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Body Double by Pino Donaggio(OST 『ボディ・ダブル』より)
タイトル
Body Double
アーティスト
Pino Donaggio (OST)
ライター
Pino Donaggio
収録アルバム
Body Double (OST)
リリース年
1984年
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ちょっと迷ったのですが、こういう順序で来たのに、この映画を飛ばすのもアンフェアのような気がするので、ブライアン・デ・パーマの『ボディ・ダブル』にそそくさとふれることにします。

なぜ、そそくさでなければならないかというと、アメリカではR指定、すなわち、一般映画と成人映画の中間というレイティングになったぐらいで、エロティックなプロットを扇情的な映像にしているのです。日本ではそういうレイティングはないから、子どもだって見られるのですが、それはまずいのではないかと感じるほど、露骨な映像やセリフがたくさんある映画なのです。

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西部の風景かと思って見ていると、それが動きだし、書き割りだったことがわかる。そこへ、仕事でしくじった主人公の俳優がサウンド・ステージから出てくる、というこのオープニングは楽しいのだが……

◆ R指定 ◆◆
いつもなら、YouTubeに目的のシークェンスのクリップがあれば、ためらいなくもってくるのですが、肝心のテーマ曲が流れるのが、もっとも露骨なシーンなのです。よって、動画なしの音だけというものを貼りつけておきます。ここにああいうダンス・シーンを貼りつけるわけにはいかないのです。そうまでいわれると気になる、という方は以下のクリップの関連動画でもたぐってみてください。



基本は4/4の変拍子で、その点まで含めて、ちらっとジョン・カーペンターのHalloween Themeを思い浮かべます(Halloween Themeは5/4)。あれは恐怖を演出する不安定な音楽であり、こちらはいわばストリップティーズのBGM、たっぷり甘みをあたえてありますが、構造的にはよく似ています。Halloween Themeをお聴きになってみますか? 以下はナイフも血もないタイトルだけのクリップなので、安心してどうぞ。今日は骨抜き、腰砕け、腑抜けクリップばかりですまんことです。



音符の細かいリフと、1小節にわたって長く伸ばすゆるやかなコード、シンプルなコード・チェンジ、といったあたりが両者の共通点です。わたしは、ピノ・ドナジオはジョン・カーペンターの曲作りとアレンジメントを意識して、Body Doubleのテーマを書いたと考えています。いや、いただいたというわけではなく、純粋に「参照」のレベルでいっているのですが。

このBody Doubleのテーマは、劇中、何度か流れるのですが、いずれも、露骨な、あるいは微妙な性的興奮にかかわる場面です。過去にも扇情的な音楽というのは数多くあり、たとえば、ストリップティーズにはTabooというのはすでにジョークと化し、世界のストリッパーのだれひとりとして使わないのではないかというほど陳腐化しています。Body Doubleのテーマは、半世紀前ならTabooが果たしていた役割を負って、新しくつくられたもので、そういうもののサウンドがこうなったというところが、いかにも80年代らしいと感じます。

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◆ 模倣の退廃 ◆◆
ブライアン・デ・パーマは、数本にわたってアルフレッド・ヒチコックのパスティーシュをつくってきましたが、この映画はそれが行き着くところまで行き着き、退廃の腐臭を放ちそうになっています。面白いところはあるのですが、見終わったときには、なにやら疲れたため息が出てしまうような映画でした。

発想は『裏窓』から得たものかもしれませんが、プロットの柱は『めまい』だといっていいでしょう。基本的には両者を混ぜ合わせ、それを『サイコ』で味つけした、といったあたりと感じます。

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主人公はハリウッドの丘のてっぺんに建つ豪邸に居候することになる。家の出入りは、右下に見えるミニ・ケーブルカーといったおもむきの乗り物でする!

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なんだか、昔の東宝特撮映画に出てくる宇宙人の基地といった雰囲気のデザイン。じっさい、これはミニチュアに実写の窓の部分を嵌めこんで合成したのだと思う。

そもそも、ヒチコックの『裏窓』からして、ひとつまちがうと居心地の悪い映画になったはずです。猛暑のせいで、どこの部屋もブラインドやカーテンで窓をふさいでいないからといって、しげしげと他人の暮らしぶりを観察するのは、まっとうなふるまいとはいいかねます。その罪悪感をやわらげているのは、主人公ひとりではなく、恋人や家政婦や友人も、隣人観察に参加するからです。つまり、その程度のソフトな覗きだということです。

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主人公が高倍率の双眼鏡でのぞく対象もまた大豪邸。このへんが『裏窓』のように楽しめない理由のひとつだと感じる。

でも、『裏窓』の主人公が〈ミス・トルソ〉と名づけたダンサーは、外から見えるところでそんなことはしないほうがいいんじゃないか、と思うようなふるまいをします。デ・パーマはここから『ボディ・ダブル』の発想を得たのでしょう。あんなことを無意識にする人間はいない、わざとやっているのだ、という解釈です。

しかし、出発点がそこだと、話はエロティックな妄想じみたものにならざるをえません。こういうものの許容範囲というのは人それぞれ千差万別でしょうが、わたしはストリップティーズの場面は、うまい伴奏音楽だと思ってニヤニヤ見ました。しかし、『めまい』に捧げるオマージュである追跡シーンで、居心地が悪くなりました。シルクの下着をショッピングモールのゴミ箱に捨てる女もわかりませんし、男がそれを拾ってしまうにいたっては、映画の主人公がやることではないだろうと感じました。悪役のふるまいです。こういうシナリオの混乱ないしは計算ちがいがあちこちにあります。『愛のメモリー』でも、同じような印象を受けました。

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これは『めまい』でいうと、ゴールデン・ゲイト・ブリッジのシークェンスに相当すると思うのだが……。

◆ 自分自身にもどるとき ◆◆
body doubleという言葉は「代役、スタンドイン、替え玉」を意味します。この映画の主人公は苦闘中の俳優です。したがって、映画それ自体への言及がたくさんある自己言及映画、メタ映画の側面があり、そういうところは楽しいのですが、そこでもまたエロティックなムードが漂ったり、もっとストレートにポルノ映画の撮影現場へと入り込んでいったり、重要な登場人物がポルノ女優であったりと、そういうハリウッドの裏面が描かれています。

こうしたディテールのニュアンスがくどく感じられるし、プロットのあちこちに無理もあり、『サイコ』を意識した殺人の場面も、本家のスタイリッシュな映像には遠くおよばず、B級スプラッターじみた印象で、そうしたことが積み重なり、例によって素直に楽しむことができなくなっていくのです。

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ここはヒチコックではなく、鈴木清順へのオマージュかと思ってしまう場面。『野獣の青春』では窓越しに無音のクラブの様子が見えたが、このポルノ製作会社では、ガラス越しに無音の撮影現場が見える。

テーマ曲のセンジュアリティーや、視覚のトリックへのこだわりなど、細部には楽しいところがたくさんあるのに、またしても後味はさっぱりせず、この監督の映画を見るのはこれが最後かな、と思いました。たぶん、当のブライアン・デ・パーマ自身もそう感じたのではないでしょうか。彼の「ヒチコック憑き」は、この映画で「落ちた」のではないかと思います。そうじゃなければ、キャリアは終わっていたでしょう。

てなことをいいながら、当家がブライアン・デ・パーマ映画を取り上げるのはこれが最後とはならないでしょう。たぶん、あと一、二本は見ることになると思います。
by songsf4s | 2009-07-06 23:58 | 映画・TV音楽