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岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』 その7

時期が時期なので、夕食でテレビをつけるたびに、珍妙な戦争番組が目に入ります。まあ、なにを見ても「そんなこと知ってるよ」なんてゲストがいうようでは、番組にならないからでしょうが、それにしても、よくまあ、これほどものを知らない若者ばかり集めたものだと感心してしまいます。それとも、あれは演技なのでしょうか。

若いからものを知らないというのは一面で正しいのですが、それにしても、義務教育なんか受けなかったし、本などさわったこともない、とでもいわんばかりの極端に無知な連中に、世代を代表された形になってしまった若者たちは可哀想です。いまだって、歴史の基本知識を持っている若者はたくさんいるでしょう。

いやはや、ひどい代物をつくったものです。モノクロ写真では臨場感がないから、色をつけてみよう、などというのは過去にもたくさん例のあることです。その代表が、観光みやげの着色絵はがきです。戦争に色をつけたら、もっと悲惨になるだろう、というのは、土産物屋のオヤジの発想でしょうに。バカもいい加減になさいな。

いや、江戸川乱歩の小説に描かれているような、昔の靖国神社の見せ物ならそれでいいのですよ。グラン・ギニョールじみた見せ物をやっておいて、「戦争の真実」はないでしょうに。この暑いのに、テレビ屋風情に説教なぞされるのはこのうえなく迷惑、そろそろ十年一日の偽善はやめたがよろしかろうと愚考します。

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◆ 男たちの戦記――東宝戦記映画音楽集 ◆◆
長々とつづいた終わりなき『日本のいちばん長い日』も今回が最終回なので、サンプルをアップしました。例によって、当初はOST盤のリリース予定がなかったためでしょう、ただの作品番号にすぎず、タイトルといえるようなものではないのですが、これはエンド・タイトルに流れるトラックで、いわばテーマです。

サンプル 佐藤勝「M25-T2」

オーソドクスなオーケストラ曲で、佐藤勝のこのタイプのもののなかでも、代表作といえるだろうと思います。終盤の転調が効果的です。なお、毎度ながら、このトラックも「三河のOさん」のご喜捨によるものであることを謝して記します。

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◆ 東部軍乗り出す ◆◆
人間、頭に血がのぼった状態でできることは、やはりかぎられているのではないでしょうか。叛乱将校たちは、それなりに頭を働かせて行動しているのですが、ものごとはグレハマになっていきます。

そもそも、思い起こしてみれば、近衛師団長を殺害し、師団長印を使って偽命令をつくり、近衛第二連隊を動かして、宮城を武力制圧するということからして、計画したことではなく、激情が生んだ結果を弥縫するものにすぎなかったのだから、その繕いがまたほころびるのは時間の問題だということは、渦中にいない人間には岡目八目、土台、無理な目論見だと、すぐにわかります。

1945年8月15日の夜が明けるとともに、叛乱将校たちの夢はしぼみはじめ、事態は沈静化に向かいはじめます。

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田中東部軍司令官は直接、宮内省や近衛連隊の詰め所を訪れ、昨夜の近衛師団長名の命令が偽物だったことを告げ、以後、死亡した森師団長に代わって、自分の指揮にしたがうように命じます。

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ここまでくれば、叛乱将校たちも抵抗のしようがありません。遣り場のない憤怒に駆られて、椎崎中佐が外に駈けだし、気合いをこめて軍刀で松の枝を切り払うところは印象的です。子どものころも、大人になってからも、こういう激情にはあまりシンパシーがわかなかったのですが、年をとったら、どういうわけか、椎崎中佐のやるせなさが親しいものに感じられました。再見してみるものです。

◆ お人好しのクーデター ◆◆
畑中少佐は、椎崎中佐の提案にしたがって放送局に行き(当時のJOAKは内幸町にあった。日比谷公会堂の向かいあたり)、ラジオを通じて継戦を訴えようとします。しかし、マイクの前に坐ったJOAKのアナウンサー、館野守男(加山雄三)は、「空襲警報が出ているあいだは、東部軍管区の許可がないかぎり、いっさいの放送ができません」と、少佐の要求を拒否します。

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この時代の加山雄三は東宝の虎の子、客を呼べるスターのひとりだったので、じつにいいタイミングで、いい役での登場です。ただし、畑中少佐が拳銃を突きつけても、「ここで加山雄三が頭を吹き飛ばされて死ぬはずがないよな」と、当時の観客はだれでも見抜いたはずで、黒沢年男渾身の演技も虚しく、このシーンのサスペンスはおおいに減じられてしまいました。

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結局、部隊から電話がかかってきて、東部軍が近衛師団を掌握したことを知らされ、畑中少佐は放送を断念します。

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人生、思ったとおりにいくことのほうが少ないのはわれわれが日常よく知るところでして、横浜警備隊の佐々木大尉も、人のよさが災いして幻滅の悲哀を味わうことになります。

官邸の警備兵に、首相は今夜は私邸でおやすみですといわれて、どうもありがとうと円山町に行ってみたら、もぬけの殻、女中(新珠三千代)がひとりいるだけという、お引けのあとの女郎屋のような寂しさ。

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わたしだったら、こんな美女が、女中ですなんていったら、ウソをつけ! てえんで折檻しちゃいますが、佐々木大尉はきまじめな武人なので、いたって紳士的です。で、どう見ても妾にしか思えない怪しい美人の女中がいうには、官邸のほうから叛乱兵がそちらに向かったという連絡があったので、みなさん避難なさいました、どこへいらしたかはわたしは存じません、なのです。

人間、ことを起こすときには、非情にならなければ失敗するのです。首相だけ斃せばいい、ほかのものは傷つけるな、なんていいっていると、計画は尻抜けになって、このざまです。つぎにクーデターをやるときには、「強くなければ生き残れない。でも、ときにはやさしくなれないのでは生きていても意味がないじゃないか」("If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive")というフィリップ・マーロウの箴言はドブに捨てましょうね>佐々木大尉殿。クーデターを起こすには、あなたはgentleすぎたのでしょう。

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◆ 嗚呼、腹切り ◆◆
いまふりかえれば、たぶん、黒澤明『椿三十郎』のラストにおける、あの三船敏郎対仲代達矢の決闘あたりが起源なのだろうと思いますが、1960年代というのは、映画に血しぶき、スプラッターが導入されていった時代です。師団長室での首がゴロンも驚きましたが、もっと強く印象に残ったのは、阿南大将の自決シーンです。

だいたい、切腹ということからしてわたしはいまだに意味を理解していないのですが、ともあれ、江戸時代には、切腹の困難の度合いを減じる措置が執られました。短刀で腹を切らなくても、腹に刃を当てるしぐさをするだけで、介錯をしてもらえるようになり(なんて、首を斬られるのに、ありがたそうに書くことはないか!)、やがて、短刀すらなくなり、三宝に扇子を載せておくようになったそうです。腹切りは形式だけになり、実体は首斬りへと変じたのです。

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ご存知のように、腹を切っても人間は即死しません。失血死するまでにはひどく時間がかかるそうです。だから、介錯するのであり、武家でも、婦女子は腹を切らず、首を斬ります。

ところがですね、阿南陸軍大臣は、ほんとうに腹を切るだけでなく、介錯を、と叫ぶ義弟を退け、みずから首を切ってとどめを刺すのです。いやもう、中学生のわたしは血の気が引きましたよ。まったくもって凄絶な切腹シーンで、モノクロでよかった、と感謝したくなったほどです(小学生のとき、市川雷蔵が切腹する映画を見た記憶があるが、血の気の引くようなものではなかったと思う)。

お盆のさなかの書き入れ時に公開される映画で、老若男女の観客を想定していただろうに、このありあまる血潮は、やはり、「そういう時代だったのだ」というしかありません。『椿三十郎』や小林正樹の『切腹』よりあとに生まれた映画だということです。たしか同じ年に、『情け無用のジャンゴ』という、とんでもない残虐イタロ・ウェスタンもありました。

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映画としての表現はどうであれ、阿南惟幾という人は、軍人として筋を通したと思います。敗戦の責任を負って、天皇に謝罪したという形ですが、それよりも、もっと大きななにものか、民族の魂とでもいうものを鎮める役割を果たしたと感じます。阿南陸相の自決がなければ、いまだにわたしたちは、あの終戦はなんだったのかと、割り切れない気持になるでしょう。本土決戦で死ぬつもりだった人びとの魂が迷わずにすんだのは、陸相の自決のおかげだと思います。

◆ 「国体」というもの ◆◆
『日本のいちばん長い日』に登場する軍人たちは、陸軍大臣も若手士官も、みなこぞって「国体の護持」をいいつのります。この「国体」というのが、わかったような、わからないような、こんにゃく問答的概念で、まじめに考えると混迷に陥ること請け合いです。

畑中少佐らは、ポツダム宣言など受け入れて「国体の護持」ができるのか、と腹を立てて行動を起こすのですが、それでまずやったことが、宮城の武力制圧なのだから、奇妙な話です。天皇を政府から遮断することが「国体の護持」だと信じていたのでしょうが、事件が長引いて、天皇が、二・二六のときと同じように、蹶起した将校たちを叛乱兵とみなしたら、どうするつもりだったのでしょうか。

結局、彼らがこの危急のときに叫んだ「国体」とは、彼らの外側に存在する、天皇を中心とした「神国」のありようなどではないのだろうと思います。それは、彼らの心の中に存する「自我」それ自体の謂いにほかなりません。

ポツダム宣言受諾、武装解除となれば、帝国陸海軍は消滅します(じっさい、その後、そうなったのは、われわれのよく知るところ)。彼らは軍に所属するだけでなく、軍は彼らの存在を証明するものでした。軍がなくなれば、彼らの存在はあやふやになり、自我は崩壊します。決定的なゲシュタルト崩壊を起こす前に、彼らはそれぞれおのれの自我を救わんとして蹶起したのです。

「国体の護持」とは、この場合、「自我の防御」と考えればいいのではないでしょうか。だからこそ、近衛師団長を殺害したり、宮城に乱入して(当時の感覚では、これ以上の「不敬」はないだろう)、武力制圧し、天皇を外部から遮断するなどということもできたのです。

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中学のときは、そうした彼らの心理には思いがおよばず、まったく共感できませんでした。しかし、年をとってみると、彼らの魂のもだえもわかるような気がしてきました。いや、むしろ、もうダメだ、今日を限りとして戦争はやめよう、などという「大人」の考え方のほうに、かすかな違和すら感じます。ここでやめるなら、そもそも、なぜこんな戦争をはじめたのだと、わたしもあの場にいたら叫んだかもしれません。

ナチス・ドイツの軍人も、同じようなメンタリティーをもっていたことをうかがわせる場面が、『バルジ大作戦』に出てくるのですが、次回、この映画を軽く取り上げる予定なので、そのときに書くことにします。

橋本忍のシナリオのことをはじめ、まだいろいろ書くつもりだったのですが、腰は張る、背中は固まる、脚は痛いという懲罰房症候群にかかったので、とりあえず『日本のいちばん長い日』はこれにて完といたします。なにか思いだしたことがあれば、『バルジ大作戦』とともに次回にでも補足することにします。

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by songsf4s | 2010-08-14 23:54 | 映画・TV音楽