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そして写真だけが残る(ことになるだろう) その7 『真説・日本忍者列伝』と『萬川集海』

相変わらずオークション出品物のデータ作りと出品に追われていて、なんだかわけのわからない日々を送っています。

昨日は楽天に日本史関係の本を数十冊出品しました。おもに、二十代のときにゾッキで買ったものですが、ビブリオマニアならご存知のように、一時期、古書店にあふれたゾッキ本も、やがては値が付くようになることもあります。

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田中貢太郎『支那怪談全集』桃源社刊 これもゾッキだったが値が付きつつある。

そもそも1970年の暮れ、古書店巡りをはじめたとき、澁澤龍彦は「ゾッキ」の王者でした。桃源社の本がみなゾッキになってしまったので、『黄金時代』『犬狼都市』『妖人奇人館』『異端の肖像』『澁澤龍彦集成』などが、どこの本屋にもおいてありました。後年、こうした本はみな値が付いてしまったわけで、ゾッキといえども、あだやおろそかにはできません。

わたしはいつだって本や盤を買うのに汲々としていたので、できるだけ安く買うように心がけました。となれば、高い歴史関係の本も、自然、ゾッキをこまめに買うようになります。歴史関係でゾッキといえば、まず人物往来社です。昨日出品した歴史関係の本の多くも人物往来社(または新人物往来社)刊行のものです。

桃源社が昭和40年代に出した多くの本が、ゾッキになったにもかかわらず、その後、古書価があがったように、人物往来社の本も、なかにはもう買えないような値段になっているものもあります。

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『真田史料集』第二期戦国史料叢書2

これなんか、ゾッキで1000円台で買ったと思うのですが、いま検索したら、函イタミなんていうだらしのないものでも15000円がついていました。この値段ではわたしには買えません。うちにあるものも美本ではありませんが、こういうものは骨董品ではなく、実用品なので、価格は状態にはあまり左右されません。将来、なにか戦国時代のことを調べそうな気もするのですが、15000円なら売っちゃえ、という気分です。

◆ 「真説」だって? ◆◆
なにごとも好きずき、捨てる神あれば拾う神あり、牛よりも鯨のほうが知的だから大事だなどという西洋人的単細胞にはほど遠い人間なので、どんな本にも、なんらかの価値があるだろうとは思います。

鯨やイルカのほうが牛や豚よりエラいとはおもわないものの、でも、どれを食べるといったら、おのずから階梯があります。鯨の刺身、牛、豚の順で、イルカはあまり食べたくありません。かつてイルカを食べたことがありますが、ビーフジャーキーのような干し肉になっていて、硬くて往生しました。

わたしはアプリオリにものごとに絶対的価値をあたえて、牛や豚は殺してもいい、鯨やイルカは殺してはいけないなどというドグマに気づかないほど知性のない人間ではありません。でも、好みをいうなら、鯨肉の刺身のほうが牛のステーキより好きです。

だから、読みもせずに軽んじるわけではないのですが、こういう本は好きか、といわれると、言葉に詰まります。

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大上段に「真説」とかまえられると、うひゃ、といってしまいます。大昔に買った本なのですが、いまだに通読していません。荒地出版もしばしばゾッキになっていたので、これもゾッキとして安く買ったのだと思います。目次なんか見てみますか? イヤだ? まあ、そういわずに。

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うーむ。発行年(昭和39年)とあとがきから判断するに、山田風太郎の忍法帖シリーズに端を発した忍者ブームにあやかりつつ、著者としては、ああいうものではいかん、と便乗ものではないところを見せつつ書いたというあたりのようです。

しかしですな、スパイというか諜者(素波、乱波)としての忍者はいいとして、それ以外のことはみなファンタシーでしょう。そういうことを取り上げた本が「真説」を標榜し、ファンタシーの極北である風太郎の忍法帖を暗に批判するのは受け取れませんね。

◆ 重い、重い、人生は重荷を背負って…… ◆◆
いや、ファンタシーとしてのニッポン忍術はたいしたものです。いまだにりっぱに日本文化海外浸透の一翼を担っているのですからね。英語のブログなんか見てごらんなさい。The Red Shadowなんて映画のことが話題になっています。このうえは、西洋流忍法もののダサさを修正するために、10巻本くらいの英語版山田風太郎傑作集が早く出版されるように祈るのみです。昔考えた『くの一忍法帖』の英訳タイトル――Kuno Itchy, the Real Ninja Story。なんか猥褻そうでしょ?

いや、そんなことを書こうとしたわけではなく、オーセンティシティーを標榜する忍術書に対する、素朴な、しかし、きわめて論理的な疑問です。

忍者の武器がありますね。手裏剣、撒きびし。あれはいうまでもなく鉄製であります。映画やドラマでは、忍者の襲撃というと、十字手裏剣がバンバン飛んできて、そこらの樹木だの板塀だのにカッ、カッ、カッ、カッなどと突き立つのがつねです。でも、これは無理でしょう。

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『真説・日本忍者列伝』バックカヴァー

まず第一に、鉄だから、すごく重いにちがいありません。十字手裏剣20枚といったら、数キロでしょう。ほかに撒きびしなんてものも運搬するわけですが、これも鉄ですよ。1平方メートルあたり三個なんてチマチマした撒き方では効果は上がらないだろうから、数十個はもつにちがいありません。これでさらに数キロです。三キロぐらい?

忘れてはいけないのは、長刀です。あれだってキロの単位でしょう。忍者用は軽いのかもしれませんが、それにしたって鉄の棒ですからね。爪楊枝とはわけがちがいます。

つまり、忍者というのは、スーパーに行って、砂糖と塩と牛乳と醤油と米を買ってきたぐらいの感じで歩いていたことになります。このフル装備で一昼夜に四十里を駆け抜ける、なんてことまでやるんだから、まさに超人的、って、まさかねえ。

◆ 忍者はジャラジャラ、ガシャガシャ ◆◆
まだ疑問はあります。忍者の本分は「しのび」でしょう。だれにも気づかれぬように行動できてこそ「忍び」であり、情報収集ができるはずです。それが、手裏剣と撒きびしをガチャガチャいわせて、鍛冶屋の出前みたいな音を立てていては商売あがったりです。

「えー、甲賀の里よりまかり越しました忍者でござい、国友鍛冶謹製、直輸入十字手裏剣はいかが、『飛びくない』もあるぞな、ジャラーン、ガシャガシャ」

手裏剣だって刃物ですからね。裸で持ち歩いてはケガをします。たとえ音はたててもよいとしても、ケガをするわけにはいきません。そんな馬鹿なことはしないだろうって? たしか、尾張藩士・朝日重章の日記『鸚鵡籠中記』だったと思いますが、今日、ご城内でだれそれが立ち上がろうとして小刀が抜け落ち、太股を刺してしまった、などという記述が数回にわたって出てきます。

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『鸚鵡籠中記』は刀が装身具になってしまった平和な時代のものですが、飾りだからといって、鞘の「鯉口」が緩くなったまま修理せずにほうっておくと、立ち上がろうとして柄が下になる姿勢をとると、刀身が抜け落ちてしまうのです。また「安全装置」として、紙縒で柄と鞘を結んでおくことも広くおこなわれていたはずなのですが、そういうことも怠る武士が少なくなかったことを『鸚鵡籠中記』の記述はうかがわせます。

話を戻します。手裏剣だの「くない」だの撒きびしだのといった小型の刃物をバラでたくさんもっていたら、危なくて歩けません。管理が必要でしょう。どうしたのでしょうか。電気工事の人が腰にぶら下げるキャンバス地の道具入れみたいなものでももっていた? 静音と安全の両方を考慮して、十字手裏剣はもちろん、撒きびしもひとつひとつ包んでしまっておく、なんてことでは、いざというときに発砲できない日本の警察官と同じで、武器を持っている意味がなくなってしまいます。

時代劇では、麻かなにかの袋に撒きびしをまとめて入れてあるというのを見た記憶があります。でも、そんなものでは、ジャラジャラうるさくて、天井裏だの縁の下だのに潜んだりはできないに決まっています。

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「ちょっと待ってね、撒きびしはまとめておくとうるさいからひとつひとつキャンディーみたいに紙にくるんであるのよ。手裏剣だって1枚1枚個装になっているから、いっぺんには出せないのね、そこんところ、わかってほしいなあ、オレ、忍者だから、音はたてらんないのよ」なんていっているあいだに、忍術のにの字も知らない武士に、白刃一閃、抜き打ちで首を飛ばされちゃいます。

◆ 水蜘蛛で立ってみれば…… ◆◆
いや、忍法も忍者もウソッぱち、くだらない、といっているわけではありません。忍法書の古典『萬川集海』に書かれたようなことは「オーセンティック」な忍術であり、立川文庫の『忍者地雷也』や、山田風太郎の「忍法筒涸らし」は馬鹿馬鹿しいファンタシーである、というような言い方はできない、というだけです。どちらも等しく荒唐無稽のファンタシーです。

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忍法の基本文献といわれる(いやあ、そんなオーセンティックな代物ではないのだが!)『萬川集海』を収録した人物往来社の『日本武道全集第四巻 砲術・水術・忍術』。これもゾッキで買ったが、いまやちょっとした値が付く。となれば俗物としては、やはりオークションに出すことになる可能性が高い。まだ秘蔵しているが。

「水蜘蛛」という「かんじき」のいとこみたいなものなんか、子どものときですら笑い飛ばしていました。浮き袋でサーフィンするようなもので、物理的に無理です。海や川では役に立つはずがなく、城の壕を渡るためのものという想定でしょうが、それだったら、ほかにいくらでも現実的な方法があるでしょう。レンジャー部隊式にかぎ縄を使えばいいじゃないですか。

「水蜘蛛」は、現代の購買者と同列の知性のない武将を騙すためのプロモーション用ギミックなのだろうと想像します。織田信長なんか、あやかしのたぐいが大嫌いな早すぎた近代人だったので(あの徹底した坊主嫌いには感動する)、水蜘蛛のデモンストレーションなんかやったら、その場で首を刎ねられたでしょう。

忍者の戦いは情報戦です。デマゴギーも情報戦の重要な戦術です。忍者が駆使するというガジェットのたぐいは、すべて忍者たちの意図的なデマの流布としてはじまったものではないでしょうか。手裏剣を投げるような事態に立ち至っては、情報戦は失敗です。だから、そうならないように、忍者というのはなにをするかわからない不気味な存在である、と宣伝することを、だれか頭のいい「上忍」(なんていうのが本当にいたかどうかも知らないけれど)が思いついたのだという気がします。

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◆ コストは? ◆◆
最後にもうひとつ。いじましいことをいって恐縮ですが、いまとちがって、戦国時代には、鉄は高価でした。いまどきのだぶつき鉄鋼市場、しじゅうダンピング騒ぎをしている業界とは、当時の鉄業界はちがいます。戦国時代には鉄鉱石を輸入できなかったはずで、国内に産出するわずかな鉄鉱石と砂鉄が原料だったのでしょう(ただし、火薬製造に必須の硝石が国内には産出せず、輸入されていたという話もあるので、鉄鉱石の輸入量はきちんと調べる必要があるかもしれない。だが、たとえ輸入が多くても、価格下落要因にはならなかっただろう。どちらにしろ貴重品であることに変わりはない。また、硝石=硝酸カリウムは思わぬところで生成されるのだが、長くなるので略)。

山崎の戦いで明智光秀が落ちのびようとして、あっさり殺されてしまったことに端的にあらわれているように、落ち武者狩りは儲かる商売でした。武器と武具が高く売れたからです。売らずに、自分が使う鋤、鍬の原料にすることもできたでしょう。

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『萬川集海』より「水蜘蛛の図説」。うーむ、いにしえの少年雑誌の豪華組立付録のようであるな。

「伊賀越え」が徳川家康生涯の大難のひとつといわれるのも、同じ理由によります。防備の甘い武士はよってたかって殺すにかぎる、というのがあの時代の百姓の考え方です。じっさい、伊賀越えでは、家康に同行した穴山梅雪(武田信玄のいとこ)が殺されています。

いや、伊賀越えは謎だらけで、梅雪の死因も諸説あります。ウィキペディアには、このとき、家康に同行したのは34人などと見てきたようなことが書いてありますが、わたしが調べたかぎりでは、史料によって同行者の人数も名前もまちまちで判断できず、脱出ルートすら明確ではありません。それどころか、このとき、家康は落ち武者狩りで殺されたとして、墓まで残っているのだから、歴史は闇の中ですよ。いや、だからこそ、つぎつぎと時代小説が書かれるわけですが。

話を戻します。武器武具を奪うためによってたかって武者を殺す百姓がそこらじゅうにあふれているときに、手裏剣だの、撒きびしだの、金に等しい価値のある鉄の塊を放り投げて歩くとは、ずいぶん太っ腹だなあ、と感心してしまいます。

だれか、手裏剣の製造コストというのを計算してくれないでしょうかねえ。安くはできないと思いますよ。原材料が高いうえに、すべてカスタム・メイド、そんな高価なものを何十枚もぶん投げていたら、採算割れで、忍者業界は失業者であふれてしまうにちがいありません。

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これまた『萬川集海』より「水掻き」。いやはや。これでシュノーケルと水中眼鏡があれば、夏休み海の子ども三点セットの完成。

いやはや、くだらないことを書きつらねたものです。いえ、手裏剣排斥運動をしているわけではありません。時代劇では、あのカッ、カッ、カッ、カッ、と十字手裏剣が刺さるショットは必要でしょう。高価だからと、あとから回収する忍者が登場する映画だって、あっても悪くはないとは思いますがね。

「リアル・ニンジャ・ストーリー」は、きっとジョン・ル・カレの『ドイツの小さな町』みたいなものになってしまうでしょう。ガジェットもギミックもなし、徒手空拳の情報戦です。

だから、「水蜘蛛」がどうしたなどという本は、まったくリアリスティックではなく、頭から尻尾までまるごとファンタスティックの側に立っていることを自覚するべきなのです。忍法筒涸らしのオリジネイターに嫌みをいう権利はないのです。そういう前提でなら、『真説・日本忍者列伝』も読みどころなきにしもあらずでしょう。


くノ一忍法帖 山田風太郎忍法帖(5) (講談社文庫)
くノ一忍法帖 山田風太郎忍法帖(5) (講談社文庫)
by songsf4s | 2010-03-24 22:51 | 書物