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歳末寄席「穴どろ」(八代目桂文楽)
 
一昨年の「年忘れ爆笑寄席」で、すでにとりあげているのですが、今年もまた「穴どろ」を聴くことにします。

依然として、クリップはほとんどないのですが、この大物が加えられていました。

八代目桂文楽「穴どろ」


いきなり、「油断せぬ心の花は暮れに咲く」とやられて、どうもすみません、と頭を下げてしまいました。もう大晦日の掛け取りなんかないのですが、年を越すのではなく、なにかべつのことを越せないような人間なものでして。

八代目桂文楽、先代といったほうがわかりやすいかもしれませんが、要するに、なにもつけずにただ志ん生といえば五代目であるように、なにもつけずに文楽といえばこの人、「黒門町の師匠」の「穴どろ」は、どういうわけか、いままで聴いたことがありませんでした。

文楽という人は、自分で「完璧」と納得するまで、高座にのせることはしなかったそうで、この「穴どろ」も隅々まで神経が行き届いています。この師匠の欠点は、噺にキズがないことだけ、といいたくなるほどです。

志ん生など、同じ噺でもやるたびにディテールが異なり、色合いも変化するので、「別ヴァージョン」を聴く意味があるのですが、桂文楽は、一度あがった噺はいつも同じように演じたそうです。

やはり、これは八代目桂文楽という押しも押されもせぬ大看板の最大の長所であり、同時に、致命的な欠点だったといっていいのではないでしょうか。

いえ、これはむろん、文楽の噺を楽しむ妨げにはならないのですが、でも、好き嫌いで色分けしていくと、やはり志ん生に対する親愛の念のようなものは、文楽に対してはわいてきません。うめえなあ、と思うのと、面白えなあ、と思うのの違いです。

文楽の噺でいちばん好きなのは「船徳」です。あの徳三郎はもともと柳橋の芸者衆に岡惚れされてしまうような色男なのですが(予約引きも切らず、徳さんじゃなきゃイヤ、という芸者が山ほどいた)、滑稽話に改作されて以来、ほとんどの演者は三枚目として描いています。

しかし、文楽の徳さんが、客に、なにをもたもたやってんだい、といわれて、低い声で口早に「へい、ちょいと髭をあたっておりました」と答えるあの一瞬、あ、こいつは大変な色男なんだな、と納得します。これで竿と櫓の扱いに習熟すれば、「お初徳三郎」の主人公、柳橋一の船頭ができあがるなと、たちどころに腑に落ちるのです。

むろん、これは文楽の演出技術が生み出した幻影です。しかし、どの箇所だったか忘れてしまいましたが、「穴どろ」を聴いていても、やはり、あ、この亭主、ひょっとして色男か、と感じました。

つまるところ、桂文楽の芸の親柱は、じつはこの「色男声」なのではないかと思いました。音楽と同列に論じるわけにはいかない部分があるのですが、しかし、芸事というのは、なによりも、もとからもっているものが大事です。やれ芸だの、やれ技だのといってみたところで、声がわるくてはなんにもなりません。

「穴どろ」は大昔からずっと聴きつづけている噺で、いまも十指にはまちがいなく入れますが、それでも、なにごとも年齢とともに見方が変化していくもので、この噺も微妙に聴く場所、聴き方が変化してきました。

「注連か飾りか橙か」という、正月のお飾りの売り声をもじった「姫か騙りか橙か」なんていう、無意味で馬鹿馬鹿しい「姫かたり」のサゲのようなものもけっこうだと思います。しかし、「穴どろ」の「三両くれるなら俺のほうがあがる」というサゲは、三本指に入るすごさでしょう。

捕まえるほうは、いくら謝礼をやるといわれても、危険なことはしたくないと尻込みするのに、もともと、三両の金がなくて、大晦日、あてどもなくウロウロするハメになったダメ亭主は、三両、ときいた瞬間、それが欲しかったんだ、と切ない条件反射をしてしまったのでしょう。

捕まえるほうは金をもらってもイヤだ、捕まえられるほうは、金さえあれば万事解決する、という条件が、「三両」のラインでぶつかって、論理のどんでん返しの起こる一瞬の爽快さ、捕り手に金を払っても解決しないのに、泥棒に金を払えば解決するという、この論理の逆転に、かつては強く惹かれていました。

しかし、この年になって、すこし感じ方が変わりました。依然として、あざやかな論理の逆転による幕切れ、という側面に惹かれはするのですが、同時に、二重写しでべつのことも感じます。

この亭主は、三両の金がつくれなかったばかりに、女房に「豆腐の角に頭をぶつけて死んじまいな」と罵られ、大晦日の町へと追い出され、なんとかして三両を工面しないと、家に帰ることもできません。

片や、旦那のほうは、たかだか、穴蔵に落ちた酔っぱらいを引きずり出すために、よく知りもしない頭の家の客人に、三両出す、といいます。これを「社会の矛盾」といわずして、なんというか、です。

この、昔も今も変わらぬ社会の構図を、「三両くれるなら俺があがる」という一言で、瞬時にして描いてみせたところに、このサゲのすごさがあるのではないでしょうか。

三両あるみなさんには、来年もよいお年であるように、三両もなくて苦しんでいる方には、来年こそよい年になりますように、と申し上げて、本年の締めのご挨拶とさせていただきます。


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by songsf4s | 2011-12-31 11:00 | 落語