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東京流れ者 by 渡哲也 (OST 『東京流れ者』より その2)
タイトル
東京流れ者
アーティスト
渡哲也
ライター
川内和子作詞(作曲者不詳)
収録アルバム
N/A
リリース年
1966年
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『東京流れ者』の英語タイトルは、Tokyo Drifterなのだそうです。日本語はあいまいだから、『東京流れ者』でなんとなく納得してしまうのですが、英語は明晰たらんとする指向性があって、この英訳題にはかすかな違和感があります。理屈っぽく訳すなら『A Drifter from Tokyo』だと思うのです。『東京から流れてきた男』です。東京のなかを流浪しているわけではないのです。

f0147840_831795.jpgこういうタイトルにしてみると、石原裕次郎の『赤い波止場』、そのリメイクである渡哲也の『紅の流れ星』(いい映画だった。脇にまわった宍戸錠がすばらしいし、若いころとはまったく異なった味の浅丘ルリ子もよかった。そして、この映画を見て、はじめて渡哲也の魅力がわかった。まちがいなく彼の代表作)、さらにいえば、『赤い波止場』の元になった『望郷』が想起されます。

『東京流れ者』もまたこうした系譜に連なる、日活がつねにメニューから外さなかった「現代的に変形した貴種流離譚」(注 この言葉が気になる方は記事末尾を参照されよ)のひとつなのです。まあ、『東京流れ者』は、『望郷』的というより、『勧進帳』的、『虎の尾を踏む男達』的なプロットで、感傷に浸っている余裕もなく、「関所」を破っていく話なのですが。

なんの脈絡もなくて恐縮ですが、前回、書くのを忘れてしまった、もう2種類のサンプル音源をあげておきます。『東京流れ者』のメイン・タイトル(インスト)と、劇中ではクラブ・シンガー役の松原智恵子が歌う(リップ・シンク。声は鹿之侑子)「ブルーナイトイン赤坂」です。

メイン・タイトル(鏑木創)
ブルー・ナイト・イン赤坂

f0147840_8413018.jpg「ジャパン・タイムズ」の木村威夫インタヴューのURLも書いておきます。これは九十歳で監督デビューした木村威夫の記事なのですが、必然的に美術監督時代のことに話がおよび、そうなれば、清順作品が俎上にあげられるのは当然の成り行きです。

http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/ff20081024i1.html

◆ 佐世保は今日も遠かった ◆◆
さて、今回は「『東京流れ者』ロケ地ミニ散歩」です。『狂った果実』(その1その2その3その4)のときは、東奔西走南船北馬、鎌倉だけにかぎっても、四カ所もまわることになり、エラく手間取りましたが、『東京流れ者』に関しては、ロケ地がわかったのは一カ所だけなので、たいした苦労はありませんでした。ほんとうは快晴の早朝に撮影したかったのですが、いまは梅雨、しかも、早起きは大の苦手で、最適の条件での撮影はできませんでしたが、撮れたのだから、文句は言いますまい。

渡哲也扮する「不死鳥のテツ」(映画のなかでは不死鳥は「ふじちょう」と濁って発音される。これは東京人のくせで、下谷生まれの亡父は「台東区」を「だいとうく」と発音した。清順も東京生まれ、亡父の二つ下なので、あの時代の東京人らしく、「ふしちょう」という抜けた音を嫌ったのだろう)は、のっぴきならぬ事情から、まず庄内へと落ちます。しかし、ここにも身を隠しているわけにいかなくなり、今度は佐世保へと飛びます。今回のロケ地散歩は「佐世保」のシーンなのですが……。

以前、ご紹介した富田均『東京映画名所図鑑』にも、「そして佐世保の早朝の飲食・風俗街等々」とあり(同書p.162)、佐世保ロケとみなしているのですが、じつはそうではないのです。『東京映画名所図鑑』は東京およびその周辺だけを扱った本ですし、「佐世保」とスーパーインポーズが出て、あの絵柄では、佐世保ロケとみなして、対象外としてしまうのも無理もありません。

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名著『東京映画名所図鑑』を批判するつもりはまったくない、とお断りしたうえで申し上げますが、わたしはたまたま、あのシークェンスのロケ地が佐世保ではないことを知っています。神奈川県横須賀市のバー街、里俗に「どぶ板通り」と呼ばれている場所で撮影されたのです。前回も書きましたが、鈴木清順は「ついで映画」の監督であり、つねに乏しい予算でやりくりしていました。ほんの数ショットのために佐世保までロケに行く経済的、時間的余裕などあるはずがありません。佐世保と同じ基地の町である、近場の横須賀ですませてしまったのでしょう。

まずは、どぶ板通り(本町)をふくむ横須賀市の大域図と、どぶ板通り付近を拡大して、推定キャメラ位置をプロットした地図をご覧あれ。

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それでは映画のショット順にしたがって見ていくことにします。まず、もっともわかりやすい第1撮影現場(地図中のA)、階段のある路地です。左が渡哲也、右が二谷英明、階段を下りてくる、ほとんど視認できない人物は玉川伊三男。なぜこういう風に人物が配置されているかを説明するには、ポイント部分のプロットを明かさねばならないので、省略させていただきます。キャメラは国道16号線を背にして、南にレンズを向けてセットされています。

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階段は旧状のまま、左側の商店もおそらく1966年当時と同じ建物ですが、右側はビルになってしまい、一階はガレージです。ということは仕舞た屋になってしまったということで、ご多分に漏れず、この通りもすっかり衰退してしまったようです。建て替わってはいなくても、閉店したままのバー、キャバレーが通りのあちこちにありました。

つぎはB、京浜急行汐入駅そばの撮影現場。ほかのキャメラ位置はすぐにわかったのですが、ここだけは考え込んだあげく、最初は勘違いしてべつのガード下を撮影してしまい、改めてやり直し撮影に出かけました。地図に示したように、キャメラは同じ位置のまま、ただ左から右に90度ほどパーンするだけです。

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なぜ最初はこの撮影現場がわからなかったのかは、ひと目でご了解いただけたものと思います。昔の面影はまったくないのです。このあたりは、EMクラブ(旧帝国海軍の下士官集会所だった建物を米海軍が引き継ぎ、同様に下士官クラブ=Enlisted Men's Club=EMクラブにした。解体前のさよならイヴェントでは、かつてここで仕事したことがあった安田伸もプレイした)の解体後、大規模な再開発をおこなった結果、昔のものはなにもなくなってしまい、いまや頼りは京急汐入駅のガードだけなのです。

つづいて撮影現場Cです。わたしは三十数年前、このへんでとぐろを巻くような生活をしていたので、いまでも忘れませんが、夏の午後、この通りを歩くと、どこにも日陰がなくておおいにへこたれました。まっすぐ東西に伸びているのです。この撮影は明らかに早朝におこなわれているので、通りのどちらにキャメラを向けているかは、光の加減でわかります。

シーンとしては、二谷英明と玉川伊三男が並んで歩いているというもので、2種類のショットがつづけて出てきます。まず「C」のショット。

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なぜここがCの位置であり、Dの位置で逆方向に切り返したのではないと判断したかというと、背後にかつてのEMクラブがかすかに見える(二谷英明と玉川伊三男の肩のあいだ)からで、EMがこのように見えるのはCの位置だろうと考えたのです。しかし、こういう記憶には勘違いがつきもの、ちがうぞ、と思われる方は、ぜひコメントをお書きになってください。

つづいてDにカメラをおいたショット。二人の背後が明るいので、ここは東のほうにレンズを向けて撮ったことがわかります。このショットの意味を書きたい誘惑に駆られるのですが、クライマクス直前の重要なシークェンスのため、グッとこらえて口をつぐむことにします。

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◆ 異端と正統、裏と表、内と外 ◆◆
やってみると、清順について書くのはひどくくたびれるもので、なんだか精魂使い果たしたような気分です。すでに20本は見た、などという方には、不治の病を抱えてお互いしんどいことですな、と同情申し上げるにとどめておきます。以下、これから清順をご覧になってみようという方にひと言(いや、五言ぐらい)。

おおかたの映画ファンが清順に気づいたとき、彼はもう日活にいませんでした。一握りの熱心な映画ファンや評論家(小林信彦はリアルタイムで『野獣の青春』を賞揚している)をのぞけば、みんな「遅れてきた清順ファン」なのです。

f0147840_17362766.jpgわたしが見た1972年の時点でも、『殺しの烙印』はひそひそと噂されるような映画でしたが、でも、まだ“『殺しの烙印』の鈴木清順”というような表現が成立する状況にはなっていませんでした。それだけは断言しておきます。あの映画はまだ、清順フィルモグラフィーのなかにあって「はぐれ者」「変わり種」の位置づけだったのです。『くたばれ悪党ども』や『野獣の青春』のような、本街道を行くオーセンティックなアクション映画(いやまあ、清順にはそういう作品はない、というご意見もございましょうが!)のパロディー、自分で自分の仕事を揶揄した「メタ映画」、というのが当時の印象でした。

日本人の大部分が「遅れた」ぐらいなので、外国人はみな後追いです。海外での評を読むと(といっても英語以外は読めないが)、『殺しの烙印』が傑作ないしは代表作であることを自明のように書いているものが多く、そこにイヤなきしみ、歪み、ズレ、断層を感じます。(おそらくはタランティーノのアジテーションに乗って)もっとも突出した変わり種から清順映画に入ってしまったために(後追いの場合、それは当然であって、非難しているわけではない)、評価の倒立が起きているのです。

f0147840_17383825.jpg鈴木清順は、1966年までに三十数本の映画を費やして、乾坤一擲の傑作『殺しの烙印』を撮るための長い準備をしてきた……のでしょうかねえ? わたしは、まったくそうは思いません。いろいろ撮っているうちに、「映画に文法はない」(小津安二郎)といってみたくなった、とか、経営陣がヒステリー女みたいにわめくので、ここらで派手にケンカしてみるか、というような気分だったのではなかろうかと想像しています。

どうであれ、『殺しの烙印』は本街道ではなく、裏街道です。裏表をひっくり返しては、あとの話がみな逆さまになってしまいます。世界のフィルムゴーアーに清順の存在を知らしめた人たちの努力には感謝したいのですが、ずいぶんと歪んだパブリック・イメージが形作られてしまったと思います。せめて日本が海外の評価に追随することがないようにと願っていますが、残念ながら、国内の評価は海外の評価に押しつぶされてしまうことが多いのです(『羅生門』がカンヌでグランプリを取ったとたん、国内での評価は180度変わったというが、わたしはあの映画が好きではないので、黙殺した日本の評論家のほうが正しかったと思う。問題は、受賞以後、手のひらを返したことにある。カンヌ風情がなにをやろうと、あれは断じて失敗作だ、といえばよかったのだ。それがクリティークというものではないか!)。

百万人が見れば、百万人の解釈があるのは当然で、海外での見方が日本国内とはちがうことに文句があるわけではありません。わたしがいいたいのはその逆のことです。みんなで口を揃えて『殺しの烙印』を最高傑作と絶賛し、あとの映画は『殺しの烙印』を基準にして見る、という画一的なありようは、断じて打ち破る必要がある、ということです。

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渡哲也と二谷英明(『東京流れ者』スティル)。こういうシーンは映画にはない。子どものときは、スティルはべつに撮るということを知らなかったので、しょっちゅう、首をかしげつつ映画館から出てきて、外に飾られているスティルをまた見直したりした!

まあ、やむをえないんですよ、それは百も承知です。突出したものがないかぎり、文化の壁を乗り越えて注目を集めることはできません。だから紹介者はもっとも異常なものから語りはじめるものです。わたしだって、友だちから『殺しの烙印』がいかに奇怪な映画かを事前にたっぷり吹き込まれて、文芸座のシネマテークに行ったわけで、海外でも同じことが起きたのでしょう(そもそも、プログラム・ピクチャーをシネマテークで見るというのがもうすでに倒立しているので、よそさんのことをあれこれいえた義理ではないかもしれない!)。

じっさいに見てみると、『殺しの烙印』は、笑えるシーンがたくさんある、きわめてオフビートなアクション映画、ぐらいのところで、けっしてメイン・ディッシュの印象はありませんでした。1972年の時点で、将来、古典になりうる「格」を感じたのは、たとえば『花と怒濤』あたりでした。

f0147840_17522052.jpg繰り返します。みんなで同じことをいうのはやめよう、鈴木清順には長いキャリアがある、あまり話題にされない作品を好む人もいるはずだ、他人がみな『殺しの烙印』と大合唱しようと、「やっぱり清順は和田浩二を撮ったときがいちばんいい、彼の代表作は『峠を渡る若い風』以外に考えられない」と思うなら、そう主張しようではありませんか。外国人に理解しにくい映画はみなダメだ、なんてことはないのです。われわれが最後に愛おしむのは、大多数の理解は得られない小品または珍品だろうという予感がします。

海外の映画好きはやっと鈴木清順に遭遇したばかりなのだ、ということでしょう。外国に映画を持って行くには手間がかかります。タイミングさえ合えば、われわれ日本人は、大規模な回顧上映で一気に多数の作品を見て、バランスのとれたイメージを得ることができますが、海外ではそうはいかず、紹介は徐々に進むわけで、いずれ、彼らも初期作品に接して、『殺しの烙印』の位置づけを補正していくことでしょう。

近々、もう一、二本、清順作品を取り上げようと思っているので、そのときにまたあれこれゴタクをいうことにし、本日はこのへんで切り上げることにします。そもそも、冷静になってみれば当家は音楽ブログ、このところ、映画のことに踏み込みすぎていると反省しています。

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渡哲也のスーツの色彩変化にも意味が込められているのだろう。白は禊ぎあるいは再生あるいは屍衣か?

注釈 貴種流離譚
貴種流離譚とは「説話類型の一。貴い家柄の英雄が本郷を離れて流浪し、苦難を動物や女性の助けなどで克服してゆく話。大国主命〔おおくにぬしのみこと〕、光源氏の須磨配流、オデュッセウスの漂流の類」と広辞苑にあります。

今回調べてはじめて知ったのですが、これは折口信夫〔しのぶ〕の造語なのだそうです。世界大百科の折口信夫の項に以下のように記されています。
「信夫の学問は、以上のような創作活動と深くかかわっていて、独特な用語を駆使し、ときに飛躍のある晦渋な論文が生み出されるのはその創作者的資質によろう。独特な用語とは、例えば〈貴種流離譚〉がある。物語に出てくる主人公たちは高貴な出身であるが、身をやつして他国へさすらってゆく。そのような物語のパターンが、《源氏物語》にもあるが、古い神話や基層社会の芸能者の持ち歩いた説経その他にも広く見られる。そのことから、〈貴種流離譚〉は、神々を守って漂泊した人々の、また賤しめられていた芸能者たちのいだいていた世界であったことが考えられる。信夫は日本文学の流れの基層をそのような担い手たちの唱導の歴史であると見た」

ふーむ。「流れ者」も堅気の世界とは無縁で、ここでいう「卑しめられていた芸能者」に近縁の存在といえるでしょう。『赤い波止場』『紅の流れ星』『東京流れ者』は貴種流離譚だなんて、よく知りもしないくせに、テキトーなことを書いてしまったかと思いましたが、どうやらまぐれ当たりだったようです。

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by songsf4s | 2009-06-26 23:51 | 映画・TV音楽