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ジョン・ミリアス監督『ビッグ・ウェンズデイ』(1978年) その2

どこで読んだのかも忘れてしまったため、出典にあたりなおすこともこともできないのですが、ジョン・ミリアス監督は「ビートルズがアメリカ音楽を殺した」と考えているそうです。

わたしは十代のはじめにビートルズに接したので、大ファンでしたが、それはそれとして、ジョン・ミリアスの見方も理解できなくはありません。ポップ・ミュージックの世界は流行に支配されるものなので、ふと気づくと、自分が親しんだスタイルが地を払い、なじめないスタイルがチャートを占領しているようになるものです。

ジョン・ミリアス監督『ビッグ・ウェンズデイ』(1978年) その2_f0147840_2338245.jpgジョン・ミリアスはわたしより年上なので、50年代後半から60年代はじめのポップ・ミュージックを聴いて育ったのでしょう。どんなものであれ、「草木もなびく」さまは見苦しいもので、まして、それが自分の愛した世界での出来事なら、苦々しく思うのも無理はないと感じます。

いや、それ以上に強く感じるのは、エルヴィス以後、ポップ・ミュージックというのは、ティーネイジャーのものになったということです。大人になれば、自然にチャートから離れていくようになったのだと思います。そして、このような「チャート・ヒットへの世代的な疎外感」を最初に経験したのが、ジョン・ミリアスの年代ではないかと思うのです。

もちろん、エルヴィスが出現したときに、ポップ・ミュージックから遠ざかった大人たちもいたことでしょうが、あれは突然変異のようなもので、あの時点では、またナット・コールやフランク・シナトラの時代に回帰すると思った人も多かったのではないでしょうか。

そういう形ではなく、もっと短い年月で、かつて若かった人間も、ちょっと年をとれば弾き出されることがはっきりしたのは、1964年のことだろうと思います。わたし自身、ほんとうにポップ・ミュージックを楽しんだのは1965年からのほんの数年間、極論するなら、67年までの三年間だけで、あとは余生のようなものでした。

◆ 「消費する十代」 ◆◆
このような疎外感というか、「早期退職」のごとき現象自体は、世代の違いを超えて、いずれごく当たり前になっていくものであり、いまさらあげつらうほどのことでもないでしょう。

なぜそういうことが起きるようになったかといえば、じつに簡単な事情によります。エルヴィス以前には「消費する十代」というのは存在せず、したがって、その世代をターゲットとした商品というものもありませんでした。

昔の消費構造は、基本的には子どもたちが消費するものを大人が買い与えたのであって、決定権は大人が握っていました。それが戦後、アメリカ社会が豊かになり、子どもたちも自分の意志で使い道を決定できる金をもつようになりました。

ジョン・ミリアス監督『ビッグ・ウェンズデイ』(1978年) その2_f0147840_23412187.jpg

その結果、世界初の「消費する十代」が出現し、ユース・カルチャー誕生の地ならしが完了します。音楽面ではなく、経済面からみていけば、ロックンロールはこのような状況をバックボーンにして生まれました。「消費する十代」が自分たちだけの音楽を求めた結果、「商品」が供給されるようになったのです。

アメリカのなかでも、消費する十代がとくに目立ったのが南カリフォルニアだった理由はよくわかりません。経済的にいえば、軍需産業の集中のおかげで、第二次大戦の戦中戦後を通じ、LA経済圏がおおいなる発展を遂げたことが大きく関係しているのでしょう。

また、一年中温暖な風土や、都市公共交通網が発展する余裕もないままフリーウェイ網が発達して、スプロウルをつづけるLAの衛星都市群を接続していったため、車なくしてはどこにも行けない、風変わりな環境ができあがっていったことも、彼らの行動様式の基礎になったのでしょう。

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かくして、ビーチ、車、サーフ、ロックンロール、ビキニ・ガールの南カリフォルニア・ユース・カルチャーが誕生し、無数のビキニ・ムーヴィーやそれとセットになったサーフ・ミュージックを生みだし、やがて、そうした時代を生きた若者たちが大人になり、さまざまな形で、あのユース・カルチャーの夜明けを回顧するようになっていった、という大筋でわたしは捉えています。

◆ ポップ・ミュージックの排除 ◆◆
プロットとしては、まだ1962年の章の途中までしか見ていないのですが、話の都合上、ここでそのすこし先まで踏み込むことにします。

初見のときも、再見のときも気づかず、三回目ではじめて、ああ、そういうことか、と理解できたことがあります。『ビッグ・ウェンズデイ』その1でふれた、1962年の章でノンストップでかかるポップ・ミュージックのことです。

Little Eva - The Loco-Motion (1962)
The Shirelles - Mama Said (1961)
(以上の二曲はカフェテリアで流れる)
Barrett Strong - Money (That's What I Want) (1959)
Little Richard - Lucille (1957)
Chubby Checker - (Let's Do) The Twist (1960)
The Crystals - He's a Rebel (1962)
Ray Charles - What'd I Say (1959)
The Shirelles - Will You Love Me Tomorrow (1960)

この調子でいけば、この映画は1962年から1974年にかけての、アメリカン・ポップ・ミュージック年代記になりそうです。ところがどっこい、ぜんぜんならないのです。ヒット・チャート状態なのは1962年のシークェンスのみ、あとはその時代の音楽というのは流れません(69年のカフェテリアでのシーンで背景にシタールが流れるが)。

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この点に気づいたとき、ジョン・ミリアスの「ビートルズがアメリカ音楽を殺した」という言葉が卒然とよみがえりました。おわかりですね? ジョン・ミリアスは映画を使って音楽批評をやってみせたのです。1964年以降のチャート・ヒットを「流さない」ことで、その時代の音楽を批判したのです。こんな離れ業は映画音楽史上、『ビッグ・ウェンズデイ』が唯一の例だと思います。

誤解のないようによけいなことを書き加えておきます。65年の章から、チャート・ヒットは流れなくなりますが、音楽がなくなるわけではありません。ベイジル・ポールドゥーリスの、主としてオーケストラによるスコアに取って代わられるだけです。次回からは、ポールドゥーリスのスコアとともに、試練の時代の表現を見ていくことにします。


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by songsf4s | 2010-05-28 23:52 | 映画・TV音楽