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田坂具隆監督『陽のあたる坂道』(1958年、日活、美術・木村威夫、音楽・佐藤勝) その2
 
以前、なんの記事だったか、滝沢英輔監督『あじさいの歌』(1960年、日活、池田一郎脚本)は、フル・レングスの長編のプロットをほとんど省略せず、原作の手触りもそのまま、ほぼ忠実に映像化した、きわめて出来のいい文芸映画だといった趣旨のことを書きました。

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『あじさいの歌』挿絵。岩崎鐸画、新潮社刊『石坂洋次郎文庫 第13巻』より。

『陽のあたる坂道』はどうでしょうか? 『あじさいの歌』と同じ池田一郎(のちの作家・隆慶一郎)が田坂具隆監督と脚本を共同執筆した『陽のあたる坂道』は、原作の手触りを損なわない、ある意味で「忠実な映画化」ではあるのですが、千枚の長編を映画にするために、じつは、大きな「切除手術」をしています。

石坂洋次郎の原作には、倉本たか子が通う大学の「主事」で、たか子に田代くみ子の家庭教師の職を紹介した「山川」という人物が登場しますが、映画ではこの人物がまるごとオミットされているのです。この判断が、映画が成功するか否かのキー・ポイントになったと感じます。

小説では、山川主事はきわめて重要なキャラクターで、いま読み返すと、他の部分はさほど感興がわかないのに、山川と田代家の長い関わりの部分だけは、精彩を失っていないと感じます。

しかし、映画を三時間半に収めるにはなにかを省略しなければならず、そして、山川と田代夫妻のサイド・プロットを丸ごとオミットするという、田坂具隆と池田一郎の判断は正しかったと思います。山川主事を登場させたら、映画は混乱したでしょう。

映画には登場しない、山川と田代夫妻の関わりは、それ自体、おおいに興味深いもので、石坂洋次郎が書こうとしたのは、むしろ、この世代の物語のほうだと思われるので、いずれ、その点についてもふれるつもりです。

◆ 「ジャズで踊ってリキュールで更けて」の昔から ◆◆
倉本たか子(北原三枝)は、最初の田代家訪問でさまざまなことを知りますが、のちのプロットに影響するものとしては、まず、田代くみ子(芦川いづみ)が子どものころの大怪我のせいで軽くびっこをひくこと、そして、これが彼女の性格と生活に大きく影響しているらしいことです。

長男の雄吉(小高雄二)はあらゆる面で優等生、そして医学を勉強中、次男の信次(石原裕次郎)は画学生で、ちょっと斜に構え、人を食ったようなところがあり、たか子をさんざんからかったあげく、「訪問者に対する憲法」だといって、彼女の胸にさわって、悪い第一印象を与えます。

だれが、というのではなく、母親のみどり(轟夕起子)以下、一家全員がたいていのことを包みかくさず、初対面の人間に説明し、それぞれがそこに論評を加えるということを知るのも重要でしょう。以前にも書いたとおり、石坂洋次郎の物語は「ディベート小説」であり、ディスカッションによって進んでいくのです。

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『陽のあたる坂道』は轟夕起子の戦後の代表作といえる。

昼食(豪邸なのに、食卓にはカレーライスが並んだところに時代を感じた。あの時代には、これでもアンバランスな印象は与えなかったのだと推測する)のあと、たか子はくみ子の部屋に行き、二人だけで話します。

階下からピアノの音が聞こえてきて、あれは雄吉兄さんだとくみ子は教えます。たか子は「上手いわあ」とおおいに感心しますが、くみ子は、ただ滑らかなだけで、面白みがないと批評します。くみ子の言葉の端々から、長兄・雄吉を好まず、次兄・信次とは仲がよいことがわかります。

たか子はアパートに帰り、玄関のところで同じアパートの住人、料理屋の仲居をやっている高木トミ子(山根壽子)と一緒になり、荷物をあずかっているので、いま息子の民夫(川地民夫)に届けさせましょう、といわれます。これでおもな登場人物がそろいました。

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山根壽子は『乳母車』のときとは対照的な役柄

トミ子「あの子も可哀想に、ほんとうは作曲家になりたいんだそうですけど、それじゃお金にならないもんだから、ナイトクラブみたいなところで、いま流行りのアメリカの唄、うたってんですよ」
たか子「あら、そう」
トミ子「あたしにはさっぱりわかんないんですけどね」
たか子「ジャズでしょう」

アメリカのポップ・ミュージックをすべてひっくるめて「ジャズ」といったのは戦前のことでしょうが(「ジャズ小唄」なんていう目がまわるようなジャンルもあった!)、戦後になっても、案外、そういう言い方が長く生き延びたのでしょう。ここでいっている「ジャズ」がどういう音楽かは、次回にでも、実物を聴いていただくことにします。

茶飲み話で、たか子の家庭教師の仕事先が、アジア出版という書肆の社長の家だということにふれたとたん、トミ子の顔色が変わり、たか子はトミ子が田代家を知っているのではないかと考えます。

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田代家の母親(轟夕起子)、くみ子(芦川いづみ)、雄吉(小高雄二)の三人とたか子が音楽会(ピアニストのものらしい)に行った夜、父・田代玉吉(千田是也)と、次男の信次(石原裕次郎)は、居間で酒を飲みます。

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千田是也と石原裕次郎

信次は「ぼくを生んだお母さんは生きているんですか?」とたずね、父を狼狽させます。信次は、ぼくが気づいていることはパパやママだって知っているし、ぼくがママの子でないことは、兄さんやくみ子もわかっているじゃないか、と云い、父にその事実を認めさせます。しかし、母親の存否は知らないといい、信次もそれで引き下がります。

いっぽう、音楽会に行った四人は、夕食後、母とくみ子は自宅に帰り、雄吉はたか子を送る途中、バーないしは喫茶店(夜は酒も供すタイプの店)に入ります。

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二人のロマンスがはじまりそうなことを予感させるシークェンスですが、ここではその店のなかで流れている現実音という設定らしいスコアをサンプルにしました。タイトルはあたくしがテキトーにつけたものにすぎません。

サンプル 佐藤勝「お茶の水タンゴ」

メイン・タイトルも、一部、複数のアコーディオンがリードをとるところがありましたが、こちらはタンゴ調なので、アコーディオンが使われたのでしょう。

窓外の風景はスクリーン・プロセスによる合成です。木村威夫はこのショットを記憶していて、お茶の水で撮ったといっていました。(初稿では「電車は丸ノ内線」と書いたが、その後見直して、この部分を削除。さらに、橋は聖橋と書いたが、これも削除。聖橋ではないようだ)

なんだか、音楽も気になり、美術も気になり、はてさてどうしたものか、なのですが、セット・デザインとちがって、ここはあとでまとめてというわけには行かないような気がするので、木村威夫美術監督の証言をもう少々。

『乳母車』その5のときにも、田坂具隆監督のスクリーン・プロセスのことを書きましたが、木村威夫美術監督もスクリーン・プロセスの利用には不賛成だったようです。

アメリカなら最新のものが使えたが、あの当時の日本のはそこそこのものにすぎなかったといい、木村威夫はさらにこういっています。

「この場合、どだい無理だから止めましょうと食い下がったんだけれど、田坂先生、頑としてスクリーン・プロセスで行きますとおっしゃるから(笑)、しようがありませんや。ロケーションじゃ細部にまで神経の行き届いた芝居はできないというわけだよ。コンサート帰りで町の感じも出す店となると、やっぱり、じゃあ、背景流れてた方がいいと落着するわけ。(略)それは頭の中ではうまくいくと思っているけれどさ、でき上がってみるとそうはいかないよな」

わたしもスクリーン・プロセスが好きではないので、木村威夫美術監督のこのきびしい評価には首肯できます。美術監督としては、視覚的なトーンの違いが気に入らなかったのでしょう。「調子が崩れる」というやつです。

観客として、わたしは、スクリーン・プロセスのシークェンスを見ると、「そこにいる気分」を阻害され、「スタジオでスクリーンの前で芝居しているな」という「素」の気分になってしまいます。

しかし、それはそれとして、橋より低い場所にある店、という設定はけっこうだし(秋葉原寄りか)、なにかを動かそうと思ったときに、車ではなく、夜の電車を選んだのは、いいなあ、と思いました。

もうひとつ、視覚的なことにふれておきます。

ある日、たか子はくみ子と待ち合わせて、くみ子が好きだという、ジミー小池という歌手のステージを見に行くことになります。この待ち合わせがバス停なのです。

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いわゆる「ジャズ喫茶」のある場所といえば、銀座と考えるのがふつうでしょう。そして、このバスは「新橋行」と表示しているので、このバス停が銀座にあると措定しても、矛盾は生じません。

しかし、これはどう見ても、銀座の表通りではなく、裏通り。銀座の裏通りをバスが走っていたなんて話は寡聞にして知りません。

木村威夫は、この疑問にあっさり答えています。このシーンの撮影場所は、日活調布撮影所のオープン・セット、いわゆる「日活銀座」だそうです。銀座裏を模したパーマネントなオープン・セットが組んであり、これを「日活銀座」と呼んだのです。たぶん、銀座での撮影許可がおりないことも、そういうセットを組んだ理由のひとつでしょう。

次回、彼女たちが向かったジャズ喫茶、「オクラホマ」のセットを見て、そこで流れる音楽を聴くことにします。どちらもじつに楽しいのです。


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by songsf4s | 2012-06-08 23:28 | 映画