人気ブログランキング |
Goldfinger その3 by Ray Martin & His Orchestra (『ゴールドフィンガー』より)
タイトル
Goldfinger
アーティスト
Ray Martin & His Orchestra
ライター
John Barry, Leslie Bricusse, Anthony Newley
収録アルバム
Goldfinger and Other Music from James Bond Thrillers
リリース年
1965年
他のヴァージョン
Billy Strange, Shirley Basey, Al Caiola, Count Basie, Elliott Fisher, Hank Marvin, Hugo Montenegro, Jimmy Smith, Leroy Holmes, Mantovani, Nicky Hopkins, Ray Barretto, Reg Guest Syndicate, Roland Shaw & His Orchestra, Santo & Johnny, Sounds Orchestral, the Atlantics, the Cheltenham Orchestra, the James Bond Sextet, the John Barry Orchestra
f0147840_23441349.jpg

ヴァージョンが多く、ちょっと手間取ったGoldfingerですが、ようやくエンディングにたどり着けそうです。

◆ レイ・マーティン盤 ◆◆
残ったトラックのなかには抜きんでたものはなく、そうなると、いきおい、気分は変わり種へと向かうようで、ほんのわずかながら珍が入ったレイ・マーティン盤を看板に立てました。

レイ・マーティンはいちおうオーケストラ・リーダーなのですが、この曲のイントロは、歌ものにありそうな女声コーラスを使っていて、しかも、ここのコードがGoldfingerとはおよそ縁のない進行で(F-Faug-F6-Faug-Fといった、Becauseタイプの進行に聞こえる)、そこがちょっと魅力的なのです。

f0147840_23451351.jpg
レイ・マーティン この盤にGoldfingerが収録されているということではなく、顔写真としてご覧いただきたい。

オリジナルのコード進行ももちろん面白いのですが、ジョン・バリーの曲の通弊で、凝りすぎの傾向があり、何度か聴いていると、飽きが来ます。とくに、多数のヴァージョンを並べてつぎつぎに聴いているというコンテクストにあっては、レイ・マーティン盤のイントロが流れると、テンポの速さのおかげもあって、爽やかといっていいくらいの軽ろみを感じます。バリーのギトギトした曲を湯に通して脂抜きしたといったおもむきです。

LPリップで、ちょっとノイズが入っていますが、よろしければ試聴を。

サンプル1

◆ レイ・バレートー盤 ◆◆
同じように、イントロが流れた瞬間、やれやれ、軽いのはありがたい、と感じるのは、レイ・バレートー盤です。バレートーはラテン・パーカッション・プレイヤーなのですが、トラップ・ドラムに坐っている写真もあって、この曲はどちらをプレイしたのだろう、と思います。

ハル・ブレインは大別格として神棚に祭り上げて除外し、残った他のヴァージョンと比較すると、このヴァージョンのドラマーはかなりタイムがよく、眉間に皺が寄ったり、額に青筋が立ったり、憤怒のあまり卒中を起こすようなグルーヴではないのです。

f0147840_2347727.jpg

もちろん、ハル・ブレインやジム・ゴードンと並び立つようなレベルなどではありませんが、ロック系の一流ドラマーのなかに混じっても違和感がない程度の正確さはもっていて、ジャズ・ドラマーもそうそうタイムのひどい人ばかりでもないようです。これもサンプルいってみましょう。

サンプル2

◆ コミック・オーケストラ ◆◆
かなり珍なのは、チェルトナム・オーケストラ盤です。と書いたはいいのですが、ウェブで拾ったもので、このオーケストラの正体は知りません。ピアノとコーラスにはいくぶんかクラシック系の雰囲気がありますが、しかし、チェルトナム・フィルハーモニック・オーケストラやチェルトナム・シンフォニー・オーケストラといったヘヴィー級とは関係のない、ごくごく軽い系統です。まったくの当てずっぽうですが、スタジオ・プロジェクトではないでしょうか。

クラシックでもなければ、ポップともいえず、その中途半端なところがこのヴァージョンの賞味のしどころでしょう。混声コーラスがセコくて楽しめます。少人数のくせして、クラシックの合唱のようにGoldfingerを歌っているわけで、これが笑わずにいられようか、です。大人数でも笑えたでしょうが、それならたいていの人間が思いつくわけで、数人でやっているところがギャグとしては秀逸です。

f0147840_2348351.jpg

ほら、エーと、あの野球映画はなんといいましたっけ、チャーリー・シーンがワイルド・シングというあだ名のリリーヴァーをやる話。あの映画で、ワイルド・シングがマウンドに向かうときに、3、4人しかいない応援団が、インディアンの太鼓を叩きながら(球団がクリーヴランド・インディアンズだから)、一所懸命にWild Thingを歌うシーンがあったじゃないですか、あのセコさの面白みです。

しかし、この盤、ひょっとしたらマジなのでしょうか。わたしは頭からお笑いと決めてかかってしまったのですが……。

◆ 「タイムの悪いドラマー」という自己撞着的存在 ◆◆
残るヴァージョンは、「悪くはない」または「ひどい」のいずれかです。

f0147840_2351592.jpgニッキー・ホプキンズ・ファンというのがけっこういらっしゃるようですが、この盤はやめたほうがいいでしょう。ドラムがひどいミスをやっていて、わたしの額に青い稲妻が走ります。こういうミスをするドラマーも縛り首ものですが、しかし、あくまでも従犯であって、情状酌量の余地はあります。人間はミスをする動物ですからね。主犯はなんといっても、こんなあまりといえばあまりな、明々白々たる大馬鹿チョンボをそのままオーケイにしてしまったA&Rです。どこに耳をつけてるんだ、タワケ!

f0147840_2353177.jpgドラムのひどさでは、ジェイムズ・ボンド・セクステットもいい勝負で、だれだよ、このタコは、とクレジットを見たら、ジョン・グェラン。そういえば、以前、このアルバムの曲を取り上げたときにも、グェランをこきおろしたことを思い出しました。タイムは悪いは、左手首が硬いは、ドラミング設計は野暮の骨頂とくるは、まったくいいところがありません。ジミー・ボンド自身は非常にタイムがいいので、グェランではなく、シェリー・マンやメル・ルイスやジャック・スパーリングなどの、タイムのよいジャズ系スタジオ・ドラマーを起用していれば、このアルバムは成功したことでしょう。リーダー・アルバムがほとんどない人だけに、残念無念ですな。

f0147840_23534553.jpg悪くないのはマントヴァーニでしょうか。マントヴァーニだから、どういう方向か見当がつくでしょうねえ。ジョン・バリーがナンボのもんじゃい、フィル・スペクターのエコー? あんなもの浅い浅い、という、くどさもくどし、派手も派手派手し、イントロなんか、思いきりリヴァーブを深くして、ドカーンとやっています。このドカーンをとったらなにも残らない人だから、まあ、しようがないですが、考えてみると、オリジナルも基本的にはドカーン路線だから、これではカヴァーじゃなくてコピーではないかという気もチラとします。ついでながら、このドラマーは好みです。イントロのロールがきれいで、グェランのようなリトル・リーガーとはリーグがちがいます。

f0147840_2354674.jpgジミー・スミスは、なんだかトラフィックのBlind Manみたいなイントロで、頭が混乱しますが、考えてみれば、スティーヴ・ウィンウッドのほうがジミー・スミスにいろいろ学んだのでした。このドラムも下手で、ヴァースをちょっと聴いただけで、それ以上は辛抱なりませんでした。ジミー・スミスにしても、ウェス・モンゴメリーにしても、こういう下手なのとプレイしていて、ステージでぶち切れてしまい、ドラマーに殴りかかったりしなかったのだろうかと、毎度、不思議に思います。わたしなら、ぜったいに我慢しませんね。そもそも、それ以前に、もっとマシなドラマーを雇って、頭に血が上らないようにするでしょうが。

まだいくつかありますが、オリジナルに近い路線のものはオリジナルに勝てず、オリジナルから遠ざかったものはうまくいってない、という感じで、もう聴くに足るほどのものはありません。

◆ 倒錯的アレンジ ◆◆
カヴァーというのはおかしなものだなあ、と思います。「カヴァーの本義」なんてものがあるとは思えませんが、仮につくってみると、「ある楽曲に本来そなわっている可能性を最大限に引き出す試み、または、ある楽曲の異なる可能性を探究する試み」なんていう定義はどうでしょうか。

しかし、現実に即して考えると、まったくべつの定義をするべきのようです。「人口に膾炙した楽曲を利用することによって、耳慣れない楽曲でリスナーの心をつかむゼロからの苦しい作業を回避する怠惰な試み」あたりではないでしょうか。

最初の定義が理想であり、そういうカヴァーにはつねに心惹かれますが、じっさいにつくられるものの大多数は第二の定義に当てはまるようです。まあ、両者の中間ぐらいの、いいものをつくろうという気がなかったわけではないが、諸般の事情でその意図は挫折した、というものもしばしばあるように思います。

f0147840_235433100.jpg

奇妙だな、と思うのは、なんのためにカヴァーしているのか、その目的を見失ってしまったものが数多く見受けられることです。今回言及したレイ・マーティンとレイ・バレートーの2ヴァージョンは、そのタイプに思えます。そこまで楽曲の本来の味から遠ざかるのだったら、はじめからカヴァーなどせず、新しい曲を書いたほうがいいのでは、と思ってしまいます。レイ・マーティン盤にしても、レイ・バレートー盤にしても、イントロおよび、そこから敷衍され、全体に使われているリフは面白いのですが、どう考えても、Goldfingerという曲のイントロやリフとして適切とは思えません。そもそも、この曲をリフ・ドリヴンでアレンジすること自体が奇妙なのです。リフ・ドリヴンの曲がやりたいなら、べつの曲を作ればいいでしょうに。

しかし、まあ、人間というのは不完全なわけでして、スパイ/クライム・ミュージックの盤をつくろうという企画が先にあり、では、どの曲をやるか、そして、どうやるか、と煮詰めていくうちに、コピーはしたくない、なにかいいアレンジのアイディアはないか、とジタバタしはじめ、やがて「無意味な差別化」が忍び込んで、カヴァーする意味が失われていくのでしょう。

そう考えていくと、OST盤に収録されたジョン・バリーのいくつかのヴァリアントを、仮に一種のカヴァーと見なすなら、「カヴァーの本義」から外れないりっぱなアレンジで、やっぱり、小手先でこねくり回した他人のカヴァーとはちがう、さすがに本家は強い、と思います。もちろん、理想は理想、現実は現実、無理矢理なアレンジだって、それはそれで面白かったりするのですがね!

f0147840_23545031.jpg

by songsf4s | 2009-04-08 21:59 | 映画・TV音楽