この映画を取り上げると、やっぱり顰蹙を買うかな、という気もしたのですが、正月ものシリーズをやるなら七草までという気がするので(宇宙ものと七草はかなり衝突しているが)、これを正月シリーズの締めくくりにします。
はじめに、ごく簡単に設定を書きます。もちろん、『2001年宇宙の旅』がどういう映画だったかはご承知おきだということを前提にします。
トレイラー
2001年のミッションが失敗してから9年、大学教授になっているフロイド博士(ロイ・シャイダー)のところに、ロシア人が訪れます。ロシアの宇宙船レオーノフがまもなく、木星軌道上の「モノリス」とディスカヴァリーおよびHAL9000コンピューターの調査に向かう、アメリカもディスカヴァリーIIをつくっているようだが、レオーノフが先に木星軌道に到達するのは間違いない、そこで相談だが、ディスカヴァリーとHAL9000に関する情報をもつアメリカ人科学者をこの調査団に加えないか、これはお互いの利益になることだ、と提案します。
かくして、三人のアメリカ人科学者および技術者を加えて、ロシアの宇宙船レオーノフは木星軌道に到達して、ディスカヴァリーとのランデヴーに成功し、HAL9000を再起動して9年前のミッションの失敗の理由とモノリスのなんたるかの調査、および消息を絶ったディスカヴァリーのデイヴィッド・ボーマン船長の行方を調査します。同時に、木星最大の衛星エウロパで感知された「異常」の調査がおこなわれるのですが……。
オープニング
◆ 懐かしき巨大コンピューター時代 ◆◆
『2010年』(1984年製作)はもちろん『2001年宇宙の旅』(1968年製作)の続篇としてつくられたもので、われわれもまた、あの話をどうやってつなげるのかという興味でアーサー・C・クラークの原作を読み、ピーター・ハイアムズの映画を見ました。
『2001年宇宙の旅』を仮に「予言」の映画としてみるなら、2001年まで待つこともなく、1984年の時点ですでに、「ハズレ」が明白になっていたことがあります。HAL9000のようなコンピューターが宇宙船に搭載される可能性はない、ということです。
科学技術の未来予測などということが可能だとしたら、アーサー・C・クラークはその分野の第一人者といえるでしょうが、それでも、1968年の段階では、コンピューターの発展の方向性を見極めるのはきわめて困難だったにちがいありません。
技術の芽は68年の段階でもありましたが、なにしろ、まだLSI=大規模集積回路が生まれていないのだから(『2001年宇宙の旅』の製作時点では、その一歩手前であるMSI=中規模集積回路が登場しようとしていた)、マイクロプロセッサーの誕生を予言するのは、たとえ小説のなかでもむずかしかったでしょう。
インテルの4004が発表されたのは1971年だそうです。4004の段階では、まだワンチップ・コンピューターというより、電卓の処理系なので、ほんとうの意味での汎用マイクロプロセッサーの出現は翌年のi8008のときとするべきでしょうし、コンピューターが「持てる」ようになったのは、i8080が誕生した70年代半ばとするのが妥当でしょう。
普通の世界では、1968年と1972年は「似たようなもの」なのですが、コンピューターの世界、とくにLSIによる微小化以降は、1年ちがえば、世間の10年ぐらいの違いが生まれることになります。LSI、とりわけメモリーの集積度は幾何級数的に増大していくのだから、80年代以降は「制御不能の暴走状態」といいたくなる速度で変化していきました。
いま、コンピューター関係の書籍をひっくり返して確認したのですが、アラン・ケイがパロ・アルト研究所に入ったのがおそらく1971年、実験的コンピューター「アルト」の制作がはじまったのが1972年です。「パーソナル・コンピューター」という概念が生まれたは70年代のことであり、その時点ではまだ一握りの人が知っていただけなのです。アラン・ケイがこの研究の成果を論文にしたのは1977年のことでした(これがアップル・マッキントッシュやMS Windowsに基礎概念を提供した)。
以上、アーサー・クラークが『2001年宇宙の旅』を書いたときに、コンピューターは巨大なものという強固なパラダイムがあったことがおわかりでしょう。したがって、HAL9000のようなコンピューターが宇宙船ディスカヴァリーに積載されたのはやむをえません。
ただし、クラークがヴァニーヴァー・ブッシュの記念碑的論文『思考のおもむくままに』(As We May Think)を読んでいた可能性はあると思います。ディスカヴァリーに使われている情報端末は、ブッシュが構想したメメックスに似ているのです。もちろん、「Alto」のポータブル版である「ダイナブック」にも似ているのですが、その構想が生まれるのも70年代のことです。
いや、HAL9000はあれでいいのだと思います。いまでは歴史上重要なフィクションに登場する、神話的キャラクターになっているのだから、あの設定は成功したのだと肯定するべきなのでしょう。
ビハインド・ザ・シーン
◆ バロック宇宙のサスペンス ◆◆
『2010年』では、もちろん、HAL9000コンピューターの「発狂」ないしはmalfunction、機能異常の謎が解き明かされます。そもそも(小説を読み返さずに記憶で書くが)クラークの小説版『2001年宇宙の旅』で、これはすでに説明されていたと思います。二つの矛盾する命令を実行しようとしたために起きた異常です。
『2001年宇宙の旅』には、サスペンス映画的手法はほとんど使われず、サスペンスフルなシークェンスでもまったくの無音で、「スティンガー」(ジャン、といった瞬間的な威しの音楽)はゼロでした。真空では音が伝播しないという科学的事実を映画にきびしく適用した結果です。
それに対して『2010年』は、一度「狂った」過去をもつHALをヘイウッド・フロイド博士(前作とは異なり、ロイ・シャイダーが演じた)が信用せず、その博士の目を通じてHALが描かれると、サスペンスが生まれます。HALの赤い「目」が登場するたびに、われわれは『2001年宇宙の旅』のHALの「読唇術」を思いだすわけで、観客の記憶も利用したサスペンスなのです。
さすがにアーサー・C・クラークの構想したものだと思うのは、最後の木星軌道からの脱出におけるサスペンスです。HALが、木星の異常を検知し、推進システム点火のカウントダウン停止を提案するところです。無理矢理なところがまったくなく、HALに与えられた命令からして、当然の提案をしたまでにすぎず、人間の行動のほうが異常なのだというこの状況には、いかにもクラークらしい明晰さがあります。古典的な「どちらが狂人か?」という皮肉にもなっています。
順番が逆になってしまいましたが、木星軌道上でディスカヴァリーが縦軸方向に回転しているというのもクラークならではの意外な設定ですし、映画には出てきませんが、これをどうやって安定させるかというプロセスも小説には描かれていました。「エアロ・ブレーキング」や、レオーノフを「背負って」ディスカヴァリーが木星軌道を脱出するアイディアなども、クラークならではのもので、公開時も、今回の再見でも、楽しく見ることができました。
◆ 2010年というより1984年 ◆◆
1984年というのは、ちょっとした節目の年でした。もうお忘れの方が多いかもしれませんが、ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』が設定した時代が現実になった年だったのです。映画『2010年』の企画者はこれを意識していたとわたしは思います。
コンピューターの世界では、アップル・マッキントッシュが発売された年で、「スーパーボウル」のハーフタイムのコマーシャル枠をアップルが買い、オーウェルの『一九八四年』をモティーフにした、以下のようなCMを流しました。
これは日本では流されず、どこかの広告代理店からきたものだというVHSのコピーを会社で仲間と見ました。そして、数カ月後には、業務命令で、わたしは初代マックをしばらくいじるハメになりました。あの時点では英語だけなので、業務に使うといったって、あまり使いようがなかったのですが!
それで思いだしましたが、ほとんど知られることなく消えてしまったNECのPC-100というマック風のマシンを相手に格闘したのも1984年だったような気がします。このマシンにはJS-Wordというソフトウェアが標準で付属していて、これがのちに独立して「一太郎」になりました。それから、まだきちんと動かないMS-Windowsのプロトタイプという、変なものを見たのも同じころです。PCが現在のようなユーザーインターフェイスへと動きはじめた時期でした。
だから、『2010年』のなかでロイ・シャイダーがノートPC(とはまだいっていなかった。「ラップトップ」または「ポータブル」だったと記憶している)を使っているのを見て、安心しました。2010年といわず、まもなくそれくらいのサイズになるのは、あの時点でも明白だったのです。ただし、HALの大きさとエラく矛盾してしまいますがね。
改めて映画のノートPCを見ると、実装技術の進歩を甘く見ていたようで、なんだかひどく分厚いつくりです。この2010年年頭に、みなさんがご自分のノートPCとお比べになれば、映画のPCはひどく無骨に見えるでしょう。
◆ 国際政治の未来 ◆◆
映画なのだから、予測が当たったの外れたのといった次元で見ては失礼でしょうが、でも、『2010年』は未来予測がいかに困難かを教えてくれる映画だとつくづく思います。
大きいものは実現が予想より遅く、小さいものは予想より早くなる、という傾向があるようです。コンピューターはとんでもない速度で小型化してしまったいっぽう、ディスカヴァリーやレオーノフのような巨大遠距離有人宇宙船は、まだかけらもすがたを見せていません。
製作のみならず、研究開発にも巨大なコストがかかり、ビルド&テストのサイクルも稲作なみにのろい(ある農学者が、われわれ人類はまだ稲作の実験をわずか数千回しかしていない、わからないことだらけなのだ、といっていた)ということがあるのでしょう。同時に、実用性がないために、コストの正当化がきわめて困難でもあるにちがいありません。今後もあのようなものをつくれる可能性は低いだろうと思います。
科学技術の変貌より、さらに予測がむずかしいのは政治、国際関係かもしれません。1984年に製作されたということは、まだ共産圏の崩壊を予測できる段階ではなかったことになります。『2010年』のモノリスとディスカヴァリーの調査が、米ソ相乗りとして描かれているのは、いうまでもなく冷戦の緊張関係が反映されたためです。
そしてこれは全編をつらぬく太い経糸でもあり、木星軌道脱出シークェンスに緊張感を加える要素でもあります。また、ついに姿を見せない超越的生命体が、あのタイミングで木星に加工をくわえる決断をしたのは、エウロパの原初生命体の発生に合わせたものであると同時に、米ソ間の極度の緊張関係を牽制する意味もあった(いや、つまり、クラークの意図はそこにあったという意味だが)と感じます。
幸いなことに、現実の2010年は、そういう大国間のきわめて危険な紛争を抱えたかたちでははじまりませんでした。現在、もっとも危険な「火種」は、古くから人類を悩ませてきた経済の停滞ではないでしょうか。
◆ 第三作まで生きられず ◆◆
かくしていざその2010年になってみると、映画『2010年』は、2010年よりも、1984年を強く感じさせるものになっていました。いや、それが悪いわけではなく、たんに記事のネタとして、ちょっと意地悪く重箱の隅をせせったり、重箱のど真ん中をつついてみたりしただけです。
『2001年宇宙の旅』と比較されることを運命づけられた可哀想な映画ですが、『2001年宇宙の旅』はむしろきわめて例外的な作品として、この際、神棚に祀ってしまうべきでしょう。そして、「ふつうのSF映画」として見るなら、『2010年』はそれほど悪い作品だとは思いません。今回再見してみたら、公開当時の失望感は消えていました。
むろん、2時間の上映時間しかないので、小説のなかでアーサー・C・クラークがていねいに描写していた科学的ディテールが、映画ではきわめて簡略に、あるいは説明抜きで描かれたため、たとえば、回転しているディスカヴァリーに乗り込むサスペンスが薄くなったり、HALの自己犠牲の決断に味わいがなかったりといった欠点はあります。全体に話の運びが忙しいのです。
生まれてから四半世紀もたてば、たいていの作物は善し悪しの判断を簡単につけられるようになっているものです。ところが、『2010年』は、2010年になって見直しても、どちらとも判断をつけかねました。魅力もある失敗作、ぐらいでしょうかねえ。『3001年』が映画化されなかったのは、そういうことでしょうか?
エンディング
DVD
2010年 [DVD]
ブルーレイ
2010年 [Blu-ray]
文庫
2010年宇宙の旅〔新版〕 (ハヤカワ文庫 SF) (文庫) (ハヤカワ文庫SF)