- タイトル
- Exodus Part One
- アーティスト
- Elmer Bernstein (OST)
- ライター
- Elmer Bernstein
- 収録アルバム
- The Ten Commandments (OST)
- リリース年
- 1956年

今日の曲も『栄光への脱出』と同じく「Exodus」というタイトルなので、はじめにこれがなにを指すかをハッキリさせておきます。このExodusは、本家本元のエクソダス、「出エジプト」を描いた、セシル・B・デミルによる1956年の再映画化版『十戒』(1923年のオリジナルの邦題は『十誡』だったが、戦後、漢字制限のために「誡」の字が使えなくなったという、わが民族の毎度のお粗末)に使われた曲のことです。

『栄光への脱出』に描出された、ホロコーストの生き残りであるユダヤ人をパレスティナに運んだ貨物船が、航海中にExodusと船名を変えたのは、もちろん、三千年まえの「出エジプト」の故事にちなんだものであり、その三千年まえのオリジナル・エクソダスを描いたのが、デミルの『十誡』およびそのリメイク『十戒』です。『栄光への脱出』から連想した映画は二本あるのですが、まずはその一本、おおもとの「脱出」を描いた作品を見てみよう、と思ったしだい。
いや、見はじめたら、そんなこと思わなければよかったのに、とおおいに後悔しました。長いこと、長いこと、3時間半の上映時間のうえに、何度にも分けて見るものだから、じつに長く感じました。いや、はっきりいえば、退屈したから長く感じたのですがね。
とりあえず、予告篇なんぞご覧になってみますか?
子どものころ、『ベンハー』とか『クレオパトラ』とか『サムソンとデリラ』なんぞを見ては、なんだろうねえ、こういうのは、と釈然としない気分を味わいましたが、それから半世紀ほどたっても、やっぱり、こういう歴史スペクタクルは不得手という三つ子の魂は変わらないのを確認しました。いや、『十戒』は、このての歴史スペクタクルのなかでは、比較的退屈しなかった記憶があったのですが、数十年ぶりの再見で、メッキが剥がれました。
◆ メイン・タイトルおよびExodus ◆◆
そういうしだいで、映画としては、いやあ、こいつはまいったなあ、という出来でしたが、これがデビューとなったエルマー・バーンスティーン(バーンスタイン)のスコアは、なかなか楽しめました。こういう超大作ですし、題材も題材なので、どうしたって、むやみに大きい造りにせざるをえないのですが、メイン・タイトルのメロディーはなかなか魅力的で、これがさまざまな変奏曲となり、あちこちでモティーフとして使われています。

看板に掲げたExodusという曲は、ついにユダヤ人奴隷がファラオ(映画ではラムセス二世となっているが、歴史家は違うといっている)に解放され、うちそろってエジプトから出発、つまり文字通りのExodus「出エジプト」をするシークェンスで流れるもので、メイン・タイトルのアップテンポの変奏曲になっています。
Exodus
なんとなく、『大西部開拓史』なんていう映画のテーマにも流用できそうなところが、いかにもハリウッド音楽という感じですが、あまり荘重にやられても困るので、このくらいの軽快さはちょうどいいと思います。
◆ 変奏曲 ◆◆
メイン・タイトルの変奏曲はほかにもいいものがあります。
Moses and Sephora
これはエジプトから追放されたモーゼが、ベドゥインの一家と暮らすようになり、長女のセフォラに求愛するシーンに流れるものです。シンバルや低音弦によるアクセントは、背後に噴煙を上げるシナイ山を配した画面構成に合わせたのでしょう。

Holy Mountain
これは上記のシーンより早く出てくるもので、やはりシナイ山を背景にモーゼとセフォラが神について語る場面に使われたものですが、こちらは昼間のシーンで、そのぶんだけ軽めにしたのではないでしょうか。

ご存知のように、エルマー・バーンスティーンは多数の映画音楽を書いていて、なにもよりによってこの映画から入ることもないとは思うのですが、ことの成り行きでこうなってしまいました。わたしが好きなエルマー・バーンスティーンのスコアはもっと軽いもの、ラロ・シフリンと重なるタイプのものですが、『十戒』のスコアを聴くと、多様な音楽を書けるプロフェッショナルなのだということを再認識させられます。
◆ よぶんな話 ◆◆
いや、それにしても、だれに強いられたわけではなく、自発的にやったこととはいいながら、『栄光への脱出』と『十戒』の二本立てにはへこたれました。合わせて7時間ですからね。高校時代、池袋文芸座の週末のオールナイトに何度かいっていますが、昭和残侠伝シリーズ五本立て、なんていうプログラムだと、ちょうど同じぐらいの上映時間になります。
昔の日本映画、それもプログラム・ピクチャーは、無茶な上映時間のものはなく、だいたいが85分から95分のあいだなので、健さん五本立てでも、鈴木清順シネマテークでも、同じように90×5=450分という勘定になり、夜の十時から始まって、終わると朝まだきの路上に投げ出され、腹減ったなあ、などといいつつ池袋駅に向かって歩き、オールナイトのラーメン屋などで腹ごしらえするわけです。
いやはや、♪若さゆえ~、てえやつで、いまあんなことをしたら、三日ぐらいは寝込みます。うーん、でも、なんとも懐かしくて、涙が出そうです。もう一回ぐらいなら、ああいうオールナイトを経験してもいいような気がしてきました。『俺たちの血が許さない』からはじまって『東京流れ者』『花と怒濤』『くたばれ悪党ども』『野獣の青春』なんていう清順五本立てだったりすると、その気になっちゃいそうです。

えーと、『十戒』の話でした。この映画は60年代前半の再上映のときに見て、以後、再見することはありませんでした。昔はときおりそういうことがあったのですが、遠足にでも行くように、学年丸ごと学校の近くの映画館に行きました。「視聴覚教育」なんていうことがいわれていた時代で、日本全国、どこでもそういうことがあったのではないでしょうか。
やはり学校で『十戒』を見たといっている知り合いもいるので、この映画はおそらく、「文部省推薦」(昔はそういうのがあった)になり、しかも、推薦の度合いが最上級かなんかで、あちこちの学校がこぞって映画館に出かけたのではないでしょうか。教育の一環として見せるべき、見るべき映画とは思えませんが、昔は文部省も偉かったのでしょう。生徒としては、どの映画を見るかというきわめてプライヴェートな選択に、文部省だろうがなんだろうが、だれにも口をはさまれたくはありませんがね。

まあ、それはすぎた昔の話。今回見直して、どうして子どものころからこの手の史劇を好まず、もののはずみで見てしまったものも、二度と再見することはなかったのか、よくわかりました。なんだか学芸会を見ているような気分になり、ぜんぜん話に入れないのです。
そう感じるにはいくつかの理由があるのですが、最大の原因は台詞回しです。こういうもったいぶった台詞回しは、いったいなんなんだろうと考えているうちに、そうか、舞台劇の演技なのだ、とわかりました。わたしはライヴの芝居というのを分野をかぎらずあまり見ないのですが、それもやはり、台詞回しに耐えられないからです。今日は『仁義なき戦い』の最初のほうを見たのですが、松方弘樹がサングラスを指で押さえながら、ちょっとあおるように、小声で、「おやっさんよう」というあの凄みは、舞台ではぜったいに無理で、わたしが好きなのは、こういう小声の演技なのです。

もうひとつ。台詞回しのみならず、セリフそれ自体が大時代で古めかしいのもあまり好きになれません。われわれの文化でも、時代劇には独特の言い回しがありますが、あちらでもやはり、古い時代の物語では、「'ey man, 't's up?」なんてタメ口をきくわけにはいかず、「My greatness」とか「Holy Queen of Egypt」などと一言いっては、さっと頭を下げて一揖する、ということが必要なのでしょう。
しかし、キンキラキンのセットと金襴緞子の衣裳を見ていると、どうも安ピカで、荘重な台詞回しも、古色蒼然たる英語も、もったいぶった身振りもまったくリアリティーがなく、サウンド・ステージの外では、カリフォルニア(正確にはハリウッドはメルローズ・アヴェニュー5555番地のパラマウント・スタジオ)の太陽が馬鹿馬鹿しいくらいに照りつけているのが感じられるほどなのです。そもそも、どれほど古めかしいタイプのものであろうと、ファラオが英語を話すはずはなく、しまいにはいちいち英語の言い回しが癇に障ってくるのです。
とはいえ、感心することがひとつだけあります。『クレオパトラ』なんかでもそうですが、とにかく人間が多いことです。まるで点のようにしか見えない人物がちゃんと動いているのが、とほうもなく無駄で、感動的といっていいほどです。延べ2万5千人といわれるエキストラの数は誇張ではないでしょう。いえ、感心はするのですが、日当をもらって、あの「点」のひとつになりたいかといわれると、世にこれほど馬鹿馬鹿しい仕事はないにちがいないと、どっと疲れてしまうのですが……。

◆ さらによぶんな話 ◆◆
今年は「ハリウッド百周年」です。1907年、ウィリアム・シーリグ(セリグ)がサンタ・モニカで映画を撮影し、その2年のち、1909年に、ロサンジェルスで最初の映画スタジオの建設に着手します。
正確には、シーリグのスタジオはハリウッドではなく、イーデンデイルにあったので、「ハリウッド映画産業」を厳密に解釈すると、その誕生は1911年、セントーア社がサンセット&ガウアにあった建物を借りて、「ネスター・スタジオ」と命名したときということになるかもしれませんが、その論法でいうなら、バーバンクにあるワーナー・ブラザーズは「ハリウッド映画産業」には属さないことになるし、ユニヴァーサル・シティーにあるユニヴァーサルも微妙なことになってしまうので、わたしは1909年を「ハリウッド映画産業」誕生の年と考えています。

そして、その呱々の声をあげたばかりのハリウッドが、最初に世に送り出した本編、三巻ものなどではない長尺もの、フィーチャー・フィルムを監督したのが、のちに『十誡』や『十戒』を監督するセシル・B・デミルなのです。
ハリウッドを果樹園ばかりの農村から、アメリカの映画、テレビ、音楽産業の中心地へと変貌させたのは、東部から「逃亡」してきたユダヤ系移民です。なぜ逃亡しなければならなかったのか? トーマス・アルバ・エディソンらの映画特許会社(Motion Picture Patent Company)と事を構えてしまったために、東部にはいられなくなったからです。
と書けばおわかりのように、これは「ミニ・エクソダス」なのです。となると、〈モーゼ〉はだれだ、といいたくなります。東部脱出の先頭を切ったデミルは、ひそかに自分のことを「アメリカ版モーゼ」「現代のモーゼ」と思っていたのではないか、というゲスの勘ぐりの誘惑にかられてしまうのでした。

『栄光への脱出』から連想した映画はもう一本あるので、つぎはそれを見てみようと思います。やはり大作ですが、方向はまったく異なります。