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鈴木清順監督『野獣の青春』(1963年、日活)その3

たとえば「ユーザー様」などという表現をよく見受けますが、こういうのを見ると、戦後日本語教育の退廃が行き着いたどん底のヘドロに顔を突っ込んだような気分になります。行きすぎた尊敬表現は、侮蔑も同然です。「ユーザーの皆様」「ユーザーの方」で十分でしょうに、なんだって「ユーザー様」などという汚い表現を使うのかと思います。

ウェブでとくに目立つのですが、公的人物を論評するときに、知人であるかのように敬称をつけるのも、「ユーザー様」に類似した敬意表現の混乱です。しかし、もはやわたしのように、公的人物には敬称をつけないという原則に固執するほうが少数派です。敬意表現は、適切な対象に、適切に使わないと、目的と役割を喪失し、無価値なものへと失墜します。やがて「さん」も「様」も、なんの意味ももたなくなることでしょう。

しかし、こういうことにも灰色領域があるなあ、と今日は考え込んでしまいました。

今朝、ウェブにフックアップしてメールチェックしたら、ツイッターからの「玉木宏樹があなたをフォローし始めました」という知らせが先頭にあって、瞬時にして目が覚めました。この「玉木宏樹」とは、「あの玉木宏樹」にちがいない、と即座に思いましたが、もちろん、すぐにプロフィールを確認しました。やはり、ヴァイオリニスト、作曲家のあの方でした。

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とりあえずフォローさせていただき、それから、いやはや、と困惑しました。ツイッターでちょっと『猛毒!クラシック入門』のことを書いたからこうなったわけで、映画音楽のことは書きにくくなり、今日は無ツイートの一日になりました。

『猛毒!クラシック入門』に関するツイートが契機になったにすぎず、このブログまではご覧になっていないでしょうが(しかし、ご存知のように、ツイッターのプロフィールからウェブサイトやブログにたどり着ける)、今後、敬称なしをつづけるのか、敬称をつけるべきなのか、とりあえず判断しかねて、立ち往生してしまいました。知り合いというには縁が薄すぎるし、フォローし、フォローされている以上、まったくの赤の他人ともいいにくく、どうすりゃいいんだ、です!

◆ 縄張荒らし ◆◆
敬称問題は判断停止のまま、今日はまた『野獣の青春』をリジュームします。前回まで三回連続でやった「夏の終わりの歌」は、まだいくつかあるので、例によって時間がとれなかったときの「雨傘」として、予告なしに復活させるつもりです。

さて、『野獣の青春』です。前回は、ジョーが自分を売り込みに行って、小林昭二ボスに会うところまで書きました。

ジョーは野本興行で働くことになり、江角英明が相棒兼お目付役を命じられますが、ガン・マニアの江角は、ジョーにライフルをもらって、あっさり懐柔されてしまいます。

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ジョーが「会社」から割り当てられたマンション。でも、スペルが……。

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最初の仕事は、不動産屋の山田禅二から300万の金を取り立てる(手形のサルベージと示唆される)というものでしたが、山田禅二が保護料を払っている、野本興業とは対立する三光組の人間に気づかれ、ジョーは入口をふさいで敵の侵入を食いとめますが、物干し台にあらわれた郷鍈治に銃を向けられ、手を挙げることになります。

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宍戸錠、郷鍈治の兄弟が同じ映画に出演したのは珍しくないと思いますが、この映画ほど二人がからむものはほかに記憶がありません。いや、そのことはまた改めて書くとして、ジョーと江角英明が「仕事」に出かけるときに流れる4ビートの音楽を切り出してみました。ものすごく短いキューですが、こういうちょっとした音楽が、この映画のグッド・グルーヴに寄与しています。

サンプル 奥村一「縄張荒らし」

ジョーが抵抗できなくなると、入口から三光組の連中がなだれ込み、ジョーに殴りかかりますが、そのとき、郷鍈治が「やめてくれ!」と叫びます。登場人物同様、観客も、なんだって郷鍈治がそんなことをいうのかと思います。

再度、郷鍈治が叫ぶと、やっと三光組の組員もジョーを殴る手を止め、郷鍈治のほうをふりかえります。物干し台においた椅子にまたがり、表情を強ばらせた郷鍈治が、ゆっくりと視線を下にやると、彼の股間を江角英明のライフルが狙っている、というコミカルな逆転劇で、ジョーと江角英明は山田禅二から300万をせしめます。

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この恐喝シークェンスも、アイディアも豊富に投入されていますし、テンポもよく、文句がありません。

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◆ もうひとりのサイコパス ◆◆
場面一転――。いきなり、床を這ってもだえ苦しむ女が登場し、まだ顔の見えない男に向かって、ヤクをくれ、と懇願しています。女が椅子のラシャをかきむしってしまうところが、清順らしいダメ押し演出です。

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男は薬包をひらひらさせながら、女をあやつり、もっと稼がないとダメよ、と女言葉で脅します。

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日活ファンは、まだ顔の見えないこの男が、川地民夫であることに、ここで気づきます。

宍戸錠もインタヴューで、この映画でもっとも印象に残ったのは川地民夫の演技だといっているくらいで、『野獣の青春』での野本秀夫役(小林昭二ボスの弟)は、川地民夫畢生の名演です。

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いや、つらつら考えてみると、『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』のサディスティックなギャング・真部役も、『花と怒涛』のマントの刺客・吉村健二役も、『東京流れ者』の最後はやけどで顔面ただれてしまうサイコパス的刺客・辰造役も、鈴木清順映画はみな、川地民夫の代表作といえます。

いずれがアヤメかカキツバタ、甲乙つけがたい出来なのですが、でもやはり、一本選ぶならば、最後まで大活躍する『野獣の青春』でしょう。しかし、ここでは、ゲイっぽい(昔の「シスターボーイ」という言葉のほうがふさわしいかもしれない)うえに、サディスティックな性格だということが暗示されるに留まります。

◆ 今日は法事があってね ◆◆
ボスの家にもどったジョーは、川地民夫を見て、なぜか追いかけますが、逃げられてしまいます。

江角英明とともに、サルベージしてきた金を小林昭二ボスにわたし、ボスはそのなかから、契約金として100万をジョーにあたえます。ジョーは遊びに行こうという江角英明の誘いを、「法事があってね」と断ります。

これが渡り鳥シリーズなら、「どうも野暮用が多くていけねえ」といういつものシャレのヴァリエーションかと思ってしまうところですが、つぎのショットでは、警察関係者が一室に集まっていて、未亡人(渡辺美佐子)が給仕をしています。

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これで、タイトルバックで死体になっていた刑事の四十九日の法要なのだとわかり、そこにジョーがあらわれて焼香します。「法事があってね」がシャレでもなんでもないところがかえって可笑しくて、わたしは毎度、殊勝に焼香するジョーを見るたびにニヤニヤしてしまいます。

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しかし、あとでわかるのですが、このさりげない法要のシーンは大事な伏線の役割を負っています。まあ、未亡人は渡辺美佐子が演じているので、ちょい役ではないだろうと当たりをつけられるのが、良くも悪くもプログラム・ピクチャーというものですが。

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青い玄関(!)と赤い椿。まさに鈴木清順。

ジョーは香典を置くだけで、時間がないからと精進落としは断って、そそくさと帰りますが、未亡人の家を出たとたん、向こうから会いたくない人物がきたらしく、道を引き返してきます。

クライテリオン版3/9

このあたりで、ジョーがただのギャングではないことはわかるものの、では死んだ警官とどういう関係なのかはまだ明確にされません。起承転結の「転」、ヒーローは見た目の通りの人物ではないのだよ、という暗示です。

◆ 娯楽の本道を行く ◆◆
ジョーはどこかの駐車場で、えー、こういうものを指す一般名詞はなんなのか、よくわからないのですが、出張なんとかなどといわれる売春形態がありますね、ああいうものの広告ビラを集め、女を呼びます。

しかし、ジョーは、女に警官の心中事件の新聞記事を見せ、この女はおまえの同僚ではないかときき、否定の返事をもらうと、金を渡してそのまま帰します。

ここまでくれば、どういう立場にあり、どういう背景をもっているのかはいまだ明確ではないものの、主人公がいま追っているのは、この警官と娼婦の無理心中事件の真相であり、野本興業に自分を買わせたのも、その調査の一環なのだということがはっきりします。

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改めてこの秀作を見直して、ここまでの展開のうまさに溜息が出ました。『ツィゴイネルワイゼン』や『陽炎座』のせいで、鈴木清順はお芸術方面から高く評価されるようになってしまいましたが、日活首脳陣にもうすこし目があり、鈴木清順がほんのすこし早く監督になっていれば、すぐれたプログラム・ピクチャーの作り手として、舛田利雄と同じリーグの人とみなされるようになっただろうと思います。

いや、舛田利雄よりずっとうまいですからねえ、『赤いハンカチ』を撮らせたかったと思うほどです。海外の監督でいえば、ドン・シーゲルあたりが比較の対象にはもってこいで、『ダーティー・ハリー』だって、鈴木清順はみごとに撮ったにちがいありません。

いや、冗談ではなく、だれが撮ったか名前は忘れて、無心に『野獣の青春』を見れば、「この人、石原裕次郎はなにを撮ったの? なにも? じゃ、つぎは裕次郎主演の正月映画を撮ってもらおうよ」といいますね。

あの時代の日活に、これほどうまく娯楽映画を撮れる監督はほかに見あたりません。どのシーンも手抜きナシ、客が眠らないように、考えに考えて工夫を凝らしています。まったく、人の運というのは摩訶不思議です。


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日活映画音楽集~監督シリーズ~鈴木清順
日活映画音楽集~監督シリーズ~鈴木清順


by songsf4s | 2010-09-04 23:53 | 映画