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The Blue Danube by the Berlin Philharmonic Orchestra (OST 『2001年宇宙の旅』より) その2
タイトル
The Blue Danube
アーティスト
The Berlin Philharmonic Orchestra, conducted by Herbert von Karajan (OST)
ライター
Johann Strauss II
収録アルバム
2001: A Space Odyssey (OST)
リリース年
1968年
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本日は引きつづき『2001年宇宙の旅』です。まずは、昨日たどり着けなかった、この映画の音楽監督の話から。

ふつうの映画には、音楽監督というポストがあり、Music byだれそれなどとクレジットされます。分業の場合、Music supervised byだれそれ、Music composed byだれそれ、Music arranged byだれそれ、などと細かく記されることもあります。

わたしはオープニング・タイトルを気にするたちで、とくに撮影監督と音楽監督には注意します。ひところでいうと、ヴァン・ゲリスだのジョルジオ・モロダーだのといった名前を見ると、あちゃあ、こりゃダメだ、と覚悟を決め(80年代というのは映画音楽の暗黒時代だった)、ジェリー・ゴールドスミス、ラロ・シフリン、ランディー・ニューマンという名前が出たりすると、「当たり!」と心のなかで拍手したものです。最近の名前がないので、近ごろ映画館にはとんとご無沙汰というのがバレバレですが。

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ラロ・シフリン特集をやりたくて準備はしているのだが、いつになることやら……。

では、『2001年宇宙の旅』の音楽監督はだれか? これが、おかしなことに、見あたらないのです。そんな映画、ふつう、ありませんよ。どんな人間にもふた親があるように、どんな映画にも音楽監督がついているものです。それなのに、『2001年宇宙の旅』のクレジットにはMusic byだれそれが見あたらなかったのです。

不注意で見落としたかと思ったのですが、ヴィデオで見ても確認できず、首をひねりました。この稿を書くにあたって、かつて疑問に思ったことを思いだし、もう一度、オープニングとエンディングの両タイトルをきちんと見直してから、検索をかけました。

◆ アレックス・ノースのオリジナル・スコア ◆◆
『2001年宇宙の旅』に音楽監督はいなかったのか、それともいたのか? ちゃんといました。アレックス・ノースという一流の作曲家に依頼されたのです。詳細はオフィシャル・サイトのフィルモグラフィーをご覧いただくことにして、ざっとご紹介すると、本編の処女作は『欲望というの名の電車』(マーロン・ブランドのデビュー作)、ほかに『クレオパトラ』『ヴァージニア・ウルフなんか怖くない』『噂の二人』(リリアン・ヘルマンの芝居の映画化)『足長おじさん』(1955年のリメイク。フレッド・アステアとレスリー・キャロン)『荒馬と女』『女と男の名誉』などがあり、すでにスタンリー・キューブリックとも『スパルタカス』で仕事をしていました。

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また、1955年の映画Unchainedのためにノースが書いたUnchained Melodyは、レス・バクスターやライチャウス・ブラザーズのヴァージョンで大ヒットし、スタンダード化しています。勘違いしている人が山ほどいますが、この曲は『ゴースト』で有名になったわけではありません。あれ以前にすでに大古典であり、「だれでも知っている曲」でした。『ゴースト』のせいで有名になったと思っているのは日本人、それも不見識な人だけです。

昔、大がかりな衣裳で有名な日本人歌手が、テレビでこの曲を歌うときに、曲名を『ゴーストのテーマ』といったので、ブラウン管のなかに乗り込んで、「たわけ、テキトーな楽曲タイトルを捏造するな!」と頭を引っぱたいてやりたくなりました。芸能人はしかたありませんが、ふつうの人はあんな歌手と知的レベルが同じだと思われたくはないでしょうに! わたしは中学のときに、再発されたライチャウス盤を買いました。1967年の時点でも、シングルがリイシューされるほど有名だったのです。

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『欲望という名の電車』は、非音楽映画にジャズ・スコアが利用されたごく初期の例といわれています。仕事で調べていて、資料に書かれていることをそのまま引用しかけたのですが、不安になって映画を確認しました。資料ではジャズが利用されたということが強調されているのですが、じっさいにはごく控えめな使い方にすぎず、たった数行の記述でも、やはり現物にあたって確認しなければいけないと改めて痛感しました。「大々的な利用」ではなく、「そっと忍び込ませた」といった塩梅だったのです。

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『欲望という名の電車』オープニング・タイトル。音楽監督と作曲家が別個になっているところは、それが正しいあり方だろう、といいたくなるが、じっさいには、ノースがまだ若く、音楽部の年長者にクレジットを持っていかれた可能性が高い。

話を戻します。キューブリックはノースが書いたオリジナル・スコアを聴く以前、みずからフィルムを編集しているときに、「仮音楽」として、適当と思われるクラシックの曲を嵌めこんだのだそうです。幸か不幸か、MGMの首脳陣は、キューブリックが完成を遅らせるのではないかと不安になり、試写を要求したため、監督はこの「仮音楽版」を見せたところ、大好評で、キューブリック自身も、音楽はこの方向のほうがいい、と考えるに到り、ノースのスコアはお蔵入りしてしまったというのです。

その結果、クレジットには、楽曲名と作曲者名が個別に出るだけで、音楽監督の名前はないという変則的な事態になったというしだいです。しいていうなら、楽曲選択をしたスタンリー・キューブリック自身が音楽監督の役割を果たしたことになります。

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◆ ノース版オリジナル・スコアの復元 ◆◆
ノースが書いたスコアは、その後、何度か盤になっていて(ジェリー・ゴールドスミス指揮による盤があった)、つい最近も映画用に録音されたオリジナル版がCD化されました。

だれかやっているのではないかと思ったら、やはり、タイトルにノースのスコアを嵌めこんだものがありました。



タイトルだけなら、ツァラトゥストラより、わたしはこちらのほうがいいと思います。ただし、「人類の夜明け」シークェンスについては、音楽が出しゃばりすぎで、たとえ、ノースのスコアで行く場合でも、ここは音楽なしに変更ではないでしょうか。いや、オフ・ミックスにするという穏当な方法もありますが。

曲名から推測するに、「美しき青きドナウ」が使われたシーンでは、Space Station DockingおよびTrip to Moonという2曲が使われるはずだったのでしょう。どちらも悪くない曲で、とくに前者は軽快でいいと思いますが、あのシーンに嵌めこんで、「美しき青きドナウ」のような強い印象を与えたかというと、残念ながら、ネガティヴといわざるをえないようです。



しかし、完成品と廃棄されたスコアを比較して、いちばん引っかかるのは、月への旅路ではなく、映画ではリゲティーの「レクイエム」が使われたシーンの音楽です。無調の「レクイエム」を単独で聴く趣味はありませんが、映画のスコアとしてはいろいろ使い道がありそうだと感じます。もちろん、『2001年宇宙の旅』ではみごとにはまっています。とくに「木星および無限の彼方」シークェンスの冒頭、木星とその衛星がまたしても「ダンス」をし(そして、またしても、「合」「衝」のイメージが繰り返される)、そこに「モノリス」が見え隠れするショットでは、みごとな映像と音楽のハーモニーを形作っています。

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モノリス発掘現場「TMA-1」(上)と「木星および無限の彼方」シークェンスの冒頭、モノリスの再登場ショット(下)。モノリスが出現するたびに「レクイエム」が流れる。

キューブリックは、いかにすぐれた映画音楽作曲者といえども、彼らはベートーヴェンでもモーツァルトでもブラームスでもない、といったそうです。気持はわかりますが、これはフェアな発言とはいえないでしょう。百年後に、たとえばディミトリー・ティオムキンやヘンリー・マンシーニがどう評価されているかなんて、われわれにはわかりません。モーツァルトやブラームスと同列になっている可能性もゼロではないでしょう。すでにレノン=マッカートニーはそういう道を歩きはじめているし、ブライアン・ウィルソンもそのあとを追っています。古典と現代の音楽を同列に論じられるほど、われわれの想像力は長射程ではないのです。

キューブリックは深く考えずにいったのでしょうが、敷衍すると、ディミトリ・ティオムキンも、バーナード・ハーマンも、ヘンリー・マンシーニも、存在価値なしと断言したも同然です。さらに翻って考えると、「リアルタイムでは」モーツァルトもブラームスも価値がなかったことになってしまいます。どんな時代にあっても、だれかが新しいものをつくらなければなりません。キューブリックだって、自分はジョルジュ・メリエスでもなければジョン・フォードでもなく、フランク・キャプラの足元にも及ばない、などと思って映画を撮っていたわけではないでしょう。キューブリックともあろう人が、なにを血迷ったことをいうのかと、おおいに違和感のある発言でした。ノースのスコアを破棄し、出来合いの音楽を使うという自分の選択を正当化したかっただけでしょうけれどね。

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◆ スリット・スキャン、その他の落ち穂拾い ◆◆
史上最高の映画と目されるほどの作品になると、書いても書いても、あとからあとからいろいろ思案が湧きあがり、とめどがありません。このところ、映画音楽ばかりやっているとはいえ、当家は映画ブログではなく、根本においては音楽ブログなのだから、あまり映像のことに立ち入るべきではなかろうと、自制心を働かせている最中です。

あとは、この稿を書くために読んだもののうち、価値が高いと感じたものを列挙するにとどめます。まず、かの名高い「スペース・コリダー」のシーン、いわゆるサイケデリック・シークェンスをご覧いただきましょう。



このシーンによって、特殊撮影スーパヴァイザーのダグラス・トランブルはおおいなる名声を博しました。仕事の取材でつくば科学博にいったときは、いの一番でトランブルが開発・製作・監督した、1分間32コマで撮影された短編映画を見ました。いやもう、ドキドキするような映像でしたが、設備をいっさいがっさい更新しなければならないので、ついに普及しませんでした。ディジタル上映システムになれば、機材の問題は低コストで解決できる可能性があり、撮影システムのほうも、また32コマとか48コマといったコンセプトが復活するのではないでしょうか。ご覧になった方は忘れていないでしょうが、あのリアリティーは恐ろしいくらいのものでしたからねえ。

ダグラス・トランブルの写真のかわりに、ヴィデオ・クリップをどうぞ。



さて、この万華鏡映像はいかにして撮影されたか? これは「スリット・スキャン」といわれる撮影方式によってつくられているのですが、わたしはこういうのが好きなので、以前、書籍で調べました。でも、いまではウェブ上に資料がごろごろしています。

いちばん面白かったのは、『2001年』のスリット・スキャン画像をリヴァース・エンジニアリングして、元画像を復元したといっているサイトです。

よりオーソドクスなスリット・スキャン撮影技法の解説としては、この頁が面白いと思います。なかなか笑える絵があります。わたしはときおり、スキャナーで画像をスキャンしながら、スキャン対象を動かし、できあがった奇妙な写真を眺めて笑っていますが、それに似ています。

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最後に、ワーナーのサイトの『2001年』ページをどうぞ。このページに、初公開、完全クレジットというページへのリンクがあります。CDリイシューで、かつては書かれなかったパーソネルが公開されるみたいなものなのでしょう。ここで、音楽監督クレジットがないことを最終的に確認しました。

次回は、もうひとつ同系統のSFを取り上げる予定ですが、すぐに気が変わる人間なので、あまり当てにはなりません。
by songsf4s | 2009-04-21 23:52 | 映画・TV音楽