いつもは「切れ場」を考えて話を割っているのですが、昨夜は肝心のときにいろいろ支障があって、あわてて終えたので、話が途中になってしまいました。いや、昨夜切ったところで、つぎの段落でなにを書こうとしていたのか失念してしまったのですが!
舟で兄と酒を酌み交わしながら、小沢栄太郎が「明日の朝には大溝に着く。あそこは名だたる勇将丹羽五郎左衛門さまのご城下だ、長浜よりももっと繁盛だぞ」といいます。
丹羽五郎左衛門、すなわち丹羽長秀が大溝城主だったのは、本能寺の変よりあとの天正十一(1583)年のことだそうで、これで映画『雨月物語』の時代設定がわかります。

ちょいと手を焼かされましたが、「説明ではなく描写を」がフィクションの要諦です。「天正十一年――」と文字を出すのは「説明」です。そうではなく、物語のナラティヴ、描写のなかに自然に事実関係を織り込むべきなのです。
◆ 幽明、境を分かつ ◆◆
『雨月物語』は、90パーセントはクレーンで撮ったと宮川一夫はいっています。溝口健二がクレーンを好んだのだそうですが、見るほうは、宮川一夫のスタイルのように感じます。

ファースト・ショットも、当然のように華麗なクレーン・ワークで、うわあ、といったぐらいの時間では足りず、うわあ、うわあ、うわあ、ぐらいは繰り返して感心します。『山椒大夫』でもやった、斜め下への移動撮影です。
湖水のクレーン撮影は、開巻のような華麗なダイナミズムはなく、つねに静かに移動し、縹渺たる幽玄さを表現するのに寄与しています。キャメラをパーンやティルトさせる「強い」動きを嫌って、やわらかい、静かな動きをつくるためにクレーンを使っているのではないでしょうか。
そろそろ、未見の方には邪魔になるかもしれないことを書きはじめると、ご注意申し上げておきます。エンディングを書くかどうかはまだ決めていませんが、たいていのことは知らずにいたほうが映画を楽しめるものです。


わたしは、この湖水の場面から、もう幻想の世界に入ったと感じます。霧の向こうからゆっくりと舟が漂いあらわれるのは、この世からあの世に抜けたことをあらわしているように見えるのです。
そして、彼らの行く手の霧のなかから、べつの舟が漂いあらわれます。近づいてみると、さんばら髪の人が伏していて、田中絹代は「あっ、船幽霊!」と声を上げます。





船幽霊とは「海上で遭難した人の亡霊が幽霊船に乗って,漁師などこの世の人に働きかけるという霊異現象」(世界大百科)だそうです。また、〈マリー・セレスト〉号のような「幽霊船」、つまり船自体を「船幽霊」と呼ぶこともあるようです。
そして、「船幽霊には、闇夜でもよく見える、避けようとすると害を受ける、ひしゃくを貸せというなどの共通点がある。(中略)船幽霊をさける方法やこれの見分け方も伝えられている。とくに、ひしゃくを貸してくれといわれたときには、底を抜いてから与えないと船に水を入れられて沈没する」のだそうです。
漂ってきた舟に伏していた男は、幽霊といわれると、ちがう、幽霊ではない、海賊に襲われた、といい(幽霊ではないというのは自己申告にすぎないからなあ、とツッコミを入れそうになる)、水をくれ、と所望します。



「ひしゃくを貸してくれ」(たぶん、船底の水をかい出すのに必要だという意味だろう)といったわけではないのですが、森雅之たちはなんの用心もせずに水をあたえます。依田義賢が船幽霊の伝説を調べたかどうかはわかりませんが、調べないというほうに賭けるのは危険なので、知っていたと仮定すると、この不用心はすでにここが異界であることの念押しかもしれません。
◆ 殷賑きわめる巷の地獄巡り ◆◆
行く手は危険だ、気をつけろ、という死にかけた船頭の忠告を受けて、森雅之はいったん舟を戻し、妻と子を置いていくことにします。







水戸光子は漕ぎ手でもあり、また侍になりたいという亭主のことが気がかりでもあるのでしょう、男たちといっしょに大溝に行くことになります。




大溝の市では、森雅之たち三人の商売は繁盛し、たちまちいくばくかの金を手にします。熱心に商売に励んでいた小沢栄太郎は、家来をしたがえた騎馬武者が通るのを見て、我慢できずに金をつかんでその場を去ります。
水戸光子はビックリして亭主を止めようとし、義兄にも助けを頼みますが、ちょっとその場を離れただけで、品物に人がたかっているのが見え、森雅之はあきらめてしまいます。
小沢栄太郎は、女房をまいてから、市の具足屋に行き、鎧と槍を買います。



いっぽう、水戸光子は亭主を捜しているうちにひと気のない河原に出てしまい、雑兵たちに取り囲まれ、近くの寺のお堂に担ぎ込まれてしまいます。





わたしが考えるように、湖水に滑り出したところで異界に入ったかどうかとはかかわりなく、彼らはそれぞれに地獄巡りをはじめました。
◆ 異界の女と契れば ◆◆
それより以前、おおいに皿や器を売りまくっているときに、貴婦人と供の中老の婦人が森雅之に声をかけ、いくつか品物を買い、そこの向こうの朽木屋敷まで届けてくれといいます。





夕方になって売れ残った品物を片づけると、森雅之は買い上げられた品物をもって屋敷に向かいます。途中、美々しく着物を飾った店に立ち寄り、女房にきれいな服を着せる様を空想するリリカルなシーンが挿入されます。







その幸せな幻想を破るように、ふと気づくと、店の外にさきほどの貴婦人・若狭(京マチ子)と侍女(毛利菊枝)があらわれ、案内がなければわからないだろうと、森雅之を屋敷に連れて行きます。







玄関の式台に上がらず、品物を置いて平伏し、帰ろうとする森雅之を、京マチ子がとどめ、引きずるようにして座敷に通します。






京マチ子は、あなたは北近江の源十郎だろう、あのような美しいものをつくる人に会いたかったといい、酒肴でもてなします。
あなたはもっとその才を伸ばさなければいけません、といわれて、森雅之は、それにはどうすればいいのですか、と問います。すると、侍女が「若狭様とお契りなされまし」といいます。
われわれ観客同様、森雅之も、論理の飛躍にビックリし、同時に、あまりにも身分がかけ離れていて、とうていそのようなことはできない、という恐懼の表情を浮かべます。









しかし、わたしの考えでは、湖水に浮かんだときから、すでに異界に入っているのであり、まして、その異界のなかでもこの朽木屋敷はさらに妖しいのだから、ふつうの世界の論理は通用しません。
森雅之も、正気なら、こんな飛躍はおかしいと思い(じっさい、思うだけは思っていることが、あとで間接的に表現される)、逃げ出すでしょうが、異界では現世とは異なる論理が支配しているので、この妖しい姫君と契りを結んでしまいます。
かくして、三人が三様に地獄へと落ちこんで、物語は後半へと向かいます。

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