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『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その1


今日は十分な時間をとれなかったので、なにかひとつに絞って、木村威夫美術監督の『乳母車』における仕事ぶりをご紹介しようと思います。

f0147840_23501355.jpg前回の記事の末尾で、石原裕次郎が登場しないままこの映画の話をおしまいにしては具合が悪い、などと書きましたが、今日も裕次郎の登場は危ぶまれます! つぎか、そのまたつぎぐらいでなんとか補いをつけるつもりですし、ほかにも裕次郎の映画を準備しています。

最近いらした方は、なぜわたしが木村威夫という美術監督の仕事にこだわるのかおわかりにならないかもしれないので、その点について一言だけ。木村威夫は『悪太郎』以降の鈴木清順作品の大部分の美術を手がけました。当家ですでにとりあげた映画としては、渡哲也主演の『東京流れ者』(「その1」「その2」「訂正」)が木村威夫の仕事です。

もちろん、木村威夫の美術で地ならしをしてから、本格的に鈴木清順作品群に突入しようという心づもりがあります。ほんとうにそうなるかどうかはともかく、意図はそうなのです!

◆ 石坂洋次郎描く ◆◆
プロットを書くのが退屈で、すぐに、それは自明のこととして、てな調子で飛ばしてしまい、毎度失礼仕り候。石坂洋次郎の小説を原作とした『乳母車』は、いわゆる「青春映画」ではありません。

だいたい、石坂洋次郎は若い世代の恋愛のあり方を描いたようにいわれていますが、わたしの見るところ、彼が得意としたのは中高年の恋愛模様のほうで、若者の描き方はいたってブッキッシュでぎこちないものです。

f0147840_23514649.jpgたとえば、石原裕次郎がこの映画のあとで主演することになる『陽のあたる坂道』の原作では、たしかに、映画と同じように若い世代の恋愛も描かれていますが、そちらは、いまになるとあまり面白くありません(いや、発表当時、わたしは幼児だったので知らないが、でも、上梓の時点ですでに古びていただろうと想像する。作物の鮮度というのは、つねにそういうものなのだ)。

それに対して、映画では根こそぎオミットされてしまった(その判断自体は大正解。このサブプロットまで取り込んだら、映画は失敗する。脚本は池田一郎すなわちのちの隆慶一郎)、裕次郎の義理の母(轟夕起子。ほかの女優は考えられない!)と昔の恋人のその後の物語のほうが、はるかによく描けていて、そこだけはいまでも古びていず、おおいに楽しめます。

ここで、当たるも八卦、当たらぬも八卦の大予言。石坂洋次郎は、いまではすっかり忘れられた作家になってしまいましたが(近所の図書館では、すべて書庫にしまわれているので、いちいち請求しないと読めない)、わたしは数年以内に「中高年恋愛小説の作家」として復活すると思います。

現に、中高年であるわたしが、このところたてつづけに石坂洋次郎の長編を読み(半分はブログで取り上げる映画の原作としてだが!)、まだいけるじゃないかと感心したのだから、視点を変えて、『あじさいの歌』は、映画でいえば、東野英治郎と轟夕起子の、なんとも複雑で奥の深い愛と憎しみを描いた物語である、として売り込めば、反応する中高年は多数いると思います。

若い世代の恋愛というのはパターン化している(つまるところ、セックスにいたる前菜ないしはアペリティフでしかなく、目的地がべつのところである可能性はゼロ)ので、作家としても、たいして書くべきことはないのでしょう。

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『あじさいの歌』挿絵。岩崎鐸画、新潮社刊『石坂洋次郎文庫 第13巻』より。

いっぽうで、当時の作者とほぼ同じ世代に対する視線はきわめて鋭利で、ものごとを一面的、一方的に片づけないこの作家の美点がおおいに生かされています。陳腐なモラルでは皿に盛ることのできない男女のすがたをみごとに描いていて、その面では、いまも十分に「現役」として通用する作物を生みだしたと思います。大人の恋愛は、セックスの前ではなく、後にあるのです!

石坂洋次郎の文庫の紙型をもっとも抱えているのはどこの版元でしょうか。新潮社? ちょっとギャンブルをしてみてはどうでしょうか。石坂洋次郎作品を十点集めて、キャンペーンをやるのです。いや、ターゲットはもちろん、全盛期を知る五十代以上だから、古い紙型などとケチなことをいわず、文字サイズを大きくして、新たに組み直したほうがいいでしょうね。どうせInDesignなのだから、それほどすごいコストにはならないでしょう。

◆ 似て非なる「青春映画」 ◆◆
話が脇に行ってしまったので、仕切り直し。『乳母車』は、絵づらとしては、芦川いづみが愛らしく、これが三作目の石原裕次郎(『狂った果実』のつぎの作品だった!)の、前作とは正反対の好青年ぶりも楽しく、例によって「石坂洋次郎原作の青春映画」のふりをしています。

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石原裕次郎と芦川いづみ

ところが、骨組みにまでストリップ・ダウンして眺めると、これは宇野重吉、妻の山根壽子、愛人の新珠三千代という三者の物語であって、芦川いづみと石原裕次郎(新珠三千代の弟)の二人は、たんなる狂言まわし、物語に第三者的視点を持ち込むための道具でしかありません。

『乳母車』は、石坂洋次郎作品の本質である「大人の恋愛模様」が、もっともストレートにあらわれた映画なのです。ただし、その面では『あじさいの歌』や『河のほとりで』のような秀作、『陽のあたる坂道』のような佳作には及ばず、宇野重吉演じる夫や、山根壽子演じる妻に、われわれは感情移入することができません。うまく描かれたキャラクターとはいいかねます。

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宇野重吉と山根壽子

でも、そういう「評価」のようなことはこの際、本質的なことではありません。映画というのは多面的に楽しむことができるものです。ということで、視覚的、デザイン的に『乳母車』を見てみましょう。

◆ ナラティヴの方向性と舞台の移行 ◆◆
やっと本題にたどり着いたものの、残り時間はあとわずか、大きなセットの一部しか見られないかもしれません。

『乳母車』は、まずプール付きの豪邸(いや屋敷自体はほとんど見えず、庭だけだが。ブリヂストンの会長の家を借りてロケしたと木村威夫はいっている)からはじまり、宇野重吉一家が住む、鎌倉のこれまたかなりの規模の邸宅へと移動し、そこから奥沢(九品仏)の新珠三千代住む「妾宅」(というと、見越しの松に黒板塀になってしまうが、そこを美術監督がどう回避したかはあとで検討する。そういえば木村威夫は、森鴎外の例の小説を豊田四郎が映画化した『雁』でも、高峰秀子が暮らす無縁坂の妾宅をデザインした。あれも半ひねりの入ったデザインだったような記憶があるが、細かいことは失念)、さらには、川向こうの江東か月島あたりの裕次郎の下宿へと、舞台は(そういってはなんだが)下降していきます。

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セット・デザインとしては、いわば上昇していく人物たちの意識と、「下降」(失礼!)していく舞台の関係をどう視覚的に表現するか、ということがポイントになるでしょう。木村威夫は「出しゃばりな」美術監督です。セットにストーリーを語らせるのです。当然、このナラティヴの構造を意識して、デザインを決めていったにちがいありません。

ということで、庭とプールしか出てこない芦川いづみの友人の家という設定のロケーションはオミットして、鎌倉のどこかと設定された、宇野重吉邸のデザインをみることにします。いや、気がつけばもうタイム・リミット。今日は長い枕だけになってしまいました。間をおかず、すぐにつぎの記事を掲載するようにつとめますので、今日のところはご勘弁を願います。

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by songsf4s | 2009-10-30 23:59 | 映画