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細野晴臣、松本隆、鈴木茂の「夏なんです」
タイトル
夏なんです
アーティスト
細野晴臣、松本隆、鈴木茂
ライター
松本隆、細野晴臣
収録アルバム
N/A
リリース年
?年
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「目をつぶっても通れる朝比奈峠」(と鎌倉二階堂に住んでいた仲間がいっていた。お互い、よく生き延びたものだ!)とでもいうべき、ギター・アンサンブルのことを書いているあいだに、つぎの映画を見ようと思ったのですが、この間に見た映画はゴジラが1本半のみ、これは取り上げる予定のものではなくて、ブログの役には立ちません(しかし、スコアを聴いていて、ちょっと面白く感じた)。

昨夜、すこしだけつぎの映画を見たのですが、すぐに、なぜか(たぶん前回のオールマンズと同じころによく聴いていたため)、細野晴臣が聴きたくなり、YouTubeで検索してみました。Hosono Houseが聴きたかったのですが、残念ながらオリジナルはなく、後年のライヴ・クリップが見つかっただけでした。

細野晴臣 ろっかばいまいべいびい(ライヴ)


細野晴臣 恋は桃色(ライヴ)


唐突ですが、「しわい屋」の枕などに使われる小咄。

旦那「ちょいと向かいの店行って、『金槌をお貸し願えないでしょうか』とな、ていねいに頼んでくるんだぞ」小僧「行って参りました」旦那「どうだった?」小僧「へい。減るからダメだ、とのことでした」旦那「なんてケチな奴だ。仕方ない、うちのを使いなさい」

YouTubeにはない、ケチな奴だ、仕方ない、うちのを使え、というので、バックアップを引っかきまわして、ようやく見つけたHosono Houseを聴きました。近年のライヴも、これはこれでなかなかけっこうだと思いましたが、Hosono Houseの録音、音の感触は独特で(ホーム・レコーディングだった。だからHosono Houseというタイトルになった)、楽曲やアレンジより、そちらのほうが強く印象に残ったほどですから、ライヴはやはり別物に感じます。

昔は「ろっかばいまいべいびー」だけ好きだったのですが、いつの間にか、どのトラックも楽しめるようになっていました。あのころ、ジェイムズ・テイラーもキャロル・キングもあまり好きではなく、その意識に邪魔されたのかもしれません。これだけ時間がたつと、ジェイムズ・テイラーとの類似よりも、相違のほうが強く感じられるようになりました。いや、早い話が、ジェイムズ・テイラーとはぜんぜんちがう音楽だというだけです。

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それから、松本隆とは異なった細野晴臣の言語感覚も、大瀧詠一の歌詞同様、これはこれで面白いとも感じました。松本隆にそういう面がないとはいいませんが、大瀧詠一も細野晴臣も、言語をきわめて音韻的にとらえていて(「はいな、はいな、門から」)、はっぴいえんどのデビューからごくわずかなあいだに、「意味離れ」した言葉が心地よく感じられる時代へと移ったことを思いだします。

大瀧詠一の場合でいえば、意味離れからさらに一歩進んで、Niagara Moonのキッチュ、キャンプ、いやabsurdityと表現するのが適当かもしれませんが、そのような多重性のある歌詞がもっとも面白く感じられました。

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◆ 細野晴臣のはっぴいえんど ◆◆
そういうものを探していたわけではないのですが、ついでに引っかかったトラックがじつに興味深いものでした。これはエンベッドできないので、ご興味のある方は右クリックでYouTubeを開いてください。

細野晴臣、松本隆、鈴木茂 「夏なんです」ライヴ

いつ、どういう趣旨でプレイされたものか、まったく知らないのですが、テレビ出演時のものなのでしょう(ご存知の方がいらしたらご教示を願います)。おかしな言い方になりますが、ちゃんと〈はっぴいえんど〉のライヴを聴いているような気がしてくるから不思議です。これだけ時間がたち、あちらもこちらもすっかり変わってしまったのに、彼らのつくる音はすこし変化しただけだし、こちらの受け取り方もほんのすこし変化しただけです。

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いや、〈はっぴいえんど〉がこれほどきちんと自分たちの音をコピーしたことはないでしょう。まず、ステージではアコースティックを使わなかったので、こういうタイプの曲はあまりやらなかったし、やってもかなり異なったアレンジであったり、異なったサウンドでした。

そもそも、〈はっぴいえんど〉時代の細野晴臣は、ライヴではめったに歌わなかったという印象があります。はじめて見たのは、いわゆる『ゆでめん』と『風街ろまん』のあいだの時期で、「いらいら」でハーモニーに加わっただけでした。二度目のとき(「風街ろまん」のあと、「恋の汽車ぽっぽ」をやったので、このシングルのリリース前後)はぜんぜん歌わなかったような記憶があります。

〈はっぴいえんど〉時代は、フロントはあくまでも大滝詠一で、細野晴臣は「一介のベース・プレイヤー」という立ち居振る舞いでした。

その大滝詠一のいない上記のクリップは、細野晴臣がフロントに立つしかない状況になっているわけで、そんなのははじめて見たものだから、懐かしさとともに、新鮮さも感じました。

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73年の文京公会堂での再編コンサートで、細野晴臣は「夏なんです」を歌っていますが、あのときだってこんなに正面切った本格的なムードではなく、どことなく「余興」の雰囲気がありました。譜面を見ながら歌っても、「歌詞をまちがえないようにがんばってねー」みたいな雰囲気で客が笑ったのは、あれが「同窓会の余興」だったからです。

◆ プレイヤーの魂 ◆◆
はっぴいえんど(いや、あくまでも細野晴臣、松本隆、鈴木茂であって、はっぴいえんどといってはいけないのだろうが)が本気で「夏なんです」をプレイした、これが唯一の機会ではないでしょうか。そして、その結果は、「やっぱりいいバンドだったんだなあ」です。

昔とちがって、ライヴでアコースティック・ギターを使えるようになったのは、天と地の違いをもたらしたように思います。ヴォリュームを絞って音だけ聴いていると、ドラムのバランシングを変えただけのオリジナル録音かと思ってしまいます。

ということはつまり、この曲の決定的な要素は、細野晴臣のアコースティックと鈴木茂のエレクトリックのコンビネーションだったということかもしれません。細野晴臣はスタジオのときほどスリー・フィンガーを使わず、親指のストローク中心のプレイに変えていますが、べつに違和感はありませんし(スタジオ録音でも部分的にストロークを使っている)、鈴木茂にいたってはトーンもラインもオリジナルにかなり近いプレイをしています。

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はっぴいえんどが、こんな愛想のいいことをするとは思いませんでした。自分を殺して、昔の録音を愛しているファンの期待に正面から応えようという姿勢に感じられます。いや、かつては時代の風潮のプレッシャーでやれなかったことを、いまになってやることに、ひねくれた喜びを見いだしたのかもしれませんが。

サンケイ・ホールで聴いた、スタジオ録音には似ても似つかないエレクトリック・アレンジの「朝」はなんだったのかと、不思議な気分になります。大滝詠一は、いま「朝」を歌うとしたら、どういうアレンジでやるのか、それはそれで興味深いのですが。

はっぴいえんどがなくなり、松本隆が作詞家として名を成してから、ドラマーとしての松本隆というのがわからなくなりました。しかし、このライヴを聴いて、やはり、当時、この人のドラミングが好きだったのも、べつに不思議はないと納得がいきました。ドラム馬鹿タイプではなく、ストイックで、あれこれ知識と知恵を働かせるタイプのドラマーで、日本のプレイヤーとしてはきわめて少数派に属すと思います。

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それにしてもまったくブランクを感じさせないプレイで、ひょっとして、頻繁にプレイしていたのかな、と思ってしまいました。ギターもある程度そうなのですが、ドラムはしばらく叩かないと、まったく手足が動かなくなりますからねえ。

十年ほど前のことでしょうか、わたしの知り合いがこの作詞家と酒場で話すチャンスがあり、ハル・ブレインの回想記を訳して出版しようとしている友人がいるという話をしたら、原稿を読みたいというので、プリントアウトして、彼に託したことがありました。

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その後、どうなったかは知りませんが、それはどうでもよくて、作詞家として大御所になっていても、ハル・ブレインの回想記を読んでみたいと思ったことに、この人のなかにまだプレイヤーの心が生きていることがあらわれていると思います。この「夏なんです」のクリップでの堂々たるドラマーぶりに、大なる感銘を受けました。

◆ 変わる距離感 ◆◆
『風街ろまん』にはじめて針を載せたときに思ったのは、いわゆる『ゆでめん』とは録音が全然ちがう、ということでした。『ゆでめん』のサウンドはあまり好みではなく、個々の楽器の音が痩せていて、聴き慣れたアメリカの音とはいかにも海ひとつ分の距離があるという、なんというか、じつに「ローカルな」録音に感じられました。

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それが『風街ろまん』ではベースはベースらしく、キック・ドラムはキック・ドラムらしい音がするようになり、よりアメリカ的な手ざわりの音へと変化したのです。こういう単純なことがうれしかったし、「ガロ」でも読んでいるような気分になる、ノスタルジックな歌詞も、あの時代の自分の気分にはぴったりと添うものでした。

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しかし、同じものもしつこく聴いていると、だんだん距離が変化していきます。それも一度や二度ではなく、なんども変化します。

はっぴいえんどが現役でやっているころ、わたしは大滝詠一のファンでした。彼のほうがシンガーとして好きだったのです。細野晴臣の歌は、たぶんご自分もその自覚があったと思うのですが、なんだか余技のように聞こえたのです。もうすこし好意的にいえば、自分のやや変わった声が、うまくはまる場所を探し求めている最中、というような印象でした。また、大滝詠一のユーモアも好きな理由のひとつでした。

はっぴいえんどがなくなり、それぞれのソロ・プロジェクト、サイド・プロジェクトなどを聴いているうちに、まず『ゆでめん』と『風街ろまん』の位置が変化しました。音の悪い、しかし、きわめて原初的なオリジナリティーを感じさせる『ゆでめん』が残り、『風街ろまん』は奥行きのないペラッとしたアルバムに感じられるようになったのです。

しかし、一昨昨年のちょうどいまごろ、「夏なんです by はっぴいえんど」という記事を書いたときには、また考えが変わっていました。大滝詠一の歌はそれほど聴きたくなくなり、細野晴臣の、なんというか、「無骨な穏やかさ」みたいな味のほうが好ましく感じられるようになっていたのです。

なぜでしょうかねえ。カスタム・テイラード・スーツというのは、ピッタリしすぎていてあまり好きではありません。吊しのジャケットのあまって緩やかなほうが着心地がいいといつも思います。細野晴臣の歌には、なにかそういう感覚があります。こちらにくっつきすぎて不快になるということはなく、ちょっとごわごわしたところがあり、いつまでも硬さを保って、着崩れしない、とでもいいましょうか……。

それで、時間がたっても、「聴き古した」「聴きつぶした」感じがなく、経年劣化を免れているように思います。なんだか、歌に対して使う言葉とはいえず、ちょっと恐縮していますけれど、そういう気分なのです。

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こういうのは「いま目の前で起きていること」については感得しようがありません。時間がたってみて、はじめて、そうだったのか、と納得することです。結婚に似ているかもしれませんが、幸いなことに、音楽については、自在に相手を替えることができます。

たんなる余談ぐらいのつもりで書きはじめたことが、またまた長話になり、しかも、妙にまじめなことになってしまい、当惑しております。要するに、事実上のはっぴいえんどによる「夏なんです」のクリップは、いろいろな意味で楽しく、興味深い、ということがいいたかっただけです。

あ、書き忘れていたことがひとつ。上掲3種のクリップを見て、強く思ったのは、年齢に不似合いと感じる瞬間がない、ということです。どの曲のどのパッセージも、しっくりと細野晴臣なり、松本隆、鈴木茂なりの年齢にふさわしい音楽をやっているように聞こえるのです。

これをどう考えるべきでしょうか、当時、はっぴいえんどの人気がなかったのも無理はない、なんていいそうになりました。


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by songsf4s | 2010-08-29 23:55 | 夏の歌