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(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その02 プロデュースとスーパヴァイズ

子供のころ、よくジャケットの裏表やレーベルを隅々まで読んだが、ヤング・ラスカルズのエポニマス・タイトルのデビュー盤はずいぶんあとに買ったので、そんなことはついこのあいだまでしていなかった。

すべてのアルバムを動画に変換して、クレジットを入れながら確認したが、どの盤にもProduced by The Young Rascalsまたはby The Rascalsと明記されている

ただし、最初の2枚には、プロデューサー・クレジットのほかに、Supervisionというクレジットがべつにあるのが変わっている。「統括指揮」あるいは「監督」とでも訳せばいいのか、どうであれ、ちょっとほかに例のなさそうなクレジットだ。

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ヤング・ラスカルズのデビュー盤のクレジット。LPのバック・カヴァーをそのまま縮小したCDスリーヴをスキャンしたため、非常に読みにくく、申し訳ない。

これはなんなのか?

それを考えるのに、まず、彼らの生年を書いておく。ついでなので、メンバー紹介を兼ねて、パートも書いた。名前でわかるように、アイリッシュのジーン・コーニッシュをのぞいて、あとの三人はイタリア系。ここでもまた同じNJ出身のイタリア系グループ、4シーズンズが思い起こされる。

  • フィーリクス・カヴァリエーレ 1942年11月29日生。ヴォーカル、キーボード、ギター
  • ジーン・コーニッシュ 1944年5月14日生。ヴォーカル、ギター、ベース
  • ディノ・ダネリ 1944年7月23日生。ドラムズ、パーカッション
  • エディー・ブリガティー 1946年10月22日生。ヴォーカル、パーカッション

1965年秋に、ヤング・ラスカルズがアトランティック・レコードからデビューしたとき、最年長のフィーリクスがやっと社会人の年齢、ジーンとディノは大学を卒業しようかという年齢。最年少のエディーはまだ十代である。

芸能界ではこんなことはめずらしくない。めずらしいのは、こんな子供たちにアトランティック・レコードが「プロデューサー」クレジットを与えたことだ。名目だけならともかく(いや、たとえそうだとしても異例だが)、じっさいにプロデューサーとしての権限が与えられたふしがある。

なんだか、今回も長い話になりそうなので、箸休めとしてクリップをおく。といっても、ラスカルズのクリップをおくと、それについて書かねばならないことになるので、かわりに、いま作業用に流しているBGMの再生リストを。まだアップしたばかりで、わが4ビート・チャンネルの最新クリップである。

Gary Burton - Something's Coming! (1963)


◆ 「このミックスをどう思う?」 ◆◆
デビュー・シングル、I Ain't Gonna Eat Outがリリースされたあと、彼らははじめてカリフォルニアを訪れ、ジョニー・リヴァーズのレジデンシーで有名になった、サンセット・ストリップのウィスキー・ア・ゴーゴーに出演した。

むろん、遠路はるばる訪れたわけで、ワン・ショットではなく、2週間ないしは4週間のレジデンス、彼らによれば、ウィスキーの一晩の観客動員記録をやぶったという。

ジーン・コーニッシュは所用があって、他の三人より一足先にNYに帰ったが、そのとたん、アーメットとネスーイーのアーティガン兄弟、ジェリー・ウェクスラー、トム・ダウド、アリフ・マーディンという、経営陣プラス現場担当者たち、この5人が同じ飛行機に乗って墜落すれば、そのとたんにアトランティック・レコードは消滅するという顔ぶれに呼びだされてしまった。

この5人がジーンになにを要求したかというと、Good Lovin'のミックス・ダウンを聴かせ、これでリリースしてよいと承認してほしい、というのだった。

大学を出たかどうかの年齢の若者が、レイ・チャールズやコースターズやドリフターズやボビー・デアリンらとともにアメリカ音楽の歴史をつくってきたヘヴィー級に取り囲まれ、「このミックスをどう思う?」と云われて、「いいと思います」以外のことを云えるはずがない!

ジーン・コーニッシュの「承諾」を得たこのミックスはすぐにリリースされ、その3カ月後にはビルボード・チャート・トッパーになる。

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アトランティック・レコード経営陣とボビー・デアリン 左から、ジェリー・ウェクスラー、ひとりおいてボビー・デアリン、ひとりおいて、アーメットとネスーイーのアーティガン兄弟

ジーンはあとで、フィーリクスとディノに、なぜ勝手にOKを出した、と非難されたというが、そんなことよりずっと大きな問題がここにはある。

そもそも、なぜアトランティック経営陣はバンドのメンバーの承認など必要としたのか?

この時代の通念で云うと、会社は実績のない若い新人シンガーの判断だの、承認だのといったものはまったく必要としなかった。なにをどう売るかは会社が決めることであり、アーティストは会社の云うとおりにしていればいい、それがイヤならよそへ行け、だった。

◆ 時代が生んだ「事件」 ◆◆
昔の音楽ファンなら、われわれ子供でも知っていた有名な事件がある。ジーン・コーニッシュがアトランティック首脳陣に責めたてられていたころにリリースされたシングル盤をめぐって、同じNYのべつの会社で起きた一件だ。

サイモン&ガーファンクルがデビューLP用に録音した、アコースティック・ギターとアップライト・ベースだけで二人が歌ったThe Sound of Silenceに、会社が二人の承諾を得ずに、ドラムやエレクトリック・ギターなどのバックトラックをオーヴァーダブして、シングルとしてリリースしてしまったのだ。

(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その02 プロデュースとスーパヴァイズ_f0147840_10442452.jpgこれは1965年秋、ちょうどジーンがミックスにOKしろと云われて困っているころにリリースされ、翌年一月にビルボード・チャート・トッパーになった。あとはご存知の通り。このヒットがなければ、サイモン&ガーファンクルは解散するはずだったとも云われる。

イギリスに行っていたポール・サイモンは、帰国してこのことを知ると、会社に抗議したが、当時のレコード会社が新人歌手の不平不満なんかに耳を貸すはずもなかった。そもそも、会社が目論んだとおり、「商品」は売れていたのだ。なんの権利もない人間の抗議なんかで、ビジネスを台無しにする馬鹿は音楽業界にはいなかった。

このCBS対サイモン&ガーファンクルの先例を踏まえると、アトランティック首脳陣の慎重さ、形のうえだけのことだったのだろうが、とにかく、メンバーの承認を得た証拠を残そうとした努力は、なおいっそう不可解に思えてくる。

名目上であったか否かに拘わらず、ラスカルズはデビューの時からプロデューサー・クレジットを与えられ、じっさいの録音でも、一定の裁量権も与えられていたふしがある。このアルバムの曲のうち、Supervisionのクレジットのないものは、彼ら4人が主導権を握り、トム・ダウドやアリフ・マーディンは、その場にいても、あまり口を出さずに録音されたのだろう。

彼らに任せておくわけにはいかないと、現場をあずかるダウドやマーディンが判断した時は、プロデューサーより大きな権限をもつ「スーパーヴァイザー」としてラスカルズの4人からレコーディング指揮権を奪ったのではないか。それがSupervision byというクレジットの実態だと想像する。

前述のように、ジーン・コーニッシュはあとでフィーリクス・カヴァリエーレとディノ・ダネリに、ひとりで勝手にGood Lovin'のミックス・ダウンに「承諾」を与えたことを非難された。

これを裏返すと、ラスカルズのメンバーは、会社が勝手なことをしないように、その「製品」に対して一定のコントロールをできる権利を与えられていた、ということになる。そうじゃなければ、ジーンが勝手なことをした、などと非難する根拠はない。自分たちに与えられた権利を行使するチャンスをジーンが奪った、というのが彼らの非難の前提に違いない。

これで、ラスカルズとアトランティックの契約がどのようなものだったか、だいぶ見えてきた。あとで、きちんと整理するが、ここで追求は一休み。

◆ 「貧困の犠牲者」 ◆◆
やっと切れ場にきたので、このアルバムから一曲貼りつける。ラスカルズのプロデュース・クレジットのみで、トム・ダウドやアリフ・マーディンのクレジットはない。

The Young Rascals - 02 Baby Let's Wait (remastered mono mix, HQ Audio)


ラスカルズに与えられた異例の権利の話にはまたあとで戻るとして、この曲について少々。

〈バージ〉でのライヴがよほど印象的だったのか、はたまたアトランティックがR&Bの会社だったからか、デビュー盤は、R&B、ロックンロールのカヴァーが多数、フォーク・ロック系のカヴァーも2曲があるが、会社はR&B路線に拘泥していたように見える。

そのなかでこのバラッドBaby Let's Waitは目立つ。最初に聴いた時は、グルーヴのよくないR&B曲にはあまり興味が湧かず、稚拙なカヴァーより、オリジナルのほうがずっといいと感じたので、Baby Let's Waitを含めて2曲だけ収録されたバラッドに慰めを見いだした。

1980年代半ば、ライノ・レコードがラスカルズのほぼ全カタログをLPでリイシューしたころ、同社はNuggetsというコンピレーション・シリーズを出していて、そのなかのNuggets Volume Four: Pop Part TwoというLPで、この曲のべつのヴァージョンに遭遇した。

The Royal Guardsmen - Baby Let's Wait (HQ)


ロイヤル・ガーズメンは子供の時にSnoopy vs. Red Baronという曲が大ヒットして、国内でも相当のエアプレイがあったが(邦題「暁の空中戦」)、あの曲はいわゆるノヴェルティーで、軽く笑いをとる歌、こっちのBaby Let's Waitは、歌詞がちょっとなあ、と思うほどシリアスなバラッド、水と油だが、彼らとしてはコミカルな歌は売るための苦し紛れ、こっちのほうを本線と考えていたのかもしれない。

ヤング・ラスカルズ盤もロイヤル・ガーズメン盤も、ともに66年のリリース、接近していて、オリジナルがどっちで、カヴァーはどっちなのか、長年わからなかった。これを機会にまた検索してみたところ――

The Young Rascals: March 28, 1966 (First release)
The Royal Guardsmen: October 1966

とするサイトを見つけた。半年違うのだから、どっちがオリジナルかなどと悩むほどの謎でもなかったのだが、そうは云っても、昔はこういうデータが手に入らなかったのだからしかたない。

パフォーマーの境遇によっては、強く共感する歌詞なのかもしれないが、ポップ・ミュージックとしての一般性ということになると非常にきびしく、シングル・カットはまず無理だとふつうは思うだろう。

だが、ロイヤル・ガーズメンはBaby Let's WaitをA面にしたシングルでデビューした。いろいろなことが起きるものだ。むろん、音も立てずに消えたらしいが、68年にもまたこのシングルを再発していて、この執念はなんなのだ、である。

(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その02 プロデュースとスーパヴァイズ_f0147840_10485096.jpg

この男はなにを「ベイビー、いまは駄目だ」と云っているのかというと、二人の結婚。それはいい。ポップ・ソングにはそういう歌もけっこうある。

だが、その理由が困る。ぼくたちの子供には胸を張って生きて欲しい、ぼくらのようなvictim of poverty、貧困の犠牲者であってはならない、いま結婚したら、ぼくはどこにもいきつけない、駄目だ、いまは結婚できない、なーんて歌だから、これはポップ・ソングとしてはキツい。

いや、これに共感する層は確実に存在する。NJで育ったラスカルズの連中も実例をたくさん見ただろう。しかし、この歌詞に「まったくそうだよな」とうなずく人びとでさえ、これを改めて聴きたいかというと、そこは微妙だ。そんなことはわかっている、歌になんかするな、と思う人間も少なからずいただろう。

メロディーは悪くないし、じっさい、ラスカルズのデビュー盤のコンテクストにおくと、おおいに目立つ。だから、かまわないのだけれど、まだどこへ行くのか、目標地点がはっきりとは見えていなかったのだろうな、とも思う。

◆ 明日のリズミック・センス ◆◆
話題を戻す前にもう一曲、アルバム・オープナーをおく。オリジナルはラリー・ウィリアムズだが(この時期のウィリアムズのドラムはほとんどアール・パーマー)、いちばん有名なヴァージョンは、もちろん、ジョン・レノンがリードをとったビートルズのカヴァー。

The Young Rascals - 01 Slow Down (remastered mono mix, HQ Audio)


まだまだだなあ、という仕上がりで、これをオープナーにするのはどうだろうかとも思うが、2:37あたりからの数秒、シンバルが消えて、ベースがグルーヴを担うところは、ちょっと4ビートに移行しそうになる感じが魅力的だ。後年の目で見ると、このあたりのセンスは未来のラスカルズの予告篇と感じる。

◆ 契約金より大事なもの ◆◆
さて、話をアトランティック・レコードとラスカルズの関係に戻す。

ラスカルズの契約金は1万5000ドル。小さい額ではないが、目の玉の飛び出る額でもない。しかし、ディノ・ダネリは、〈バージ〉に出演していた時にいくつかの会社にアプローチを受け、もっと大きな額を提示されたこともあったが、アトランティックがいちばん魅力的だった、と云っている。

まずなによりも、アトランティックは彼らが好むR&Bの会社であり、フィーリクスの好きだったレイ・チャールズとともに大きくなったレーベルだった。かつて多くの野球少年が、長嶋茂雄のチームでプレイしたいと思ったのと同じことだ。たとえば、リック・ネルソンは、彼の最初のレーベル、インペリアル・レコードを「ファッツ・ドミノの会社」と云った。

そして、ディノ・ダネリは、「Ahmet had the best rap.」といっている。ラップといっても、べつにマラソンやカーレースをしているわけではなく、「話が上手かった」というあたり。悪くいえば「言葉でたらし込む」のが得意だった。

しかし、ディノ・ダネリはその「rap」がどういうものだったかは云っていない。次回はその中身のことから。


The Young Rascals (Original Album Series)
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グッド・ラヴィン(紙ジャケット仕様)
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Young Rascals [12 inch Analog]
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The Big Beat: Conversations With Rock's Great Drummers
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by songsf4s | 2016-09-15 10:51 | YouTubeクリップ