成瀬巳喜男の映画は、ついこのあいだ、『めし』をとりあげたばかりですが、先日、『娘・妻・母』を見たので、印象が薄れないうちに書いておこうと思います。
この十数年はすっかり無精になり、また、劇場の椅子に坐りつづける体力もなくなってしまったため、シネマテークに行くことはめったになくなりました。三十代なかばをすぎてからいったのは、鈴木清順、小津安二郎、そして成瀬巳喜男の三人、および監督単位ではなく、日活アクションの特集と、石原裕次郎の連続上映ぐらいです。
成瀬巳喜男もブック・チケットを買って、何日も通ったので、代表作といわれるものの多くを見ました。しかし、成瀬巳喜男は作品数が多く、ずいぶん見たつもりでも、未見のものがまだたくさんあります。いまいちばん見たいのは『秋立ちぬ』という映画なのですが、調べてみたら、これがまだDVDにもなっていなくて、劇場で見るしかないようです。
◆ オールスター・キャスト ◆◆
さて、今回の成瀬巳喜男映画は、やっとつい先日、はじめて見た『娘・妻・母』です。美術はいつものように中古智、照明も成瀬組の石井長四郎ですが、キャメラは成瀬巳喜男後期のレギュラー安本淳であって、玉井正夫ではありません。脚本は井出俊郎と松山善三、音楽は斉藤一郎です。
おもな舞台になる坂西家は東京の郊外(代々木上原という想定らしい)にあり、還暦になろうとしている母(三益愛子)、どこかの企業の部長である長男(森雅之)、その妻(高峰秀子)、二人のあいだの学齢前の息子、そして、酒造会社で働く独身の三女(団令子)という家族構成です。
坂西家にはほかに、日本橋の大店に嫁に行った長女(原節子)、次女(草笛光子)、すでに結婚してべつに一家を構えている、カメラマンの次男(宝田明)がいます(宝田明のスタジオは銀座裏あたりの設定か)。
草笛光子の夫は小泉博、その母は杉村春子、宝田明の妻は淡路恵子、カメラマン宝田明のところに仕事に来るモデルが笹森礼子、ほかに仲代達矢、加東大介、上原謙、笠智衆、中北千枝子(ひょっとしたら成瀬巳喜男映画最多出演女優)、太刀川寛などが出ています。脇役が豪華で正月映画かと思ってしまうキャスティングです。
このような家族構成と配役で、ちょっとしたことから坂西家が崩壊し、一家離散となるまでの物語が『娘・妻・母』です。
◆ 二男三女の生活ぶり ◆◆
日本橋の商家に嫁いだ長女・原節子は、姑とのあいだがうまくいかず、数日前から実家に身を寄せています。この映画での原節子は、『めし』の里帰りした妻とはだいぶ異なり、同じような状況にありながら、達観しているというか、あきらめているというか、ふてぶてしいとすら云いたくなるほどで、夫や婚家に未練を残していません。
次女の草笛光子は自分も保母として働きながら、教師をしている夫の小泉博、義母の杉村春子と小さな家に三人暮らしをしています。
次男の宝田明はカメラマンとして活躍し、元モデルの妻は喫茶店を経営していて、こちらも繁盛し、同じDinkでも、舅姑のいない二人だけということもあって、草笛光子のところとはだいぶちがう派手な生活ぶりです。
『娘・妻・母』はこのような状況設定ではじまり、原節子が里に帰っているあいだに、夫が同業者組合の慰安旅行で行った伊豆で事故に遭い、死んでしまったことから話が展開しはじめます。
◆ またまた未亡人 ◆◆
原節子と高峰秀子という、二人の大物女優が出演していて、ビリングも分け合っているのですが、原節子が未亡人になったことで、彼女が中心になっていくことが冒頭でわかります。
香典をどうするかで、宝田明のところが勝手に金額を決めたために、草笛光子のところで姑が嫁に嫌みをいうなどという、どこの家でも、いつの時代でもありそうなエピソードが挿まれます。こういう小さな描写も、それぞれの家庭の経済状態や、草笛光子と杉村春子の嫁と姑の関係を明らかにし、のちに起きることの伏線になっているところは、成瀬映画らしい細やかさです。
葬式のあとは、日曜なのか、原節子をのぞいて、坂西家の人びとが集まって話しているシーンで、ここで坂西家の経済状態が明らかにされます。父は資産を残さず(三益愛子いわく「お父さんはああいう人でしたからね」。いやはや、このなんでもない台詞のじつにリアルなこと!)、残ったのは土地と家だけ。
宝田明が「二百坪というところか」といいますが、長男の森雅之は「とんでもない。百六十だ」と訂正します。こんな話もどこの家でも交わされるでしょう。三女は坪いくらとして、ひとり頭どれくらいの金額になるかを計算します。戦前に生まれ育った人は、長子相続が頭にこびりついているので、戦後は兄弟平等だということを観客に念押しする役割もあるのでしょう。
ここらで、この映画のテーマは「家」と「金」と見当をつけました。
そして、この長女のいない「非公式な家族会議」の場で、彼女が離縁されると明らかになります。大事に育てられ、あんな大家の奥さんにおさまった人は、いまから働いて自立するといっても無理だ、ということで、森雅之が家長として「当面、俺が面倒を見るよ」といいます。
◆ あっちの百万とこっちの百万 ◆◆
高峰秀子には伯父(加東大介)があり、プラスティック成型をする町工場を経営しています。加東大介は資金繰りに苦しんで、親類縁者をまわってあちこちから金を借りているらしく、森雅之にも利息を渡したおりに、工場の設備更新の資金百万円の融資を依頼しますが、とても無理と断られます。百万は十倍して現在では一千万の見当でしょう。
この映画は間接的な描写が多いのですが、離縁された原節子が実家に戻るところも直接には描かれません。三女の団令子が次男の宝田明に電話して、その話をします。そのときに団令子は、和子姉さん(高峰秀子)たら、さっそく女中さんをやめさせちゃったのよ、なんていいます。いやはや、小姑のうるさいこと。
原節子は微妙な位置にはまりこむことになります。彼女の庇護者である母はまだ健在です。しかし、一家の主婦は兄嫁、この微妙な力関係のなかで、居場所を見つけるのはえらく気骨が折れるなあ、と溜息が出てしまいます。
兄嫁に、よろしくお願いします、と挨拶しておき、後刻、原節子は母と二人だけのときに、自分は女中部屋を使わせてもらうといいます。そして、毎月五千円を家に入れることにします。母は、それは多すぎるといいますが、原節子は、あたし、お金もってるの、百万円、といいます。死んだ夫の保険金で、「これがわたしの全財産」と説明します。
この話をたまたま子どもがきき、子どもだから無分別にほかの家族にも話してしまいます。まあ、いずれわかることでしょうが、なし崩しに知れていったせいもあって、この百万円は結果的に不幸の種になります。
まだ設定と冒頭の展開を書いただけで、本格的に話が動きはじめるのはこれからなのですが、残りは次回に。最初のうちは、未亡人原節子の運命を描く話なのかと思ったのですが、じっさいにはそれほど単純な構造ではありませんでした。
◆ 斉藤一郎のスコア ◆◆
『娘・妻・母』の音楽は斉藤一郎です。当家で過去に取り上げた映画としては、成瀬巳喜男『浮雲』、田坂具隆『乳母車』、そして小津安二郎『長屋紳士録』のスコアを書いています。
作品数が多いからだともいえますが、斉藤一郎は、成瀬巳喜男映画としてはほかに『流れる』『放浪記』『山の音』『晩菊』『稲妻』『おかあさん』『乱れる』など、代表作、有名作の多くの音楽監督をつとめています。
古い映画の喫茶店やバーなどのシーンで流れる現実音はいつも面白いのですが、それは次回ということにして、今回は素直にメイン・タイトルをサンプルにしました。
サンプル 斉藤一郎「『娘・妻・母』メイン・タイトル」
こういうサウンドを聴いていると、昔の映画を見ているなあ、という気分になれます。
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