先は長く、遊んでいる余裕はないので、本日も無愛想に、枕なしで話に入ります。あしからず。いや、たいていのお客さんにとっては、そのほうが好都合でしょうが。
◆ 木村威夫ここにあり ◆◆
刑事との対話のシーンの直後に、説明なしで、芦川いづみがステージに登場して、彼女がクラブ・シンガーだということがわかります。その歌の最中に、赤木圭一郎が客としてクラブに入ってきて、バーカウンターのストゥールに腰を下ろします。埠頭で刑事たちと話したその足でここにやってきた、という想定でしょう。
かくしてファンならご存知、日活アクションを特徴づける「毎度毎度のナイトクラブ・シーン」の幕開けです。ただし、小林旭の映画ではないので、白木マリのダンスはありません! おあいにくさま。
「ナイトクラブの魔術師・木村威夫」なんていったりはしないのでしょうが、わたしとしては、そう呼びたくなります。『東京流れ者』のクラブ〈アルル〉は、いまや「木村ナイトクラブ」の代表作とみなされていますが、今回、20年ぶりに『霧笛が俺を呼んでいる』を見て、ちょっとばかり愕きました。
鈴木清順関係の書籍ではすでに繰り返し指摘されていることなのかもしれない、と先にお断りしておきます。わたしがこの『霧笛が俺を呼んでいる』のナイトクラブを見てビックリしたのは、その構造が鈴木清順的なのに、この映画は清順とは無関係だということです。どこが清順的か?
というように、ステージの向こうにはオフィスがあり、ガラスを通して客席をのぞける構造になっているのです。これを見れば、清順ファンならだれでも『野獣の青春』を思いだします。しかし、『野獣の青春』の美術監督は木村威夫ではなく、横尾嘉良(ヨシナガ)なのです。
この算術の答えはなんでしょうかね? いちばん単純な解は、木村威夫と鈴木清順は、視覚的な構造の概念を共有するソウル・ブラザーズであった、というあたりでしょうか。もっと単純な答えもあります。鈴木清順ないしは横尾嘉良美術監督が、『霧笛が俺を呼んでいる』のセット・デザインを見て、このアイディアを拡大解釈した、ということです。
『野獣の青春』は近々取り上げる予定なので、ここではこれくらいにしておきます。このガラス・ブロックの使い方は、モンドリアン・パターンの現代版といったおもむきで視覚的にも面白いし、セットの構造という面でも興味深く、きわめて木村威夫的なデザイン、といえます。
木村威夫美術監督は、このナイトクラブのセットについて以下のように回想しています。
「芦川が上り下りする階段を配して、随分凹凸をつくったような印象があるね」
「建築的なものじゃなしに、敢えていえば、反建築的世界だよ。ドラマの組み立てから、逆にキャバレーの形式を打ち出していったんだ」
おかしなことに、というか、当然というか、木村威夫がデザインした映画のなかのナイトクラブを見て、そういうクラブをつくってくれという注文があり、いくつか現実のナイトクラブを設計したことがあるそうです!
赤木圭一郎と芦川いづみがラジオに出演したときの録音というのがあったので貼り付けておきます。
キャバレーセット ラジオ放送
台本を読んでいるような放送で、いまとはずいぶん感覚が違います。赤木圭一郎が芦川いづみの歌を褒めていますが、これはたぶんプロの歌手のスタンドインでしょう。赤木圭一郎だってそのことを知っていたでしょうが、台本どおりに「演じた」と思われます。
◆ 駄菓子もまた捨て難し ◆◆
親友の死に関する事実を知る女が、冒頭に出てきたバー〈35ノット〉に勤めていて、芦川いづみと会ったあとでホテルに戻った赤木圭一郎は、その女からの「やっと話す気になった」という伝言を聞きます。
女がバーのカウンターから、そういう重要な電話をかける(しかも、このバーが一味の内田良平が差配していて、その部下が女をいつも見張っている!)のは、この脚本のもっとも安易なところで、日活にかぎらず、昔の映画、とくに邦画にはよくある欠陥でした。こういう馬鹿馬鹿しさを回避するのはむずかしくないと思うのですが、映画関係者は視覚的に処理したいと考える傾向があり、絵のほうが先走ってしまうのでしょう。
そもそも、この女を危険視し、見張っていて、口を開きそうだとなるや、まずい、すぐに消せ、なんていうくらいなら、もっと早い段階でそうしておくはずです。赤木に死体を発見させるという、これまた映画的効果と、書く側の話の運びの都合を重視したもので、論理的にはたがをはめるようにビシッとプロットに収まっているわけではありません。
活動屋さんは「映画は理屈ではない」というでしょうが、要所要所でプロットのパーツとパーツをカチッとはめてくれないと、ドラマは弱くなっていきます。子どものころ、わたしが邦画を見なくなっていったのは、「そんな馬鹿な」と思うことが度重なったからです。いまさらわたしごときがなにをいってもはじまりませんが、双葉十三郎はリアルタイムでくりかえし日本映画界に苦言を呈しているわけで、批評家の言葉では客は来ない、などといわずに、すこしは耳を傾けるべきでした。
ただし、おかしなことに、これだけ時間がたち、「あ、またテキトーな処理をしやがって。まじめにやれよ」と思うことが習慣となった結果、これが日活映画(および昔の邦画全体)の味であるような気もしてきました。小津安二郎や溝口健二や成瀬巳喜男の映画には、こういう駄菓子のような味はないので、シナリオの欠陥、ご都合主義をプログラム・ピクチャーの持ち味として積極的に評価したくなってしまいます。時の経過による意識の変化というのは、じつにもって摩訶不思議ですな。
◆ 城ヶ島の磯に ◆◆
遺体の発見者として赤木圭一郎が、警察でまた西村晃の取り調べ(麻薬ルートを追っていたというので風紀課だと思っていたが、殺人課だったのね!)を受けるシーンが溶暗して、つぎのショットは郊外の風景になります。
前日、芦川いづみと話ができていたという設定なのでしょう。特段の必然性も説明もなく、二人は城ヶ島にドライヴします。「画面を動かしたい」という衝動はよく理解できるので、「映画的チェンジ・オヴ・ペース」なのだと解釈しておきます。
城ヶ島で赤木圭一郎は芦川いづみの言葉から、謎を解くヒントを得ますが、これだって、横浜でもかまわないことです。詰まるところ、美男美女をどこか景色のいいところに遊ばせよう、ロマンスの芽を感じさせようという意図の、視覚的な刺激だけを狙ったシーンです。
郊外へ、と思ったとき、城ヶ島が選ばれたのは、横浜から遠くないということはもちろんですが、このとき、城ヶ島大橋ができたばかりで、観光資源としての価値があったためでしょう。と山勘で書いておき、泥縄で調べました。
神奈川県サイトの城ヶ島大橋ページ
1960年竣工なので、新しいもなにも、出来たてのホヤホヤ、まだ橋が柔らかいうちに(!)ロケしたことになります。わたしら神奈川県民の小学生も、このころ、みなこぞって遠足で城ヶ島に行き、北原白秋の名前をたたき込まれ、歌碑の前で記念写真を撮られました。しかし、国や市のものではなく、県主導でつくり、現在も県が管理しているものとは、いまのいままで知りませんでした。
というだけで、とくに書くべきことはないので、あとはスクリーン・ショットをご覧にいれます。
城ヶ島は、この映画が撮影された半世紀前とあまり変わっていないようです。昨年撮った写真でわかるように、馬の背洞門は相変わらず崩れていませんし、ひどく混み合うこともありません。平日の早朝なら、無人の海岸のロケがいまでもできると思います。
グーグル・マップ・リンク
城ヶ島 馬の背洞門付近
これでようやく上映時間にして30分ほどです。まだ検討したいセット、ロケ地は相当数あるので、長丁場と覚悟を決めて、のんびり行きます。
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