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歳末寄席「富久」(八代目桂文楽、古今亭志ん朝、立川談志)
 
またしても積み残しをつくることになりますが、年の瀬も押し詰まってくると、やはり落語が聴きたくなり、森一生監督『薄桜記』はひとまず棚上げとさせていただきます。

一昨年の歳末の寄席ではなにをやったか確認したところ、富くじ噺の大物をオミットしたことに気づいたので、本日はそれをいきます。

現物があるので、あらすじは抜き、まずは桂文楽の古いものから。めずらしくも映像のあるものです。文楽の映像はそれほどたくさんは残っていないと思います。

八代目桂文楽「富久」


「松の百十番、こういう木で鼻をくくったようなすっとした番号」があたる、なんていうのは、いかにも江戸らしい言い様だと感じます。

落語というのは物語なのですが、志ん生にいわせると、小咄が長くなったものなのだそうです。長い噺にサゲをくっつけたのではなく、サゲの前に長い噺をくっつけた、というのです。そう見たほうが、ディテールの価値が相対的に上がるような気がします。

なぜ落語を聴くのか? 長く落語ファンをやっていると、知らない噺というのにはあまりあたらなくなります。たいていは先行きのわかった噺です。

それでも聴くのは、やはり異なった演者の演出やリズムの違い、そして、ちょっとしたディテールを楽しむためでしょう。「木で鼻をくくったようなすっとした番号」も、そういう、落語を豊かにするディテールのひとつです。

つぎは、父親・古今亭志ん生と八代目桂文楽の中間、ないしはハイブリッドのような存在だった古今亭志ん朝のものを。長いのでお時間のある方のみどうぞ。

古今亭志ん朝「富久」


すでに多くの先達が指摘するように、浅草から芝というのはちょっとした距離で、急いでも一時間半はかかるでしょう。火事だ、てえんで駈けだしても、着いたころには消えてしまう可能性も高い、というのももっともです。片道だって大変なのですが、この噺では、一晩のあいだに往復するのだから、無理といえばあまりに無理なつくりです。

志ん朝は浅草三軒町(現在の元浅草あたり)と芝金杉(現在の港区芝あたり)という設定にしていますが、やはり二時間の距離でしょう。ご苦労なことです。

いま、たしかめたのですが、志ん朝の兄さん、先代金原亭馬生は、久蔵の家は浅草三軒町と志ん朝と同じですが、旦那のおたなは日本橋石町と、比較的近場に設定しています。

さらにいうと、八代目三笑亭可楽は、久蔵は日本橋へっつい河岸(現在の人形町)、旦那のおたなは芝の久保町(西新橋あたり)としていて、これまた現実的な距離です。

いや、現実的なほうがいい、といっているわけではなく、それぞれ、やり方が違うといっているだけです。非現実的な距離を歩く設定も、それはそれで悪くないと思います。

突き止め千両、といっても、現代ではその価値は想像しにくくなっています。まず、一両はいくらか、という問題があります。昔読んだものでは、幕末でだいたい八万円としていたものがありました。

であるとするなら、千両は八千万円。いまのジャンボ宝くじより低い額です。しかし、ここが微妙なのですが、三両あれば、一家四人が一年暮らせた、という説もあります。むろん、長屋住まいの話です。

そちらの価値の感覚をとるなら、千両は、八千万円よりずっと大きな額と見ることもできるでしょう。ここらが、往事の生活を想像するときのむずかしさでもあり、面白さでもあります。

音はよくないのですが、まだ若さの残る談志のものもどうぞ。後年のように自己批評満載の「メタ落語」ではなく、ストレートにやっています。

立川談志「富久」


この噺は昔から好きなのですが、どこがどう好きか、今回はまじめに考えてみました。

たとえば、冬の寒さと火事の描写、といった、いかにも落語らしい季節感の楽しみ、無一文から富くじに当たり、大喜びもつかの間、札はないという奈落の底に突き落とされ、つぎの瞬間、燃えたはずの札が見つかる、という波瀾万丈のプロット、などという当然のものもあります。

今回、あれこれ聴きくらべて、いちばん気になったのは、駈けつけた久蔵を見ての、旦那の反応の仕方とタイミングです。

どの演者も、ほとんど間髪を入れずに、酒のうえでのしくじりで差し止めていた出入りを許します。それも、あうんの呼吸とか、腹芸といった曖昧なものではありません。「よく来てくれた、向後、出入りを許す」とはっきりといっているのです。

極論かもしれませんが、「富久」という噺のヘソはここではないかと思いました。

出入りを許すぞ、といわれると、それが目当てで凍えるような夜に、必死に浅草から芝まで歩いた久蔵は、「そうくると思った」などと脇台詞をいい、旦那は「なんだい」などと聞き返します。

旦那だって、久蔵が息せき切って駈けつけたその胸算用は、はなから承知しています。だから、久蔵を見た瞬間、躊躇なく、出入りを差し許すのです。

長屋の隣人が久蔵に、お前の旦那はあっちなんだろ、こういうときに駈けつければ、しくじりを許されるかもしれないからいってこい、というし、久蔵も、千載一遇のチャンスと駆け出します。

旦那だって、なにを見え透いた、などと野暮はいいません。見え透いた行為とわかっていて、それを即座に受け入れます。これが彼らの生き方の「型」だったのだということでしょう。

かつて、こういう人間関係は当たり前だったのでしょうが、長い時間が流れて、当たり前のことが、当たり前に思えなくなりました。

面倒をかけるのが当たり前、面倒を見るのが当たり前、この馴れ合いをそのまま丸ごと肯定してしまう世界があった、ということに心惹かれた聞き直しでした。

しかし、改めて思うのですが、千両を得たあとの久蔵の暮らしぶりはどうなったのでしょうかねえ。こういう男なので、老後のために蓄えたり、これを元手に商売をはじめたり、なんていう地道な未来はないだろうと感じます。

やはり、ぱっぱと遊んでしまい、数年後にはもとの一文無し、また酒でしくじって旦那のところも出入り差し止め、なんてことになっているのではないでしょうか。いや、それもまた人生、悪い生き方とばかりもいえませんが。


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by songsf4s | 2011-12-29 23:48 | 落語