これまた、先日、ツイッターに書いたのですが、ハーマンズ・ハーミッツのピーター・ヌーンのインタヴューを読みました。
セッション・プレイヤーの関与について、どの程度語っているかが興味の焦点でしたが、それはともかく、とりあえず一曲、彼らのヒットを。
Herman's Hermits - Just A Little Bit Better
誤解を避けるためにはっきりさせておきますが、ハーマンズ・ハーミッツは「ロック・グループ」ではありません。「ポップ・グループ」です。そして、ピーター・ヌーンは「十二、三歳の少女が対象だった」とはっきりいっています。その点をお忘れなく。マーケティングのうえでつくられた商品なのです。
ハーマンズ・ハーミッツ・ファンだった小学生のわたしは(ターゲット年齢層に属していたが、性別は間違えたらしい!)、まずI'm into Something Good、Mrs. Brown You've Got a Lovely Daughter、I'm Henry VIII, I Am、Can't You Hear My Heartbeatといったヒット曲を収録したEPを買い、その後の新しい曲は45回転盤を買いました。そのなかの一枚がこのJust a Little Bitでした。
毎度のことですが、あんなにしょっちゅう眺めていた邦題を忘れました。邦題というのは、歌のなかに出てこないし、同じような単語の順列組み合わせに過ぎず、また、日常、読んでいる英文資料にはいっさい登場しないこともあって、半世紀近くもたつと記憶から飛んでしまいます。長考一番、やっと思い出しました。たぶん「恋はハートで」でしょう。
つづいてデビュー・ヒット、ジェリー・ゴーフィン&キャロル・キング作、これは邦題をちゃんと覚えています、「朝からゴキゲン」でした。
Herman's Hermits - I'm into Something Good
ブリティッシュ・インヴェイジョン・グループというのは、みな身奇麗で、ポップな曲を明るく歌っていました。おおむねストーンズのせいといってかまわないと思うのですが、いつのまにか、ブリティッシュ・ロックだけが持ち上げられ、マージー・ビート・グループなどは、ライト級として、脇に追いやられたことには、いつも書いているように、強い違和を感じています。
まあ、われわれの世代だけが楽しめばいいのであって、ストーンズ以後の汚づくり反逆ポーズ・バンドだけが60年代イギリスだという大誤解なんか、ほうっておけばいいのですが、自分がみた音楽の歴史をすりかえられたような気分も残るので、すこしは抵抗しようと、前回までのDC5シリーズに続き、ハーマンズ・ハーミッツという、お子様向けグループのことをちらっと書いてみようと思ったしだいです。
さらにヒットは続く、これまたアメリカ製楽曲、フィル・スローン&スティーヴ・バリー作、いや、スローンいわく、バリーは忙しくて、「俺ひとりで書いた」という大ヒット、「あの娘にご用心」
Herman's Hermits - A Must to Avoid
高校になってから、この曲のタイトルを思い出し、mustの名詞としての用例だったことに気づきました。音楽はいつだって英語学習の友でした。ふつうは肯定的に使う名詞のようで、それを否定的に使った点にフィリップ・スローンのささやかな工夫があるのでしょう。
さて、リード・シンガーのピーター・ヌーン(ハーマン)のインタヴューです。選曲はだれがやっていたのだ、という質問に、プロデューサーのミッキー・モストと自分が相談して決めた、と答えています。ピーターは、モストは天才的だし、自分もいい耳をしていた、といっています。ピーター・ヌーンというのは、このように、謙遜をしないキャラクターのようです!
笑ったのは、「ローリング・ストーン」誌の記事についてきかれ、「Rolling Stone never interviewed me. Being a very independent and far more intelligent member of the British Music Scene, I avoided it and treated it with the contempt it deserved and now deserves」と答えていることです。
「ローリング・ストーンは俺にインタヴューしたことなんかない。俺はイギリス音楽シーンのいたって独立不羈にしてきわめて知的なメンバーだから、連中を忌避してきたし、昔も今も変わらぬ彼らの価値に見合った侮蔑的態度で接してきた」
わっはっは! ごもっとも。たしかに、ローリング・ストーンほど軽蔑に値する雑誌はありません。音楽業界の人間で、これほど明快にあのアホ馬鹿音痴雑誌を否定した人はいないでしょう。これだけでも、ピーター・ヌーンを偉人と称えたくなります!
ついでにいうと、だれもが馬鹿にする「16」誌を賞賛しているのもご立派。たしかに、ピーター・ヌーンは、自分でいうとおり、independentで付和雷同しない人物のようです。むろん、彼も認めているとおり、「16」誌はハーマンズ・ハーミッツ(やビートルズやDC5も)のアメリカでの成功を助けてくれたからでもありますが。
さらに、音楽は芸術だと主張するアホ馬鹿ローリング・ストーンがぜったいに褒めないであろう歌を(誇りをもって高らかに)つづけましょう。カーター=ルイス作、これまた邦題を覚えていました、「ハートがドキドキ」。
Herman's Hermits - Can't You Hear My Heartbeat
いまになれば、べつにどうということはありませんが、この三連ストロークによる間奏は、子どものとき(好き嫌いはさておき)すごく気になりました。
さて、いよいよ本題。セッション・プレイヤーの関与です。
といっても、ずいぶん昔のベストCDのライナーでも言及されたくらいで、ハーミッツはスタジオではプレイしなかったというのはなかば公然の事実で、このインタヴューの興味は、当事者がどう語るか、にあります。
ピーター・ヌーンは、ごく初期はハーミッツだけで録音したし、自分たちだけでもちゃんとできるタイプの曲ではプレイした、といっています。たとえば、I'm into Something Goodなど、輪郭がぼけたプレイなのが気になっていたので、やはりそうか、でした。
彼は、バンドの最大のウィーク・ポイントはドラマーのバリー・ウィットワムだった、といっています。タイムが悪かったのだと。しかし、人柄はすごくいいので、首にできず、やむをえず、スタジオではセッション・プレイヤーを使うことにした、といっています。そして名前が出てきたのがクレム・カッティーニ(やっぱり!)でした。
クレム・カッティーニはイギリスの代表的セッション・ドラマーで、トーネイドーズのメンバーとしてデビューし、キンクスのごく一部のトラックでプレイしたことや、ベイ・シティー・ローラーズのヒット曲などでプレイしたことが知られています。デイヴ・クラークも、DC5のトラックではなく、後年の「デイヴ・クラーク&フレンズ」のときに、カッティーニがドラムをプレイし、それが誤解のもとになったといっていました。
また一曲。この曲のギターはだれか、というのが問題です。
Herman's Hermits - Silhouettes
ご存知の方はご存知、ハーミッツの録音ではジミー・ペイジがしばしばプレイした、という説が、昔からあちこちに書かれていました。このインタヴューで、ピーター・ヌーンは、一度は、Silhouettesのギターはペイジだった、とコンファームしました。
しかし、注釈によると、のちに、この曲のギターはヴィック・フリックだったと訂正し、フリックも、自分がプレイしたとコンファームしたとのことです。納得!
ヴィック・フリックについては、つい最近もまた、「ジェイムズ・ボンド・テーマはだれがつくったのか: ヴィック・フリック・ストーリー」という記事に書きました。
わたしは、ジミー・ペイジはセッション・ギタリストとして一流になれるほどの精確なプレイができるタイプとは見ていないので、フリックがプレイしたというほうが、はるかに自然に感じます。ペイジは一部の曲でプレイしたのでしょうが、ピーター・ヌーンがいうように、レギュラーではなかったのでしょう。
この曲も、最初のインタヴューでは、ジミー・ペイジだったといっているのですが、じっさいにはどうなのでしょうか。ピーターが、自分と同じく、アレン・クライン一族に食い物にされた被害者といっている、サム・クックのヒットのカヴァー。
Herman's Hermits - A Wonderful World
ハーマンズ・ハーミッツについて長々と書くなんてのは、野暮の骨頂のような気もするのですが、偉そうにそっくり返ったローリング・ストーン誌だったら、十二歳の少女のための音楽をつくっていたバンドのことなど、ぜったいに褒めないことに思い至り、ピーター・ヌーンと同じく、独立不羈で付和雷同せず、きわめてインテリジェントな人間として(わっはっは)、ローリング・ストーンを徹底的に侮蔑するために、この際、やったろうじゃねえか、と思い直しました。
ということで、次回もまたピーター・ヌーン・ミーツ・ゼップです。
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ハーマンズ・ハーミッツ
Very Best of