前回の「(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その00 前日譚」」でお知らせしたとおり、今回からは本題に入って、(ヤング・)ラスカルズのアルバムを聴いていく。
いつも話が長いので、先にひとつクリップを埋め込んでおく。
正確にはクリップではなく、「再生リスト」というもの。いずれゆっくり説明する(かもしれない)が、とりあえず、アルバムのようなものと考えていただきたい。ヤング・ラスカルズのデビュー盤収録の全10曲が、CDの曲順通りに収めてある。ただし、モノ・ミックスである。ステレオ・ミックスはまだアップロードしていない。
The Young Rascals - The Young Rascals (Remastered Mono Mix) 1966
◆ ひどい音楽だ? それがどうした ◆◆
そういってはなんだが、このLPをはじめて聴いた時は失望した。他の盤よりずっとあとに買ったので、技術的な未熟さに耐えられなかったし、一曲をのぞき、あとはすべてカヴァー曲で、ラスカルズの大きな魅力である、フィーリクス・カヴァリエーレのソングライティング能力もまだ発揮されていない。
(ヤング・ラスカルズとラスカルズが混在する経緯、なぜフェリックス・キャヴァリエではなく、フィーリクス・カヴァリエーレと書くか、など、いろいろお思いだろうが、そういう細かなことは、このシリーズが進捗していけば追々説明するので、しばらくは静観を願う。)
しかし、盤の出来不出来は、重要なことではあるものの、最優先事項ではない。
序列をつけずにまず音を置く、それがこちらの役割。序列をつけるのはお聴きになるひとりひとりがおやりになればいい。究極においては、当方の関知するところではない。音楽のような嗜好物は、誰がなにを好むかなんて、神のみぞ知る、だ。
いや、むろん、こちらがどのアルバムを、どの曲を、どう考えているかは書く。しかしそれはあくまでも、「そうそう、そう思う」とか、「えー、そんなことないだろ」というように、肯定したり、否定したりして、「遊んで」いただくための材料にすぎない。いや、もうひとつ。自分のブログだ、好きなことを云う権利はある、という面もある。呵々。
この段階で云っておきたいのは、このアルバムに記録されたバンドは若くて、拙くて、ひょっとしたら不快かもしれない。しかし、彼らの力はこんなものではないので、せめてサード・アルバムを聴くまでは、判断保留にしていただきたい、ということ。
まあ、お客さんの多くは、ヤング・ラスカルズをすでに知っていてこの記事をお読みと思うが、なかには、名前は知っているけれど、聴いたことはなかった、という方もいらっしゃるだろうから、それをちょっと心配してのこと。
◆ 業界ビッグ・ショットとわんぱく小僧ども ◆◆
ヤング・ラスカルズがブレイクしたのは、セカンド・シングルでのこと。前回も貼ったが、この曲を外すわけにはいかないので、同じクリップを貼る。上記の再生リスト中にも同じものがあるが。
The Young Rascals - 06 Good Lovin' (remastered mono mix, HQ Audio)
後年の目で見ると、10曲のなかで、シングルになりそうな曲の筆頭はこれ。ほかの曲がデビュー・シングルになったことのほうがよほど不可解なのだが……。
最初のシングル、I Ain't Eat Out My Heart Anymoreをリリースした時点では、まだGood Lovin'は録音していなかったらしいが、それは理由にならない。
以下、Eストリート・バンドのドラマー、マックス・ワインバーグのディノ・ダネリ・インタヴュー("The Big Beat"収録)に依拠して、ことの経緯をまとめる。
地元NJの〈チュー・チュー・クラブ〉でデビューしたラスカルズは、ロング・アイランドのイースト・ハンプトンに新しくできた〈バージ・クラブ〉から出演依頼が受け、この〈バージ〉の時期に、フィーリクスとディノはハーレムのレコード屋でオリンピックスのGood Lovin'を見つけ、カヴァーしてみたところ、おおいにウケた。
The Olympics - Good Lovin' (HQ)
そして、ここからが肝心なのだが、ここで「ビートルズをアメリカに連れてきた男」シド・バーンスティーンが登場する。どこで情報を得たのかはわからないが、ある日、バースティーンが〈バージ〉にやってきて、俺が君たちをマネージしようと云った。
それから一週間後(とディノは云う)、アトランティック・レコードの社長、アーメット・アーティガンほか、ハンプトンに避暑に来ていた音楽関係者が〈バージ〉にやってきて、ラスカルズを見た。
ディノ・ダネリは、シド・バーンスティーンが〈バージ〉でラスカルズを見たことと、アーメット・アーティガンが〈バージ〉にやってきたことの因果関係にはふれていない。たんにハンプトンが避暑地で、アーティガンは避暑客で、〈バージ〉はその土地で評判のクラブだったから、と。
しかし、これはどうにも無理筋。
シド・バーンスティーンが、このバンドは金になりそうだと考え、誰に売りつけるか、と思った時、たまたまハンプトンにいたアーメット・アーティガを思いだしたとか、あるいは、以前から、アーティガンがビートルズのようなグループを探していることを知っていたとか、そんな背景があってのことと解釈する。つまり、バーンスティーンが声をかけたから、アーティガンが〈バージ〉に来たのだ。
アトランティック・レコードが必死だった、あるいはすくなくともビジネスにきわめて積極的だった形跡もあるし、シド・バーンスティーンが豪腕だった可能性もあるが、とにかく、ラスカルズは、あとで説明するある意味で非常な「好条件」でアトランティック・レコードと契約し、シド・バーンスティーンの会社とも正式にマネージメント契約を結ぶ。
この思い出話の中で、ディノ・ダネリは、アーメット・アーティガンは〈バージ〉でラスカルズを見て気に入った、なにしろGood Lovin'を聴いたのだから、と云っている。
Good Lovin'こそがクラブのダンス・バンドとしてのラスカルズの最大の売り物であり、アーティガンはそのパフォーマンスと客の反応を目撃して、契約を決断した、とパラフレーズしてよいだろう。
それなら、どうして最初のシングルをGood Lovin'にしなかったのだ、誰が聴いても、I Ain't Gonna Eat Out My Heart Anymoreより百万倍はいい出来じゃないか、と思うのだが、後者のソングライター・チームや、現場のトム・ダウド、アリフ・マーディンたちは、社長とはべつの考えを持っていたのかもしれない。
しかし、おそらくは最初のシングルが駄目だったせいだろう、Good Lovin'がセカンド・シングルに選ばれて、歴史の謬りは訂正され、ラスカルズは本来約束されていたもの、ビルボード・チャート・トッパーをデビューまもなく獲得した。
いま、この曲を聴いてどう思うか、どう響くか、それは聴く人それぞれの問題である。クリップをアップしたのは、たんによそよりいい音質のものをもっていたので、ラスカルズ・ファンにそれを提供しようと考えてのことにすぎない。
以上を前提として、このシングルについて思うことを少々。
日本ではラスカルズの紹介が遅れ、デビュー・アルバムは当時はリリースされなかったと思う。セカンドからスタートしたし、Good Lovin'のシングルは1968年にやっとリリースされた。
それでも、ラジオで知っていた中学生は即座に買った。それぐらい「格好いい曲」(語彙が貧弱だった!)だと思っていた。
それはやはり胸躍るグルーヴのおかげであり、そのグルーヴはディノ・ダネリのドラミングを中心に、随所で攻め込んでくるフィーリクスのオルガンとジーンのコードが生みだすものだった。
前述のように、デビュー盤のラスカルズは未熟きわまりない。しかし、Good Lovin'だけは万事がうまくいき、ディノもほとんどビートをミスっていない。なによりも、バンドが一体になってゴールへ突き進むエキサイトメント、昔のロック・グループの最大のセールス・ポイントが明確な輪郭を持ってここにはある。
これがヒットしなかったら、ビルボード・チャートなんてものには意味などないことになる。だから、大ヒットした。
なんど当てが外れても悲観しない人間で、今回は2、3曲できるつもりでいた。デビュー前後の事情を書かねばならないのは覚悟していたが、それにしても1曲とは。次回はすこしスピード・アップしたいが、まだ「非常に有利な契約」のことなど、音以外の材料がかなりあって、どうなることやら。
The Young Rascals (Original Album Series)
グッド・ラヴィン(紙ジャケット仕様)
Young Rascals [12 inch Analog]
The Big Beat: Conversations With Rock's Great Drummers
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