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『霧笛が俺を呼んでいる』 その4 「バンド」と日本

前置き抜き、説明なしで前回、途中で終わってしまった「横浜バンド」の話にダイレクトにつなげます。説明の必要性から、前回掲載した「バンド」の写真をもう一度掲載しておきます。

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◆ 氷川丸以前! ◆◆
刑事たちと赤木圭一郎の対話の中身はさておき、問題はこのロケ地、そしてここから見える風景です。じつにもって、へへえ、でした。なんといっても、氷川丸がないのに愕いて、思わず調べました。

日本郵船歴史博物館 氷川丸のページ

同 歴史の生き証人「氷川丸」

日本郵船歴史博物館はこの「横浜バンド」にあります。わたしは一度入館したことがありますが、昭和戦前の歴史が趣味なので、それなりに楽しく過ごしました。図書資料も豊富です。

日本郵船のウェブサイトで調べたかぎりでは、氷川丸がホテル・ニューグランドの正面に係留されたのは1961年のようで、『霧笛が俺を呼んでいる』はその直前に撮影されたことになります。

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幼いころ、うち中で動かない氷川丸に「乗船」し、帰りに中華街で食事をした記憶がありますが、それはきっと61年のことなのでしょう。子どものいる家というのは、話題になったアトラクションには、古びる前にすぐに行くものですから。東京タワーもマリンタワーも、できたとたんにのぼった記憶があります。昭和30年代的心性なのか、いや、いまでも同じでしょうね。

◆ キングかクウィーンかジャックか? ◆◆
正面手前は山下公園ですが、夕暮れなので不分明。その向こう、左寄りのビルはニューグランド、その右手は、すでにシルク・センターができていたのだろうと思います(1959年竣工だそうな)。

久生十蘭によれば、船の送迎のあとは、ニューグランドかバンド・ホテルで一餐だったそうです。わたしの若いころは、船で外国に行くのはめずらしくなっていたのですが、それでも、不思議なことに、大桟橋で三度も出迎え、二度も見送りをしています。そういう場合、もちろんニューグランドも使いましたが、シルク・センターも使いました。そこが十蘭の時代とは違うところです。

右端に見える塔はちょっと悩みました。しかし、よく見ると二つのようなので、あとは高さ(見た目の高さなので、遠近も関係する)の問題だけです。低いほうが横浜開港記念会館、高いほうが横浜税関(このページには他のふたつの塔の写真も掲載されている)だろうと思います。ただし、低いほうは神奈川県庁かもしれません。小さなシルエットだけなのでなんとも判断しかねます。

税関は海に面して建っているので、これだけはまちがありません。横浜税関の地下には展示室があります。ここもなかなか興味深い展示がありますし、クラシックな建築の地下を見学できるという余録もあります。

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横浜税関ファサード。税関のオフィシャル・サイトから拝借した。じつに興味深いことに、この建物は陸に背を向け、ファサードを海に向けている。玄関は海に向かって開いているのだ。

木村威夫じゃありませんが、昔の建物はやはり「寸法がちがう」のです。わたしは好んで戦前の建築の地下に入っていますが、一般論としていえることがあります。「現今の建築より階上は天井が高いが、逆に、地下は現今の建築より天井が低い」という原則です。これ、かなりの確率で当たっているはずなので、機会があれば、古い建物の地下に入ってご確認あれ。天井に違和感を覚えるでしょう。

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横浜開港記念会館。こちらもオフィシャル・サイトから拝借した。半地下式になっているので、歩道を歩いているだけでちょっと昔にタイムスリップしたような気分になる。

◆ 海岸都市または彼岸の風景 ◆◆
みなさんはどうお感じかわかりませんが、わたしはこの「バンド」をつくづく眺めていて、なんだか寂しいなあ、と思いました。主として上海バンドを思い浮かべているせいですが……。

わたしは旅というものをしない人間で、各地の風物についてはなにも知らないのですが、日本には「バンド」といえる海岸の町並みがあるのでしょうか。小さな漁業の町に行くと(たとえばわたしが知っている場所では三浦市の三崎港)、海に正対する形で町並みができています。海岸、海岸道路、家並み、という並びで、家々の正面が海に向かっているのです。

しかし、「都市」といえる場所で、大廈高楼がファサードを海に向けている、という土地が日本にあるのでしょうか。函館、室蘭、神戸、博多、新潟など、可能性を感じる場所はありますが、どうなのだろうかと思います。

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函館港。この坂道を小林旭と二本柳寛がのぼったのは、『ギターを持った渡り鳥』でのことだった。

日本中を歩いたわけでもないのにこういうことをいってはなんですが、日本の都市は、おおむね「海に背を向けている」といっていいのではないでしょうか。わたしの生活圏でいうと、たとえば湘南の海沿いには道路があり、それに沿って海に正面を向けて建物が建っていますが、大廈高楼といえるようなものはほとんどありません。ポツポツとホテルがある程度です。

東京にもそういうところはないでしょう。隅田川沿いですら、建物のほとんどは川に背を向けています。日本の大都市の海岸、河岸というのは、港湾施設、荷揚施設が集まるところであり、一般市民が遊興したり、買い物したりする場ではないのです。

そうなったについては、万やむをえぬ事情があったのだろうとは思いますが、都市の発達という側面から考えると、これは大間違いだったと思います。

たんなる間違い都市作りの一例としてあげるだけですが、いまどき、大都市のコンビナートなど、まったく無用の長物と化しつつあり(いまは加工済みの製品が来るので、都市部の石油精製施設は不用)、半世紀前とは事情が一変しています。横浜の根岸、磯子の海をつぶしたのは、ほんの一瞬の用に供する無駄遣いだったことになり、いまでは愚なる為政者の果てしない無思慮無分別の証拠として、コンビナートが無価値有害に残されています。

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バブルのときに「ウォーター・フロント」という「流行」があったのは、方向性としては間違いではなかったと思います。金がだぶついているときにしか大都市の改造はできません。でも、明確なヴィジョンと方向性を感じない開発ばかりだったような気がします。

横浜は相対的に(ということは東京にくらべてという意味にすぎないが)いい方向を目指したと思うのですが、経済情勢の激変に足をすくわれたのか、ちょっと、いや、ひどく寸足らずでした。それでも、「市民が憩う港」が部分的には実現されたと思います。

横浜に小規模な「バンド」ができたのは、ここが外国人居留地だったからであり、日本人の意思によるものではありません。結局、日本人のもっとも苦手とするところは、「都市を構想する」ことなのでしょう。

日活は、われわれが不得手とする「美的都市空間の構築」を、ロケーション・ハンティングとキャメラのフレーミングとフィルム編集によって、映画のなかだけで仮想的に実現しました。日活描く都市横浜は、現実の横浜ではなく、視覚的にパラフレーズされた「彼岸の横浜」「あらまほしき横浜」「そうであってほしい日本」だったのです。意図されたものではなく、なかば無意識に生じたサイド・キックなのかもしれませんが、これが「わたしが日活映画を見る理由」のひとつです。

またしても、一回に1シークェンスというのろまなことになってしまいました。つぎはいよいよ、木村威夫美術監督の腕が発揮されるナイトクラブへと向かいます。

by songsf4s | 2009-11-12 23:59 | 映画