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まだ原発マッチポイントがつづく日もロックンロール5
 
あまり早くないのですが、まだ午前中、とにかく、おはようございます。原発にヘリから水を投下する作業がはじまったところです。皮肉な言葉が出そうになりますが、なにかの足しになってくれるのを願うばかりです。

順番が違うような気もするのですが、すでにページを開いているので、あとで開きなおすのも業腹、このままこの曲でスタートします。はっぴいえんど「明日あたりはきっと春」



記憶力の崩壊というのはじつになんとも強力なもので、この曲に関しては、まずタイトルが思い出せず、歌詞の断片を入力して検索しました。それで引っかかったのが、このページです。

これは台湾のサイトのようです。やたら日本語が書いてあって、最初は気づかなかったのですが。近頃は英語圏の日本音楽ファンも、やっとはっぴいえんどの重要性に気づきはじめたらしいと、英語の音楽ブログを見ていて思ったのですが、アジアでも現代日本音楽の歴史に目が向きはじめたのかもしれません。

英語圏では、YMOを起点に、細野晴臣のディスコグラフィーをたどっていったら、はっぴいえんどにたどりつき、日本の連中のいっていたはっぴいえんどとはこれだったのか、となったようです。なるほど、ここに認識の片足を置くと、現代日本音楽の姿がより明瞭な像を結ぶ、というあたりでしょう。

しかし、まあ、本気ではっぴいえんどの背景なんてことを考えると、ノイローゼになるからやめたほうがいいでしょう。彼らがなぜあの当時、多数派を惹きつけることができず、短期間で活動を終えることになったのか、そして、そうであったにも拘わらず、いまでは、現代日本大衆音楽の出発点とさえ考えられているのはなぜか、どうしてこのようなねじれ現象が起きたのか、なんてことを実証的に書けたら、博士論文一丁上がりです。日本人とはなにか、日本の戦後社会はどのようにアメリカ文化と接し、どのように自己形成をしたか、という話なのですから。

あの曲にしようか、と考えたところで歌詞を思い出し、らしくもなく自粛してしまい、ひとつずらして、彼女のもうひとつの代表作、西田佐知子「コーヒールンバ」



子供のころ、西田佐知子は大好きでした。そういうことというのは、大人になる過程でいったんどこかに隠れますが、年をとってくると、せっせと運び込んだ表土が流されてしまい、また露頭を顕します。

そろそろ、情報過剰、とくに、無用の情報の大氾濫に疲れるころで、わたしは、昨日、そのピークがきたと感じました。ツイッターはわたしに関する限り、機能不全です。

被災地から直接の声として、ここに孤立無援の被災者がいる、助けてくれ、ほかに通信手段がない、伝えてくれという切迫したツイートを見たときは、RTしました。でも、すぐに、ほとんど無意味か、または逆に有害だと考えるにいたり、この種のRTはやめました。

・真偽の確認ができない
・仮に真実であっても、ツイッターの情報でオフィシャルな組織が動くチャンネルは形成されていない
・そもそも同時多発的に大量の救援要請があり、仮にオフィシャルに届いても、対処できる可能性はほとんどない
・多数の人がRTすると、それが何重にも重なって流れていく恐れがある。その結果、結局は信憑性の判断はまったく不可能になる
・さらに悪いことに、重要な情報や事実の伝播をはなはだしく阻害する

といったあたりでしょうか。ツイッターの実験にはなったと思いますが、冷静な判断をできない人が多いので、結局、友人が言うこと以外は意識から遮断しました。

ただし、この「友人」はツイッターでしか知らない方々も含まれます。やはりツイッターでも、この人はニュートラルで冷静な判断ができる、なんてことがわかるものです。あるいは、なにか強い信条を掲げ、いざとなるとそのドグマを優先するタイプの人ではない、という感触を得られるということです。

そういう意味で、ツイッター上で見るわたしは、あまり信用のできないタイプだろうと想像します。呵呵。

こういうクリシェを口にするのはいかんなあ、と思うのですが、はっきりいって、私のものを含め、大多数のツイートは、「下手な考え休むに似たり」です。なんの役にも立っていません。でも、ツイートしたご本人の精神を安定させる役には立っています。その結果として、社会の安定に寄与したとはいえるでしょう。

だから、休むことが重要だというのです。馬鹿がガソリンを使って凶器を時速80キロでぶっ飛ばしながら、そこらをうろうろしたら、職務を果たそうとしている人たちの邪魔でしょうに。

いや、小知恵のある輩も、うちにじっとして、ツイッターで屁のふたぎにもならないようなことをつぶやいているほうが、われわれにとってはありがたいかもしれません。だから、ツイッターは捨ててかまわない簡易防護服の役割も果たしているのでしょう。小知恵にもうんざりしました。

わたしがツイッターで読むのは、たとえばs_mizukawaさんという方が朝夕にきちんきちんとつぶやく「出勤なう」と「退勤なう」です。ああ、きょうもmizukawaさんは無事に職場に向かい、無事に家に帰ったな、というのは、3.11以前にわたしの日常になっていて、それがまだもどらないのが残念でなりません。ちょっと変化してしまったのです。「退勤。方法を検討なう」といった感じです。

あるいは、ある人が毎朝RTするレストランの情報は、震災後、楽しみにしています。「パン焼きあがりました」なんて、じつに平和で豊かです。

こうした日常生活の断片を知ることができる点が、ツイッターのもっとも楽しいところだと感じています。ウェブが盛んになったとき、neighborhood、「ご近所」ということがいわれましたが、やっとその概念が現実になったのではないでしょうか。

ひょっとしたら、学者が言うように、われわれはコミュニティーを失ったのかもしれませんが、それはツイッター上に引っ越して、空間を超えて形成されるかもしれません。ゴミを出しに行くと、お隣のご主人が出てきて、「いってきます」「いってらっしゃい。お気をつけて」なんて会話を交わすのと似たようなことになりつつあります。

現実の「ご近所」と異なる点は、ツイッターでは近所の種類とサイズをある程度選べることです。おっと、もうひとつ、味噌醤油の貸し借りはできませんが。というわけで、徳山璉いってみます。はい、とんとんとんからりと「隣組」



まわしてちょうだい回覧板、ていうのが、今回の最大の災害でした。わたしはほとんど回覧板をまわさないことにしました。信用できる友人の、たとえば職業的観点から重要と判断してRTしてきたものをごく少数だけまわしました。

政府やメディアについては、どんどん積極的に、すぐさま批判するべきです。でも、現場でおこなわれている個々の作業については、口をつぐんでいようと思うのですが、こんどばかりは、ちょっと一言。「二階から目薬」とは、昔の人はうまいことをいったものだ!

適当な曲を思いつかず、垂直方向の困難を水平方向に変換し、ザ・ホリーズ、On a Carousel



めずらしくもボビー・エリオットが、キース・ムーンに変身していますなあ。ああいうドラマーでも、こういう日があるんですねえ。楽屋に帰ってから、アラン・クラークがボビー・エリオットの襟首ひっつかみ、てめえ、こんどそんなことをしたら、シンバルで首刎ねてやるからな、なんて騒ぎにならなかったことを祈ります。あ、43年前のことじゃ、手遅れですな。

相馬が故郷というツイッター上のご近所の方が、被災した親戚を引き受けるか否かという問題を考えなければいけない、とツイートされたのをいま読みました。いよいよお子様たちの躁病段階は終わり、大人の冷たい現実の段階にいたろうとしているようです。今後も感傷的なエピソードは垂れ流されるでしょうが、現実はまったく異なったレベルで進行します。

そもそも、社会を運転していく原理として、感傷が有効かどうかわからないし、たとえ無効でも意に介さない、というコンセンサスができているとは思えません。

ひとりひとり、それぞれ異なった感傷の源泉をもっています。だれかにとってかけがえのないおじいちゃんは、東電の経営者かもしれません。政府関係者かもしれません。マスコミ関係者かもしれません。

そうなれば、異なった感傷の源泉を持っている人は、うちのおばあちゃんが被曝する原因を作ったのは、あのジジイだ、殺してしまえ、と思うかもしれません。

もちろん、極端な話です。でも、ツイッターにながれているのは、こうした感傷にもとづく(究極において)理不尽な、それぞれの思いです。買い占めを戒める人たちだって、買い占めと同じ原理、心理から、感傷的なことを語っているという自覚はおもちではないでしょう。いえ、わたしもその無自覚な人間のひとりです。

まともな知性を持つ人間は、感傷を優先するべきときと、理知を優先すべき場面の違いをおおむねまっとうに判断できるでしょうが、人は集団となったとき、ひとりでいるときとは異なった原理で行動します。たぶん、感傷の最大公約数が集団を動かすのでしょう。

わたしのような粗雑な頭で考えられるのはこの程度に過ぎません。ツイッターの役割は「いまどうしてる」のほうにあると、今回は認識しました。「これからこうしよう」という言葉は、私自身がばら撒いたものを含め、すべて感傷に過ぎず、ほとんど無益だったと思います。

これから外出します。しばらく休みます。午後遅くに停電が予定されているので、更新再開は7時ごろになるかもしれません。それでは今日一日、みなさんがつつがなくすごされますように。

Mann-iaさん。方向性は見えているのですが、現物での確認に手間取っています。夜にはコメントへのお返事ができると思っています。うーん、なんか、こういうことを書くと、だれかの口調に似るのではないかと不安になりますなあ。
by songsf4s | 2011-03-17 10:01