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「千両みかん」(柳家小三治および立川談志)と「三味線ラ・クンパルシータ」(三味線豊吉)
 
なにかの噺の枕で、桂米朝が、「志ん生はんなんてお人が『えー、昔、吉原というところがありまして』なんて話しはじめると、ホンマにこのおっさん、江戸時代の吉原を知っているんとちゃうか、なんて思ったものでして……」

なんていっていましたが、落語、いや話芸の要諦はこの言葉に尽くされているように思います。ちょっとした言葉の端に、ある雰囲気を漂わせることが、つまり話芸なのでしょう。

そして、それはどういう言葉を並べるかという語彙にまつわることではなく、どのように言葉を発するかという、その感触の問題なのだと思われます。

よく芸人は、飲む打つ買うは芸の肥やしなどということをいいます。この「三悪」にはあまりいれをあげたことのない人間なので、若いころは、ずいぶんと都合のいい弁解だな、と思いました。

しかし、年をとってみると、すとんと腑に落ちました。えらく大束ないいようになりますが、あらゆる芸というのは、その基盤、前提、目的地としてセックスを想定しています。

広い意味で「色気」のない芸人は駄目です。「華」などともいいますが、この色気というのは、生まれつきでもあるでしょうが、磨かなければ人の目を引くほど光るものではなかろうと思います。

噺家というのは、古今亭志ん朝や立川談志のように、あるいはずっと後年の春風亭小朝のように、若いころから人気を博すタイプもいますが、古今亭志ん生を筆頭に、八代目三笑亭可楽などは晩成型だったようです。勝手な想像ですが、若いころに遊んだのが、中年以降に色気になってにじみ出たのではないでしょうか。

われわれの一生でなによりも習得に時間のかかる技術は、人間観察ではないかと思います。あらゆる芸は人間観察の蓄積を簡潔なエッセンスとして提出することといっていいでしょうが、とりわけ、映画と落語にそれをつよく感じます。

そしてそれは、ちょっとした言葉をいうときの抑揚であったり、間の取り方であったり、面の上げ下げであったり、目の使い方であったり、ほんのささやかな仕草といったものに、表現されるのでしょう。噺家は、話し方と仕草だけで多数の人物を造形しなければならず、その技術が確固たるものになるには、時間がかかるのだろうとつねづね思っています。

それで、前回の「佃祭」については、息子の志ん朝よりも、父親の志ん生のものに、一段の情趣があると述べたしだいです。

べつに、以上が枕で、以下が本題というわけではなく、昨夏、「納涼名人寄席」というものをやろうとしたときにつくったリストを再見し、その残骸をサルベージするだけです。

「千両みかん」は、夏の噺といえば多くの方が最初の手で指を折るに違いないだろう演目で、またまた凡庸で恐縮ですが、やはり、夏には聴きたい噺です。

昨夏は先代林家正蔵のものをリストアップしたのですが、ユーチューブにはべつのものがアップされていました。長いので三つに割ってあります。笑いの多い演目ではないので、お気に召さなければ、早めに引き返したほうがよろしいでしょう。

柳家小三治「千両みかん」冒頭


柳家小三治「千両みかん」中段


柳家小三治「千両みかん」終盤


本質的なことではないのですが、この噺に登場する「みかん問屋」、神田多町の万惣というのは現在も同じ場所で暖簾を守っています。神田の本店のみならず、都内数箇所に支店があり、ご利用した方もいらっしゃるでしょう。デザートのたぐいはけっこうなものが多く、ときおり食べたくなりますし、久しく訪れていない本店のパーラーもまたいきたいものです。

わたしよりお年を召した方ならご記憶でしょうが、いま高層ビルが立ち並んでいる秋葉原駅至近の場所に、かつては「やっちゃ場」、東京青果市場がありました(石原裕次郎、芦川いづみ主演の日活映画『あした晴れるか』の冒頭にやっちゃ場の風景が活写されている)。あれは江戸の名残で、付近には青物屋が多く、それが明治以降にいくぶんか引き継がれ、その生き残りが万惣なのだそうです。

ここでちょいと休憩。昨年企画しかけた「納涼名人寄席」の色物として用意したものをどうぞ。

三味線豊吉「三味線ラ・クンパルシータ」


タイアップ(近ごろは商売上の提携にすぎないことも「コラボ」というそうで、思いきり笑わせられた。むろん、そんな臆面もない商売人の口真似などする気はさらさらない)落語というのがいくつかあります。

たとえば、かわいい子狐が登場する「王子の狐」、これは東京・王子の料理屋「扇屋」の依頼で、コマーシャル(昔の言葉でいうと「披露目」)として作られたと伝えられています(残念ながら、料理屋のほうは閉じたそうだが、たまご焼きはいまでも販売されていることをウェブサイトで確認した)。

飛鳥山に花見に行って、川沿いの道を散策していたら、扇屋の看板に出くわし、思わず「王子の狐だ!」と声を上げてしまいました。いまも年に一回「王子の狐」を聴く会が開かれていると知っていたので、あるのはわかっていましたが、なんだか、ひどくうれしくなりました。

もっと人口に膾炙した噺としては「百川」が、日本橋の料亭「百川」の宣伝として作られたそうですが、こちらは肝心の依頼元がなくなってしまい、いまでは料理屋は忘れられ、落語の演題としてのみ知られる体たらく。そう考えると、万惣がいまも隆盛を誇っているのは、世にありがたいことだと痛感させられます。

談志は、志ん朝に「あにさんはふつうにはできないんでしょ」と云われて、「ふつうとはどういうことだ!」と怒ったそうです。たしかに、改めて「ふつうとはどういうことだ」と問われると、あたしにもよくわかりません、と頭を掻くことになります。

談志という人は、話を語っている自分というものを語ってしまいます。アノニマスな「噺」「譚」を裸で投げ出し、その向こうに身を隠すということができず、噺家が噺を語ることを語ってしまう「メタ落語」の演者です。その意味で桂枝雀に似ていますが、談志のほうは、ほとんどつねに「談志の落語を語る談志という噺家について語る噺家」であり、噺の向こうに身を引くということをしません。

大昔、小林信彦との対談で、安藤鶴夫は、いきなり「あなた、談志はどう?」と切り出しました。小林信彦は談志支持、安藤鶴夫はどうも引っかかる、という立場だったと記憶しています。

わたしは、手放しで談志を面白いと思ったことはなく、一枚幕をはさんで、「そういうスタイルをとる噺家という存在は理解できなくもない」という風にずっと考えてきました。いまだに、「談志も年をとって変わったか、いや、変わってねえだろうなあ」といった気分で聴くのであって、好きな店に入っていつもの料理を注文して、さあきたぞ、と手ぐすね引くような気分にはなりません。

以上、長前置き失礼。そういう人の「千両みかん」もあるので、いちおう貼り付けおきます。

立川談志「千両みかん」


これは「談志百席」というものに収録されたのだそうで、「圓生百席」と同じように、最後に自作解説がついています。ほんとうは、「逐電しました」とサゲたいんだ、といっていますが、これはよくわかります。

「逐電」とは辞書に「逃げ去って行方をくらますこと」とあります。江戸時代から戦前ならこの言い方が当たり前なので、み袋のみかんを持って番頭は逐電いたしました、ならすっきりと終われます(辞書は「ちくてん」と澄んだ音にしてあり、「ちくでん」とも、などといっているが、江戸東京の下町では強く発音するのが基本だから、「ちくでん」と濁るべき)。

世間の言葉が変わってしまい、それに追随したことが落語からスタイルを奪ったわけで、談志は、噺はうまくないかもしれませんが、いたって鋭敏な頭脳の持ち主なので、そのことがいいたくて、この噺のサゲを変えたことにふれているのでしょう。

千両であがなったみかんは、開けてみればなかに十袋(とふくろ)あって、ひと袋百両の計算。若旦那は、み袋を残して番頭に、おとっつぁん、おっかさんにひとつずつ、おまえにもお駄賃としてひと袋、といいます。

番頭は、まもなく暖簾を分けていただいて独立する、そのときお店(おたな、と訓じられたし)からもらえる長年の勤続に対する手当てが五十両。三百両などという金は生涯見ることはないだろう、とため息をつきます。

ここで論理の飛躍が起こるところが、この噺のもっともスリリングなところで、「花見酒」や上方の「壺算」と同じように、一瞬の論理の眩暈を喚起するがゆえに、つねに古びない噺になっています。

五年に一人、いや十年に一人、真夏にみかんを求めてくる客のために、蔵をひとつつかって冬にみかんをしまっておく、という万惣の商売のあり方も、この話のポイントのひとつでしょうが、年をとってあたくしは、下世話なことにいちいち感心する心を失いました。落語は落語、ビジネス書ではありません。

そういえば、加賀の御氷献上というのがあったそうで、加賀の前田家では、冬のあいだに氷室でつくった氷を、夏になって掘り起こし、夜を日についで江戸までいっさんに運び、将軍家に献上したとかで、久生十蘭がこれを素材に『顎十郎捕物帳』の一篇を書いていました。

かき氷はかつて王侯の食べ物であったか、などと思えば、百円のアイスクリームも、千両みかんの味がするやもしれません。


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by songsf4s | 2011-08-20 23:47 | 落語