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『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その2

今夜は、ハロウマス、万聖節あるいは諸聖人の祝日の前夜、すなわちハロウィーンです。町のあちこちに「ハロウィン」なんていう、寸詰まりの気色の悪い言葉がばらまかれて、十月はおおいに悩まされましたが、これでああいうものはすべて撤去されるので、助かります。

Halloweenというスペルを見ればわかることですし、それでわからないトンチキも、英和辞典を見れば、アクセントは第三シラブルのeにあり、ここには長音記号もついているので、まちがえたくても、どうにもまちがえようのない仕組みになっています。妥当な表記は「ハロウィーン」以外には考えられません(発音にはヴァリエーションがあるので、「ハローウィーン」までは許容範囲)。「ハロウィン」なんて、いったい、どこにアクセントを置いて発音する気なのでしょうか。「ハ」ですか? ご冗談でショ。

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それはともかく、ハロウィーンに合わせて、映画を一本見たのです。すでに一昨年にご紹介した、Adventure of Ichabod and Mr. Toadです。あのときは、現物を見ずに、小説とYouTubeのクリップだけで書きましたが、今回はアニメのほうもちゃんと見ました。30分あまりの短いものなのです(ふたつの異なる話をつなげて70分ほどの映画にしている)。

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一昨年の記事を修正したほうがいいと思った箇所がありました。イカボッド・クレインの性格設定です。罪のない人間を騙した人間がいい目を見る、後味の悪い話だと書きましたが、アニメではさすがにその点を修正していたのです。イカボッド「も」下心たっぷりな俗物という、イヤな奴に変えられていたのです!

つまり、くだらない人間が二人、つまらないことで争うだけの、どうにも感情移入のしようがない話になってしまったのです。結句、ビング・クロスビーのナレーションはうまいな、だなんてところに落ち着いてしまうのでした! 賞美のしどころは、一昨年の記事でも取り上げた、ビング・クロスビー歌うHeadless Horsemanという曲だけです。

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いちおう、一昨年のハロウィーン特集(とはいわずにEvil Moon特集として、ハロウィーンを目指しているということは伏せておいた)で取り上げた曲を一覧しておきます。

Halloween Theme by John Carpenter
Monster Mash by Bobby "Boris" Pickett & the Crypt Kickers
Friend of the Devil by Grateful Dead
I Put a Spell on You by Alan Price Set
Clap for the Wolfman by the Guess Who
Wolfman Jack by Todd Rundgren
Moonlight Feels Right by Starbuck
Purple People Eater by Sheb Wooley
Something Following Me by Procol Harum
(Ghost) Riders in the Sky その2 by the Ventures
(Ghost) Riders in the Sky その1 by Vaughn Monroe
Bad Moon Rising by Creedence Clearwater Revival

音楽的に考えても、やはりベストはジョン・カーペンターの「ハロウィーン・テーマ」でしょう。もちろん、盤ではなく、映画のスコアとして聴くべきです。

◆ 柴垣、建仁寺垣 ◆◆
さて、本題。前回に引きつづき、木村威夫による『乳母車』の美術、今回は「セット拝見」です。最初に登場するセットは、鎌倉にあると設定されている、宇野重吉、山根壽子、芦川いづみ親子の家です。

わたしは鈍感なのか、注意力散漫なのか、はたまた「室内方向音痴」なのか、一度見たぐらいでは、セットのことが頭に入らないことが多いのですが、今回、久しぶりに『乳母車』を見直し、やっと「プラン」(平面)がわかってきて(まだ曖昧なところが残っているが)、このセットの規模の大きさに愕きました。

いや、もうすこし正確にいうべきでしょう。キャメラが人物の動きを追えるようにするためか、じっさいの「プラン」どおりに部屋が並べてあり、バラバラに組んだセットを映画のなかで接続しているわけではないということです。明らかにセットが別立てとわかるのは、二階にあると設定された芦川いづみの部屋ぐらいでしょう。

まず、家の周囲、二度ほど登場する、おそらくは門を出てすぐの場所と想定されているであろう角。

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両側は柴垣です。昔にくらべれば減ったでしょうが、鎌倉にはまだかなり柴垣の家がありますし、建仁寺垣も目につきます。どちらかというと、建仁寺より柴垣のほうが多いでしょう。一軒、これはまた、と感嘆する柴垣を知っているのですが、ああいうものを維持するのは大変だろうと思います。

いま思いだしましたが、成瀬巳喜男の『山の音』でも、山村聡の義父と原節子の嫁が、柴垣に沿って歩くショットがあります。この映画の美術監督である中古智が、二階堂のほうで撮影したと書いていました。やはり、柴垣があると鎌倉らしい雰囲気になると、美術監督たちは考えるのでしょう。

◆ 宇野重吉邸 門と玄関 ◆◆
つづいて、門と玄関の外。

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不思議なことに、右側は建仁寺垣、左側は柴垣という垣根のチャンポンになっている。こうして静止画にして眺めないかぎりわからないような違いなので、ちょっとした手違いを見切って撮ってしまったか?

ここは夜間でしか登場しないので、セットかロケか判断しかねます。何度も登場するわけではなく、ディテールはわからないのだから、ロケですませた可能性が高いように思います。

以上のシーンは、昼間、父の浮気のことをきいた芦川いづみが、(なにも説明されないが)早く父が帰ればいいのに、という思い入れで、外を見に出てきた、というものです。キャメラといっしょに芦川いづみの動きを追います。

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家に入った芦川いづみは、いったんは自室に行こうと階段を上りかけるが、長唄をうたう母親の声を聞きつけて、引き返す。

玄関の造りは、やはり気を遣うところでしょう。明らかに裕福な家庭なのですが、大きな式台のある日本家屋ではなく、洋風にしています。こういう選択にはつねに強い意味が込められているものなので、こちらもそのつもりで見る必要があります。

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このドアを境にして、セットを分離することも可能だろうが、他のシーンから類推するに、どうやらそういう処理はせず、ひとつながりになったセットにしてあるように思われる。

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廊下の突きあたりに籐の椅子が二脚と小テーブルがある。後段で明らかにするが、向かって左が夫の書斎兼応接間、右側が妻の居間という構造になっていて、田坂具隆監督は、その中間に芦川いづみを坐らせた。

◆ 「奥様」のいる場所としての「奥」 ◆◆
廊下の奥に遠く芦川いづみを捉えたキャメラは、こんどは切り返して和室のなかを見せます。これが凝っているのです!

あとでわかることですが、このふた間続きの「奥」は、さまざまな面ではっきりと「表」とは区別されています。ここでいっている「表」と「奥」というのは、武家屋敷におけるなかば公の場(表)と、私的な空間(奥)のそれぞれを指す意味なのですが、まさに、この「和」の空間は「奥」の造りになっています。ただし、夫婦の寝室はここには出てきませんが。

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芦川いづみが黙って籐の椅子に坐り、見やった先に母が三味線を弾きながらうたっている。この背景はわからないものだらけ。襖や障子があるべき位置に立てられているのは「葭戸」(よしど)だそうな。記憶をまさぐってみたが、現物を見たことはないようで、ほかの映画で見たような覚えがあるだけ。金持ちの家、それも、あるタイプの家庭にだけあるものだろう。秋になったら取り外してしまうのだから、一般家庭には無理。天袋の下に同じ柄の戸(天でも地でもないから「中袋」?)があるが、こんなものも無知にして知らない。

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こちら側にも葭戸。現実にも贅沢なのだろうが、見た目もよい。畳の黒いへりを見せたくないと映画関係者はみないうが、木村威夫も畳を隠すために敷物を使った。

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へりは黒くない。目立たせないように、緑か茶のものを使ったのだろう。

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山根壽子が芦川いづみの前に坐ったので、キャメラは逆方向に切り返すが、ちゃんと反対側もセットがある。取り外せるようにしてあったのだろうが、一階部分はほぼ丸ごと家を建てるようにしてつくったことがこのあたりでわかってくる。

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ちゃんと向こうに玄関があるのだから、灯りもつく。殿様、宇野重吉のご帰館で、女中頭が玄関に出てきたのだ。

◆ 応接間兼リスニング・ルーム ◆◆
女中頭が旦那様を迎えに出るだけで、妻も娘も立ち上がらないのは、やはり戦後の映画だからでしょうね。戦前なら、一家全員で出迎えたにちがいありません。

宇野重吉は家に入るとすぐに左に曲がって、書斎か応接間と思われる部屋に行きます。妻が出てきて部屋の灯りをつけたり、上着を受け取ったりするのですが、そのとき、玄関脇のドアではなく、右手のほうからあらわれます。これもあとでわかるのですが、ちゃんと廊下とこの書斎をつなぐドアがあるのです。

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お食事は、お風呂は、ときく妻に、夫は、これを一枚聴いてからにしようと、今日買ってきたレコードを示し、キャビネットのふたを開けます。

このふたが透明プラスティック、正面パネルの一部も透明プラスティックで、ターンテーブルの様子が見えるようになっています。これは木村威夫の特製だそうで、じっさいにそういう商品が登場したのは、この映画から数年後のことだとか。

べつのシーンから、このオーディオ・セットがよく見えるショットを拾いました。

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これを見ると、どうやらターンテーブルが二連になっているらしい。SP盤の時代だから、クラシックなどの長い曲を聴くにはそのほうが便利だったのかもしれない。

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せっかくの透明キャビネットだから、伊佐山撮影監督は一瞬だけ、回転するターンテーブルを捉えた。

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最初は「変な位置に坐るなあ」と思ったが、まだステレオではなく、モノーラルの時代だから、スピーカーはひとつしかないのだと気づいた! 宇野重吉という俳優がそういう印象を与えるところがあるのだが、なんだか、家ではいたたまれないようなようすで、この椅子だけが彼の居場所のように見えてしまう。

◆ 塔の上の姫君 ◆◆
久しぶりの長尺記事になってしまい、お疲れでしょうが、付随的なことはさておき、三者三様の居場所のあり方だけはひととおり見ておくことにします。最後は二階にある芦川いづみの部屋です。

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海を眺めながら、彼女が一大決心をしていたことがつぎのシークェンスでわかる。

ちょっとした眺めの部屋です。背景はここも書き割りではなく、スクリーン・プロセスです。波が打ち寄せ、人影が動いています。

しかし、これはどこを写したのでしょうか。よその土地でロケされた可能性もありますが、とりあえず鎌倉での撮影と仮定します。河口らしいものが見えますが、鎌倉で湾曲した海岸線のなかほどに河口があるとしたら、滑川しか考えられません。そこまではいいとして、では、キャメラはどこに置かれたのか、です。あれこれ考え合わせると、材木座の光明寺の裏山ではないでしょうか。ほかに都合のよい高台を思いつきません。

グーグル・マップ

◆ 音楽のメタファー ◆◆
夫の宇野重吉は、ちょっとしたオーディオ・セットをもつクラシック音楽ファン、妻の山根壽子は三味線を弾き長唄なんぞをたしなむ、娘の芦川いづみの部屋にはアップライト・ピアノが置かれている、というように、物語がはじまって早々に、三人のキャラクターが音楽的に塗り分けられています。

これは明らかに意図されたものです。とりわけ、「洋」の夫と「和」の妻の空間が、廊下をはさんで鋭利に分断されていることが、偶然のはずがありません。しかし、それではそこからなにか明快な方向付けが得られるかというと、そんなことはありません。ただ単に、二人のあいだにある距離があることだけが視覚的に感得されるにとどまります。

いや、それでいいのです。簡単に底が割れては、シンボリズムではなく、説明になってしまいます。ここは、この一家に起こる波乱を予感させれば十分であり、それが豪儀なオーディオ・セットと三味線の対比の意味でしょう。

またしても、石原裕次郎登場には至らず、相済みません。次回、一大決心をした芦川いづみは、第二のセットで裕次郎に出会うことになるでしょう。
by songsf4s | 2009-10-31 23:55 | 映画