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サックス・メロディー by 伊部晴美(日活映画『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』より その6)
タイトル
Sax Melody
アーティスト
伊部晴美
ライター
伊部晴美
収録アルバム
日活映画音楽集 スタアシリーズ 宍戸錠
リリース年
1963年
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井上梅次監督が亡くなったそうです。当家では昨年、同監督の『嵐を呼ぶ男』を5回に分けて取り上げていますが(予告篇その1その2その3その4)、賞賛したのは大森盛太郎のスコアだけで、映画自体はまったく誉めませんでした。

いやはや、なんとも間の悪いことで、人様の作物を軽軽しくけなしたりするものではないと思いはしますが、かといって、そんなことに斟酌して、自分の考えを枉げるぐらいなら、たとえウェブであっても、はじめからものなど書くべきではないことも明らかです。批評的言辞を弄するのであれば、こういうバツの悪い思いをするぐらいのことは、はじめから見越しておかなくてはいかんということでしょう。

ということで、わたしはかつて井上梅次作品を好んだことはありませんが、縁あって当ブログで『嵐を呼ぶ男』を取り上げたのだから、井上監督が亡くなられたことをここにお知らせし、ご冥福をお祈りします。

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『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』に登場するこの有楽町のショットはすでにご紹介した。だが、あとになって疑問が湧いてきた。こんなショット、どうやって撮ったのだろう? 銀座4丁目の交差点のど真ん中に撮影用のやぐらを組めるはずがない。考えられるのは、地下掘削工事用のやぐらがここにあったということだ。まったく、そこらじゅうで工事をやっている時代だった。

◆ いかに面白くするか ◆◆
鈴木清順は、途中でスタイルを変えてはいない、はじめから同じ姿勢でつくってきた、という趣旨の発言をしています。ある意味では、そのとおりだと思います。監督自身と、周囲の見方のあいだに溝が生じたのは、レベルの異なることがらを同じ平面で語ったためでしょう。

鈴木清順の観点からは、映画作りの根本にあるものは、つねに「いかに面白くするか」、「いかに観客を退屈させないか」だったのだと想像します。見る側が感じる、たとえば「いかにも鈴木清順的な色づかい」なども、「いかに面白くするか」「いかに変化をつけるか」という足掻きのなかから生まれてきたものにすぎない、ともいえます。

観客はその点をアーティスティックに捉えるのに対して、鈴木清順は純技術的問題と捉えているために、ズレが生まれるのでしょう。障子が倒れた向こうに真っ赤な世界が広がっていると、観客は「なぜ世界が赤いのか」と、「意味」「意図」のレベルで考えますが、監督は「ただの雪の夜など退屈だ。色がついているほうが面白い」といったレベルで発想してくるのだと想像します。

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建築家の村野藤吾は、かつて日比谷にあった「大阪ビル1号館」で、テラコッタによる豚の頭部を装飾にしました。なぜ豚を装飾にしたのかと問われ、アーキテクトは「建物に豚があってもいいじゃないか」と答えたと伝えられています。その伝でいえば、鈴木清順は「真っ赤な雪の夜があったっていいじゃないか」と思ったのではないでしょうか。

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◆ ノーマリティーとアブノーマリティー ◆◆
鈴木清順の映画を見るときは、アーティスティックな側面から考えるより、「客があくびをしないように」という根本姿勢のことを思ったほうがいいと感じます。意味論的に捉えるのではなく、意味や論理から切り離された「美」として捉えるほうがよい場合がほとんどだろうと思います。

『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』は、清順映画としては異質性が強調されていないもので、ふつうに見ることも可能です。しかし、後年の目から見ると、やっぱり清順映画、ちょっと変、と思うところがいくつかあります。

一味のアジトの地下室を探りにいった宍戸錠が、笹森礼子に、あなたが警察の手先だということはわかっているといわれ、その瞬間に、錠は彼女に当身をくわせます。ここまではいいのです。でも、ふつうなら、これで相手は気絶するでしょう。ところが、この映画では、笹森礼子は気絶せず、腹を押さえて痛みに苦しんでしまうのです。

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ここは引っかかります。ふつうではないことがあれば、われわれはそこに相応の意味を見出そうとする習性をもっているのですから。なんでしょうね。古今亭志ん生が、客の気を惹くために、なかばわざとつっかえていたようなものである可能性も考えられます。客に「これはなんだろう?」と思わせるのは重要なことです。

いっぽうで、鈴木清順という監督は、苦痛にさいなまれる人間の姿に美を感じていたふしもあります。「肉体的にあるいは精神的に責め苛まれる女」というのは、清順映画ではごく当たり前の普遍的アイコンです。いや、男の苦しむ姿も同等に捉えられているのかもしれませんが。

『殺しの烙印』のような映画になると、すべてがノーマリティーを失うために、結果的にアブノーマリティーも雲散しますが、『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』のような、そこそこノーマルな映画では、異様なシーンは目立ちます。笹森礼子が苦悶するシーンは、たんなる「目覚まし」だったのかもしれませんし、あるいは「清順好み」「清順ぶり」「清順様式」の発現なのかもしれません。

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鈴木清順の性的倒錯の表現や暗示というのは、監督自身が「はじめから同じ作り方をしている」というとおり、50年代の段階ですでに散見します。ただし、この『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』が製作された1963年に、清順が一部で注目されるようになったのも、また相応の理由があったと考えます。

ここらで、一歩踏み込んでみようと、監督自身、ひそかに決意したのではないでしょうか。それが、「その3」でふれた川地民夫と楠侑子のシーンであり、「その5」でふれたジャズ喫茶のシーンであり、そして、この地下室のシーンなのでしょう。はじめからそういう表現を志していたのかもしれませんが、方向は変わらなくても、ここでレベル、深度、幅が変化しているのは間違いありません。

◆ サックス・メロディ ◆◆
この映画については、『赤いハンカチ』のようにクライマクスがきわめて重要というわけではないので、プロットを追うのはここまでにしておきます。

挿入曲やスコアについても、必要なことはほぼ書きました。残るはスコアが一曲のみです。

サンプル 「サックスのメロディ」

これは「その1」でふれたメイン・タイトルの変奏曲のようなもので、タイトルが8ビートなのに対して、こちらはスロウな4ビートでやっています。

このスロウな4ビートの変奏曲にもヴァリエーションがあり、『日活映画音楽集 監督シリーズ 鈴木清順』と『日活映画音楽集 スタアシリーズ 宍戸錠』では、同じ曲名で、異なるトラックを収録しています。サンプルにはしなかった前者に収録のヴァージョンのほうが、タイトル曲のヴァリエーションであることが明白にあらわれています。

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鈴木清順という監督は、音楽の面では(彼が好まなかった)小津安二郎に似ています(松竹時代を回想するエッセイに、同居している女性が小津の新作を見たといったのに対し、清順は「つまらなかっただろ」といったとある。また、インタヴューでも、小津映画は好みではないといっている)。小津安二郎のように、鈴木清順も、音楽監督に細かい注文をつけた形跡はないのです。

そのくせ、日活アクションのスコアのなかでも、とくにすばらしい出来の『殺しの烙印』(山本直純音楽監督)をはじめ、おおいに楽しめるものが、清順作品にはずいぶんあります。口を出さなかったおかげなのかもしれません。

今回で『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』を終わります。つぎはまた日活アクションに直行するか、短くべつの映画をはさんでからにするか、まだ決めかねています。

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by songsf4s | 2010-02-17 23:19 | 映画・TV音楽