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Play the Game by Matthew Fisher その2
タイトル
Play the Game
アーティスト
Matthew Fisher
ライター
Matthew Fisher
収録アルバム
Journey's End
リリース年
1973年
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散歩ブログのほうで、このところ連続して戦前の建築をご覧いただいています。

ああいうものを組織的に破壊した出来事がいくつかありました。1923年の関東大震災、太平洋戦争中の空襲、東京オリンピックを目指した破壊、そして80年代のバブルです。その意味で、東京落選のニュースには焦眉を開きました。近来、これほどのグッド・ニュースはなかったといっていいほどです。

それにつけても、妻木頼黄設計の日本橋の景観を妨げる部分だけでも、高架道路をどけてくれないでしょうか。ほかのものは仕方ないけれど、あれだけは我慢がなりません。ああいうことが二度と起きないようにするには、東京オリンピックのような、広島型原爆に相当する、組織的巨大破壊に赦免状をあたえないことしかないと思います。ノーモア東京。

しかし、皮肉なことに、もはや守るべきものはほとんど残っていないような気もします。いまさら東京オリンピック程度の破壊が起きても、砂漠のド真ん中に爆弾を落としたようなもので、被害はわずかでしょう。人命の被害はもっとも僅少だったバブルが、古建築にとっては最大の惨禍でした。

◆ プロコール・ハルムの転落 ◆◆
1969年のプロコール・ハルムのサード・アルバム、A Salty Dogを聴いておおいに満足しました。マシュー・フィッシャーのプレゼンスが、ゲーリー・ブルッカーと五分になったからです。Wreck of the HesperusとPilgrims Progressを書いたマシューが、内容的にはブルッカーを圧倒していました。マシューが贔屓だったわたしは、この変化に満足し、次のアルバムを期待しました。

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期待したその4枚目でマシューが抜けてしまったのだから、がっかりしました。途中までマシューがいたはずの、アルバムの出来自体にも感心できず、結局、買いもしませんでした。Whiskey TrainのBJのカウベル・プレイは愕くべきものでしたが(いや、その面では後年のPower Failureのほうがすごい)、いくらわたしがドラム好きでも、それだけではどうしようもありません。

その後、マシューは主としてロビン・トロワーのプロデューサーとして活躍しますが、そのあたりに関心はなく、そもそも、マシューが曲を書いたり、プレイしたわけではないのだから、マシューの作品とはいえませんでした。

どうであれ、69年のA Salty Dog以来、マシューがどうなったのかまったく知らなかったので、デビュー盤にはわくわくしながら針を落としました。いま思いだすと、最初はやはり失望したのだと思います。それが尾を引いているのか、いまだにオープナーのSuzanneはあまり聴きません。やはり、ハモンドのプレイを期待していたのでしょう。その面ではSeparationというハモンド・インストゥルメンタルが、もっともイメージに近いトラックでした。

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◆ バンドの力学 ◆◆
しかし、何度か聴くうちに、歌詞が耳に入ってきて、うーん、そういうことだったのか、と思いました。Going for a SongとPlay the Gameという2曲は、プロコール・ハルム脱退のいきさつを語っているのだとわかってきたのです。

サンプル Play the Game

Some folks say I'm a loser, I've never had much money
I never had a friend that didn't sometime let me down
When I try to remember to think of all the good times
Well I was just a victim of the joke that was going around

But at last they don't bother me at all
And if they think I'm gonna crawl
Well they'll have to think again
Tell my friends that if they're lookin' for some fun
I no longer am the one that they can use to play their game

以上はファースト・ヴァースとコーラスです。歌詞としてのレベルは低く、わたしはこういうタイプを「綴り方歌詞」と呼んでいます。思ったままをただ書いたにすぎず、「表現」のレベルに達していないのです。

でも、そのおかげで、理解しにくいところはどこにもなく、いいたいことがすんなりわかりました。ここでいうtheyは明らかにプロコール・ハルムです。ロビンとはその後も仕事をしてきたのだから、感情的対立はなかったのでしょうが、ゲーリー・ブルッカーとキース・リードはこのtheyに含まれているにちがいありません。

もちろん、これはマシュー・フィッシャーの一方的な主張にすぎません。ブルッカーとリードには反論もあるでしょう。しかし、ここで重要なのは、事実がどうであったかではなく、マシューがプロコール・ハルムという環境をどう受け止めたか、ということです。

この曲を知っていると、マシューが、フルタイムではないにしても、再びプロコール・ハルムと録音し、ツアーに出るようになったのは驚きでした。その後の裁判における対立のほうが、よほど自然に感じられます。

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ゲーリー・ブルッカー(左)とマシュー・フィッシャー

しかし、彼がいうとおり、never had much moneyであるなら(じっさい、見えている作品に関するかぎり、たいした収入にはならなかっただろう)、プロコール・ハルムとツアーに出ていれば、その原因を思わざるわけにはいかなかったでしょう。どこへいってもその原因である曲、A Whiter Shade of Paleをプレイせずにステージを降りるわけにはいかなかったにちがいありません。

1973年のPlay the Gameは予見的だったといえるでしょう。いや、決意表明というべきかもしれませんが。ブルッカーはマシューの曲になど関心がなく、聴いてすらいなかったかもしれませんが、ああいう曲をつくった人間の心に、もっと想像力を働かせるべきだったでしょう。

マシュー・フィッシャーの話をもう少しつづけようと思います。日活映画をお待ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、そちらはもう少し先になるでしょう。

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by songsf4s | 2009-10-03 23:29 | その他