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ロベール・アンリコ監督『冒険者たち』(Les Aventuriers)その3
タイトル
Journal de bord
アーティスト
Francois de Roubaix
ライター
Francois de Roubaix
収録アルバム
Les Aventuriers OST
リリース年
1967年
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ものを書く前と、書いている最中の大きな違いは、視野の広さです。書きはじめる直前までは広角でものを見ようとしているのですが、書きはじめると、頭のなかはその直前に「あらかじめ書こうと決めたこと」で占領され、ほかのことはメインメモリーからキャッシュ領域に退避されてしまいます。昨夜、一時退避して、それきりでメイン・メモリーに戻されなかったことがひとつあります。

Journal de bordという曲は、なぜあのような構造になっているのか、切迫感のあるピアノ・セグメントと、ゆったりとしてリリカルな口笛セグメントに分かれ、それを交互に演奏するように構成されているのはなぜなのか?

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わたしはフランス語などまったくわかっていないので、自分自身、あまり信用していないのですが、仮にJournal de bordが「航海日誌」という意味だとします。それならば、二つのセグメントが交互に出現するこの構成は、「航海」の日々をストレートに反映したものと解釈できます。海はときに荒れ、波逆巻くこともあれば、一面のべた凪、口笛でも吹きながらデッキにブラシをかけ、洗い物をするにはもってこいの好天もある、ということです。

ただし、「航海」の比喩は二重構造でしょう。直喩であり、同時に暗喩でもあるのです。

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◆ 中盤のプロット ◆◆
『冒険者たち』をまだご覧になっていない方は、これはお読みにならないほうがいいでしょう。今日はまだエンディングまではたどり着かないでしょうが、大きなターニング・ポイントは書くことになります。

コンゴに渡ったロラン、マヌー、レティシャの三人は、船を借り、コンゴ動乱のさなかに、軽飛行機とともに海に沈んだという財宝を探しはじめます。マヌーとロランが桟橋でボートに食料を積み込んでいると、白人の男が寄ってきて、手伝いはいらないか、食事だけで働く、というのですが、手は足りていると断ります。

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しかし、ロランとマヌーが海に潜っているすきに、その男は船に忍びこみ、レティシャを脅して食料にありつきます。

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二人があがってくると、この男(セルジュ・レジャーニ)は、自分はパイロットで、宝石や多額の現金をもったベルギー人を戦闘地域から脱出させるのに雇われたが、海岸の近くに墜落してしまい、ベルギー人は死に、自分だけが助かった、飛行機が沈んだ場所を知っている、といいます。

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ロランたちはこの男を仲間に加えることにし、海底に沈んだ小型機から財宝を引き上げることに成功します。しかし、このベルギー人の脱出に手を貸した傭兵たちが見張っていて、彼らが財宝を手に入れたことを知ります。

四人が帰途についたところ、警察の臨検の船がやってきて、停船させられます。パイロットは、それが傭兵たちだということを知っているので、即座に発砲し、撃ち合いになります。なんとか撃退することができましたが、この戦いのさなかにレティシャが撃たれ、すでに息絶えていたことがわかります。

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◆ 宙に浮かぶ夢 ◆◆
『冒険者たち』の最初の3分の1は、人物を紹介し、その関係を明らかにし、彼らがコンゴにいくまでの段取りを描くもので、長い導入部とみなすこともできます。この導入部で重要なのは、二人の男が兄弟のような強い絆で結ばれているということ、そして、二人ともレティシャが好きになり、レティシャも二人を愛し、その関係が宙に浮いたまま、まだ着地していない、ということです。

この不安定要因を抱えた関係が宙に浮いたままでいられるのは、ロランとマヌーが深い絆で結ばれていて、どんなことであれ、争うつもりがないからです。映画は独立したものとみなすべきなのですが、あえていうと、このロランとマヌーというキャラクターは、『冒険者たち』の原作者であるジョゼ・ジョヴァンニの小説『穴』(ジャン・ベッケルが映画化している)に登場する、二人の脱獄囚の後年の姿です。死地をともにくぐり抜けてきた男たちなのです。『冒険者たち』では、既定のこととして、改めて説明されない二人の友情のよってきたるところは「ともに死を見た」ことです。

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コンゴのシークェンスは、はじめは導入部と同じように、船上での三人の楽しげな日常の描写にあてられています。ロランとマヌーが交代でレティシャをモーターつきゴムボートに乗せたり、ライフルの腕比べで、ビギナーのレティシャがいきなり標的の瓶に命中させたり、レティシャの誕生日を祝ったり、といったことが、Journal de bordの変奏曲とともに、望遠レンズを多用した叙情的映像で描かれます。

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こういう音楽の力を借りた、ほとんどセリフのない、ミュージック・ヴィデオ的な味わいのあるリリカルなシークェンスというのは、このころからしばしば見かけるようになったもので、子どもだったわたしは、そういう流行をおおいに歓迎しました。これはヨーロッパ映画にかぎるものではなく、むしろアメリカ映画の特徴となっていった印象がありますが、日本映画はその影響をあまり受けなかったのではないでしょうか。

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◆ プロポーズ ◆◆
コンゴ・シークェンスでは、つい、財宝の発見と、レティシャの死という強いイヴェントに目を奪われてしまいますが、ドラマのうえでもっとも重要なのは、財宝を発見する前と後の二つのシークェンスにおける会話です。

まず、発見前。釣りをしながらマヌーはレティシャに話しかけます。

「レティシャ、100万フランを手に入れたらどうするんだ?」
「海に浮かんだ家を買うわ。ラロシュルにあるの。子どものころからの夢だったのよ。まわりをすっかり海に囲まれた要塞なんですって」
「そんな大きな家に、たったひとりで住むつもりかい? 寂しいだろうに。その家がある島は悪くなさそうだな。俺と一緒に暮らすっていうのはどうだい?」
「あなたたち二人そろってなら、いつだって大歓迎よ」


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ここで(映画世界の決まり事によって)、魚がかかったので、この対話は中断し、マヌーのプロポーズが婉曲に拒絶されたことは宙に浮きます。これだけでは決定的な結論とはいえません。レティシャは二人をそのままで愛している、という受け取り方も成立します。

魚を釣り上げると、レティシャが「これも一匹で暮らしているのよ」といいながら、棍棒で叩いて殺すシーンから、大きな暗喩を読み取ることもできるでしょうが、とりあえずいまは棚上げにします。

◆ トライアド・ユートピア ◆◆
つづいて、財宝を山分けし、帰途についてからのロランとレティシャの会話です。

「こういう日没は街では見られないな」
「そうね。ビルにさえぎられてしまうものね」
「街は人が生きるようにはできていないものだ……アトリエを買って彫刻をするつもりかい?」
「いいえ、あなたと暮らしたい」
「俺と? でも……マヌーが……」


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ここで警察の船が近寄ってきて、停船を命じられ、上述の銃撃戦になって、レティシャは死んでしまいます。

そういう早い展開のところなので、ショックはいくぶんか和らげられるのですが、わたしはこのロランとレティシャの会話が悲しくて悲しくて、はじめて見たときは泣きそうになりました。

なぜ悲しいか? いま、大人の頭で子どもの気持を分析するならば、つまりこのレティシャのプロポーズは、「ユートピアの崩壊」宣言だったからです。

子どもだったわたしは、セックスということを理解していなかったせいでしょうが、『冒険者たち』のここまでの展開を「幸せな三人の家族の物語」として見ていたのだと思います。

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「このまま三人でいてはいけないのか?」ずっと後年、バーズのTriadを聴いたとき(ジェファーソン・エアプレインも同じ曲をやっているが、当時は知らなかった)、このWhy can't we go on as three?というラインが雷のように響いたのは、『冒険者たち』の記憶のせいでした。

もっといえば、わたしは、レティシャに裏切られた、と感じて悲しかったのでしょう。いや、マヌーだって裏切ったのですが、わたしはそちらについては重大なこととは受け取りませんでした。はじめからイエスの返事を期待していないように感じられたのです。

しかし、レティシャの「あなたと暮らしたい」は、その直後にロランが「でも……マヌーが……」ということによって、決定的な裏切りとなったのです。レティシャは「三人のユートピア」の崩壊を宣言し、ただの平凡なカップルとして生きたい、という意志を示したのです。

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レティシャが死ななかったら、ロランはどうしたでしょうか? わたしは、たとえマヌーがレティシャにプロポーズしたことを知っても、レティシャと二人だけの生活は、すくなくとも積極的には選択できなかったのではないかと思います。唯一、その可能性があるとしたら、マヌーが身を退きながら、ロランにレティシャと暮らすことをなかば強制した場合だけでしょう。

ロランには積極的にレティシャを独占することはできなかったのではないかと思います。彼はレティシャも愛していたけれど、それに劣らぬほどマヌーも愛していたのです。どちらかひとりを選ばねばならないとしたら、マヌーを選んだのではないかとすら思います。

◆ 死して守護神となる ◆◆
マヌーのプロポーズ、財宝の発見、レティシャのプロポーズ、レティシャの死、というエピソードの順序はよく考えられていると感じます。

現実に汚されていない「三人のユートピア」、お互いを愛し、夢だけを追い求める非地上的、非現世的世界は、財宝の実体化、現実化によって地上に引きずり降ろされ、索漠たる残骸をさらす危機に見舞われます。

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そう考えれば、レティシャの死は避けられない必然だったことは明らかです。生きてロランとマヌーに争わせたり、裏切りの苦痛をあたえる魔女になってはならず、死んで永遠にロランとマヌーの絆を保証する女神にならなければいけなかったのです。

「あなたと暮らしたい」というレティシャの言葉がわれわれにあたえるショックを和らげているのは、ほんとうはその直後の銃撃戦というアクションではなく、それがもたらしたレティシャの死のほうだったのです。彼女の死によって夢の崩壊はかろうじて食い止められたのです。

物語の終盤、ロランとマヌーがフランスに戻ってからの話は次回ということに。


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Les Aventuriers OST
Francois de Roubaix: Le Samourai; Les Aventuriers
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by songsf4s | 2010-05-20 23:58 | 映画・TV音楽