正月映画というと、かつての東映や大映のオールスターものを思い浮かべてしまいますが、そういう新春顔見世興行的なにぎやかなもののことではなく、今年最初の映画は、正月を背景にした物語という意味での「正月映画」、三隅研次監督、市川雷蔵主演の『眠狂四郎 勝負』です。
◆ 正月らしい豊かな画面づくり ◆◆
『勝負』は映画版眠狂四郎シリーズの二作目にあたるもので、1964年の正月二週目の公開だとか。一週目はオールスター顔見世映画でしょうから、レギュラーのプログラムとしてはトップバッターということになります。第一作がヒットした結果なのでしょう。
それだけに予算も多めだったことが画面からも伝わってきます。開巻いきなり、初詣の客でにぎわう寺社の参道と境内が映りますが、いかにも正月らしいにぎわいで、安心してみていられます。大映映画だから、撮影所は太秦、衣裳のストックが十分だから、エキストラの日当だけですむとはいえ、ふつうの映画では、ここまで人数を繰り出せません。
われながら、正月早々みみっちい話を書いているなあ、と思いますが、日本映画はつねに予算との戦いなので、どうしても、そういうところに目がいってしまいます。『眠狂四郎 勝負』は、アイタッ、ここにまわす金がなかったか、というようなシーンがなく、ゆったり見ることができて、なによりでした。
◆ 波乗り船の音のよきかな ◆◆
じつは、この映画、去年の正月にとりあげるつもりだったのです。残念ながら体調が悪くて棚上げにした結果、去年はもう機会がなく、一年遅れの登場となりました。
映画のなかでは、とくに何日だとはいっていませんが、初詣の茶店で知り合った市川雷蔵の眠狂四郎と、加藤嘉の勘定奉行が居酒屋で一杯やっている場面(笑わない笑わない。時代劇の時代考証というのはこの程度と決まっている。勘定奉行が一人歩きするなど、天地がひっくり返ってもありえないなどといいだすと、チャンバラ映画は見られなくなる)で、船屋が登場することから、これは二日に設定されていることがわかります。
初夢がなぜ元旦の夜ではなく、二日の夜なのかということは、前回登場した、三代目三遊亭金馬の「初夢」でも考証されていますが、今日は百科事典の説明をペーストしておきます。
「昔は節分の夜(立春の朝)の夢を初夢としたが、暦制の関係から除夜や元日の夜に移り、やがて『事始め』の正月二日の夜の夢に一定したらしい。すでに室町時代には正月二日の夜、『宝船』の紙を枕の下に置いて寝る風習が始まっており、江戸時代になると『宝船売り』が江戸の風物詩として広く親しまれるようになった」
加藤嘉は船屋から買った宝船を、おぬしに進ぜようと、市川雷蔵にわたそうとしますが、あっさり拒絶されます。いい夢でも見て、すこしは丸くなれ、という心です。
江戸の風物を季節に添って描く「捕物帳」のありよう(だから、謎解きとしての骨格を有しないものも多い。あくまでも江戸風物の描出が本旨)に影響を受けたのか、時代劇の多くも「季語を織り込む」ようになっています。てなこといって、この映画の封切当時、わたしは小学生だから、季語もイワシの頭も知ったことじゃありませんでしたが!
◆ 目当ては俺かと狂四郎 ◆◆
二作目でこれはまずいのではないか、と思う点があります。一作目は正攻法の話だったのに、この二作目はすでに外伝的な味わいになっていることです。セルフ・パロディーといってはいいすぎでしょうか、そういう言葉が出かかります。
居酒屋を出たとたん、加藤嘉の勘定奉行が刺客に襲われたために、眠狂四郎は酔狂から用心棒を買って出ます。いや、加藤嘉は用心棒など無用と思っているのです。この二人のやり取りが『勝負』という映画の柱です。敵方は加藤勘定奉行に「化粧料」の二万両(ちと多すぎるか。現実には万までいかなかっただろう)を取り上げられてしまった家斉将軍の娘(久保菜穂子)と、その用人の須賀不二男という配置です。家斉治世ということは、天保時代に設定されていることになります。
ここに、冒頭で眠狂四郎に殺された剣客の弟など、狂四郎をつけねらう連中などもからんで、鍔鳴りのする機会が増加することになります。
すっかり勘定奉行の用心棒になったつもりでいた狂四郎が、敵が自分を目当てに襲ってきたことに気づいて愕くシーンは笑いました。このあたりがすでにセルフ・パロディーのムードなのです。
狂四郎に敵がいることを知った加藤嘉が、おぬしはほうっておけないと、逆に狂四郎の用心棒のつもりになってしまうのも、おおいにけっこうな展開ですが、ただひとつ、二作目でこのひねりは早すぎることだけが引っかかります。何本もつくったあとで、チェンジアップとしてこういうストーリーがあれば理想的だったでしょう。
◆ 立役者の力量 ◆◆
一昨年の秋に、この眠狂四郎の一作目と二作目を数十年ぶりに見て、魅了されました。同じ時期に、やはり封切のとき以来見ていなかった座頭市を数本見たのですが、同じようなスタッフでつくられたにもかかわらず、眠狂四郎シリーズのほうが、わたしには面白く感じられました。
市川雷蔵にはほかにも『中野学校』シリーズや『忍びの者』シリーズがあり、そちらを見返していないのですが、それでも、ベストは眠狂四郎以外には考えられないと感じさせるほど、ぴたりとはまっています。ずいぶん昔に、テレビで田村正和の眠狂四郎を見て感心した記憶がありますが、やはり雷蔵の眠狂四郎を見ると、ほかの役者は考えられなくなります。
小林信彦だったか、日本の役者は兵隊だけはみなうまく演じられるものだ、と書いていましたが、近年の戦争映画を見ていると、役者もスタッフも戦争をもてあますようになってきて、むしろ「兵隊だけはみな演じられない」というべき状況です。衣裳ですら、おいおい、太平洋戦争中にヴェルサーチのスーツがあるかよ、と爆笑しちゃうくらいだから、役者にいたってはみな衣裳以下、問題外です。
ほんの数十年前のことですら、めちゃめちゃなのだから、江戸時代なんか、ハリー・ポッターの世界とどっこいどっこいの勝負。ほかのものもそうですが、とりわけ時代劇は、昔のものを見るにかぎります。考証はデタラメでも、役者の力量はすごいものです。
五社英雄の『御用金』という、ぜったいにありえない設定の大馬鹿映画があります。昼間通ればなんでもない航路を、どういう理由でかわざわざ夜に通る船を、灯りを使って難破させるという、あまりの馬鹿馬鹿しさに笑いも引っ込む非現実的設定の映画です。それでも最後まで見てしまったのは、萬屋錦之助に見ほれてしまったからです。
五社英雄よりは映画をつくれる深作欣二の『柳生一族の陰謀』という、かなり困惑するシナリオ(褒めていることにご注意。ふつうは怒り狂うわけで、それにくらべれば「困惑」はずっと上等)の映画があります。これも萬屋錦之助のすばらしくも音楽的な台詞まわしのおかげで、つい最後まで見てしまいました。
昔の俳優、立役者とはそういう存在だったのです。市川雷蔵は萬屋錦之助のような馬鹿テクのスーパー役者ではありませんが、やはり身のこなしと台詞まわしにおおいなる魅力があり、時代劇を見ている気分にさせてくれます。武士らしい身のこなし、台詞まわしというのは、昭和とともに消滅しました。
◆ 眠そうな目をした死神 ◆◆
うかつにも気づいていませんでしたが、座頭市ほどではないにしても、眠狂四郎も海外でそうおうの人気があるようです。VHSやレーザーディスクがリリースされたこともあったし、現在はDVDボックスが出ています。英名はSleepy Eyes of Deathだそうで、はっはっは、でした。「狂」の訳語がほしいところですね。
そこまではありそうな話なのですが、柴田錬三郎の原作の英訳を見つけたのには愕きました。座頭市の原作は爪の先ぐらいのささやかな話だから、いくら人気があっても原作の翻訳はありえませんし、ゴジラも香山滋のささやかなものがあるだけで、比較できるものがありませんが、眠狂四郎シリーズのファンはペイパーバックを読んでいるのでしょうかねえ。残念ながら、原作にまでふれている海外ブログは見あたりませんでした。
数年前に、これまた数十年ぶりに眠狂四郎無頼控を数冊読んでみました。しかし、柴田錬三郎のベストは『赤い影法師』という大昔からの考えを変更するものではありませんでした。ああいうものが受けたというのは、やはり時代の気分によるものだったのでしょう。いまどき、「ニヒル」なんて言葉は流行るの流行らないのといったレベルを通りすぎて、知っているかどうかですからね。
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