏をとるために、いくつか読んでみたのだが、ディノ・ダネリが云っていたように、やはり複数の会社からアプローチがあったようで、「ラスカルズ争奪戦」と云っていいようなものが、1965年夏のロング・アイランドの〈バージ〉クラブでは起きていたことがわかってきた。
前々回、マネージャーのシド・バーンスティーンが、アーメット・アーティガンを〈バージ〉に呼び寄せたのではないかと書いたが、そこらはちょっと微妙になってきた。バーンスティーンが動くまでもなく、NY音楽業界人が夏を過ごすロング・アイランドで評判のクラブに出演していたので、噂はすでに広まっていた可能性がある。
アーメット・アーティガンより先なのか後なのか不明だが、アトランティックのエンジニア兼プロデューサーのトム・ダウドは〈バージ〉にラスカルズを見に行った。
ところが、かつてアトランティックと密接な関係にあったものの、前年にレッドバード・レコードをつくったジェリー・リーバーとマイク・ストーラーが、ラスカルズのガードをしていて、ダウドが話しかけようとしたら、トイレに連れて行ってしまい、ついに話すことができなかったという。
これは、レッドバードのオーナーとして、リーバーとストーラーがラスカルズをスカウトしようとしていたとしか解釈のしようがない。トム・ダウドなんかに下交渉されてたまるか、というところだろう。
スペクターのアシスタントとして、曲を提供したり、レコーディング・セッションを指揮したりしていたアンダース&ポンシアの片割れ、ヴィニー・ポンシアの夫人もバンドをやっていて、たまたまラスカルズ同様、〈バージ〉に出演していた。
当然、彼女は夫にラスカルズを見るようにすすめた結果、ポンシアも気に入り、すぐにボスのフィル・スペクターに、ラスカルズを見るように強く進言した(としか解釈しようがないのだが、この時期、ポンシアはもうジェリー・リーバーとマイク・ストーラーのレッドバード・レコードと契約していたのではないのか?)。
たぶん、いわゆるセルフ・コンテインド・バンド、自分たちで演奏もするグループとはうまくいかないと見通していたせいだろう、スペクターはラヴィン・スプーンフルの時と同じく、ラスカルズにも大きな関心を示さなかったらしい。ポンシアに、どうしてもやりたいなら、お前がサブ・レーベルでプロデュースしろ、といった。
話はいろいろなソースによって錯綜しているのだが、ディノの云う「シド・バースティーンがマネージメントをすることになって一週間後にアーメット・アーティガンがやってきた」に符合する記述もある。
アトランティック経営陣のひとり、ジェリー・ウェクスラーもラスカルズを見て、契約したいと思ったが、そこへシド・バーンスティーンが、フィル・スペクターもこっちに来ている、彼もラスカルズと会うつもりらしい、とほのめかした。
そうと知って、ウェクスラーは即座にアーメット・アーティガンに連絡し、それで社長自身が出馬することになったのだ、としているスペクター関係の本がある。
そしてアーメット・アーティガンは(以下「たぶん」の連発になるので略す)ディノの云うとおり、〈バージ〉にも見に行ったのだろうが、そのあとでサウサンプトン(名前でわかるように〈バージ〉のあるイースト・ハンプトンから遠くない)の自分の夏別荘にラスカルズを招待した。
どうやら、ディノがアーメット・アーティガンの「ベスト・ラップ」に接したのはこの時のことらしい。あるソースにはアーメットは若者たちに「戦争物語」を語ってきかせたとある。つまり、R&Bの勃興とアトランティック・レコードの血湧き肉躍る戦争の物語だ。
これで若者たちはすっかりアーメット・アーティガンに惚れ込み、スムーズに契約へと進んだ、というのである。
思いだした。アーメットとネスーイーのアーティガン兄弟の父親はトルコの駐米大使。アーメットはその親譲りの外交官的弁舌、すなわちディノの云うThe Best Rapで運命を切り開いてきた強者だった。それで、ウェクスラーが、すわ緊急事態と社長の出馬を仰いだわけだ!
◆ さらにマスタング2台追加 ◆◆
NJ出身の若者たちにも、アトランティック・レコードがすごい会社だということはわかったので、あとは契約内容を詰めるばかりだが、また話が長くなるといけないので、ここでクリップを貼りつける。また同じ曲で恐縮だが、いろいろ並べると興趣が増すこともある(のではないだろうか)。
上掲のおそらくはシングル用だったモノ・ミックスと同じテイクだが、こんどはずいぶんと手触りの異なるステレオ・ミックス。The Wicked Pickettというアルバムからとった。
Wilson Pickett - Mustang Sally (stereo) (HQ)
当方の感覚としては、モノのほうが安定感があって聴きやすく感じるが、ステレオはステレオで、べつの面白みを感じる。
もうひとつ、これは低音質のファイルしか手元になくて、ちょっとためらったが、ほかならぬフィーリクス・カヴァリエーレがゲストで歌っているのでクリップをつくった。
とくに面白いわけではなく、オリジナル盤のシンガーとカヴァー盤のシンガーが一緒に歌う、という物珍しさがアップの動機。
Sir Mack Rice with Felix Cavaliere - Mustang Sally (live)
録音場所はNYの〈ボトムライン〉というクラブ。よく、ヴェテランのシンガーがライヴ盤を録音している。うちにあるのでいま思いだすのはアル・クーパーとローラ・ニーロ。
録音デイトは1994年と推測できる。これは車のマスタングの歌なので、歌詞の中に最新型のマスタングというところがあり、そこに年を入れるわけだが、このライヴではそれが1994年になっている。
このヴァージョンは、In Their Own Wordsという、たぶん同題の書籍のコンパニオンCDとして出たものからとった。ソングライターが自作を回顧し、その場でその曲を歌うという企画の一環。作者のマック・ライスが先に行き、フィーリクス・カヴァリエーレが途中から歌う構成。
◆ 「ヒットが出たらまたおいで」 ◆◆
アトランティック・レコードには魅力的な歴史があり、社長のアーメット・アーティガンはやり手で弁が立ち、ラスカルズの4人は魅了された。そして、契約金として1万5000ドルを約束された。
しかし、彼らが口を揃えて云うこの契約の旨みはそれではなかった。彼らには二つのことが約束された。自分たちの判断で音楽をつくる権利、つまり(こっ恥ずかしくて書きにくいのだが)ある程度の「アーティスティック・フリーダム」が与えられた。
それだけではない。アトランティックは自社スタジオをもっていた、それが大きな魅力だった、と彼らは云うが、それだけなら、ほかにも同じようなレコード会社はある。
問題はそこではないのだ、彼らはそのアトランティック・スタジオを自分たちのものであるかのように、いつどんな時でも優先的に使用する権利を与えられた。つまり、自分のスタジオのように使ってよい、誰かが使っていたら、俺たちが使うんだから出て行け、という権利を与えられたというのだ。
この時期にそんな権利を持っているバンドがほかにあったとしたら、ビートルズだけだろう。マーク・ルーイソンのThe Complete Beatles Recording Sessionsを読むと、ビートルズはEMIという物堅い会社をすっかり変えてしまい、好きな時刻にスタジオに入って、長時間独占していたようだし、ジョージ・マーティンは自分が抱える他のアーティストの都合をいっさい顧みず、ビートルズがスタジオに入ったら、その面倒を見なければならなかった。
しかし、1965年秋というと、ビートルズだって、やっとわがままを通せるようになった、といった程度だったはずだ。そこにいたるまでには莫大な利益を会社にもたらしている。
ところが、ラスカルズはまだ一枚もレコードを売っていない段階で、うちのスタジオはきみたちものだ、好きに使いたまえ、他のシンガー? 気にするな、追い出せばいい、とカルト・ブランシュを与えられたのだ。
しかし、いざ入社したら、そんなわがままを通すのはむずかしかっただろう、と思ったのだが、ラスカルズはじっさいにしばしばスタジオを長時間独占したらしい。
エディー・ブリガティーは云う。「あのころはみなよく文句を云っていたよ。なんでお前たちばかりがスタジオを使うんだ、って。『ヒットがでたらまたおいで』さ」
Good Lovin'がチャート・トッパーになって以降は、ホントに与えられた権利を遠慮会釈なしに行使したらしい。それでデビュー盤のつたないグループが、あっという間に成長して、グッド・グルーヴを獲得できたのだろうと納得がいった。
ラスカルズがそのような特別待遇を受けたのには、相応の理由がなければならない。そこには時代の潮目とアトランティック・レコードの事情があったのだろうが、そのあたりは次回にでも考える。
The Young Rascals (Original Album Series)
グッド・ラヴィン(紙ジャケット仕様)
Young Rascals [12 inch Analog]
The Big Beat: Conversations With Rock's Great Drummers
Beg, Scream & Shout!: The Big Ol' Box Of 60's Soul
(Mustang Sallyを収録したマック・ライスの単独盤は入手難。これはライノの60年代R&Bシングル集。シングル盤型の皿にCDがセットしてあり、ライナーはトランプ型でR&Bトリヴィア・クイズになっていて、そのすべてを昔はよくあったシングル盤を入れるケースに収めてあるという、じつに馬鹿馬鹿しくも凝った造りの6枚組。)
Wilson Pickett: A Man And A Half
(モノ・ミックス収録)
Wilson Pickett - Original Album Series
(ステレオ・ミックス収録)
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