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『霧笛が俺を呼んでいる』その2 バンド・ホテル

『霧笛が俺を呼んでいる』は、いちおうミステリー仕立ての映画なのですが、その方面の興味は薄く、親友の消息という「謎」は映画のなかほどで「解決」されます。謎も謎というほどのものでもなければ、解決も解決というほどのものでもありません。純粋な謎解きものではないのです。

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この記事では、あるショットのコンテクストを説明するときに、「謎」の答えにふれる可能性が高く、そういうことをおおいに気にされる方は今回はパスされたほうがいいでしょう。つぎの段落ではそのことにふれます。

◆ ハリー・ライム物語 ◆◆
日活映画(にかぎらないだろうが)は、さまざまな外国映画をベースにしてプロットをつくっています。とりわけ「日活好み」だったのは、『望郷』『カサブランカ』『第三の男』ではないでしょうか。この三作はプロットやシーンの設定に何度も借用、引用されていると思います。

赤木圭一郎扮する航海士が消息不明の友人を探す、という『霧笛が俺を呼んでいる』の設定はすでに書きました。それだけでもう観客は、『第三の男』パターンか、と予測を立てます。そして、さまざまな状況がこの予測を裏づけ、わかってみるとやっぱり『第三の男』だった、という映画です。

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どこかで見たような……『第三の男』

したがって、ミステリー的興趣はほとんどありません。出だしの展開を重くしない潤滑剤として、「冒頭に興味深い謎を提示する」という探偵小説的アプローチを利用しているのです。

冒頭で謎が提示されるが、謎解きものではない、というのは日活アクションの典型的パターンです。謎解きの興味が最後まで持続したり、真犯人やその他の謎が解明されたときに、多少とも意外の感を味わうことはめったにありません。

以上、先に弁明しておき、あとは遠慮会釈なしに書くことにします。

◆ ロケかはたまた「ピックアップ」か ◆◆
舞台は、霧の埠頭、霧の裏町、紫煙の船員バー、と移動し、バーでの乱闘のあと、赤木圭一郎はホテルに部屋をとり、ロビーから階段で二階のレストランにあがります。

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ここで使われているバンド・ホテルは実在しました。この「バンド」は「上海バンド」などと同じもので、水辺の通りのことです(ふつうは海岸らしいが、上海の場合は前は海ではなく、揚子江だから、水辺とした)。

残念ながら、わたしはこのホテルに入ったことがありませんし、すでに取り壊されているので、内部の撮影がロケなのかセットなのかは判断できません。感触だけでいうなら、セットでしょう。

その理由のひとつは、レストラン内部を何回か横移動で捉えていることですが、しかし、回廊状になっているようなので、そこに移動車をおけば、ロケでも移動撮影ができるような気もします。たんに、なんとなく、全体の造りや汚れぐあいがセットに感じられるだけです。小規模なホテルの内部での撮影はやりにくいだろうとも推測します。ステディー・カムによる手持ち撮影などということはできなかった時代です(以前取り上げた、スタンリー・キューブリックの『フルメタル・ジャケット』はステディー・カムを多用している)。

ただし、セットであっても、おそらくは「ピックアップ」と木村威夫が呼んでいた、現物の忠実なコピーでしょう。それなりに名を知られたホテルの実名を出したのだから、内部を大きく変更するわけにはいきません。それに、これがセットだとしたら、かなり規模が大きく、この映画にそれほどの予算があったかどうかはわかりません。

◆ 窓を開ければ…… ◆◆
藤浦洸は、このバンド・ホテルをイメージして、服部良一作の曲に「窓を開ければ、港が見える」という詞をつけました。淡谷のり子の「別れのブルース」です。

久生十蘭は昭和24年の長編『だいこん』のなかでこう書いています。

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十蘭の『だいこん』は、昭和20年8月15日から、同9月2日のミズーリ号艦上での降伏調印までにあった、軍部、政界のさまざまな動きを、鎌倉に住むリベラルな外交官の娘の目を通して描いたものです。

事実をゆるがせにする書き手ではないので、当初、司令部がバンド・ホテルにあり、その後、税関に移ったというのはほんとうなのでしょう。誤解されている方がいるといけないので急いで付け加えますが、このときダグラス・マッカーサーはまだ日本に着いていません。したがって、バンド・ホテルのすぐそばにあるホテル・ニューグランドに止宿してもいません。マッカーサーが厚木基地に降り立ったのは8月30日、降伏調印式の直前のことでした。

それよりも、久生十蘭という稀有の作家によって、終戦直後の「横浜バンド」のすがたが描写されていることに、何度読んでも興奮を禁じえません。山下公園一帯、とくにニューグランドにはかつてはよくいったし、書物によって、この一円が占領軍に接収されていたことも知っていましたが(山下公園にかまぼこ兵舎が並んでいる写真のなんとショッキングだったことか!)、作家がインティミットにその現実を描くのは、歴史書の「客観」を標榜した記述とはまったく次元が異なります。しかも、ただの作家ではありません。作家のなかの作家、日本文学史上のベストのひとりが書いておいてくれたのです。

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残念ながら、『だいこん』を収録した三一書房版全集は入手難、目下刊行中の全集新版は、まだ『だいこん』収録の第六巻の配本にいたっていません。青空文庫もチェックしましたが、久生十蘭の仕掛品リストによると、入力中、未公開です(よけいなお世話かもしれないが、青空文庫が底本にしている三一版全集は誤脱が多いし、社会思想社の文庫本はさらに質が悪い。入力後にもう一度、新版での交合、じゃなくて、校合が必要だろう。久生十蘭作品の校訂には十分なフランス語の知識が不可欠だが、三一版も社会思想社版も、フランス語のルビがまったく問題外だった。「寝椅子」のルビの「ディバン」ないしは「デイバン」あるいは「デイヴアン」か、どうであれ、これくらいのことはまちがえないで欲しい。フランス語など目に一丁字もないわたしですらdivanぐらいは知っている)。

しかし、まもなく新版全集か、青空文庫で読めるようになるので、枕を高くして果報は寝て待てばよろしいでしょう!

◆ 吹き抜けと回廊 ◆◆
毎度のことながら、話がサブルーティンに入り、さらにサブ・サブ・ルーティンに潜り込んで失礼しました。人間の思考構造の美点も欠点も、この連想機能にあるのだからしかたがない、と開き直っておきます。まあ、わたしの場合は明白に欠点でしょうが。それではメイン・ルーティンに復帰。

ホテル内部の構造は、あつらえたような「日活ぶり」です。日活アクションに登場するホテルの構造というのはいつも興味深いのですが、このバンド・ホテル内部の造りは、ほとんど祖型的といっていいでしょう。ほかの映画にこの造りがやがて木霊することになりますが、そのへんは、その映画にたどり着いたときのことにしましょう。

このような構造は当然キャメラワークに影響します。姫田真佐久撮影監督は、この場面の撮影を楽しんだのではないでしょうか。動かしようがないとフラストレーションを感じるでしょうが(小津安二郎は例外だが!)、これならいろいろな撮り方ができます。

そして、ここで赤木圭一郎は芦川いづみに出会います。どうやら、外でなにかイヤな出来事があってここに逃げ込んだ様子の芦川いづみは「窓を開ければ、港が見える」で、窓の外に目をやり、胡乱な人物に気づきます。

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窓の外はセットには思えないので、やはりロケなのでしょう。ということは、スクリーン・プロセスではめこんだ? 芦川いづみが外景にかからない位置に立つことで、スクリーン・プロセスであることをわかりにくくする処理をしているのではないでしょうか。いや、スクリーン・プロセスにしては外景が鮮明で、悩んでしまいますが。でも、この設定で内景と外景をいっしょにきれいに収めるのも、それはそれでむずかしいでしょう。

細かく、意識的にキャメラの動きと画面の感触を見てきて、姫田真佐久撮影監督の仕事ぶりは、やはり名人上手といわれただけのことはある、文句なしだと感嘆します。

◆ バンド・ホテル・スーヴェニア ◆◆
なんとも進みがのろくて困ったものですが、今日はついにバンド・ホテルだけでおしまいです。

目下、散歩ブログでやっている古建築写真特集で利用している写真を撮って歩いたころに、バンド・ホテルまで行ったことがあります。80年代のことです。しかし、見た目にも老朽化がひどくて、なんだか撮るに忍びず、そのままにしてしまいました。

「窓を開ければ港が見える」で有名になったのに、その後、高架に目の前をふさがれ、「窓を開ければ高速が見える」になり、「バンド」に建つホテルの味を失ってしまったのは、このホテルにとってはなんとも不運でした。

毎日新聞のバンド・ホテルの記事

グーグル・マップのリンクをおいておきます。この地図でドンキホーテになっている場所が、バンド・ホテルの跡地です。

バンド・ホテル跡地(ドンキホーテ)

次回は、新山下のアパート、突堤、病院、この三つぐらいはこなしたいと思っています。「新人」吉永小百合も登場することになるでしょう。

by songsf4s | 2009-11-08 23:59 | 映画