気に染まぬ風もあろうに柳かな、とはいえ、俺は柳ではなし
 
本日は辛気くさい話で、音楽も映画も落語も書物も関係ありません。多くのお客さんには意味のない話です。じゃあ、やめておこうと、いまこのページを閉じたほうが、すっきりとした気分を保てるだろうと思います。以上、警告おしまい。

たまたまバーカウンターで隣あった赤の他人どうしでも、会話をはじめるにはそれなりの手順があります。あたりさわりのない話題でそろりと爪先から入っていくか、あるいは、バーテンダーを中間に挟んで間接的に入っていくか、大人はそれくらいのことは無意識にします。

いきなり、「そのタイ、どこで買ったの? おれ、百円ショップっていったことないけど、パンツやタイも売っているんだってね」なんてぐあいに会話に入ったら、ただではすまないでしょう。

でも、ウェブではこういうことを平気でやる人がいます。いや、当家が万事失礼な書き方なので、つい、わたしに対しては礼儀は無用と思うのかもしれませんが、そういうのを勘違いといいます。よそに行ったら、わたしだって礼節を重んじます。いや、親しい友人には、そりゃちがうでしょー、などといきなりツッコミを入れたりしますが、それはそういう関係を築いてきたからです。

最近、お二人の方から不愉快なコメントがあり、不愉快だとはっきり返答しました。「気に染まぬ風もあろうに柳かな」なんて調子で、なにげなくやりすごせれば、わたしも正しく年をとったといえるのでしょうが、生まれついての瞬間湯沸かし器がただ馬齢を重ねたにすぎないので、いまだ達観の境地にはいたりません。

ほとんどのお客さん方にはこんなことを申し上げる必要はないのです。たいていの方は礼節をわきまえていらっしゃるし、わたしの遠慮会釈のない悪口雑言も、あれは芸の一種、ぐらいに思っていらっしゃるから、ときおり当家を訪れて、今日はどんな馬鹿をいっているかとお読みくださるのでしょう。

まあ、もう少し上品なことを穏やかにいっていれば、当家も一日に千人のお客さんを迎えるほどの大人気を博したのかもしれませんが、自分ではない人間のふりなんかしたって、馬鹿馬鹿しいだけですから、いまだ300人と500人の中間を往復する毎日です。いや、この数字だって、恐縮してしまうほど多いと感じますが。

つい先日、わたしが怒りの返答をした方が、今日、再度コメントを寄せられ、弁明なさいました。時間と精神力を消耗するので、ここでは、個々の論点についてあれこれいうことはしません。どうかあしからず。「議論せず」の主義なのです。

つまらないことに時間を使うのがイヤで、そういうコメントをお寄せになるのはやめてほしい、という意味で怒りの返答をしたわけで、また返答に長い時間を使うのでは意味がありません。

かわりに、どういうコメントを忌避するかを説明させていただきます。これでも、わたしにはわたしなりの論理と基準があるのです。

わたしが嫌悪するコメントは、1)手順を踏んでいないもの、2)議論を仕掛けるもの、3)評論家口調のもの、4)高飛車なもの、5)わたしを軽侮するもの、6)非論理的なもの、などです。

ここはわたしの場所です。わたしは記事本文でエラソーなことをいう権利を有します。お客さん方は、わたしのエラソーなゴタクを読まない権利を有します。これで五分です。

わたしが作品や作者に対してエラソーで無礼なことをいうからといって、お客さんがわたしに対してエラソーで無礼な態度をとる権利を得たことにはなりません。作品との対話と、人と人との対話は次元の異なる問題です。

2番目の「議論を仕掛けるもの」がなぜいけないか? ひとつには、わたしが年寄りであるためです。議論というのは、暇をもてあました若者がする無益な愚行です。

年をとると、時間がないことに気づくし、現実問題として、忙しいのです。そして、議論からはなにも生まれないことを、いやというほど思い知らされているからです。

わたしはエラソーなことをいっぱい書くので、1998年以来、ウェブ上でさまざまな議論を仕掛けられてきました。そのほとんどすべてが無意味、無価値でした。

いきなり絡んでくるような人間は、対話するに足るほどの知性も教養も論理的思考力も持ち合わせていない人物か、または、たんなる暇人でした。知性と知識のレベルが対等ではない場合、議論はかならず平行線に入ります。

知性と知識のレベルでバランスのとれた組み合わせである場合、議論はしません。ただ、お互いのカードを見せ合い、相手を理解し、お互いの差異を認識し、友人になったり、そのまま忘れたりします。

わたしは議論などに時間を使うほど暇ではないし、愚かでもありません。議論などするぐらいだったら、読書をするか映画を見ます。

わたしは音楽評論や映画評論にはあまり興味がありません。若いころに読んだ評論のほとんどは愚劣なものでした。そういう認識がこのブログの出発点になっています。

面倒なことをいっているわけではありません。リスナーとして、ムーヴィー・ゴーアーとして、ご自分の感じたことを、あるいはご自分で調査なさったことを、評論家の思考回路と口調を通さずに、そのままご自分の言葉で書いてくだされば、わたしはちゃんと拝読します。

評論家的クリシェに頼ると、思考を制約され、洞察を妨げられます。先日のハル・ブレインのリストに関する短いコメントにあった「いろいろ疑問の残る」という言葉をつかまえて、くだらないことをいうんじゃない、と激怒したのは、そういう意味です。評論家口調をコピーするから、自分のいっていることの意味がわからなくなるのです。

わたしは瞬間湯沸かし器ですが、怒りの一瞬の洞察がまちがっていたと、あとで臍を噛んだことはありません。どれも正当な怒りであり、その怒りを抑え込んでいたら、精神と肉体の健康をむしばまれただろうと思います。

以上、もっとも重要なポイントは、わたしは議論をしないので、無駄なコメントは書かないでいただきたい、ということです。

ここまでは、たとえ気に入らなくても、コメントを削除してしまうのはアンフェアだろうし、逃げたと解釈されるのも業腹なので、公開してきましたが、以後、気に入らないコメントは、公開せずにそのまま削除する可能性があるのをご承知おきください。

いまもって人を見下すようなことをお書きになっているのを自覚なさっていないようで、そういう人と対話をする気など起こりません。体面を保ちたいというお気持ちはわかりますし、大きく譲歩するわけにもいかないのも、一面でやむをないのでしょう。だから、公開しました。十分に配慮したつもりです。

ここいらが潮時なので、当家のことはお忘れになり、どこかよそで知己を見つけられるようにおすすめします。ツイッターやフェイスブックなど、あなたが知己を求める手段はほかにたくさんあります。わたしはあなたのような人の友にはなれません。お互いに時間は楽しいことに使いましょう。


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by songsf4s | 2011-08-08 23:48 | backstage news