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デニス・ホッパー監督『イージー・ライダー』(1969年) その4

新しいプロヴァイダーになった瞬間からずっとやっているのですが、いまだにメールが使えません。受信はできるのでpopサーヴァーは問題がないのですが、送信しようとすると、smtpサーヴァーに入れない、とエラーになってしまいます。しかたないので、何年も使っていなかったoutlookまで引っ張り出しましたが、これもダメ。outlookでつながらないなんていうのはありえないことで、こちらの設定ミスではなく、もっと根本的問題のようで、解決にはもうすこし時間がかかりそうです。

そもそも、昔とはまったく環境が違うので、プロヴァイダー・メールはなくても差し支えなく、トラブルシューティングにもあまり気合いが入りません。

当家のお客様には、

pocketfulofmiracles@gmail.com

をお使いいただくように申し上げてきましたが、友人諸兄姉も、今後はこのGメール・アドレスをご利用いただけたらと思います。プロヴァイダーメールは補助、メインはウェブメールということになりそうです。

◆ シザー・ハッピー・ビューティフル・アメリカ ◆◆
さて、復帰三日目でやっとレギュラー・プログラムの再開です。『イージー・ライダー』の後半に入ります。

キャプテン・アメリカとビリーは、田舎町のお祭りのパレードに紛れ込んで遊んだために逮捕され、留置場に入れられてしまいます。ビリーは「許可なしにパレードに参加した罪」とはどういうことだ、と保安官助手に噛みつきますが、それも当然でしょう。注意も警告もなしにいきなり逮捕されたのは、彼らがよそ者で、風体が怪しげだからにちがいありません。「法の恣意的運用」というやつです。

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留置場には、前夜、“トラ”になって「保護」された先客、ジョージ・ハンソン弁護士(ジャック・ニコルソン)がいて、ここでもまた言語の問題が提起されます。ビリーがいった「dude」(「奴」の意)という言葉がハンソンには通じず、キャプテン・アメリカが「nice guy」ぐらいの意味だと説明します。

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それにつづいてハンソンはこんなことをいいます。

「ぼくが居合わせたのはきみたちにとってラッキーだった。この町にはハサミきちがい(scissor-happy)のビューティフル・アメリカ万歳みたいな連中がいてね、だれも彼も手あたりしだいにユル・ブリナーみたいにしようとしているのさ。このあいだここにぶち込まれた二人のロングヘアは、錆びたカミソリで坊主にされた。ぼくがいれば助けられたんだけどね」

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キャプテン・アメリカとビリーはLAからニューオーリンズへと向かって南下しています。言い換えれば、彼らのような風体の人間にとっては危険地帯に向かって走っているのです。そして、たいした理由もなく二人が拘引されたことと、ハンソンのセリフは、その「危険」がいよいよ実体をもって彼らを取り囲みはじめたことを示しています。

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この映画のジャック・ニコルソンは風変わりな人物を好演していて、強く印象づけられた。今日の最初の一杯といって、警察の外でポケット瓶からウィスキーを飲み、「ニック、ニック!」だの「インディアン!」だのと奇声を発するこの場面は、初見のときはちょっとびっくりした。

◆ ふたたび言語の問題 ◆◆
ハンソンが身元引受人になってキャプテン・アメリカとビリーは釈放されます。まだマルディ・グラを見たことがないからと、ハンソンはいっしょに行くことにします。「ヘルメットをもっているか?」ときかれて、もっている、と答えたつぎのショットは笑わせてくれます。

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どうやら町の名士の家に生まれ、自身も弁護士をしているハンソンは、小なりとも「エスタブリッシュメント」です。しかし、父親との確執でもあるのか、アルコール中毒の気味があり、また上記の引用でもわかるように、「ビューティフル・アメリカ」だなんていう保守的連中に対しても批判的です。それがバイクに乗った流れ者への共感になったのですが、エスタブリッシュメントの象徴であるフットボールのヘルメットをかぶってチョッパーに乗るというのは、シンボリズムに満ちたこの映画のなかでも、もっとも成功したシンボルの利用でしょう。

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このシークェンスでもレンズ・フレアが利用されている。

ただし、このあたりで流れる音楽はあまり好みではなく、昔見たときも、つまらない曲を使うなあ、と思いましたが、年をとっても同じように感じます。ホーリー・モーダル・ラウンダーズのIf You Want to Be a Birdは、ショットにふさわしい歌詞だから選ばれたのでしょうが、曲としてはウームです。

その夜、ハンソンは、「グラスだ、試してみな」とキャプテン・アメリカに紙巻きを手渡されます。ハンソンは「マリファナのことか?」とたしかめ、またしても言葉の問題を提起します。

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この場面ではなく、翌日のライドで流れるフラタニティー・オヴ・マンのDon't Bogart Meでは、「ジョイント」という言い方も使われています。bogardはおそろしく直接的な言葉なのですが、気になる方はご自分でお調べになってください。ハンフリー・ボガードの煙草の吸い方から生まれたのだそうです。

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これほど何度も繰り返されるのだから、言語の問題はやはり大きな意味をもっていると考えるべきでしょう。パンクを直すのに借りた納屋の持ち主も、このハンソンも、わからない言葉に出合うたびに意味をたしかめ、理解しようとします。そのようにしてコミュニケーションが成立すれば、トラブルにはならないわけで、文化のギャップに橋を渡すものはやはり言語なのだという意味なのかもしれません。

◆ 南へ、南へ ◆◆
Don't Bogart Meのつぎは、ジミー・ヘンドリクスのIf Six Was Nineで、この曲に入ると同時に、彼らの周囲の風景はいかにも南部らしいものになっていきます。広い前庭をとった邸宅は『風と共に去りぬ』のようだし、洗濯物を満艦飾でひらひらさせているあばら屋は『アンクル・トム』のようです。

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If Six Was Nineが終わると、彼らは昼食のためにある店に立ち寄ります(OST盤には収録されていないが、現実音として、バックグラウンドで薄くリトル・エヴァのLet's Turkey Trotが流れている。ライターはジェリー・ゴーフィンとジャック・ケラー)。この店内の人物配置はよくできています。保安官や、ハンソンいうところの白人の「ゴリラ」たち、アッパラパーな少女たち、そして無愛想な女店主という構成です。

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オバサンは怪しげな風体の三人を無視して注文をとりにきません。保安官や「ゴリラ」たちは、「なんだこいつら」「石ぶつけたろうか」「髪の毛剪っちまえ」などと聞こえよがしに云い、少女たちは、あたしはサスペンダーをした赤いシャツの人がいい、あたしは白シャツ、あのレザーパンツ、キチキチじゃない、などといってクスクス笑いをします。

じつにぐあいの悪い雰囲気で、お互いに言葉を交わさないのに、お互いのことを云っているという最悪の「接触」がうまく描かれています。結局、彼らは食事をあきらめ、外に出ると、少女たちが追ってきて彼らを取り囲みます。ある種の社会階層に対する極度の警戒心というのは、「性的資源を独占されるのではないかという不安」に根ざすという考え方もあるわけで、彼らが少女たちの性的好奇心を煽ったことに、われわれ観客は強い不安を覚えます。

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結末を知っていてこのあたりの展開を見ると、じつにきれいな、よくできたシナリオだと感心してしまいます。しかし、逆にいえば、まとまりすぎで余白がなく、理に落ちているわけで、このあたりをどう捉えるかは微妙なところだと思います。

ジャック・ニコルソンの登場以来、ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、テリー・サザーンというライター陣が、クライマクスに向けて着々と打ってきた布石はまだつづきますが、それは次回に。そろそろエンディングに持ち込もうと思っています。


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by songsf4s | 2010-07-28 22:17 | 映画・TV音楽