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内田吐夢監督『血槍富士』(東映)と小杉太一郎のシンフォニック・ジャズ・スコア その2
 
(1月15日午前11時付記 以下はスクリーン・ショットとサンプルを含め、修正と補足を終えたものです。未完成のものをご覧になった方にはお詫びを申し上げます。)

前々々回の「その1」は、『血槍富士』のプロットまではたどり着けず、設定を説明しただけで終わってしまいました。

人物紹介的な小さなことではなく、もっと明白な、プロットの展開に関係する最初の出来事は、前回紹介した人々が、渡し舟に乗ろうとしたところ、船着場に役人が出張っていて、改めを受けることです。

巡礼(進藤英太郎)と役人のやり取りから、なにやらいう大泥棒がどこかで大金を盗んで、このあたりに逃げ込んだらしい、ということがわかります。

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正体不明の藤三郎(月形龍之介)という男は、御上のご用聞きも兼ねる小間物商の伝次(加賀邦男)のおかげで、宿屋改めをやりすごすことができます。しかし、伝次に大金をもっているのを見られ、その金はなんだと尋ねられて、金山での刻苦精励で得た金だが、あたしのような者がこういう金を持っていると疑いを受けるので、役人を避けたのだと弁明します。

道中、三人の殿様(渡辺篤、坊屋三郎、杉狂児という三人のコメディアンが演じる)が、富士の見えるところで野点をはじめたために旅人たちは足止めを喰らい、そこに大雨が重なって、大井川が川止めになり、旅程をともにする人々全員が、旅籠の大部屋に詰め込まれることになります(かくして、正調グランド・ホテル形式に移行する)。

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そのおかげで、おたね(田代百合子)と与茂作(横山運平)の親子は、女衒と落ち合うことになっていて、おたねは三十両で身売りすることがわかり、相部屋の人々の同情を買います。

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酒匂小十郎(島田照夫)は翌朝、まだみなが寝ているあいだに、天九郎勝長の名槍をたずさえて刀剣商を訪れます。それまでの小十郎のそぶりから、これはおたねを救うための金を得ようとしてのことだと、観客はすぐに察します。

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いっぽう、旅籠では人々が出立の支度をはじめますが、前日、巡礼(進藤英太郎)が金を盗んだところを見ていた孤児の次郎が、この巡礼が部屋にいるのを見て、泥棒だと大騒ぎし、巡礼は逃げようとします。

逃げる巡礼の背に子どもが飛びつき、あとから追ってきた中間(加東大介)やあんま(小川虎之助)やお伊勢詣りの三人組が飛びかかっていく立ち回りは、手際のよいコレオグラフィー、演出、編集で、このあたりの歯切れの良さはおおいに気に入りました。

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追いつめられた巡礼=大泥棒がくぐりから出ていこうとすると、向こうから槍の穂先が突き出され、進藤英太郎はじりじりと後退します。

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槍をもってあらわれたのは槍持ちの権八(片岡千恵蔵)。槍がなくなったのは泥棒の仕業かと思って刀剣商に行き、図らずも主人に会った、という思い入れなのでしょう(このあたりはショットのつなぎで暗示するだけで、いちいち説明しない演出ぶりも好ましい)

権八は、さあ、旦那様、といって、粗忽にも抜き身の穂先を家に突き入れる格好になっただけ。振り返ると、旅籠の土間では、みなが口々に、そいつは泥棒だといっているので、権八は改めて泥棒に槍を擬して追いつめます。

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持ち運ぶときに鞘をはずしていたり、穂先から槍を戸の向こうに入れたり、槍持ちが主人より先に潜り戸を通ったり、いずれもありえないことですが、歯切れのよいショットのつなぎなので、あまり気になりません。あとになって、江戸時代の常識を思いだすだけです。

かくして泥棒を捕まえた功に対して、奉行(天領での出来事という設定らしいが、何奉行なのか不明。まあ、そこらへんはテキトーなのものと相場は決まっているので、気にせずに通過)から、酒匂小十郎に感状が与えられます。

小十郎は、家来のしたことなのに、自分がもらうのはおかしいといいますが、家来の手柄は主人の手柄であると、奉行は取り合いません。いずれにしても、たんなる感状、一片の紙っきれにすぎませんが。

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小十郎は、自分の働きでもないことに対して感状をあたえられたこと、そして、関ヶ原の戦功によって、神君家康公から先祖に与えられた天九郎勝長の槍を売ろうとしたら、贋物だといわれ、おたねの父が必要とする三十両はおろか、十両にもならぬ鈍物とわかったことを自嘲します(現実には、そんな家宝を売り飛ばして、あとでそれがわかったら、むろん切腹、売れなくて幸いだったことになるが!)。

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こうして泥棒一件は片づき、つづいて、おたねの運命です。女衒が宿屋にやってきて、おたねを連れ出そうとするシークェンスと並行して、藤三郎が女郎屋にいき、娘を取り返そうとするシークェンスが描かれます。

これで、藤三郎が大金をもっていた理由がわかります。小間物屋に説明したとおり、金山で働いて貯めた金であり、それは娘を取り返すためだったのです。

与茂作とおたねの父娘、女衒(吉田義夫。いかにも女衒のたたずまい。こういうタイプキャスティングは嬉しい)、藤三郎、小間物屋の運命が交錯し、この件もきれいに片づきます。そのディテールは未見の方のお楽しみとして、ここでは伏せます。

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万事、めでたく片づいたかに見えますが、これでまだ90分の映画の70分になったところ。ここから先にまだ話があり、『血槍富士』のタイトルの意味も腑に落ちることになります。

時代考証はさておき、大小のエピソードとエピソードを有機的につなげ、話をきれいに展開する脚本、人物を手際よくさばいて、とんとんと気持よく話を運んでいく演出、全編に漂う穏やかなユーモア、さすがは内田吐夢、うまいものだ、と感心しました。

ただし、二段構えのエンディングについては、アンビバレントな感懐をおぼえました。以下、未見の方は読まないほうがよいことを書くので、ご注意を。

ふつうの時代劇なら、万事めでたく片づき、登場人物がみなニコニコして、富士山に「終」の文字が重ねられて大団円、というようなシークェンスをつくっておきながら、その先にまだ話がつづく、という構造自体は、意外性があって、面白いと思います。

ただし、小十郎と源太(加東大介)が殺され、権八(片岡千恵蔵)が、その仇をとるという大詰めが、それまでの話と有機的につながっているわけではないところは瑕瑾と感じます。

もっとも、ゴダールの『軽蔑』も、ああいうエンディングである必然性などまったくなく、ただ唐突に交通事故が起こり、主人公が死んでいくところが面白かったわけで、やれ、不幸な娘が救われてよかった、とニコニコしているところに、唐突に騒ぎが起こって、気がついたら死んでいた、というのは、ある意味で、きわめて現代的な展開なのかもしれません。

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さはさりながら、結局のところ、見終わったときに残るのは、話の運びのうまさ、演出の手際の良さであって、二段構えのエンディングも、見ているときは、違和を感じませんでした。

総じて気持ちよく話が運んでいく映画で、すでにこの時点で、戦後の内田吐夢の活躍を予見させるものになっています。久しぶりに宮本武蔵を再見したくなりました。

本文中には置き場所をつくれなかったので、最後に小杉太一郎のスコアのサンプルを二種並べます。ひとつは短いもので、伝次が藤三郎を見失い、街道を走るシーンで流れるもの。もうひとつはエンド・タイトルです。後者は台詞で結末がわかるので、ご注意を。

サンプル 小杉太一郎「血槍富士 追跡」

サンプル 小杉太一郎「血槍富士 エンド・タイトル」

というように、セヴンス・コードを使ったブルースで、時代劇にセヴンスかよ、とニヤニヤしてしまいました。やはり、ガーシュウィンを意識してのことにちがいありません。

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by songsf4s | 2012-01-14 23:40 | 映画