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Goodbye Girl by David Gates (OST 『グッバイ・ガール』より)
タイトル
Goodbye Girl
アーティスト
David Gates (OST)
ライター
David Gates
収録アルバム
N/A
リリース年
1977年
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いきなりですが、ちょいと引用なんぞしてみます。

 ニール・サイモンは決断を迫られていた。のちにブロードウェイでもっとも客を呼べる劇作家となる彼も、五〇年代にはまだテレビの台本書きで糊口をしのぐ駆け出しライターにすぎなかった。一九五七年四月に娘が生まれ、広いアパートに引っ越す必要に迫られたが、仕事はうまくいっていなかった。
 「一九五〇年代半ば、どこかの電気の天才が、東海岸から西海岸まで全テレビ局をつなぐ同軸ケーブルを拾って壁のソケットに突っ込み、それで全米がつながるとわかったとき、私のニューヨークでの日々は残り少なくなってしまった。当時より四〇年さかのぼった映画界と同様、テレビ界は若者たちをひっさらって西へと移って行った。カリフォルニアには、どこよりも広い撮影所のスペースがあった。戸外のシーンを撮影するのに必要な太陽と、ロンドンのシーンに必要なスモッグがあった」(『書いては書き直し――ニール・サイモン自伝』より、酒井洋子訳)

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 結局、この年、ニール・サイモンはカリフォルニアに引っ越すことになる。ジェリー・ルイス・ショウの仕事が入ったのだ。『裸足で散歩』の大ヒットで、ブロードウェイの劇作家として名をなすには、まだ五年の歳月が残っていた。
 ニール・サイモンは、いかにも彼が書く芝居のように、皮肉な視線でテレビ界の変化をとらえているが、ハリウッド映画界も、サイモンと同じように、生きるためにもがき、節を屈したのである。彼が経験した災難は、ハリウッドを襲った大艱難辛苦の小さな余波にすぎなかった。


引用したら、ふつうは出典を明示するのですが、以上は、まだタイトルが決まっていない、したがってまだ出版もされていない本、すわなち、まだわたしと編集者しか見ていない、原稿段階のものからもってきたので、出典の書きようがないのです。わたし自身は、『音楽都市ハリウッドの黄金時代――ヒット曲はいかに「製造」されたか』というワーキング・タイトルを使っていますが、今後の版元との話し合いのなかで、これは変更されるかもしれません。

いずれにしても、この本がどうなるかは、ここでは重要ではありません。『グッドバイ・ガール』の脚本家であるニール・サイモンがかつてそういう日々を過ごしたことがあった、ということを知っていただくために、二度同じことを書くのを避け、ちょうど書いたばかりのセンテンスを貼りつけただけです。

◆ コード進行とハーモニー ◆◆

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本日の曲は、1978年製作、ハーバート・ロスの『グッバイ・ガール』の主題歌、デイヴィッド・ゲイツ歌うGoodbye Girlです。なんだか変だなあ、と思い、いま確認したのですが、映画の原題はThe Goodbye Girlで、定冠詞がつきます。しかし、デイヴィッド・ゲイツの曲はGoodbye Girlと冠詞はありません。どうでもいいようなことですが、映画製作者、ゲイツ、それぞれに意図があってのことなのでしょう。

もうひとつ説明しておくと、どうやらこの映画のOST盤は存在しないようです。わたしの手元にあるのは映画だけで、盤はもっていません。これでは心もとないので、いちおうゲイツのアルバムに収録されたヴァージョンのファイルだけは入手して、聴くだけは聴いてみました。たぶん、映画に使われたのと同一のテイクです。



子どものころとはちがって、大人になってからは、映画館を出たその足でテーマ曲を買いに行くなどということはほとんどなくなりました。その気になるような曲には出合わなかったからです。ラヴ・ストーリーはあまり見ない人間なので、『グッバイ・ガール』も映画館には行かず、あとからテレビで見ました。ラヴ・ストーリーだからではなく、ニール・サイモンのオリジナル脚本なので、コメディーであり、きっと、笑えるラインがいくつかあるだろうと考えただけのことです。

さすがはニール・サイモン、予想したとおり笑えるセリフがかなりあって、映画館で見るべきだったと反省しましたが、最後に流れた曲がまたけっこうで、子どものころなら、帰りにシングル盤を買っただろうと思うほどの出来でした。テレビで見ていては、そういう気分にもなりにくいわけですがね。

Goodbye Girlは基本的にはシンプルな曲で、予定調和的なメロディー、コード進行になっています。それはそれでべつに悪いことではなく、映画の主題歌の場合は、むしろそのほうがいいかもしれないと思います。しかし、ちょっとだけ「ほう」と思わせる箇所があるのです。

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この曲のキーはEbなのですが、煩瑣になるのを避けるため、以下、どの音もコードも、半音あげてEをキーにして書きます。

サンプル

まずコーラスの尻尾、「If you wake up and I'm not there, I won't be long away」の終わりのほうは、AからAmへの移行なのです。何度も同じことを書いているような気がしますが、60年代にはしょっちゅう耳にしていたこのパターン(最初に覚えたのはI Saw Her Standing Thereでのことだった)が大好きで、これが出てくると、おっ、やってるな、とニッコリしてしまいます。デイヴィッド・ゲイツも60年代に裏方として大活躍した人なので、ちょっとノスタルジックな気分で、昔はクリシェだったのに、70年代後半にはあまり顧みられなくなっていた、このコードの遷移を放り込んだのではないでしょうか。

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もうひとつ、やはりコーラスですが、一度目と二度目のdoesn't meanの歌い方を変えたところも気に入りました。最初のdoesn't meanのメロディーは、

Eb E  Eb  E  Eb  E B Db
goodbye doesn't mean forever

なのですが、二度目は

Eb  E  F#   Eb B
goodbye doesn't mean

なのです(何度かスペースを書き換えてみたが、うまくいかないのであきらめた。「だいたい、そのあたりにその音が来る見当」ぐらいに受け取っていただきたい)。この変化が面白くて、一度聴いただけで記憶しました。

さらにもうひとつ好ましいのは、ダブル・リードのギターのフレーズにもいくつかいいものがあることです。年をとってくると、強烈なインプロヴからはだんだん遠ざかり、こういうきちんと設計されたプランにしたがって、サウンド作りに奉仕することだけを目的とした、「自分を殺した」プレイのほうが好ましく感じられるようになるのでしょう。盤をもっていないので、だれがプレイしたかは知りませんが、ゲイツ自身でしょうかね?

◆ またもやタイトル話 ◆◆
映画のタイトルがThe Goodbye Girlと、定冠詞付きになっている理由は、「さらば、恋人よ」(Goodbye, girl)という呼びかけではなく、「さよならさん」という名詞節なのだということを明示したかったからでしょう。アソシエイションのNever My Loveや、ジム・スタフォードのMy Girl Billは、ほんとうならNever, my loveやMy girl, Billと書かなければいけないのに、なんらかの理由でカンマを省略してしまったのとは、この映画のタイトルはちがうのです。

なんだって「さよならガール」かといえば、いつもサヨナラばかりいっているからではなく、いつもサヨナラばかり「いわれている」からです。映画の冒頭、マーシャ・メイソン扮する「さよならガール」ことポーラは、男に逃げられただけでなく、その男から部屋を転貸されたといって、鍵と書類をもった男(リチャード・ドレイファス)にアパートに乗り込まれてしまいます。あれこれあったあげく、アパートをシェアするということで、とにかく物語がはじまることになります。

ここでわたしは、子どものころに見た日本製テレビドラマを思いだしました。たしか小学校のときに見たもので、もうほとんど覚えていないのですが、浅丘ルリ子と石坂浩二の主演で、同じようなシテュエイション・コメディーを見た記憶があります(芸能界のことはまったくなにも知らない人間なので、あまり信用しないでいただきたいが、このドラマがきっかけでこの二人は結婚したのではなかったと思う)。

子どものころからアメリカ人いうところの「シットカム」、シテュエイション・コメディーが好きな人間なので、こういう設定についての記憶はまちがっていないと思います。設定だけで芝居がつくれるわけではなく、それを生かせるかどうかで書き手の価値は決まるのだから、設定だけでどうというわけではありませんが、後先を明らかにしないのもまたいいことではないでしょう。

f0147840_0492591.jpgそもそも日本のドラマは、フランク・キャプラの『或る夜の出来事』をヒントにしたにちがいありません。大人になってこの映画で、いわゆる「ジェリコの壁」、シーツによる間仕切りを見たとき、あっ、あの浅丘ルリ子のドラマだ、と記憶がよみがえりました。こういうことには、深い根っこがあったりするので、キャプラもまたなにかをヒントにしたのかもしれませんが、それより古い事例は、わたしは知りません。

ということで、『グッバイ・ガール』もそうしたパターンに収まる話ですが、味つけはいかにもニール・サイモンらしく、じつにバランスがとれているし、(そういうものがお嫌いでなければ)バックステージものの楽しさもあります。なんたって、主人公は役者とショウ・ガールですから、サイモンが通暁している世界を背景にしているのです。

◆ デイヴ・グルーシンのスコア ◆◆
f0147840_0541077.jpg冒頭に、ニール・サイモンが広いアパートに移りたがっていたことを書いた理由はもうおわかりでしょう。彼の出世作『裸足で散歩』も、いわば「アパートがテーマのドラマ」でした。もちろん、わたしは映画でしか知りませんが、あのアパートでの階段シークェンスの可笑しかったこと!

ニール・サイモンはアパートになにか固着をもっている、とまではいいませんが、『裸足で散歩』も、『グッバイ・ガール』も、彼の生活そのものに強い根を張ってから、徐々に芽を出した設定なのだろうと感じます。どちらもいたってニューヨーク的で、アンチ・ハリウッド的なニュアンスをもっています。「あんなヤシが生えるような土地でまともな喜劇が書けるはずがない」といって、早々にハリウッドに見切りをつけてNYに逃げ帰った作家らしい手触りです。

ウディー・アレンはきっと、サイモンの理想とする「喜劇の誕生するにふさわしい環境」という概念に賛成するのではないでしょうか。『アニー・ホール』で、ポール・サイモン扮するポップ・シンガー(ぜんぜん「扮して」いないか!)のハリウッド的なノリにさんざん毒づくところはおおいに笑いました。

気に入ったラインのひとつ二つをコピーして、翻訳を試みようかと思ったのですが、時間切れとなってきたので、最後にスコアのことを。

主題歌はデイヴィッド・ゲイツの作ですが、音楽監督はデイヴ・グルーシンで、したがって、スコアもグルーシンが書いたことになります。テーマは一度見ただけでおおいに気に入ったのですが、スコアについては忘れてしまいました。今回見直して、じつに控えめで、上品で、好ましいスコアだと感心しました。

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タイトルバックは、ゲイツの歌ではなく、インストゥルメンタルなのですが、これはゲイツのテーマの一部をモティーフにしています。こういう形というのは、ありそうでないだろうと思います。つまり、だれかが書いたテーマ曲を、音楽監督が自分のスコアに取り込む、ということです。とりわけ、ポップ系の人が書いたシンプルな曲を、ジャズ・ミュージシャンがスコアのモティーフとして利用する、というこの『グッドバイ・ガール』のようなパターンは、です。

だれかに強いられたことかもしれませんが、どうであれ、このような形で、あらかじめ「テーマ曲の予告篇」を見せておくのは、非常にいいことだと思います。テーマ・ソングがエンディング・タイトルのときだけ流れる形の場合、たいていはロック系のテーマと、スコアが水と油で、索漠たる思いをしますが(曲がヒットして、それが映画のヒットにつながれば儲けもの、という見え透いた根性が耐えがたい)、このようにスコアのほうがテーマに歩み寄ってくれると、いい映画音楽ができるあがることがよくわかりました。

それから、我田引水ですが、グルーシンがテーマをモティーフとしてスコアを書く気になったのは、上記のような、クリシェだらけのなかに、ちょっとだけ仕込まれた意外な展開があることが気に入ったからかもしれない、とも思いました。
by songsf4s | 2009-05-15 23:20 | 映画・TV音楽