話があっちこっちに飛んで恐縮ですが、まあ、大人のリスナー(あるいはムーヴィー・ゴーアーでもリーダーでもなんでもいいが)というのは、だいたいむちゃくちゃなもので、年代もジャンルもビロ~ンと広がっちゃっているものです。わたしも例外ではないというだけのこととご理解あられよ。
で、今日は舟木一夫です。といわれても困るでしょうね。ウォーキングでなにがつらいといって、歩道の狭いトンネルほどつらいものはありません。いや、これでは話が早すぎるので、ゆっくりいいます。
元からよく歩いていたのですが、最近は距離を倍増、三倍増させ、熱心に歩いています。で、国道16号線というところをしばしば通ります。16号線というのはもともと軍用道路で、早くから開通したらしいのです。昔にしてはめずらしく広い自動車道だったらしいのですが(上下併せて四車線)、民間に対する配慮はゼロなので、トンネル内部には、人の歩く余裕がほとんどありません。
これが嫌で嫌で、16号のトンネルを避けるルートをいろいろ試したのですが、なかなかいいものがありません。そりゃそうですよ。トンネルというのは、難路を避けるための打開策として掘られるものなのだから、それを避けたら、必然的に遠回りするか、歩きにくい道へ入り込みます。
長距離を歩くときは、アップス&ダウンズを避け、できるだけ平らなルートを通りたくなるものです。上りは体力を大きく消耗させ、下りはすでに傷んでいる足首や膝に大きなストレスを与えます。
そんなしだいで、結局、出発点に舞い戻り、トンネルを迂回しないことも多くなりました。トンネル歩きの苦痛をやわらげる簡単な手段は、大声で歌をうたうことです。やれやれ、やっと音楽につながりました。
それで、あれこれ「いつもの音楽」をうたってみたのです。しかし、歌詞を全部覚えている曲というのは、驚いたことに皆無なのです。わからないところをナンセンス・シラブルで置き換えるっていうのが、じつに悔しいのですよ。わかります?
携帯プレイヤーで音楽を聴きながら歩くというのは、わたしはしません。ウォーキングというのはけっこう危険なものです。とくにうしろから来る自転車は恐ろしいので、耳をふさぐのは好ましくないのです。だから、歌詞を参照するためにその曲を聴くということもできません。
となれば、あらかじめ記憶するしかないことになります。やってみました。しかし、驚いたことに、というか、年齢からいって当然というか、記憶というのもなかなかできないのです。El Pasoを記憶しようだなんて法外なことを思ったわけではありませんよ。昔からよく鼻歌にしていたLullaby in Ragtime(ダニー・ケイ盤に関する補足記事もあり)を完璧に覚えようとしただけです。
グレイトフル・デッド El Paso(72年のヨーロッパ・ツアーのクリップ。そんなの見たことないぞ! ほしい! ツアーの三枚組はキース・ゴッドショーのお目見えアルバムだった。ビル・クルツマンのスネアもベストのチューニングに近い。わずかに低くなってしまったが)
思ったよりいい94年のツアーのEl Paso(やっぱりブレント・ミドランドさえいなければデッドは楽しめる。80年代デッドはないものと思い、90年代を聴いたほうがいい)
ついでに聴いた91年のEyes of the Worldの前半(ひとり多いキーボードはだれ、と思ったら、ブルース・ホーンズビーだそうな。ミドランドがいないデッドはいい!)
同じく91年版Eyes of the Worldの後半(この曲はプレイすると全員トランス状態に入るのだろうなあ)
話があらぬほうにいきましたが、結局、もう英語の歌をフル・ヴァース記憶するのはむずかしいと認めざるをえなくなりました。
そこで一気に方向転換、日本語の曲にしようと考えたわけですな。筋が通っているでしょう? 筋が通らないのは、はっぴいえんどかなにかにすればいいのに、いきなり歌謡曲にいってしまったことです。
まず小林旭「ギターを持った渡り鳥」に挑戦。いや、うたえるかどうかよりも、大いなる問題は歌詞を記憶できるかどうかなのです。音なし、メモなし、あくまでも出発前に歌詞を見て記憶し、トンネルを歩きながら記憶だけでうたうわけで、確認と修正を繰り返して、結局、フル・ヴァースを記憶するのに三日かかりました。
つぎが石川セリの「八月の濡れた砂」これはセカンド・ヴァースまでしかないので、二日でOKでした。英語は無理でも、日本語なら、まだ歌詞を記憶できるとわかってホッとしました。
で、つぎになにを記憶しようかとつらつら考えて出てきたのは、ひとつはフランク永井の「夜霧の第二国道」、もうひとつが、そう舟木一夫の「花咲く乙女たち」だったのです。
舟木一夫 花咲く乙女たち
子供のころ、冗談抜きでこの曲が好きでした。間奏が面白いのです。あとになって、ああ、オーギュメントかと納得しましたが、コードの扱いが当時の歌謡曲のなかでは変わっていて耳立ったものです。作曲は遠藤実。
作詞はなんと西條八十! 私が子供のときに、この人がまだ現役だったのかと思うと、なんだか妙な気分です。昭和戦前の人という印象ですから。「高校三年生」と同じく、「花咲く乙女たち」も丘灯至夫かと思っていました。
で、改めて歌詞をまじめに聴いて、えっ、こんなだったっけ、と思いました。
鈴蘭のように愛らしく
また勿忘草の花に似て
ひよわでさみしい目をした娘
みんなみんなどこへ行く
町に花咲く乙女たちよ
あの道の角ですれ違い
高原の旅で歌うたい
また月夜の銀の波の上
並んでボートをこいだ人
みんなみんないまはない
町に花咲く乙女たちよ
黒髪を長くなびかせて
春風のように笑うきみ
ああ、だれもがいつか恋をして
離れて嫁いでゆく人か
みんなみんな咲いて散る
町に花咲く乙女たちよ
ファースト・ヴァース、ファースト・コーラスは丸ごと記憶していました。問題はセカンドとサードのコーラスです。「みんなみんないまはない」って、ないのかよー、とツッコミましたよ。「ない」と断定されちゃうと、「乙女」たちは怒るでしょう。
サード・コーラスだってひどいものです。「みんなみんな咲いて散る」ですよ! 特攻隊じゃあるまいし、散っちゃったらまずいでしょうに。
これって、やはり昔だからシングルにしてオーケイだったのだろうと思います。いまだったら、べつに放送禁止になったりはしないでしょうが、あちこちから、不愉快な歌詞だ、という声があがっただろうと思います。いや、そのまえに、こんな歌詞は書かないし、書いても録音しないし、万が一録音しても、リリースはしないでしょう。
西條八十は「乙女」たちにおおいにモテたという話を昔読んだ記憶があります。そういう人が書いたのだと思って、改めて「花咲く乙女たち」の後半を検討すると、なんだか妙に実感がこもっているなあ、と笑いそうになります。ずいぶんナニしたけれど、結局、すべて一時のこと、気がつけばみな消えているのね、てなもので、まるで定家の「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」です。
ということで、つらつら眺めれば貴重な(?)歌詞に思えてきたので、つぎに記憶するのは「花咲く乙女たち」と決めました。いやはや、当家の無数の記事のなかでも、谷底に近いくだらん話で、どうも失礼をばいたしました。恐惶謹言、あらあらかしこ。
舟木一夫 魅力のすべて
OST
The Five Pennies
DVD
The Five Pennies
A Little Touch of Schmilsson in the Night
As Time Goes By
(Schmilsson in the Nightにアウトテイクを加えたもの)
マーティー・ロビンズのEl Paso
Essential Marty Robbins 1951-1982
グレイトフル・デッドのEl Paso
Steal Your Face